一人称単数 (2020/7/22)

文字数 950文字

2020年7月20日 第1刷発行
著者 村上春樹
文藝春秋



一人称単数という言葉は中学の英語の授業で習った、大昔のことだけど。
それは「I」、日本語で「私」だということもまだ覚えている。
「I」は「僕」でもいい、村上主義者である僕は「僕」をよく使っている。
本短編集のタイトルになっている「一人称単数」は短編集8作のエンディング作のタイトルでもある。
なべて村上作品では「僕」形式の一人称語りが圧倒的に多いのである、
では敢えて本短編集でその「僕」を意識しているのはなぜだろうか?
こんなところからの興味で読み始める、まさに村上主義らしい献身ではないか。

タイトルと同じ最後の短編以外は文学界で発表された7編の短編、
8編ともに「僕」の一人称叙述になっている、珍しくはない。
でも、その内容はかなり私的、素人的表現でいえば「自分史」の趣さえ感じてしまう、まさか村上春樹が自分史?

いやいや、僕よりいっこ歳上の彼は今71歳、
本人が意識しないまま自分の人生を振り返ることがあるはずだ。
無論8編はフィクションに違いないが、僕には彼の本音のような呟きが
物語りのなかから聞こえてきて仕方がなかった。

ところで短編のタイトルは以下の通り:
■石のまくらに
■クリーム
■チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ
■ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles
■「ヤクルト・スワローズ詩集」
■謝肉祭(Carnaval)
■品川猿の告白
■一人称単数(書き下ろし)

タイトルだけからでは判断しづらいが、6編は「音楽」、2編が「詩」を取り扱っている、むろんテーマなどというものではなく全編ともに軽いエッセイのふりをしているが、僕はそこに若き日の痛みの様な想い、それに向けられた懐かしさを嗅ぎ取っていた。
今の自分の心境を無理やり村上さんにシンクロさせようとしているのだけど、その本音は。
繰り返しになるが、「僕」という主人公が昔話をするスタイルは村上主義の原点でもある。
そして今短編集にはもっとリアルな作者村上春樹の想いが込められていたように感じた。

唯一の書き下ろし短編である「一人称単数」、そこにみたのは自分自身への懐疑、
そんなことを考えるのですね、村上さんも 。僭越ながら僕もです。
それもこれも、一人称単数の「僕」を永く生きてきたせいでしょうか。
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