桐一葉

作者 桐乃桐子

[日記・個人ブログ]

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57件のファンレター

梧桐一葉落天下盡知秋

(アオギリの一葉が落ちて天下の秋を知らせる。)

ファンレター

33話

「鬼がくるよ!」懐かしい言葉ですね。確かに“鬼滅の刃”ブームで、1周回って今の子ども達に効きそうですね。(実は私も読んでいない、汗)私の小さい頃は「サーカスに連れて行かれるよ!」というバージョンもありました。それは怖かった……

「赤の他人に怒られるよシリーズ」(笑)私は、悪い使用法のお手本が「定員さんに怒られるよ!」だと思っています。店員さんの前で堂々と使うのは無神経ですよね、想像力の欠如。あの、自分はお客だからと店員さんを見下すような傲慢な態度取る人って、なんなのでしょう。相手の立場を見て自分の対応を変えるとか、とても品が無いと思います。

そして実際に子どもに注意すると、キレる。そういうのって、まるで子どもが子どもを育てているような家庭に見えます。
余談なのですが、大島弓子先生の「夏の夜の獏」だったかな?大昔読んだのですが、精神年齢が見た目に現れる話なのです。今でも実年齢と精神年齢が合っていないような方と接すると、ふと思い出すマンガですね……

職場の若い女の子のエピソード、それもわかります、わかります、私もまったく同じ経験あります。(さっきから“赤べこ”のように頷いてばかりの私。ご存じですか?福島の民芸品 笑)
プライドだけ高い子は、自分勝手な仕事をしてミスるんですよね~……

お父さまとのエピソード、今まで桐一葉を読ませていただいて、少しずつ家庭状況を覗かせていただいた読者としては、「家族」を感じてとても温かくなりました。ちゃんとぶつかり合いながら、険しい道のりをお父さまと一緒に乗り越え、親子になったのですね。
精神年齢の話を出したので思っていたことを1つ。桐乃さんはかなり早い段階で、お母様の精神年齢を越えていたのでしょうね。以前、幼い頃にお祖母様から「母を頼む」と言われていたというエピソードを読んだときに「やっぱり」と、感じました。
今回も共感しながら、いろいろ考えさせられました。

あ、それから、しゃべログで仰っていた「雨の降りはじめのコンクリートの匂い」、私も好きです。
私にとって、昔からあれが雨の匂いです(*^-^*)

返信(7)

突然ですが、お邪魔いたします。「赤の他人に怒られるよシリーズ」に吹き出してしまいました。で、とある社説か何かを思い出したのです。
現在のようなワンマンバスが登場する以前、まだ、市バスにも車掌さんが添乗していた頃のことです。バスの中で、はしゃぎまわる子どもにお母さんがひと言、「行儀よくしないと、運転手さんに怒られるよ!」。すると、車内にアナウンスが……「お子さんを叱るのは、お母さんの仕事ですよ~」と。
「鬼さんが…」や「お化けさんが…」は親も一緒になって遊びながら学べる方法ですが、「~が怒るから」という手抜きの叱り方には疑問を感じています。「こうした方がカッコいいのとちゃうか?」とか「こうしたらみんなが嬉しいのとちゃうか?」という諭し方がもっと広まればいいのに、と思います。
あと、「サーカスに連れて行かれるよ!」は、漫画「ぼのぼの」に出てくる「しまっちゃうおじさん」なみの恐怖ですね。「は~い、しまっちゃうよ~どんどんしまっちゃうよ~」。
佐久田さん、ありがとうございます!
「サーカスに連れていかれるよ」
ははじめて聞きましたΣ(*゚Д゚*)
話がちょっとズレてしまうのですが、わたし、サーカスってちゃんと見たことないのです。あの、空中で綱渡りしたり、火のついた輪っかのなかを動物がくぐり抜けたりするパフォーマンスのことですよね。違っていたらごめんなさい(>_<)
サーカスに連れていかれるということは、つまり、そういった芸を仕込まれる……?
高所恐怖症で運動音痴のわたしにはマジで恐怖です(怖)

そうそう、そうなんですよ。いまだに三波春夫さんの
「お客さまは神さまです」
ということばをそのまま鵜呑みにしちゃっているお客さん、けっこういます。とくに年輩の男性。
あのことばは三波春夫さんの
「私の芸を観にきてくださるお客さまは神さまのようです」
というような謙虚なお気持ちの表れだと、わたしは勝手に解釈していて、なんて腰の低い立派な方なんだろう、と思っておりました。
なので、お店に買いものに来たり食事をしに来たお客さんが
「おい、客は神さまだぞ!」
と威張っているのを見ると、自分の欲しいもの、食べたいものをお金を払って手に入れるために来ているのに、どうしてそんなに威張れるんだろう、と不思議で仕方ありません。
もちろん、ご利用くださるのはとてもありがたいのですが、店員はお客さま個人に雇われている使用人ではありませんので、奴隷かなにかと勘違いされるのはほとほと困り果てます(疲労)

精神年齢が見た目に現れるお話、気になります。
大島弓子先生、お名前は存じておりますが、あいにく読んだことがなくて。『綿の国星』だったかな、そういうタイトルの作品がとにかくイチオシ! と名作まんがを紹介する記事などでよく目にします。
「親の顔が見たい」ということばがありますが、そういう場合、親御さんを見るとたいてい「この親にしてこの子あり」だと納得しちゃいます。虐待などのニュースを見るたび、佐久田さんのおっしゃるように「こどもがこどもを育てているんだな」とやるせない気持ちになります。

赤べこ、わかります!(笑) ちょうど先日、お気に入り登録している女性YouTuberさんが、福島へ旅行されたときの動画をアップされていて、そのなかにも赤べこが出てきました。

まだまだ未熟な部分もたくさんありますが、おっしゃるとおり、たぶん、同年代のこどもたちよりはだいぶ早めにおとなの階段を駆けあがってきたと思います。
のろまなのに! 走るのキライなのに!(笑)
悟りをひらくにはほど遠いですが、あとは余生と思ってずっと生きているので、もし精神年齢が見た目に現れたとしたら、しわくちゃでヨボヨボのおばあちゃんになっているかもしれません(^^;)
わたし、祖母には悪い印象はなくて、帰省するたびにかわいがってもらった記憶があるので、しわくちゃのおばあちゃんの手、いいなぁと思うのです。
以前、雑誌で、佐藤初女さんという方が丁寧にお料理をされている写真満載の記事を読んで、おにぎりをにぎる手、包丁を使う手、いいなぁと思ったのを覚えています。
いまの時代、コロナを除いても、他人がにぎったおにぎりや手料理は無理、食べられない、というひとが増えていると聞きますし、その気持ちもわかりますが、あの写真を見て感じたのは、なんだろう、ノスタルジーみたいなものかもしれません。

今回もたくさん共感していただいてうれしいです(*´ω`*)
雨の降りはじめのコンクリートの匂い、わかっていただけてうれしい~(*´∀`)
この季節にどこからともなく漂ってくるキンモクセイやギンモクセイの香りを嗅ぐと、秋だなと感じます。
いつも温かいおことばをありがとうございます(*^^*)
唐乃さん、こんにちは。
えっと、これは佐久田さん宛てのコメントでしょうか。それとも、わたし宛てにいただいたものと考えてよいのでしょうか。
自分宛てにいただいたお手紙に、ほかの方からさらにコメントをいただくのははじめてなので、少々とまどっております(^^;)
勝手にわたし宛てだと解釈してお返事させていただきますね(強引!)

こどもを叱るときのバリエーションでもうひとつひっかかるのが、
「ほかのひとが見てるでしょ!」
です。
見られていなかったらやってもいいの? とこどもが勘違いしてしまったら、と思うと恐ろしい……。
叱るときに他人をダシに使うシリーズは、個人的にあまり好きではありません。これはこども相手だけでなく、おとな同士でも。
叱るときも、誉めるときにも、わざわざ他人をひきあいに出す必要はないと思うのです。
「○○さんはできるのに、なんできみはできないんだ」
とか
「○○さんのより、あなたの作品のほうが好き」
とか。
純粋に、そのひとを叱り、そのひとを誉めたらいいのに、と思うのです。

青い鳥文庫プロット『娘がバブミになったのでもういちど育ててみた』拝読しました。
超ハイスペックなお父さんが主人公の少年少女向け小説、超斬新! とびっくりしました(笑)
完璧なだけでなく、しだいに、ひきこもる娘の気持ちを理解していく過程がいいですね。グッときました。奥さんにやさしいところもめちゃくちゃポイント高いです!
またそちらにもお邪魔いたしますね。
コメントありがとうございます(*^^*)
ややこしい事になってしまい申し訳ありません。大好きな作家さん、おふたりのあいだに、思わずドーン! と飛び込んで自爆しました。

子どもへの叱り方について、よく、黙らせるテクニックと勘違いしているのでは? と思われる光景を目にし、もどかしくなります。
「○○したら□□してあげないよ!」という脅迫や、買ってほしくて言うことを聞かない子どもに「はいはい、△△ができたら買ってあげるからね」といった交換条件なんてもってのほか。

「もしも○○したら、もしくはしなかったら」の先にある見通しを共に考えたり、子どもの気持ちに寄り添いつつ、買うまでの目標を立てて親子で取り組んだりができれば、このうえない学びとなるのに。お父さんお母さんには、子どもと一緒になって失敗してやれるくらいの余裕をもってほしいなあと感じます。それには周囲の寛容さも大切ですが。

「バブミちゃん」見ていただけたのですね! ありがとうございます。
「児童文学に、ほど遠いのとちゃうか?」と、ボツにしようか迷っていたところ、「逆にいいんとちゃうか。出してみたらいいやん!」と娘に背中を押されました。

できる人ほど、子育てで苦悩しているような気がします。失敗する人の気持ちに寄り添うのが苦手なのかもしれません。
けれども、両親ともに厳格な家庭を描く自信はないため、母子関係、さらに夫婦関係は良好な設定となりました。家族愛が根底にありさえすれば、なんとかなる、という思いがあったのです。
もちろん、すべての家族のかたちがそうではありませんし、理想の家族像の押し付けなんてされた日には寒気がします。それでも、人と人とのつながり(とくに横の)を信じたいなあ、と思っているしだいです。
唐乃さん、ちょっと怪我をするというハプニングがありまして、時間差になりましたが、失礼します。

なるほど、もしかしたら間違えて佐久田さんのお手紙にコメントをされたのかもしれないと思っておりましたが、そうではなかったということですね。
とてもいいにくいことなのですが、今後のためにも、いまここでお話しさせていただきますね。どうか、お気を悪くなさらずにご理解いただけると幸いです。

これはあくまでもわたしの個人的な見解ですが、ファンレターというのは、書かれた方と送られた方、ふたりのあいだでのやりとりで完結するものと考えております。
なぜなら、Twitterのリプライやチャットではなく「ファンレター」だからです。すくなくともわたしはこれまでそのつもりで、ファンレターを送ったり、お返事を書かせていただいたりしてきました。
たとえるなら、ファンレターを送ってくださった方との個別のお部屋みたいなものだと捉えております。
ファンレターは公開されていて、第三者の立場からも読むことができるので、内容に共感して自分も参加したい、と思うことはふつうにありえることと思います。
ですが、ふたりきりと思ってお話ししていたお部屋にとつぜんほかの方が入ってこられたら、びっくりしてしまいますよね。
いってみれば、今回は、そういう状況でした。

前述しましたように、もしここが参加型のチャットの場なら、どなたがトークに参加されても問題はないのです。もちろんわたしも気にしません。
『鬼がくる』の本文にも書きましたように、たとえば、お店のなかを走り回るから注意するのであって、場所さえ違えば、その行為自体はなんの問題もありません。

ほかの方のお手紙に書き込まれるのではなく、直接わたし宛てにコメントをいただけたら、とてもありがたく思います。

はじめに申しましたように、これはあくまでもわたし個人の意見であって、たとえばほかの方のアトリエで、複数の方々がファンレターでチャットのようにお話しをされているのをお見かけしたとしても、とくになにか思うということはありません。
ただ単純に、わたしのこのアトリエではそれを行うつもりはない、というだけなのです。
少々きついものいいになってしまったかもしれません。申し訳ありません。
どうか、ご理解いただけますと幸いです。
このたびの件では、桐乃さんと佐久田さんにご迷惑をおかけいたしました。
ファンレター機能を掲示板のように軽く見ていたこと、その意義をないがしろにし、やり取りされていたお二人に不快な思いをさせてしまったこと、深く反省しております。
また、マナーについて、お伝えくださったことを感謝いたします。お叱りがなければ同じ過ちを繰り返していたかもしれません。今後、気をつけていきたいと思います。
唐乃さん、ありがとうございます!
こちらこそ、「強いことば」を使うことを避けておられる唐乃さんに対して、そういったことばでお話しするのはたいへん心苦しく、申し訳ない気持ちでおります。
そんなわたしのことばを受けとめてくださり、ほんとうにありがたく思っております。心から感謝いたします。
お気を悪くされていなければよいのですが……。
もしご迷惑でなければ、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
このたびは真摯なご対応をいただき、心からお礼申し上げます。ありがとうございます。