1:信じる者は足元をすくわれる

文字数 2,004文字

 世界は7日で創造され、蝉は一週間で命が尽きる。

 それも全知全能なる神のイタズラ――というより怠慢だ。

 突貫工事で世界を創ったものだから、あちらこちらで齟齬が生まれる。争いが無くならないのも、高校生の夏休みが実質一ヶ月も無いことや、実際セミは地上で一週間以上も生きるのに、謎の誤解が広まっているのも――。


 そして今。

 部屋に不法侵入しようとしてくる『自称セールスレディ』と攻防を繰り広げている事ですら。全ては神によるブッキングミス。そうじゃなきゃ何の冗談だよ。

ちょっとだけ! 少しの時間だけですから! 怪しい者じゃありませんからぁ!
 閉めようとした玄関ドアの隙間に指を突っ込み、強引に侵入を試みてくるこの女。

 今まで新聞やネット回線、訪問販売等の勧誘を何人も撃退してきたこの俺ですら、ちょっと引くくらいの粘りを見せていた。

怪しくない者は玄関開けてイキナリ「私は貴方の天使です」なんて言わねーよ!
お話だけでも! せめてっ、この聖書だけでも受け取ってください!
そういうの間に合ってますんで! 神様とか信じてないんで! 何なら人間も信じてないし! ……てかチカラ強ぇなアンタ!?
 徐々に。玄関が開かれていく。

 必死にドアを閉じようとしても、それ以上のパワーで抵抗してくるのだから驚きだ。華奢な体からは、想像もできないような怪力だった。

求めよ、さらば与えられん! 尋ねよ、さらば見出さん! 門を叩け、さらば開かれん!

ふふふ、この拒絶はすなわち天国への扉を再現しているのですね……!

往々にして「狭き戸口から入るように努めよ」との教えになっています!

その困難さを無自覚に示すとは、やはり貴方には『預言者』の才能があります!!

こっわ! 何だよこの人! 何ひとりで盛り上がってるの!?
 ヤバい。突破される。


 『独り暮らしの男子高校生の部屋に押しかけて来た女の子』と表現すれば聞こえは良いが、鬼気迫るその表情はむしろ、俺に命の危機が迫っている事を感じさせた。つまりメッチャ怖い。


 仕方ない……!

 俺は意を決し、ドアの隙間から外を指差した。

あっ! 何か太陽が凄い挙動してる! 七色に輝きながらグルグルって、凄い回転している!!
えっ!? ファティマ!? ファティマの聖母降臨みたいにですか!?

どこドコ何処!? 約7万人が目撃した奇跡を、私も目に焼き付けねば……!

 今だ!

 女の注意が逸れた瞬間に、ドアから指を離した隙に、玄関を閉めた。


 ……しかしこんなチープな嘘を信じるとは。小学生すら騙されないぞ、普通。

あっ! し、しまった! 開けてー! 開けてくださーい!
 無視だ無視。

 ドアに鍵をかけ、チェーンでロックし、ドアの隙間に防犯プレートを差し込み、念のため漬物石も下に置く。

 これで安心。どんな手を使っても、こじ開けることは不可能。

 玄関に設置している小型カメラも、バッチリ録画していたはずだ。早いとこ警察を呼んで、この宗教勧誘クレイジー女を……。

……ん?
 おかしい。急に静かになった。今の今まで、近所迷惑なくらいにドンドンと扉を叩いていたのに。

 俺は恐る恐る、玄関の覗き穴に顔を近付けた。しかし外にはもう誰もいない。

 ……どうやら帰ったようだ。あれほど必死だったのに、随分とアッサリ諦めるのだなとも思うが。

……まぁ、帰ったならそれで良いか……。
 夏休みの初日から、何とも奇特な出来事だった。

 しかし俺は俺の日常を守り切り、踵を返して部屋に戻った。

 ロフト付きの1Kルームは、男の一人暮らしには充分すぎる。用意した昼飯が冷めないうちに、さっさとあの女の事を忘れて腹いっぱいチャーハンを――。

上から失礼します! まずは私の話を……!
 ――天井から逆様に、女の上半身が生えていた。
うわあああぁぁぁぁぁっ!?
きゃああぁぁぁ!?
 俺は大声を上げて腰を抜かし、何故か俺の悲鳴に女も驚き、そのままドサリと床に落ちた。
いっ、たたた……。
おまっ、お前、何なんだよ!? 宗教の勧誘じゃ、……ってか人間でもないな!?
はっ! そ、そうですね! まだちゃんと名乗ってもいませんでした……。これはとんだ失礼を……!
いや失礼とかそういうレベルの話は超えてるけどね!?
 尻もちを付く俺に、自称セールスレディは這い寄り。


 そいつは――背中から二枚の白い翼を生やした少女は、分厚い本を俺に差し出しながら微笑んだ。

 

襟矢東治さん! 私は貴方の『守護天使』、ユカエルです!

貴方を――人類史上二人目の救世主とするべく、この魔導聖書を届けに来ましたっ!

……は?
 生まれてこの方、サンタもUFOも神様も信じて来なかった。それどころか、人間すらも信じるには値しないと教わった。

 そんな俺が。まさかこんな俺に対して宗教の勧誘どころか――「救世主になりませんか」と誘ってくる奴が現れるだなんて、想像すらできなかった。


 これも神の意志ならば、神様ってのは相当に意地が悪い捻くれ者だ。

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登場人物紹介

襟矢 東治(えりや とうじ)
16歳。過去のトラウマから極度の人間不信に陥った高校生。

ユカエルから魔法の聖書を手渡され、魔術師として新たな救世主を決める預言者同士の戦いに巻き込まれていく。

ユカエル

東治の守護天使。明るく元気な平和主義者。

神や人間を深く愛しているが、何でもすぐに信じ込んでしまうドジな部分も。

与名(よな)警部

連続強盗犯を追う警察官。飄々としているが他人に安心感を与える声色の持ち主。

東治に捜査の協力を願い出る。

ウラエル

与名の守護天使。厳格で冷淡な性格。

救世主になるためなら多少の犠牲や汚れ仕事も必要だと考えている。

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