3:魔法の聖書
文字数 3,297文字
空になった皿を片付け、ユカエルとテーブルを挟んで向かい合う。
『預言者』として活動すると決めた以上、説明はキッチリ聞いておかなければ。俺は契約書だろうが説明書だろうが、隅から隅まで読み込むタイプだ。
……で、救世主を目指して善行を積むと言ったって、具体的に何をすれば良いんだ? 募金やボランティアでもしろってか?
基本的にはそうした慈善活動を繰り返していきます。ですがそれだけでは効率が悪いですし、そもそも活動に限界があります。預言者とは言え普通の人間ですから。
ここで俺は、ようやく『預言者』という言葉に引っかかった。今まで理解している気持ちで普通に聞き流していたが、よくよく考えれば馴染みのない単語だ。
――『神の
言葉を
預かる
者』。それを称して
預言者と呼びます。神の意志を受け取り、民衆に伝え広めるメッセンジャーです。未来の出来事を事前に言い当てる『予言者』とは別物ですね。
聖書に登場する有名どころですと、モーセやノア、イエス・キリストも預言者です。
さすが天使。ポンコツであっても知識は本物だ。実に簡素かつ分かりやすい。
そんな歴史上の彼らと同じ善行を積めと言われても、難しいと思うでしょう。しかしそれを手助けするのが、『魔導聖書』です……!
そう言ってユカエルは、テーブルの上に俺が置いた聖書を指し示した。
その本さえあれば初心者の東治さんであっても、奇跡の一端を扱うことができるのデース! テッテレテッテテー♪ すごーい! さすが神! まさに神業!
神の声を聴いたノアは大洪水から逃れる箱舟を作り、モーセは海を割り、イエスの奇跡は……語り尽くせないほどありますが、いくつかは東治さんも知っていると思います。
そりゃあ、まぁ……。『キリストの復活』とかは一般常識だろうしな。
聖書に記されたそれらの奇跡を……。
……そうですね、説明するより実際に『使用』してみた方が早いですかね。最初のページを開いてみてください!
言われるがまま、分厚い本の1ページ目を開く。
そこには見た事もない――よく分からないが、何となく『ヘブライ語』で書かれているのではないかと感じた――文面が並んでいた。
普通ならば読めるはずがない。英語ですら大して得意ではないのだから。
だが――。
……『初めに、神は天地を創造された。地は混沌であり――』……。
読める。不思議だ。全く馴染みのない文字列だというのに、俺の頭には難なく入ってくる。そして口からは、日本語としてスムーズに出て行く。
そんな俺の様子を、ユカエルはニコニコとした表情で見つめている。
何も無かった場所に神は天地を創り、光と闇――昼と夜とを分けました。これが第一の日。
第二の日に空を生み、朝と夕方がありました。
第三の日に大地と海を分け、更に植物を。第四の日には太陽と月と星を創りました。
第五の日に鳥と魚が登場し、第六の日には獣や家畜と――『人間』が形作られたのです。
……そして七日目には世界を完成させ、休息した。安息日――いわゆる日曜日の始まりってところか。
その通りです! これが旧約聖書『創世記』の第一章、世界の最初も最初の始まりです!
まぁこれくらいなら、信徒じゃなくても割と知っている事だろ。まさかこのまま、この分厚い本を最後まで朗読しろってか?
いえいえ! 今回は説明ですので、現段階では全部読まなくても大丈夫です!
これにて魔導聖書の『理解』のステップは完了しました。次に、『詠唱』の段階に入ろうと思います。
「やってみれば分かる」とばかりに、ユカエルは創世記の一文を指定し、俺に読んでみろと促した。
……魔法なんてファンタジーは現実にあると思っていなかったし、実在するとしてもどんな現象が起きるか分からないので不安だったが――意を決し、俺は唱えることにした。
……『初めに神は天地を創造された。地は混沌であり、闇が深淵の面にあって、神の霊が水の面を動いていた』……!
もっと気合い入れろ、盛り上がって唱えろと、ユカエルが顔や仕草でまくし立ててくる。とてもウザい。
そういやクラスにもいたわ。休み時間に、漫画だかアニメだかの呪文を覚えて唱えている奴。本人は楽しいのだろうが、傍から見ていると痛々しいだけだった。
まさか俺が、『そっち側』の仲間入りをする日が来ようとは。
――本が発光する。懐中電灯や蛍光灯に似た、淡く白い光だった。
だいっ成功ーぅ! 素晴らしいです東治さん! やはり貴方には、救世主の才能が……!
分厚い聖書から放たれる仄かな光は収束し、消える。
発光時間は3秒もなかったと思う。
ヘェァア!? ショボい!? ショボいって言いましたか今!?
奇跡の一端とか言うから、それこそ世界中を照らすような、目が眩む程の凄い光かと……。これなら普通に部屋の照明付けた方が明るいわ。
そっ、それは東治さんがまだまだ発展途上だからです! 聖書への理解を深めて経験を積んでいけば、最終的にはアポカリプス――ヨハネの黙示禄だって引き起こすことが出来るんですよ! ……大変な事になるので引き起こさないで欲しいですが!
奇跡だの呪文だの聞かされた割には、肩透かしを喰らった気分だった。
ともかくこれで『理解、詠唱、発動』の全ステップを終えた。
このチュートリアルで学んだのは、要するにこの本は『聖書に書かれた内容の一部を現実化させる』という事だ。現実化したその力を使って、世のため人のために働けということか。
……大学入試には微塵もプラスにならないが、教養を深めると思って、ちょっと読んでみるかぁ。
ごろんと床に寝転がって、創世記を読み進めていく。元々、読書は好きな方だ。
チャーハンをユカエルに差し出したので昼飯抜きだったが、己の空腹も忘れる程に、サクサクとページをめくっていった。
神は世界を創り、自分に似せて土から人間を生み出し、アダムの肋骨からエバを生んだ。
だがアダム達は蛇にそそのかされ、食べてはいけない知恵の果実を口にしてしまう。
そうして楽園を追放され、人類の起源となる……。
ある程度は知っていたが、詳細な流れを読むのは初めてだった。中々に興味深い。
何と喜ばしい光景でしょう……! 一時はどうなる事かと思いましたが、私だってちゃんと守護天使の使命を全うできるんです!
あ、分からない部分があったら聞いてくださいね東治さん! 何でも教えますから! 何せ私は天使、そう貴方の守護天使だからっ!
禁断の果実は実はリンゴじゃなくてイチジクだとかザクロ説があるとか、エデンの園を守る智天使ケルビムはあの四大天使の一角ウリエルだと――。
明らかにションボリと落ち込むユカエルを無視し、聖書をめくる。
読んだ内容がそのまま呪文として使えるようになるのなら、読めるだけ読み進めて行った方が良いだろう。
アダムとエバの息子、カインとアベルの兄弟が出てきた。
しかし神はアベルの捧げ物だけを受け取ったので、怒ったカインは弟を殺してしまった。人類最初の殺人だ。てかコレ神様が悪いだろ。
……ここでアダムから始まる家系図か……。多すぎだろ、何人出てくるんだよ……。覚えられないし……ってかコイツら普通に900年以上生きちゃってるよ……。
ユカエルが話しかけてくる。無視しようかと思ったが、何やら急ぎの用らしい。バシバシと俺の身体を叩いてくる。地味に痛い。
チャンス到来です! 魔導聖書の力を使って、一番大きな『善行』を積みに行きましょう!
何やら一番『稼げる』要素が近くに転がっているらしい。募金やボランティアをチマチマやるより、ずっと効率が良い方法だとか。
ユカエルは困惑する俺の腕を引っ張り、真夏の炎天下へと飛び出して行った。
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