6:人間不信のその理由

文字数 5,027文字

 水路に落としてしまった食材達をどうにか無事救出し、部屋へと帰ってきた俺達。


 今日もまた無事に悪魔を討伐できたのは喜ばしい。預言者としての活動は、今のところ順調と言って良いだろう。世直しになるし、やりがいを感じ始めてきてもいる。

 だがしかし。

 『食材を落とす』という先程のユカエルの失態と、何より今この瞬間、眼前の『皿』の状態を目にして。――俺は怒らずにはいられなかった。

だからお前、大飯喰らいのくせに好き嫌いしてんじゃねぇよ!
 テーブルの向かいに座るユカエルへと、作ってやった料理。ほぼ全て平らげた皿の上には、赤い海産物だけが取り残されていた。

 ポンコツ天使だから、キリスト教関係の知識以外で役に立たないのは、百歩譲って目を瞑ろう。

 大食いで食費を逼迫するのも、同居人(同居天使?)であるわけだし、教会からの支援金も出ているので、まぁ千歩譲って耳を塞いでやる。


 だが――『タコ』を食い残す事へは、口を出さずにいられない。

だ、だってぇ~……。それにコレは好き嫌いではなく、敬虔な教徒はタコを避けるものなんですよ……。『悪魔の魚』扱いですから……。レビ記にも書いてありますし……。
ホントだろうなお前。
疑い深い! 読んでみれば良いじゃないですか!
 そう言われ、俺はタコ入りサラダを食べながら、脇に置いていた聖書を確認のため開く。
 以前「食事中に読書は行儀悪くないですか」とユカエルに言われたが、誰のためにやっていると思っているんだ。コッチは受験勉強も平行してやっている。食事の時間すらも無駄にせず、読み進めていかなければならないのだ。
……『水中の魚類のうち、ヒレ、鱗のあるものは、海のものでも、川のものでも全て食べて良い。しかしヒレや鱗のないものは、海のものでも、川のものでも、水に群がるものでも、水の中の生き物は全て汚らわしいものである。』……。
 旧約聖書レビ記の第十一章には、確かにそう書いてある。

 他にも『蹄が割れていて反芻する動物だけ食べて良い』とか、食べて良い鳥の種類だとか、食事に関する細かなルールが記載されていた。

カニとかエビも本当はアウトです。まぁ、新約聖書でイエスがその辺をアップデートしているので、細かく気にしているキリスト教徒も現在は少ないのですが……。
……実はな、ユカエル。
はい?
そのタコは『ウロコヨロイダコ』という品種で、体中に鱗が貼り付いているタコなんだ。新種だが味はバツグンに美味い。
そ、そうなんですか! はぇー……。知りませんでした……。
 マジで信じやがった。いねーよ、そんなタコ。
……と、いうワケで。聖書の記述を気にすることなく味わう事ができるんだ。ホラ、たんとお食べ。
うぐぅ……ッ! ……け、結構です……! そんなに美味しい物なら、育ち盛りの東治さんに差し上げます……! ハイどうぞ、あーん♪
 フォークでタコを突き刺し、満面の笑みで俺に差し出してくる。強引な流れで食べさせて、処理して貰おうとしてやがる。騙されるかポンコツが。
結局お前が個人的に嫌いなだけじゃねぇかッ!
ぎくぅ!
 『ぎくぅ』て。いやギクゥって。普通自分の口から言わねーだろ。
……あっ! 東治さん! テレビ! テレビのニュース見てくださいっ!
 強引に話題を逸らしやがった。
テレビが何だってんだよ……。今の時間はニュースしかやってねぇぞ。
 俺はテレビをあまり見ない。特に食事中はテレビ不使用の家庭で育ってきた。

 だがユカエルはテレビに興味を示し、「情報収集は大事です!」と言い張るので、最近はテレビをよく点けるようになった。……そう言いながらコイツは普段、アニメやバラエティ番組ばかり見ていやがる気もするが。

民家への強盗被害ですって! この前も『にゅうす』で言っていました。多分同じ人間が犯人なのでしょうね……。
ふーん……。
 確かにここ一週間くらい前から、俺の住んでいる街で強盗被害が相次いでいた。宅配業者になりすまし、荷物を受け取ろうとドアを開けた瞬間に押し入ってきたのだと言う。新聞にも割と大きく載っていた。何とも物騒な時代だ。
この犯人を捕まえれば、救世主への道も更に近付きますよ!
 それはそうだろうな、と思いつつ。

 俺はあまり興味を示さず、皿に残っていた俺の分の食事を全て胃袋へと納めた。

強盗までするような奴に憑り付いている悪魔って、相当ヤベー奴だろ。今の俺らじゃ、まず勝てねーよ。大人しく警察に任せるわ。餅は餅屋、ってな。日本の捜査機関は優秀なんだぜ。
そ、そんな消極的な……。チャンスなんですよ!?
冷静なだけだっての。まずはせめて、旧約聖書くらいは読み終えないと。覚えている呪文が少なすぎる。
むむむぅ……。このままでは他の預言者に先を越されるやも……。……『知恵の果実』を召喚して食べれば、旧約のみならず新約まで聖書の全ての内容を理解できると聞いていますが……。
 驚くべき発言に、聖書を読む手を止めて顔を上げた。
あァ!? そんな簡単な方法があるなら、最初から言えや!
い、一時的な物なんですって! 果実の召喚も、魔導聖書の効果に過ぎませんから! それに、身体に大きな負担がかかるんです! 知恵の果実を食べて追放された人類が、更に知識を得るために罪を重ねるのですから……。百害あって一利ナシです。
んだよ……。結局、地道に読み進めて行くしかねぇのか……。
 淡い期待も霧散し、再びテレビニュースに耳を傾けながら聖書をめくる。

 ちなみにユカエルがタコを食べ終わるまで、食事を終了とさせるつもりはない。

とにかく、世の中の悪意や弱者の声を、もっとよく聞いてですね……。
「……続いてのニュースです。旅行中に誘拐された女子小学生が、遺体で見つかった事件で――」ニュースキャスターは淡々と原稿を読み上げる。


 その瞬間。ユカエルは瞬時にリモコンに手を伸ばし、テレビの電源を切った。

 ……部屋には嫌な沈黙と、時計の針が進む音だけが響く。

ッ……!
……オイ。何でテレビ消すんだよ。情報収集は大事なんだろ。
えっ!? いや、えっと、あのですね……! ……片付け! そう、食事も終わったし食器を洗おうと! あ、東治さんのも私が片付けますね!
オイ。ってか、洗うのは良いが割るんじゃねぇぞ。前科あるんだからお前。
 ……下手くそか。動揺を誤魔化し切れていないどころか、むしろアピールになってるわ。

 俺に気を使ったのが、バレバレだ。……食べ残したタコを強引に片付ける狙いもあったかもしれないが。

……最初に俺の部屋に来た時、名乗ってもないのにお前は俺の名前を知っていたよな。その時点で、ある程度俺の事を調べてきているのは分かってんだよ。
………………。
 聖書の文章に目を落したまま。背中から聞こえてくる皿洗いの音に、過去の事を思い浮かべながら。

 そういや――両親が仕事で家にいない時、よく一緒に『兄ちゃん』と飯食ったり食器を洗っていたりしたな。

……俺が小学生の時、近くに住んでいた年上の『兄ちゃん』によく遊んで貰ってさ。友達も少ないし親も帰りが遅いしで、俺は兄ちゃんに四六時中構って貰ってたんだよ。
 気さくで、優しく、面白い話や遊びばかり思いつく人で。本当の兄のように慕っていた。

 昔の俺は『人間不信』なんて知らない、言葉さえ聞いたことない、とても素直で何でも信じやすい子供だった。……『だった』という過去形だ。今はご覧の通りの有様だ。

でも『兄ちゃん』は、俺の事を弟分とは思っていなかった。人とも思っていなかった。……じゃなきゃ、誘拐して人身売買の組織に俺を売り渡そうとなんてしねーだろ。
っ……!
 ニュースで『誘拐』の言葉が出た瞬間に、焦ったようにテレビを消したユカエル。それ以前から、どこか俺の事を知っている風な口も効いていた。

 だから何も今更、お互い衝撃の告白ってわけでもないだろう。

 俺はギリギリの所で助かったし、兄ちゃんも捕まった。俺自身、過去の出来事として受け入れている。……あれ以来、誰も信用できなくなっただけで。


 なのに。台所では、皿の割れる音がして。

 何かを言おうとして、だが言えない、そんな風に息を詰まらせるユカエルの声が嗚咽のように聞こえてきた。

はー……っ。このポンコツが……。皿割るんじゃねぇよ……。お前が来てからこれで何枚目だと……。
 聖書を閉じ、立ち上がって台所に向かう。

 しかし電気を付けていない薄暗いキッチンでは、ユカエルが目に涙を溜めて俺の方を見ていた。

………………。
……っ! ……ぅ……!
……なんでお前がそんな顔するんだよ。
だ、だって……!
俺がやたらと人を疑う理由も、これで良く分かったろ。過去の事は過去の事だ。あの事件自体は別に、今はどうとも思っちゃいない。……だから、変な気を使われる方が迷惑なんだよ。
 ユカエルを退かして、割れた皿を回収する。残りの食器も、俺が洗わなければ。このままでは食器まで枯渇してしまう。
……と、東治さんは……! それで、良いんですか……!?
……何が。
 思わず低い声が出る。

 ユカエルは一瞬、ぐっと言葉を呑んだ。しかし怯まず、背を向ける俺に語り掛けてくる。

人間は全部嘘つきだって、悪い奴らばっかりだ、って……! 確かに、そう思わざるをえない出来事があったのかもしれません……! 東治さんにとって、何よりも大きなトラウマです……! ですが、信じるに値する人間もいるのです! ですので……!
……お前さぁ。
は、はい……?
俺に救世主になって欲しいわけだろ? 聖書の力を使って、人助けをするような。
そ、そうですね……。はい! 東治さんには、立派な預言者としての資質が……!
金貰ってる間は望み通りにしてやるよ。だが最初にも言ったが――救世主なんて興味ないし、俺が誰を信じようが疑おうが、それは今回の聖書云々と何も関係ないよな?
え……。
 振り向く。ユカエルに向けた目線は、自分でもハッキリ分かるほど眉間に皺が寄っていて――何でもかんでもすぐに信じるような天使を、睨みつける眼差しだった。
――俺の事全部分かった気になって、口出しするのはやめてくれ。
 冷たい言い方だと思う。ユカエルが心配してくれているのは事実なのだから、他に表現の仕方はあったと思う。

 だが俺はこういう人間なんだ。心配や優しさを向けてくれる人間を、心から信用することができない。

 両親ですら、言動の一つ一つを疑ってしまう。親孝行したいのは本当なのに。それでも心のどこかで「騙しているんじゃないか」「親子だからって信用できる理由がどこにある」「本当にこの人達は本心を言っているのか?」と思ってしまう。両親だけでなく、誰に対しても。……立派な病気だろうな。

 全ては『兄ちゃん』に裏切られた、あの日から始まった事だった。事件直後は、誰とも会話すらできなかった。

……お前は天使だから認めないだろうが、人間ってのはロクでもない連中ばっかりなんだぜ。そりゃ楽園を追い出されるし、洪水でリセットもされ、ソドムとゴモラの街は神の裁きで焼き払われるわな。罪人ばっかりだ。……俺も含めて。
 それだけ言い切ると、また背を向けて皿洗いに集中する。

 ユカエルからの返事はない。何か必死に、俺にかける言葉を探しているのかもしれない。

 ……別に、気を使って欲しいわけじゃない。俺もユカエルに気を使わないで良いだろう。元々、天使となんて関わりのなかった人生なのだから。

 ファンタジー世界が押し入ってきて、それを俺が拒絶しても、プラマイゼロでしかない。

……それでも、私は……っ!
 ……そこから先は、言葉が続かず。ユカエルは黙って、部屋の窓から夏の夜空に羽ばたいて行った。……虫が入ってくるから、ちゃんと閉めてから行けっての。
……ったく。何なんだよアイツ……。急に……。
 どうせ腹が減ればすぐに帰ってくるだろう。帰って来ないならそれはそれで、家計を圧迫する奴がいなくなり、預言者業務という余計な役割からも解放されるから万々歳だ。支給金が無くなるのは少々惜しいが、受験勉強だけに集中できる。
……『アブラハムの時代にあった飢饉とは別に、この地方にまた飢饉があったので、イサクはゲラルにいるペリシテ人の王アビメレクの所へ行った。そのとき――』……。
 なのに俺は、魔導聖書の朗読を辞めず。

 元から一人暮らしの部屋だったはずなのに、今はやけに広く、静かだと感じながら。

 ユカエルがくれた言葉や表情が、何度も頭に浮かんでは消えて行った。

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登場人物紹介

襟矢 東治(えりや とうじ)
16歳。過去のトラウマから極度の人間不信に陥った高校生。

ユカエルから魔法の聖書を手渡され、魔術師として新たな救世主を決める預言者同士の戦いに巻き込まれていく。

ユカエル

東治の守護天使。明るく元気な平和主義者。

神や人間を深く愛しているが、何でもすぐに信じ込んでしまうドジな部分も。

与名(よな)警部

連続強盗犯を追う警察官。飄々としているが他人に安心感を与える声色の持ち主。

東治に捜査の協力を願い出る。

ウラエル

与名の守護天使。厳格で冷淡な性格。

救世主になるためなら多少の犠牲や汚れ仕事も必要だと考えている。

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