8:信じる者を救う人
文字数 5,197文字
俺もユカエルも満身創痍。一撃でも喰らえば、今度こそ致命傷だ。
だが――。再び『魔導聖書』を手に持った俺は、もう無力な高校生じゃない。預言者なんだ。俺も……!
その輝きにゴリアテも、与名や守護天使のウラエルすらも虚を突かれたようだった。全員の体が一瞬硬直する。
俺には創世記の知識しかない。だが創世記だけなら、今日までに隅々まで読み込んできた。成長しているのだ。
最初は蛍火のように小さな光だったこの魔法も、今は『目くらまし』として充分に機能できるほどになっている。
早口で聖書を読み、呪文を唱え続ける。
狙いはゴリアテじゃない。与名とウラエルだ。ゴリアテを倒すのは苦労するだろうが、術者を叩けば魔法は自然と消滅する。聖書よりも俺を殺す事を優先しようとした、与名と同じ考えだ。
そもそも、神の怒りに触れ人類の言語がバラバラになったという逸話だ。その効力を用いて、与名とウラエルを互いに意思疎通ができない状態にしてやった。
見れば分かる。与名も俺と同じ部類の人間だ。だが一つだけ違う。俺には、ポンコツだが信頼できる守護天使がいる。生まれた時から、ユカエルが隣にいてくれた。
だがすぐ分かるさ。……お前はきっと怒るだろうけど。
しかし智天使を呼び出してしまったがために、バベルの塔の効力は失われてしまった。
ケルビムではゴリアテに勝てないだろうと思った。そもそも倒す気もなかった。俺の狙いは、本当に欲しかったのは――ケルビムが炎の剣で守っていた、『楽園の木の実』。
俺は最初にケルビムを召喚した時から、同時に背後に現れるその木を見ていた。
そして今も。智天使が消え去った後も生え続けている木に。その禁断の果実に――手を伸ばした。
なるほど確かに、蛇にそそのかされたら思わず食べたくなりそうな見た目だ。どれほどの味がするのだろう。
……だが今は、味を楽しみたいわけでも空腹なわけでもない。罪を重ねてでも、欲しい『知恵』があるんだ。
夏休みはまだ続くんだ。最初も最初、聖書で言えば創世記すら終わってない。……なら、こんな所で立ち止まれないだろう。
――効力が消える、その寸前に。俺は赤い果実を一口、しゃくりと齧った。
なのに俺は「これじゃあ果実泥棒の少年を叱れないな」なんて、取り留めも無いことを考えていた。
そうして肉体の細胞がバラバラになったかのような、そして再び結合したかのような感覚を味わった後――。
俺はスッキリと冴えた脳と瞳で、与名達を再び視界に捉えた。
今は聖書に関する全ての知識が、俺の頭の中に入っているのだ。讃美歌を歌う信徒のように、途切れる事なく詠唱を紡いでいく。
その示された道を歩み、魔法を撃ち出す。
これが俺の、俺達の連携。
そしてユカエルの判断に従い、召喚するのは一人の少年。
ペリシテ人最強と呼ばれ恐れられたゴリアテを、投石で撃ち殺した英雄。少年は後にイスラエルの王となり、数々の伝説を生み出し、ミケランジェロが彫刻に遺したほどの世界的有名人となる――。
――ゴリアテへの強化……!
強化されたゴリアテに、その兜にダビデの石は弾かれた。
だが、問題はない……!
与名達が明確にルール違反をしたわけではない。だが投石でゴリアテを倒したダビデ王を、その攻撃を、『石打ち』の魔法で強化する。
互いに強化し合った魔法がぶつかった時――勝敗を分けるのは、聖書に記された史実。
弾かれた石は再び、ゴリアテに向かって飛来する。そして頑強な兜ごと、その脳天を貫いて消滅させた。
守護天使からのアドバイスには、もう少し耳を傾けた方が良いぜ。
だがその魔法は悪手だろうよ。俺が召喚するのは、エジプトから追われ、ヘブライ人達を連れて逃避行の旅に出た男。紅海を割って逃げおおせたエピソードが有名な預言者――。
モーセの奇跡を再現し。二つに分かれた激流は、俺達に届くことなく流れて行く。
――さぁ、終わりにしよう。
与名は聖書を乱雑にめくり使えそうな魔法を探し、ウラエルは俺達の魔法を攻略してやろうと見極めている。
つけ入る隙は、そこだと思った。千載一遇の最後のチャンスだ。
猛スピードで飛び込んで行く体。握った拳。振り上げた腕。
与名は驚愕し、ウラエルは俺の予想外の行動に、目を見開いた。
――詠唱なんか、してねぇよ。
与名の顔にめり込む俺のグーパンチ。重力と速度と俺の想いが乗った拳で、与名の体は後方へと吹っ飛んでいった。
聖書の力じゃどうあっても、人に対して使用すれば命に関わる。それほど危険な魔導書なのだ。
だから俺は人間の力で、俺自身の拳でブン殴ってやった。別に個人的な恨みを晴らしたかったわけじゃない。……少しスッキリしたが。
後はコイツを拘束するなりして、本物の警察に突き出せば――。
ウラエルが翼をはためかせ割って入り、与名とその聖書を抱えた上空に舞い上がった。逃げる気か。
そうしてウラエルは気絶した与名と聖書を抱え、夏の夜空へと遠く飛んで行った。
俺はそれを見届ける事もなく。とうに限界など超えていた体を地面に横たえ、俺の聖書を胸に抱えたまま、静かに目を閉じた。
だけど、今は……。この騒がしさが懐かしく、そして俺が欲して守りたかったものだったのだなぁ、と。
それをようやく実感してから、俺は意識を手放した。