8:信じる者を救う人

文字数 5,197文字

……イイね。いいねいいねー。なんだろう、若者特有のガッツ? 踏ん張りみたいなのさー。歳のせいか、もうオジサンそういうの出せないんだわ。
 フラつく手足と視線で与名を見据える。状況はかなり悪いが、この男にだけは負けるわけにいかない。
……だが、気合いだけで勝てるほど預言者同士の戦いは甘くない。
そーいうコト。んじゃ、行けゴリアテ。トドメを刺してやれ。
 大槍を持った巨人兵が迫る。

 俺もユカエルも満身創痍。一撃でも喰らえば、今度こそ致命傷だ。

 だが――。再び『魔導聖書』を手に持った俺は、もう無力な高校生じゃない。預言者なんだ。俺も……!

創世記第一章3節、『光あれ』ッ!
ッうお!?
 閃光弾のような眩い光が、夜の公園を切り裂く。

 その輝きにゴリアテも、与名や守護天使のウラエルすらも虚を突かれたようだった。全員の体が一瞬硬直する。


 俺には創世記の知識しかない。だが創世記だけなら、今日までに隅々まで読み込んできた。成長しているのだ。

 最初は蛍火のように小さな光だったこの魔法も、今は『目くらまし』として充分に機能できるほどになっている。

くっ……! こんな初歩的な……!
 生み出せた隙は一瞬。その刹那に全てを賭け、畳みかける。

 早口で聖書を読み、呪文を唱え続ける。

創世記第十一章5節、『バベルの塔』!!
 公園の地中から天へと突き上がる、煉瓦の塔。

 狙いはゴリアテじゃない。与名とウラエルだ。ゴリアテを倒すのは苦労するだろうが、術者を叩けば魔法は自然と消滅する。聖書よりも俺を殺す事を優先しようとした、与名と同じ考えだ。

うぉぉぉぉっ!?
ヨナ!
 与名はバベルの塔と共に高く打ち上げられ――る事なく。空を飛ぶウラエルにキャッチされ、塔による攻撃自体は失敗した。……『攻撃自体は』な。
怯むな。このままゴリアテを操り、奴らを叩き潰――!
……あァ!? 何言ってんだよ、ウラエル!? 分かんねーよ!
●▲……!? ※●◆×▼……!!
 狙い通りだ。『バベルの塔』は単なる攻撃手段ではない。

 そもそも、神の怒りに触れ人類の言語がバラバラになったという逸話だ。その効力を用いて、与名とウラエルを互いに意思疎通ができない状態にしてやった。

……行くぜ、ユカエル。
東治さん……? ち、血が……! このままでは……!
今はどうだって良い。それより、俺に教えてくれ。
え……?
……いつだってそうだった。思えば、それが俺達の『スタイル』なんだろうな。
 与名とウラエルは上空で未だに混乱している。バベルの塔の効果によってゴリアテも与名の指示が分からず、足踏みしている。そもそも、連中に助け合いや信頼関係なんて物はないのだろう。

 見れば分かる。与名も俺と同じ部類の人間だ。だが一つだけ違う。俺には、ポンコツだが信頼できる守護天使がいる。生まれた時から、ユカエルが隣にいてくれた。

唱えるべき最適の呪文を指定してくれ。俺がそれを読んで使用する。……結局俺は、創世記を読んだだけで終わっちまった。その中でどれが一番有効なのかも、サッパリ分からねぇ。……だから、お前に全部任せるわ。
 未だ、俺の言っている事の全てを理解できていないユカエル。

 だがすぐ分かるさ。……お前はきっと怒るだろうけど。

創世記第三章、24節。――『ケルビム』。
 火炎の剣を持った天使がゴリアテに向かって飛び出す。

 しかし智天使を呼び出してしまったがために、バベルの塔の効力は失われてしまった。

唱える必要はない! かき消せ!
ゴリアテッ!!
 鉄の槍を振るう巨人兵によって、灼熱の智天使の剣は折れ。ゴリアテを焼き焦がすこともなく、そのまま討ち倒されてしまった。
ははっ! 創世記の魔法なんかで、もっと後の時代である『サムエル記』を超えられるかよ!
……人類は『鉄』を生み出す事で『火』を克服し操るようになった。裁きの火でもない限り、ゴリアテを破ることはできん。恨むなら、鍛冶製鉄の祖であるトバルカインを恨むのだな。
 恨むかよ。むしろ感謝しているくらいだ。

 ケルビムではゴリアテに勝てないだろうと思った。そもそも倒す気もなかった。俺の狙いは、本当に欲しかったのは――ケルビムが炎の剣で守っていた、『楽園の木の実』。


 俺は最初にケルビムを召喚した時から、同時に背後に現れるその木を見ていた。

 そして今も。智天使が消え去った後も生え続けている木に。その禁断の果実に――手を伸ばした。

東治さん……!? いけません!
馬鹿め……!
なんだァ……?
 リンゴともザクロともイチジクとも形容しがたい、その真っ赤な果実を手に取る。

 なるほど確かに、蛇にそそのかされたら思わず食べたくなりそうな見た目だ。どれほどの味がするのだろう。

 ……だが今は、味を楽しみたいわけでも空腹なわけでもない。罪を重ねてでも、欲しい『知恵』があるんだ。

……やろう。やっちまおう。一緒にアイツらを倒そうぜ、ユカエル。
東治さん……!
……コレは俺と、お前の『神話』なんだろ?
 全てはコイツが俺の部屋に押しかけてきた日から。この魔導聖書を手渡された、あの瞬間から始まった物語。

 夏休みはまだ続くんだ。最初も最初、聖書で言えば創世記すら終わってない。……なら、こんな所で立ち止まれないだろう。


 ――効力が消える、その寸前に。俺は赤い果実を一口、しゃくりと齧った。

ぐッ……!?
 胃が焼けそうだ。片膝を突く。血を吐き、全身が痙攣する。

 なのに俺は「これじゃあ果実泥棒の少年を叱れないな」なんて、取り留めも無いことを考えていた。


 そうして肉体の細胞がバラバラになったかのような、そして再び結合したかのような感覚を味わった後――。

 俺はスッキリと冴えた脳と瞳で、与名達を再び視界に捉えた。

……行くぜ――!
いかん……! 唱えられる前に、潰せッ!
ご、ゴリアテッ!
 ――馬鹿の一つ覚えかよ。
ユカエルッ!
っ……! ハイ! 『サムエル記』十七章です!
 バラバラと聖書をめくる。迷いなく手を動かし、流暢に口は開かれる。

 今は聖書に関する全ての知識が、俺の頭の中に入っているのだ。讃美歌を歌う信徒のように、途切れる事なく詠唱を紡いでいく。

『お前は剣や槍や投げ槍で私に向かって来るが、私は万軍の主の名によってお前に立ち向かう。今日、主はお前を私の手に引き渡される。私はお前を討って首を撥ね、ペリシテ人の軍勢の屍を今日、空の鳥と地の獣に与えよう。イスラエルに神がおられることを全地に知らせよう。主は救いを賜るのに剣や槍を必要とされないことを全ての民は知るだろう。この戦いは主の戦いだ。主はお前達を我々の手に引き渡される』……ッ!
 知識の使い所を示してくれるのはユカエルの役目。

 その示された道を歩み、魔法を撃ち出す。

 これが俺の、俺達の連携。


 そしてユカエルの判断に従い、召喚するのは一人の少年。

 ペリシテ人最強と呼ばれ恐れられたゴリアテを、投石で撃ち殺した英雄。少年は後にイスラエルの王となり、数々の伝説を生み出し、ミケランジェロが彫刻に遺したほどの世界的有名人となる――。

――『ダビデ』!!!
 色白で細身な美少年が現れ、その少年(ダビデ)の投げた石が、蒸し暑い闇夜の空気を切り裂いて進む。まさに弾丸と呼べる速度。その石は真っ直ぐに、ゴリアテの眉間に迫る。
ゴリアテの使い手が、ダビデ王の対策をしていないと思ったか!
『救いを兜として被り、霊の剣、すなわち神の言葉を取れ』!
 瞬時の俺の脳が、与名の詠唱の意味を理解し察した。

 ――ゴリアテへの強化……!

新約聖書『エフェソの信徒への手紙』六章10節、『神の武具』!
 本来は信仰心を持って日々の誘惑と戦い、打ち勝てという文言だ。だがこの局面において、召喚済みのゴリアテの兜を強くするために詠唱しやがった。

 強化されたゴリアテに、その兜にダビデの石は弾かれた。

 だが、問題はない……!

レビ記二十章です!
『男であれ、女であれ、口寄せや霊媒は必ず死刑に処せられる。彼らを石で打ち殺せ。彼らの行為は死罪に当たる』……!
追加詠唱(エンチャント)』……っ!
 同じ預言者同士なんだ。そっちにできて、コッチにできない理屈はないだろう。
レビ記二十章27節。……『石打ちの刑』。
 聖書の中において、神との約束や規定を破った者は石を投げつけられて死刑にされた。

 与名達が明確にルール違反をしたわけではない。だが投石でゴリアテを倒したダビデ王を、その攻撃を、『石打ち』の魔法で強化する。


 互いに強化し合った魔法がぶつかった時――勝敗を分けるのは、聖書に記された史実。


 弾かれた石は再び、ゴリアテに向かって飛来する。そして頑強な兜ごと、その脳天を貫いて消滅させた。

ちっ……!
や、ヤバいぜコレは……!
『サムソン』を呼び出せ、ヨナ! ライオンを素手で引き裂き、1000人のペリシテ人を打ち殺した怪力の持ち主だ……!
え、えっと、『列王記』だっけか……!?
サムソンは『土師記』だ、馬鹿者ッ! だからあれほど、聖書の内容は読んでおけと……!
 ……聖書の読み込みが甘いようだな。大方、ゴリアテの剛腕だけに頼って今日まで来たのだろう。

 守護天使からのアドバイスには、もう少し耳を傾けた方が良いぜ。

こ、こうなりゃ全部押し流すしかねぇ! 創世記七章6節、『ノアの箱舟』!
 ――オイオイ、創世記なんかじゃ、後の時代の魔法には敵わないんじゃなかったのかよ。
『出エジプト記』……!
『手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は渇いた地に変わり、水は分かれた』……!!
 与名は自然公園の池や噴水の水を利用し、ノアの大洪水を引き起こして大量の海水で俺達を押し流そうとする。改めて、相手が強力な預言者だったのだなと実感する。

 だがその魔法は悪手だろうよ。俺が召喚するのは、エジプトから追われ、ヘブライ人達を連れて逃避行の旅に出た男。紅海を割って逃げおおせたエピソードが有名な預言者――。

出エジプト記、十四章21節ッ!!
 ――世界をも押し流す激流が、割れる。
『モーセ』ッ!!!

 モーセの奇跡を再現し。二つに分かれた激流は、俺達に届くことなく流れて行く。


 ことごとく魔法が攻略され、知識も余力も尽きたのか、与名は絶望の顔を浮かべている。


 ――さぁ、終わりにしよう。

行きますよ、東治さん!
用水路に買い物袋を落とした時みたいに、落っことしてくれるなよ……!
落としませんて!
……!?
 ユカエルに抱えられ、割れた海のど真ん中を滑空する俺達。

 与名は聖書を乱雑にめくり使えそうな魔法を探し、ウラエルは俺達の魔法を攻略してやろうと見極めている。


 つけ入る隙は、そこだと思った。千載一遇の最後のチャンスだ。

ヨナ! コイツら……!
ひっ……!
 ユカエルが掴んでいた俺を放す。

 猛スピードで飛び込んで行く体。握った拳。振り上げた腕。

 与名は驚愕し、ウラエルは俺の予想外の行動に、目を見開いた。


 ――詠唱なんか、してねぇよ。

……左の頬は差し出さなくて良いぞ!!!
 右の頬への一撃で、ノックアウトさせるから。


 与名の顔にめり込む俺のグーパンチ。重力と速度と俺の想いが乗った拳で、与名の体は後方へと吹っ飛んでいった。

 聖書の力じゃどうあっても、人に対して使用すれば命に関わる。それほど危険な魔導書なのだ。

 だから俺は人間の力で、俺自身の拳でブン殴ってやった。別に個人的な恨みを晴らしたかったわけじゃない。……少しスッキリしたが。

が……、ぁ……!
 仰向けになって白目を向き、公園の地べたに倒れ込む与名。これで聖書を読み上げる事はできないだろう。

 後はコイツを拘束するなりして、本物の警察に突き出せば――。

東治さん!
っ!
……今日の所は、我々の敗北を認めよう。
 与名に近付こうとした瞬間。

 ウラエルが翼をはためかせ割って入り、与名とその聖書を抱えた上空に舞い上がった。逃げる気か。

待ちやが……ッ!
 膝から崩れ落ちる。禁断の果実の効力も切れたようだ。忘れていた痛みや疲労が一気に押し寄せてきた。
……ゴリアテを破った瞬間から、貴様はいつでもヨナを魔法で殺せたというのに。人死にを避けるその甘さ……。いつか足元をすくわれるぞ。
……信じてもいない神に救われるよりは、そっちの方がマシさ……。
 ウラエルの捨て台詞に俺も皮肉で返し。

 そうしてウラエルは気絶した与名と聖書を抱え、夏の夜空へと遠く飛んで行った。

 俺はそれを見届ける事もなく。とうに限界など超えていた体を地面に横たえ、俺の聖書を胸に抱えたまま、静かに目を閉じた。

東治さん……! 東治さんっ……!
 悲しみとも喜びともつかない、ユカエルの必死な声が聞こえてくる。やかましい限りだ。

 だけど、今は……。この騒がしさが懐かしく、そして俺が欲して守りたかったものだったのだなぁ、と。

 それをようやく実感してから、俺は意識を手放した。

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登場人物紹介

襟矢 東治(えりや とうじ)
16歳。過去のトラウマから極度の人間不信に陥った高校生。

ユカエルから魔法の聖書を手渡され、魔術師として新たな救世主を決める預言者同士の戦いに巻き込まれていく。

ユカエル

東治の守護天使。明るく元気な平和主義者。

神や人間を深く愛しているが、何でもすぐに信じ込んでしまうドジな部分も。

与名(よな)警部

連続強盗犯を追う警察官。飄々としているが他人に安心感を与える声色の持ち主。

東治に捜査の協力を願い出る。

ウラエル

与名の守護天使。厳格で冷淡な性格。

救世主になるためなら多少の犠牲や汚れ仕事も必要だと考えている。

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