超締めきり殺人事件 ~追い詰められた女流作家の足掻き~

文字数 3,062文字

「皆さん、下がってください。死体やその他のものには手を触れないように」
 私が騒めく招待客を制すと、すかさず松江老人が鼻を鳴らした。

「はっ、最近の女流作家は検視の真似事もやるのか。大層なことだ」
「松江老人、あなたにも二、三お尋ねしたいことがあります。被害者と最後に会ったのはあなたでしたね」
 その発言が逆鱗に触れたのか、松江老人は一気に眉を吊り上げる。

「貴様、儂を人殺し呼ばわりかっ。だったら皆の衆が思っておることを言ってやろう。扉も窓も締め切られ、胸にナイフを生やした死体。これは貴様の得意な密室殺人とかいうやつではないのかっ」
「ええ、そうです。まさにこれは締めきり殺人ならぬ閉めきり殺人」

 広間にしんと静寂が降り立った。

§

『静寂が降り立った』と入力して私はノートパソコンを閉じた。
 この女主人公はアホか。書いていて罵りたくなってきた。そもそも彼女のモデルは私自身なので間接的な自虐なのだが。

 一人暮らしを始めてからずっとそこにいる時計に目をやる。
 月刊誌で連載中の『女流探偵』では閉めきり殺人が起きたところだが、現実では締めきり殺人が起きようとしていた。被害者は言うまでもなく私だ。今のうちにダイイングメッセージを考えておこうか。

 現在執筆中の原稿の締めきりは12月24日。
 世間がクリスマスに浮かれている中、私はサンタが原稿を取りにやってくると震えて眠らなければいけない。

 ちなみにただ今の時刻は23日、23時58分。
 進捗のほどはさっき画面にあったものがすべてだ。
 かれこれ同じシーンを10回ほど書き直しているが、途中で筆が止まる。物語を進めたいのに言葉が浮かんでこない。

 先輩作家に相談したら「作家は登場人物に過酷な運命を強いているわけだし、多少はしっぺ返しを食らっても、ね?」と諭されてしまった。その先輩は半笑いだったのでまったく説得力はなかったが。

 あぁ、お酒飲みたいぃぃぃ! 全身がアルコールを求めてるぅぅぅ! でも飲んだら書けなくなるから飲めないぃぃぃぃ!

 そんな心の慟哭なんて意に介さず、時計の針は天辺を指す。
 日付変更の瞬間、とあるインスピレーションが降って湧いた。

 即座にパソコンを開き、キーボードに指を走らせる。ただし画面は原稿ではなく、インターネットの検索エンジンのそれだ。空白に『じゃんけん 必勝法』と入力し、勢いよくエンターキーを叩く。
 実に小気味よい音がした。

§

 締めきり当日――時間にしてあれから数時間後、私は喫茶店でモーニングコーヒーを楽しんでいた。

 チャリンチャリンとドアベルが来客を告げる。入店した眼鏡の男は私を見つけるなり対面の席へ腰を下ろした。
「今朝は随分と早いですね。締めきり破りと名高い咮子(くちこ)先生にしては珍しい。もしかして双子の妹さんですか?」

 時刻はまだ午前9時前。
 いつもなら原稿が仕上がっていないと自宅で嘆いている頃だ。

「いくら私でも、そんな使い古されたトリックは使いませんよ。これでも推理作家の端くれですから」
「締めきり破りは否定しないのですね。それとも不都合な言葉は聞こえない耳でもお持ちなのですか」

 この毒舌気味の眼鏡男こそ、私の担当編集者だ。
 ウェイターを捕まえて注文を終えるなり、彼は私の鞄へ目を向ける。こうなれば、原稿の二文字が声になるのも時間の問題だ。

 だから私は先手を打った。
「斎木さん、ちょっと私とじゃんけんしません?」
「なぜ僕があなたと勝負しなければならないのです。僕の手はじゃんけんをする為ではなく、原稿を受け取る為にあります」

 では、あなたは日常生活で手を一切使わないのですか。反射的にそうツッコミかけて口を噤む。ここで脱線しては、せっかく習得したじゃんけん必勝法が水泡に帰してしまう。

「まぁまぁ聞いてくださいよ。もし私が勝ったら、サンタさんがクリスマスプレゼントをくれます」
「僕はあなたのサンタになる気は毛頭ありませんよ。髭も生えていませんし、ソリにも乗っていません」
「でも、ネクタイはそれっぽい色ですよね?」

 私が指さしたネクタイは赤と白のストライプ模様だった。本人も少なからず意識していたのか、運ばれてきたコーヒーを口に運んで視線を遮る。やはり図星か。

「わかりました」
 カップをソーサーに戻し、斎木は溜め息を吐く。
「では百歩譲って僕がサンタだとしましょう。それでイヴ当日にあなたは何を願うのです?」
「ずばり時間です」
「大人しく締めきりを延ばしてほしいと言ったらどうです」

 再びカップを傾ける。しばし間をおいてソーサーに戻されたカップは既に空だった。そのまま胃が荒れてしまえ。

「ま、あなたならそう言うと思っていましたよ」
 言いながら毒舌眼鏡は上着の内ポケットを探る。そうしてテーブルに出されたのは出版社のロゴ入りの封筒。

「これは?」
「クリスマスプレゼント、とでも表現しましょうか。時間に追われるような状況ではまともな作品なんて書けるはずありません。編集長もあなたの惨状には見当がついていたらしく、僕が申し出たら快諾してくれました」
「斎木さん……」

 随分と殊勝なことをしてくれる。危うく目尻から涙をこぼすところだった。

「言っておきますが、これは僕個人の意思ではなく、出版社としての総意ですから。そこのところ、くれぐれも誤解なさらないように」
「男性のツンデレなんて、いつの時代も需要ありませんよ」
「やはり返してもらっても」
「お断りします。私、一度もらった物は返さない主義なので」
 奪われてなるものか、と私は封筒を後生大事に抱く。この状態の私から物を奪い取った人間は未だかつていない。

「そうですか。では僕はこれで」
 伝票のそばに税込みの代金を置いて、彼はそっと席を立つ。
「メリークリスマス、咮子(くちこ)先生」
 すれ違いざま、囁きに引かれてちらりと彼の表情を覗く。
 薄らとだが、笑っていた。

 今までに見たこともない表情。冷徹な原稿回収マシンだと決めつけていたが、ちょっとばかり見直した。

「メリークリスマス、斎木さん」

 返事代わりに片手を振って、冬服の背中がドアベルを鳴らす。
窓ガラス越しに伝わってくる冷気が、ほんの少しやわらいだ気がした。

§

 帰宅した私は暖房をつけ、早速クリスマスプレゼントを開封する。
 封筒の中には三つ折りになった紙が1枚。それを広げて――――私の表情筋は死後硬直を起こした。

 連載打ち切りの通達

 ハッピーからアンハッピーへ。喫茶店での会話内容が180度回転する。

 あの男は自分から編集長に申し出た、と言っていた。つまり斎木は打ち切りを焚き付けておいて、その事実を本人の前で堂々と宣言したのだ。鬼畜すぎる。人間の所業ではない。
 しかも通達文は本物。編集長のサインまで入っている。これでは編集長に泣き付いて、もとい直談判して延命措置をとることもできない。

 ぱらりと何かが床に落ちた。
 小さなレターカードだ。三つ折りにした紙の間に挟まっていたのだろう。拾い上げると、そこには短いメッセージが。

 こんなトリックも見破れないようでは
            推理作家失格ですよ。
                   斎木琢也

 瞬間、あの笑みがフラッシュバックする。
 小刻みに震える手がレターカードをくしゃりと握りつぶした。

 ――――殺す。

 机に向かうなり私はパソコンを立ち上げ、殺意のままキーボードを叩く。次回作のタイトルは既に決まっている。

 斎木琢也殺人事件

 ところで、締めきり破りと悪名高い私だが、連載を承諾してくれる出版社なんてあるのだろうか。


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