完璧な毒殺
文字数 1,502文字
「ほら、約束のものだ」
居酒屋の暖簾をくぐると、あいつはカウンターの奥に座っていた。隣に座った俺に、熱燗を一杯寄越した。
「……」
「どうしたんだ」
「いや、別に」
前に仕事を代わってやった時、次会ったら一杯奢れと俺が言ったのだ。空になった徳利を返すついでに、あいつは俺の嫌いなキュウリを頼んだ。
本当に一杯だけしか奢る気はないらしい。
「それよりも、あっちの方を寄越せ」
ぐいっと酒を煽る。冷えた体が芯から暖まるのを感じた。
「そう急かすなって。……他の客の目もある」
「……そうだったな」
俺は声を潜めた。二人してカウンター席に座っている。横目を向けると、後ろの座敷で男女四人組が騒いでいた。幸い、こっちの声は届いていないようだ。
俺は隣の席に身を寄せた。
「おい、前に言ってたことは本当なんだろうな」
「……」
「どうなんだ」
「……ああ、間違いない。そろそろ実地試験をするって手筈だ。あまり口外していい情報じゃないがな」
もうひとつ、俺はこいつに約束を取り付けた。金と引き換えに、あるものを流してほしいと。
それは新種の毒だ。
刑事ドラマでコーヒーを飲んだ役者が首筋を押さえて苦しみだし、そのままバタンと倒れる、あれだ。だが俺が要求したのは青酸カリだの、ヒ素だの、鑑識役が口するようなものじゃない。
殺した後、死体から検出されない毒だ。
無色透明で無味無臭。見た目は水と変わらないが、何かに混ぜてしまえばあるのかないのかわからない。
「だけど、本当にやるのか」
「あたり前だ。俺が奴にどれだけ煮え湯を飲まされてきたか。死ぬ間際に後悔させてやる」
つい苛立ってい待った。こいつは指を口にあててる。
俺はまた声を潜めた。
「……効き目がでるまでどのくらいなんだ」
毒を盛ってその場で死なれては、いかに検出されない毒とはいえ嫌疑は免れない。効き始めるまで時間があるのなら、その間に現場を離れないといけない。
こいつは腕時計を見た。
「およそ十分ってところだな」
「食い合わせとかはないのか」
「ない。なにに混ぜても効く。ものによっては熱で弱まるのもあるが、こいつは違う」
聞いていて益々ほしくなってきた。
「早く寄越せ」
俺はそいつに詰めいった。
「代金が先だ」
ちっ、と俺は舌打ちした。人に仕事を代わってくれと頼む時は後払いのくせに、自分は先払いか。都合のいいやつだ。
だが、こいつに頼る以外に方法はない。計画は何通りか練ったが、警察の捜査力に一個人で立ち向かうのには無理がある。
「ほら」
上着から封筒を出して滑らせる。
「お前の言ってた額が入ってる。……早くものを寄越せ」
まさか金を持ち逃げする気じゃないだろうな。
「……もう渡してたぞ、お間抜けさん」
は? いつわた……
言おうとして舌が動かなかった。あいつの方を見ようにも首が回らない。顔全体が痺れてきた。手で患部をさすろうとしたが、カウンターから指一本離せない。
あいつは伝票を持つと、そのまま席を立った。会計に向かう足音だけが聞こえてくる。
おい待て、どこ行くんだ。なんなんだこれは。体が変、だ……
頭だけはまだ回った。その時なって、俺はあいつの言った本当の意味がわかった。
ーーもう渡したぞ、お間ぬけさん。
俺が席に着いて初めに、あいつは熱燗を一杯寄越した。
毒は無味無臭でなにかに混ぜてしまえばわからない。そのうえ熱でもやられない。もしかして今は酒を飲んでから十分が経った頃なのか。首も手も動かない。時計は見えないが、確かにそうだと確信する。
あ、あいつ……
意識が朦朧としてきて、俺はカウンター席から床に転げ落ちた。騒いでいた男女四人組があわてているのが、足音でわかった。
居酒屋の暖簾をくぐると、あいつはカウンターの奥に座っていた。隣に座った俺に、熱燗を一杯寄越した。
「……」
「どうしたんだ」
「いや、別に」
前に仕事を代わってやった時、次会ったら一杯奢れと俺が言ったのだ。空になった徳利を返すついでに、あいつは俺の嫌いなキュウリを頼んだ。
本当に一杯だけしか奢る気はないらしい。
「それよりも、あっちの方を寄越せ」
ぐいっと酒を煽る。冷えた体が芯から暖まるのを感じた。
「そう急かすなって。……他の客の目もある」
「……そうだったな」
俺は声を潜めた。二人してカウンター席に座っている。横目を向けると、後ろの座敷で男女四人組が騒いでいた。幸い、こっちの声は届いていないようだ。
俺は隣の席に身を寄せた。
「おい、前に言ってたことは本当なんだろうな」
「……」
「どうなんだ」
「……ああ、間違いない。そろそろ実地試験をするって手筈だ。あまり口外していい情報じゃないがな」
もうひとつ、俺はこいつに約束を取り付けた。金と引き換えに、あるものを流してほしいと。
それは新種の毒だ。
刑事ドラマでコーヒーを飲んだ役者が首筋を押さえて苦しみだし、そのままバタンと倒れる、あれだ。だが俺が要求したのは青酸カリだの、ヒ素だの、鑑識役が口するようなものじゃない。
殺した後、死体から検出されない毒だ。
無色透明で無味無臭。見た目は水と変わらないが、何かに混ぜてしまえばあるのかないのかわからない。
「だけど、本当にやるのか」
「あたり前だ。俺が奴にどれだけ煮え湯を飲まされてきたか。死ぬ間際に後悔させてやる」
つい苛立ってい待った。こいつは指を口にあててる。
俺はまた声を潜めた。
「……効き目がでるまでどのくらいなんだ」
毒を盛ってその場で死なれては、いかに検出されない毒とはいえ嫌疑は免れない。効き始めるまで時間があるのなら、その間に現場を離れないといけない。
こいつは腕時計を見た。
「およそ十分ってところだな」
「食い合わせとかはないのか」
「ない。なにに混ぜても効く。ものによっては熱で弱まるのもあるが、こいつは違う」
聞いていて益々ほしくなってきた。
「早く寄越せ」
俺はそいつに詰めいった。
「代金が先だ」
ちっ、と俺は舌打ちした。人に仕事を代わってくれと頼む時は後払いのくせに、自分は先払いか。都合のいいやつだ。
だが、こいつに頼る以外に方法はない。計画は何通りか練ったが、警察の捜査力に一個人で立ち向かうのには無理がある。
「ほら」
上着から封筒を出して滑らせる。
「お前の言ってた額が入ってる。……早くものを寄越せ」
まさか金を持ち逃げする気じゃないだろうな。
「……もう渡してたぞ、お間抜けさん」
は? いつわた……
言おうとして舌が動かなかった。あいつの方を見ようにも首が回らない。顔全体が痺れてきた。手で患部をさすろうとしたが、カウンターから指一本離せない。
あいつは伝票を持つと、そのまま席を立った。会計に向かう足音だけが聞こえてくる。
おい待て、どこ行くんだ。なんなんだこれは。体が変、だ……
頭だけはまだ回った。その時なって、俺はあいつの言った本当の意味がわかった。
ーーもう渡したぞ、お間ぬけさん。
俺が席に着いて初めに、あいつは熱燗を一杯寄越した。
毒は無味無臭でなにかに混ぜてしまえばわからない。そのうえ熱でもやられない。もしかして今は酒を飲んでから十分が経った頃なのか。首も手も動かない。時計は見えないが、確かにそうだと確信する。
あ、あいつ……
意識が朦朧としてきて、俺はカウンター席から床に転げ落ちた。騒いでいた男女四人組があわてているのが、足音でわかった。