第25話 見えない(テーマ「幽霊」2023年8月)

文字数 1,864文字

 大滝は定年を数年後に控えた物理学の准教授だ。出身大学の教授になることを目指し日々研究と発表に勤しんできたが、この地方国立大学の准教授が精一杯だった。そんな大滝が密かにライフワークとしていたテーマの一つが心霊現象だ。しかしこのテーマは実用性が低く、予算が取れない。そのため表立って研究を進めることはなかった。だが、定年が見えて来た大滝には、最後のチャンスかもしれない。教授になれなかった大滝が、この先私立大学や研究所に就職できる可能性は低い。そうした焦りが、大滝をついに動かした。

 大滝は「霊が見える」ことに注目した。人間が認識できる光の波長は実に狭い。紫外線より短い波長、あるいは赤外線より長い波長の光が反射されても、色として認識できない。紫外線ならば三百六十から四百ナノメートルより下、赤外線ならば七百六十から八百三十ナノメートルより上。そのような物体は人間の目にはみえない。しかし、個人によりその力には多少の差がある。であれば、見えない光が見える人間も存在しうる。大滝がそう確信していたのには理由があった。彼は小学校低学年のある時期まで、「見える」人だったのだ。彼に「見え」ていたものが何だったのかは分からないが、それを聞いた大人たちはある時には喜び、またある時には涙した。同世代の子どもたちからは当初嘘つき呼ばわりされたが、大人の反応を目の当たりにした彼らもやがては大滝の能力を信用した。そして実際に「見えない」と分かった場所は面白みがないため、この町の子どもたちは肝試しをしなくなってしまった。

 大滝のテーマに興味を示した大学院生の小池、学部三年生の中川が紫外線、赤外線を可視化する装置を用いて大学の周辺をくまなく撮影した。その画像を確認する作業を、三人は毎晩継続した。するとどうだ、やはり何かが「見える」。しかもそれは、何らかの意図をもって動いているようだ。

「大滝先生、これはやっぱり、あれですかね」中川が興奮した面持ちで尋ねる。
「早計な判断はいかんが、その可能性は否定できない」大滝は科学者の一人として冷静に答えた。
「でも、写っている場所は、墓とか神社の杜ではないですね」小池も冷静だ。
「なるほど。あ、でも、霊って成仏できていない訳だから、そういうところにはいないんじゃ?」中川は無邪気に続けた。
「ふむ、そいういう解釈はありだな」そう言って大滝は思い出した。子どもの頃、自分がいつも「見える」のは主にため池や見通しの悪い交差点であったこと。そして近所の大人から聞かれるのは八月の中旬、いわゆるお盆の時期が多かったこと。そう思って改めて確認すると、今回の撮影場所にも何かありそうだった。
「今回、何かが映っている場所で、死亡事故がなかったかどうか、調べてみないか」思わず大滝は声に出していた。
「先生、やっぱり、先生もそう思っているんですね?」中川が嬉しそうに尋ねてくる。一方で小池は、「それは物理学の研究の域を大きく逸脱する」と不満そうだった。その気持ちも理解できるが、准教授である大滝にとって、自分の提案に反対する大学院生などあり得ない。しかしパワハラ、アカハラとして問題になるのも困る。大滝はここも冷静に対処する。
「まあ、できる範囲で構わない。いつまでさかのぼるか、というのも難しいが、まあ、図書館で新聞のデータベースが確認できる範囲でまずはやろう。小池君も、ネット検索くらいでいいから、お願いしたい」
 そう言われてまで断る小池ではない。やや不服そうではあるが、了承した。

 その夜、大滝は思い出していた。小学校高学年になるまでに「見える」力を失ったこと。しかしそれまでにマスコミに注目され、テレビにも呼ばれるようになっていたこと。そしてしばらく、「見える」と嘘をつき続けたこと。飽きられたのか、嘘がバレたのか分からないうちに世の中から一切忘れられたこと。見返そうと勉強を続けたこと……。

 翌日の夕方になってやっと例の画像を再確認する時間が取れた。教授に頼まれていた書類作成が想定外に煩雑だった。このような仕事も出身校なら事務員が片付けるのだが、仕方がない。ため息交じりに再生ボタンを押す。池に張られた柵の前で、何かが動いていたはずだった。
「ん? 見えないぞ?」他の画像も確認するが、何の痕跡もなくそれらは消えていた。おかしい。急いで小池と中川を呼び出す。しかし、二人は答える。「なんのことですか? 昨日、そんなの見えましたか?」十年前この池で起きた転落事故を報じる記事のコピーが、大滝の机上に置かれていた。 【了】
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