第4話 夜明け(テーマ「冒険」2022年4月)

文字数 1,925文字

 空がうっすらと白み始めている。無我夢中でヨシは櫂を漕いでいた。とにかく遠くへ行こう。この女と一緒に。

 ヨシは竹で編んだ筏舟で、沖を目指した。もう随分時間が過ぎた気がする。単調な波の音に、時々鳥の声が交じる。この穏やかな海に、追手はいないはずだ。それどころか、何もない。幼い頃から、ずっと空想し、憧れていた水平線の先。そこに今、自分はいる。静寂な、単調な世界。こんなつまらないところだったのか。腕を休めようと櫂を上げ、後方に目をやった。疲れ切った表情のサチ。しかし目が合うと、笑んでくれた。二人でここではない何処かで暮らす。新しい家族と、ムラを創る。強引だったが、これしかなかった。

 海に面した小さなムラだった。五十人いるかいないかの規模。海岸から少し離れた洞穴が住まいだ。この穴は波によって開いたのだろうが、今は水が届かない。土地は変化するもの。それを落ち着かせようと神に祈る。そして海の恵みをいただく。それがヨシたちの日常だ。

 時折、見かけない連中がムラにやって来る。このムラでは見かけない物産を持っていることがあり、貝や蟹、あるいは魚と交換した。中にはムラに住みつこうとする者もいる。うまく馴染めるかどうかは人それぞれ。ムラの長が殺すと決めることもある。辛いことだが、ムラを守るためには必要なのだろう。

 サチもそんな中の一人だった。女がいる場合、その連中は何かから逃れてきた可能性がある。ヨシも、泥だらけで不潔な奴らだと思った。ムラの長は、彼らを危険なものと見なした。たった一家族だけでやってきたのだから、自然災害ではない。元のムラで、何らかの問題を起こしたに違いない。そして追い出された。大人たちはそう判断した。匿った場合、そのムラと敵対する可能性がある。危険を冒してはならない。彼らを捕らえ、引き渡すか。あるいは殺してしまうか。

 こんな時、利用価値のあるものは生きながらえることが出来る。獣を狩り、草木を利用する彼らは、近くの丘に引きこもろうとした。交易だけを望んだ。ここは潮風が強く、山の幸が少ない土地だ。彼らだけに貴重な品々を独占される訳にはいかない。こちらの利がないのだ。だからムラの重鎮たちは決意した。だが、若い女だけは殺されない。そして男たちの慰み者になる。これが掟だった。

 もちろんヨシも、その恩恵にあずかれることになる。だから納得し、期待していた。そう、確かに期待していた。でも、本当にそれでいいのか。あの時、海で汚れを落とした若い女をみた。いままで会ったことのない顔立ちだ。泥の黒さとは全く異なる、小麦色の滑らかな肌。大きく澄んだ瞳。吸い付きたくなるような唇。そして獣皮越しにはっきり見える、起伏が明確な、丸みを帯びた体躯。この女が、ムラの連中に辱められ、その後に自分も同じことをするのか。場合によってはその後、娶らされることになる。が、そんなことが許されるのか。そしてそれを自分も受け入れるのか。耐えられなかった。

 元々年が近い連中とはそりが合わないと感じていた。だから浜で海を眺め、空想していた。あの向こうに何があるのか。そしてそれを見たい、と。

 浜から東にある崖の中腹に、例の一家は閉じ込められていた。女は、大人たちと別の穴にいる。お互い、この先の姿は見せ合う必要がない。小さな穴には、サチだけだ。ヨシは月明りだけを頼りに崖をよじ登った。狭い足場によろけながらも大きな石を除け、両手首を縛られたサチを認めた。自ら命を絶たないようにしているのだろう。石斧で蔓を切るが、サチは怯えている。抱きしめると余計に怖がるかもしれない。優しく手を取り、崖を下った。隣の穴からは一切、騒ぎ声は出なかった。

 浜に上がっている筏舟の甲板にサチを乗せ、逃げよう、と呟く。言葉が通じているのかは分からない。が、サチは大人しく舟に登った。そしてヨシは舟を押す。浜に軌跡が残るが、これは仕方がない。そして、ヨシも舟に飛び乗った。さあ漕ぐぞ、全速力だ。


 太陽は照り、舟は進む。潮の流れに身を任せた。あのムラに戻ってはいないだろう。また夜が来た。静かだった海が、荒れ狂う。ずぶ濡れになりながら、筏にしがみつく。こんなことなら大人しくしておけばよかった、と思うが、必死のサチをみるとそんな迷いは消し飛び、彼女を守ろうと強く思った。そして二人、耐えた。

 気が付くと、打ち上げられていた。ヨシはサチを抱きかかえていた。そして起き上がった。新しい土地まで逃げ着いたのだ。サチを起こし、振り返る。水平線だ。朝日がムラとは逆の左手から差してくる。新しい土地でサチと二人、生きていく。

 ヨシとサチが辿り着いた島。そこは約十万年の時を経て、日本と称せられる。 

【了】
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