第23話 多人房(トゥオレンファン)(テーマ「偶然」2023年7月)

文字数 1,667文字

 洗濯物を抱えて、僕はベッドが六つ並んだ薄暗い部屋に戻った。カーテンレールにコインランドリーから出したばかりのTシャツとパンツを吊るしていた時、隣のベッドに男性がやって来た。TシャツとGパン。僕と同じような格好で、レンズ付きフィルムを手に持っていた。
「すみません。洗濯物、干させてもらいますね」
「ええよ、そんなん。お互いさまや。俺も洗濯しよか」
 この男性も旅慣れているようだ。そう言って、リュックから下着と靴下を取り出した。
「洗濯は同じ階でできる?」
 そう尋ねられ、初めて彼の顔を見た。銀縁の眼鏡にボサボサの髪。無精髭。僕と同じような手入れ具合。僕より痩せ、年上のようだが。洗濯物を持って出て行った彼は、五分程して手ぶらで戻った。僕はベッドに寝そべり、この街が舞台の小説を読み始めていた。
「お兄さん、小説かあ。すごいな。俺は漫画しか読めんわ」
 関西の人はおしゃべり好き。というのは事実らしい。小説の世界に入り込む邪魔をされ、おそらく僕は不機嫌そうな顔をした。構わず彼は話を続ける。小説や漫画の話を数分した後で彼が聞いてきた。
「お兄さん、日本では何してはるの?」
 旅行中に居合わせた日本人同士は、お互いを探るような質問をしない。学生時代から海外一人旅を続ける中で身につけた処世術だ。なのでこの質問には少し驚き、ぼかした回答をする。
「会社員です」
「ええな。なあ、正社員やろ? 結構ええとこちゃうん?」
 そう聞かれても、正直には答えない。一応上場企業だとは伝える。
「やっぱそうか。何か、分かるんよ。真面目そうやん。でもドミ、多人房に泊まるんやな」
 僕は彼に質問できなかったが、彼は自らの話もしてくれる。
「俺な、フリーター。派遣社員や。今は契約の合間で上海に遊びで来た。稼いで、旅して、また稼いで」
「いいですね。そういうの憧れます。そしたら今までも色々と旅されたんですね?」
「そや、色々。でもな、もう三十過ぎた。こんなんでええんか、って思い始めた。でも今更、正社員に、なかなかなれんのよ」
「僕もその辺、学生の頃に悩みました。卒業してすぐ就職じゃなくて、仕事して旅してを繰り返したり、思い切って長期の放浪をしてから働くとか」
「まあでも、ええ会社に勤めて、休みにこういう旅ができる奴が、勝ちやで」
 入社後二年経つが、旅への憧れを捨てきれない。それでこうして、休暇中に貧乏旅行でドミトリーに泊まっている。素直に、今の自分の方が良い、と言えない。表現を間違えると、境遇の違うこの男性には嫌味に聞こえるだろう。慎重に言葉を選びながら、自分の思いを伝えようとした。
「僕、昔バンコクに二週間ほど滞在して、現地の日本人宿に泊まったんですよ」
「うん」
「それで、放浪とかできそうか自分を試したんです。自分はまだ続けたい、と思いましたが、現地にいる日本人旅行者を見ると」
「沈没、やな」
「それです。目標がある人がいない、いてもそれが明らかに絵空事で、努力してない」
「なるほどなあ。で、それって何年前? 俺もバンコクにおったよ」
「四年前、一九九三年。Jっていう宿です」
「それ、被ってるなあ。ムエタイの修行するとか言ってた日本人、おらんかった?」
「あっ、いましたね。確か、マッさん? だったかな」
「それや、マツ。俺、そいつとたまに飯食いにいったよ、隣の麺屋とか」
「あ、あそこ。僕も使いました」
「そやな。俺ら多分、会ったことあるんやろな? 何か話ない?」
「そうですね、僕、日本から尺八持って来てて、駅前で吹きました。そしたらそのマッさんと、ええっと、タケさん、でしたか、お二人が見に来てくれて、サクラでおカネくれました。宿で返そうとしたら、受け取ってくれなくて」
「待てや、そのタケって、俺や! 俺、雄彦いうんや。なら君、ケンくんゆうたか?」
「ええっ、そうです、ケン、賢助です!」
「懐かしいなあ。にしても、気付かんもんやなあ」
 タケさんは言葉を詰まらせ、狭い窓に目をやった。いつの間にか西日が射している。
「でもそうかあ、俺らみて、ケンくん、そんな風に思っとったかあ」
 【了】
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