第12話 一塁側内野席(テーマ「表と裏」2022年10月)

文字数 1,894文字

 高く上がった打球がゆっくりと落下してきた。そしてセンターを守る健太のグラブにすっぽりと入っていった。スリーアウト。我が多摩国際学園高校、愛称タマコク硬式野球部は九回表を無失点に切り抜けた。点差はわずか一点。残す最終イニングで点が取れなければ、タマコクは敗北。西東京大会ベスト八を前に今年も姿を消すことになる。ベスト八まで勝ち上がれば、試合会場は憧れの明治神宮球場だ。あそこで母校の応援がしたい、という気持ちから東京六大学のどこかに進学しようと龍之介は企んでいる。龍之介は中学受験でタマコクに入学した。進学校でもあるタマコクなので、普通に努力しておけば六大学のどこかには滑り込めると思っていた。しかし、高校三年になった春の模擬テストは龍之介に現実を突き付けた。国立は諦めていたにせよ、私立もこんなに難しいのか……。気が付くと夏だった。タマコクの硬式野球部は二十年ほど前に甲子園で優勝した経験がある古豪だ。現在も少数ながら特待生が高校から入学し、高校としては一流だと思われる施設で昼夜練習に明け暮れている。だがここ数年は西東京でベスト十六が精一杯だった。

 小学校時代の同級生である健太が、タマコクの硬式野球部に特待生で入部したのは二年前だ。小学校時代はガラの悪い連中の一人とみなし、龍之介はむしろ避けていた。学校で配られる学園だよりには、力を入れている運動部のメンバーが紹介される。教室で何気なく学園だよりを眺めていたとき、健太の名前に気付き、驚いた。進学組と運動部員とが接する機会はあまりなく、できるだけ遭遇しないように心掛けた二年間だったが、実のところ龍之介は高校野球の大ファンである。小学生の頃から西東京にある名門校の戦力分析を欠かしたことがない。その中には当然、タマコクも入っている。いや、中学入学以来、常にダークホースとして位置付けて来た母校だ。そんな期待のタマコク硬式野球部に昔からの知り合いがいる。最後の夏、話しかけない訳にはいかない。一般入試でやはり高校から入って来た小学校時代の同級生である絵美里を頼って健太と話をしたのは、高三の六月になってからだった。

「お前、退学させられたのかと思ってたよ」冗談か本気か分からないが、健太はそう言って龍之介の頭を叩いた。絵美里は「退学させられるなら、あんたでしょう?」とこれまた健太の丸刈り頭を叩く。これ、気持ちいいね、とそのうち撫で始めたので、三人で笑いあった。「今年こそ、古豪復活で甲子園に連れてってやる。龍之介や絵美里は、いい大学に絶対受かれよな。夏は楽しませてやるからよ!」頼もしかったが、まず神宮球場に連れて行ってくれ、との言葉を、龍之介は飲み込んでいた。

 そうして勝ち進んだ五回戦もいよいよ九回裏を残すのみ。先頭打者は粘ったものの三振に倒れ、続く三年の明石もショートゴロでツーアウト。万事休すかと思っていたが、代打で出た三年生の小倉がヒットで出塁。続く高崎はフォアボールを選んだ。ツーアウト一・二塁。一打同点、あわよくばサヨナラ勝ちのチャンスで、健太に打席が回って来た。一塁側内野スタンドに陣取る龍之介たちタマコク応援団は、手を合わせ、祈る。打ってくれ、金沢健太! まだ夏は終われない!

 目に涙を浮かべる絵美里を横目に、龍之介は思った。高校最後の夏。何としても神宮に連れて行って欲しい。でも、健太がヒーローになるのは、ちょっと悔しい気もする。それに、絵美里も何だよ、なんだか恋人に声援を送る健気な女子を演じていないか、あいつ? これ、嫉妬なんだろうか? そうかもしれないけど、ああ、健太、打てっ! いや、凡退しろっ! いや……。

 バットは快音を発し、打球は鋭く一塁ベースをかすめた。一塁側のスタンドは大騒ぎだ。相手チームのレフトがかなり内野寄りの位置まで前進して球をすくい上げ、ホームベースを目がけ投げ込む。一直線に伸びる返球。ノーバウンドでキャッチャーミットに吸い込まれた。そして、キャッチャーは頭から突っ込んできた小倉の左手に、そのミットをぶつける。

「アウトォ-ッ! ゲームセット!」
 泣きじゃくる絵美里は、龍之介の腕にしがみついて動かない。上腕に触れる柔らかいものを感じながら、もしかして自分にとって一番いい結果だったのではないだろうかと龍之介は思った。そして、勇気を振り絞って、絵美里の華奢な肩に手を回した。他の生徒が見ているが、今は問題視されないだろう。有り難う、健太。そして、相手のレフト! そして明日から受験勉強を本格的にはじめ、来年こそ神宮で応援する。青空の下、そう誓う龍之介だった。        

 【了】
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