7話 遺失(3/9)

文字数 2,992文字

「フリーさんから離れろ!!」
菰野は叫びと共に、重い扉を力一杯開け放った。

鍵のかかっていない扉。
それはやはり、菰野のために開けてあったのだろう。
「菰野!!」
フリーは、涙を浮かべながらも嬉しそうにその名を呼んだ。
「威勢がいいじゃないか」
葛原は、脇差を抜くとフリーの首筋に刃を向ける。
「そんな態度をとれる立場なのか?」

息を呑み、身動きが取れなくなった菰野を、久居は扉の影から窺う。
(菰野様……)
「久居も出て来い、居るのは分かってるんだ!!」
葛原の要求に、久居は小さく顔を顰めた。
いないふりなど通用しないのだろう。
菰野とフリーのことを考えれば、早急に出てくる以外の方法は選べなかった。

両手をあげて、久居は櫓へと足を踏み入れる。
久居が出来たことは精々、扉が自然と閉まらないようにするくらいだった。

「葵、確保しろ」
「はっ」
指示を受け、葵は久居の両腕を後ろで拘束する。
「久居様……すみません……」
「いえ……」
小さく謝る声に、久居も小さく答える。
葵は、体格差のある久居に膝を付かせると、久居の首へ腕を回した。
普段の久居なら、動きを封じられるだけのはずだった。
けれど、久居の首元にはいつもあるはずの布がなかった。
首元に葵の腕の体温が伝わると、久居は激しい眩暈に襲われた。
急激に霞む頭に、主人の言葉が蘇る。
首元に気を付けるよう言われてから、まだ数刻も経っていないというのに。
(申し訳……っありません……っ)
険しい表情で耐える久居の額に、冷や汗だか脂汗だかわからないものが、じわりと浮かぶ。
グラグラと足元が揺れて、自身が真っ直ぐ立っているのかも分からない。
葵が、久居の荒くなってゆく呼吸に気付いた。
(熱い……?)
腕に伝わる異様な熱に、久居の顔を覗き込めば、彼からは深い悲しみと激しい自責の気配がする。
(久居様の、お体の様子が……?)

久居の頭の中では、消えているはずの記憶の断片が、ぐるぐると乱暴に掻き混ぜられていた。
悲しげな瞳から止めどなく涙を零す女性が、幼い彼の首を絞める。
何度も何度も、幼い彼は意識を失う。
けれど、それは終わらなかった。
守りたい。助けたい。苦しい。助けてほしい。そんな願いの断片が、彼の心に濁流となり流れ込む。
受け止めきれない感情の渦から自分を守ろうとするかのように、久居の視界は白く白く染まってゆく。
(意識が……もう……)

どこからか、そんな久居を呼ぶ声がする。
『久居……』
それは、冬の海岸に打ち上げられていた久居を、拾い育ててくれた人の声だった。
『久居、菰野をお願いね……』
菰野の母である、加野の柔らかな笑顔が蘇る。
隣には、亡くなったばかりの譲原の姿もあった。
『頼んだぞ、久居……』
譲原もまた、久居に居場所と果すべき使命を与えてくれた人だった。
(加野様……譲原様……)

久居は、意識を手放すわけにはいかなかった。
菰野を命に換えても守ると、久居は二人に誓っていたから。

(菰野様!!)
久居は、重く纏わりつく過去の記憶を振り払うように、主人であり守るべき存在である菰野の背だけを見つめた。

菰野はチラリと久居を振り返る。
(久居は、意識を保つので精一杯か……)
むしろ、あの状態で意識を保っているのは奇跡的だと、久居をよく知る菰野は、彼の忠義を肌で感じる。

「菰野」
義兄の声に菰野は顔を上げる。
「こいつの姿を見てみろ」
葛原は、少女を拘束している棒を軽く回して見せる。
横を向かされたフリーの背からは、透き通る翅が広がっている。
頭上には、長い触覚が美しく曲線を描いていた。
(翅が……、それに触角も……)
菰野は、それが義兄によって暴かれたのだと知る。

「これが人じゃないのは分かるな?」
葛原の落ち着いた声。
依然、刃は少女の首筋を一瞬で切り裂ける位置にある。
「はい……」
菰野は静かに答えた。
フリーの瞳に、じわりと涙が滲む。
「では、何に見えるか言ってみろ」
菰野は、一瞬躊躇うように息を呑み、視線を落として答えた。
「……妖精、です」
「ーーっ!」
フリーは、首筋に当たりそうな刃に顔を逸らすことも叶わず、息を詰めぎゅっと目を閉じた。
「そう、お前の母を殺した妖精だ」
葛原はそう告げながら、ここまでの全てがうまくいっている事に、実に満足気に微笑んだ。
返す言葉を失ったのか、黙り込む菰野へ、久居が澱む意識の合間から、当時の記憶を探る。
(菰野様……、それは違います……!)
ここまで、それを訂正しなかった自分を責めつつ、久居は記憶を引き摺り出した。
(あの事件では、確かに原因を特定できませんでしたが……)

あの日。
加野が亡くなった日の夜。

菰野の部屋を出た久居の背に、声がかかった。
「久居、菰野はどうした」
久居は、振り返ると同時に礼の姿勢をとる。
「譲原皇」
記憶の中の久居は、まだ髪を括っておらず、黒髪を椿油で後ろへと撫で付けていた。
「泣き疲れてお休みになりました……」
久居は、悲しみに暮れていた菰野の姿に、じわりと眉を寄せる。
「加野の死因については、何か言っていたか?」
「いえ、それは何とも……。急な事で動揺されているご様子でしたが、思い当たるような事は無いようでした」
譲原の問いに、久居はなるべく正確に答える。
「そうか……」
譲原は視線で周囲を確認すると、声を一段低くして尋ねる。
「久居、お前はどう考える?」
「私ですか?」
意見を求められ、久居が言葉を選びつつ答える。
「そうですね……、毒を盛られたと考えるのが妥当でしょうか……」
「ああ、そうだな。私もそう思っているところだが……」
譲原は、久居が噂に惑わされていない事に、ひとつ頷きを返す。
「今調べている限りでは、毒の検出は無い……。
 ただ、今回のような症状を起こす花が、華陽にあるらしい。この辺りでは知られていないが、その花は毒の痕跡も残さないとか……」
「華陽……」
久居は、小さくその地名を繰り返した。
(葛原様の母君、雪華様の御国ですか……)
譲原が、目の前に跪くまだ幼さを残す少年が、この情報を正しく受け取ったことを知る。
「まだ推測の域だ、この話、菰野には伏せておけ」
「はい」
譲原は、皇らしい顔を見せ、久居に顔を上げさせる。
「久居は加野の直属だったな」
「はい」
「これからは菰野の側近として、あれの傍に居てくれ」
願ってもない命に、久居は有り難く、決意を込めて応える。
「はいっ!」
「加野が狙われた理由が分からん以上、菰野も狙われんとは言い切れぬ。よく気をつけてくれ」
久居はこれ以上無いほど姿勢良く譲原皇を見上げると、真摯さを凝縮したような黒い瞳で誓いを立てる。
「加野様に拾っていただいたこの命に換えても、菰野様をお守り致します」
あまりに真っ直ぐなその誓いに、譲原はどこか寂しげに苦笑を浮かべた。
「それは頼もしいが……。加野が亡き今、お前まで失っては、菰野が立ち直れまい」
譲原はもう一度周囲を見渡す。
誰も見ていない廊下で、彼は久居の肩をそっと撫でた。
まだ十歳を少し過ぎたくらいの、この少年から、少年らしさを奪ってしまった自分達への罪悪感は確かにあった。
けれどそれ以上に、加野も譲原も久居に助けられていたし、彼を必要としていた。
「自身を守る事も、菰野を守る事だと思ってくれ」
譲原皇の、心からの言葉に、久居は同じく心を込めて応えた。
「はい!!」


結局、確たる証拠は出ず、城には加野が妖精に呪い殺されたという噂だけが残ってしまった。
けれど、菰野の気付かぬところで、菰野の毒見役は度々命を落とした。
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登場人物紹介

リール・アドゥール (reel・adul) [鬼と妖精のハーフ]


フリーの双子の弟

14歳 6月25日生まれ 身長145cm 体重はかなり軽い

頭のてっぺんにちっちゃなツノ有り

種族の関係上、見た目は8~9歳程度


妖精ばかりの村でただ1人の鬼っ子。いわゆる虐められっ子。

幼い頃からずっと姉の後ろで守られてきた為、どうにも甘えた性格に。

泣き虫で、無邪気で純粋。良くも悪くも空気が読めない。


潜在能力は物凄いものの、まったく制御が出来ない(汗)

逆に言えば、今後一番成長していける子。


リールという名前は本編中では常にリルと略されている。

※久居・菰野はそれが略だということすら知らない

フリー・アドゥール(free・adul) [妖精と鬼のハーフ]


リルの双子の姉

14歳 6月25日生まれ 身長155cm 体重は普通 歳のわりに胸がある

背中にトンボのような羽と、頭に触角有り

こちらは14歳程度の外見


笑ったり泣いたり怒ったり、くるくる表情が変わる天真爛漫な女の子。

リルに比べるとずっと我慢強く、すぐに泣くタイプではないものの、

リルに比べて酷い目に遭いやすい。


普段はリルをからかったり虐めたり八つ当たりしてみたりと玩具にしているが、

いざというときには弟を守るべく必死になれる良いお姉さん。


背中に羽が生えているものの、退化していて飛ぶことは不可能。

材質的にはトンボの羽のような感じ。

爪のように毎日ちょっとずつ伸びるので、時々カットして長さや形を整える。

男性は小さめに、女性は大きく緩やかなカタチに整えるのが最近の流行。


触角はマナーとして一般的に接触禁止。


菰野 渡会 (こもの わたらい)


菰野が名で渡会が姓。姓は国(藩)名と同じ。

本編中には下の名前しか出ない

皇(藩主)の実姉の子

15歳 10月10日生まれ 身長160cm 体重は見た目より重い 童顔


生まれたときから城暮らし。

5歳の時に、海辺に落ちていた久居を拾って来る。


母親は菰野が10歳の時に死去。

その後は母の弟である譲原皇に温かく見守られ育つ。


立場上微妙なところにいるせいか、一人称が登場人物中誰より多く

私・僕・俺を器用に使い分ける。

久居 (ひさい)


苗字は記憶と共に喪失

18歳 5月生まれ(日は不明)身長165cm 体重は思ったより軽い

髪型のせいか態度からか、老けて見られる事が多い

8歳の冬、海辺に打ち上げられていたところを、菰野とその母に拾われて以降、菰野の傍を片時も離れず菰野の面倒をみながら育つ。

拾われる以前の記憶には部分的に抜けがある。

自分の存在意義を菰野に見出しており、菰野の為なら惜しみなく命も手放す。


過去のトラウマから、首元に触れられると意識を失う体質のため、真夏でも首元に布を巻いている。

幼少時から常に丁寧語で話す癖があり、咄嗟のときも、心の声も全て丁寧語。

葛原 渡会 (くずはら わたらい)


皇(藩主)と正妻との第一子

21歳 1月28日生まれ 身長165cm 体重は見た目よりずっと軽い


正統な皇位継承者。


父以外に愛情を注いでくれる対象を持たず、よって菰野が羨ましくてしょうがない人。

生まれたときから母親には邪険にされている。

譲原 渡会 (ゆずはら わたらい) 


皇(藩主)亡き姉の忘れ形見である菰野を、とても大事にしている。


姉が面倒を見ていた久居を引き取り、居場所と地位を与え、あれこれと教育を施す。

それに対し、久居は恩を一生尽くす事で返すつもりでいる。

そんな久居を譲原も信頼している。

加野 渡会 (かの わたらい) 


皇の実姉、一人息子の菰野をなにより大事にしていた。


菰野が拾ってきた久居の世話を焼き、居場所と仕事を与える。

その事を久居もとても感謝しており、恩を一生尽くす事で返すつもりでいる。

そんな久居を加野も、とても信頼していた。

リリー・アドゥール (lily・adul) {妖精}


リルとフリーの母親


妖精の村を隠す為、山にぐるりと張られた結界の管理者。

彼女にしか出来ない仕事というのが多く、案外多忙。

結界を扱うその能力は群を抜いている。


村長の娘ではあるが、妖精以外の種族との子を産んでしまったため、村から離れた結界ギリギリの場所に、ポツンと家を建てて家族3人で暮らしている。

子供達の安全の為、夫とは別居しているものの、夫婦仲はすこぶる良好。

葵 (あおい)


国(藩)に仕える盲目の隠密 女性 24歳


先に重りをつけた鎖を武器として用いている。

隠密としては優秀な類で、里の代表として国(藩)に仕えている。

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