1話 アイコンタクト(後編)

文字数 3,527文字

少女は必死で走っていた。
元来た道を、弟のいる方へ。

結界石がはっきり見えてくると、ほんの少しホッとした。
動揺からか、酷く息が苦しくて、近くの木に縋り付くようにして足を止める。
(い、今の……)
いつの間にやらぐっしょりとかいていた汗が、頬を伝い落ちる。
(絶対……)
どこからが冷や汗か分からないが、とにかく少女はまだ激しく動揺していた。
(目が合ってたよね!?)
あたたかそうな栗色の瞳が、こちらをじっと見上げていた。
向こうからどの程度見えていたかは分からないが、少女からは、少年の表情がなんとか見えていた。
敵意のない、ただ真っ直ぐにこちらを知ろうとする瞳。
多分、ほとんどこちらの姿は見えていなかったのだと思うけれど……。

途端、母の顔が浮かぶ。
母は普段は温厚だったが、こういった言いつけを守らない事に関して、容赦してくれるような性格ではなかった。
(……お母さんにバレたら無茶苦茶怒られるんだろうなぁ。うわぁぁぁ……どどどどどうしよう……)

「あ、フリー! やっと見つけたよー」
声とともに、ガササと草を掻き分けて弟のリルが顔を出す。
「……何してるの……?」
リルは、頭を抱えてしゃがみこんでいる姉を見て、率直な疑問を口にした。
「なっ、なんでもないわよっ。それより花は集まったの?」
慌てて立ち上がった小女は、腰に手を当てて胸を張ると、姉らしさを精一杯発揮する。
「うん……。けど、二人で集めておいでって言われてたのに、ボク一人で百本採っちゃった……」
リルは、腕いっぱいに花を大事そうに抱えたまま、しょんぼりと俯いた。
「フリーも集めてたよね。ごめんね……」
フリーと呼ばれた少女は、あれ以降一本も花を採ってはいなかったが、ひとまず黙っておいた。
「あれ?」
リルが不思議そうに姉の姿を見る。
「フリー、カゴは?」
「え……?」
言われて、少女も自分が手ぶらなことにようやく気付いた。
「あああああ!!」
確か、あの人間と目が合うところまではカゴを持っていたはずだ。
しかしその後はしっかり腕を振って走ってきたように思う。
つまり、カゴが落ちてるとすれば、あの崖上の木のあたりだろう。
「どこかに落としてきちゃったの?」
「あ、うん……」
「一緒に探せば、きっとすぐ見つかるよ」
リルがにこっと笑う。元気づけようとしてくれているのだろう。
「うん、ありが……と……う…………」
そこまで答えて、フリーは一緒にカゴを見つけるわけにいかない事実に気付く。
カゴを落として来た場所は、明らかに母から立ち入りを禁止されている範囲だ。
「どうかした?」
笑顔を張り付かせたままの姉に、弟は不思議そうに首を傾げた。
「……な、なかなか見つからないと困るから、先に花を置いてこよっかー」
なるべく自然に、フリーが答える。
「うん」
と弟が同意したことに安心しつつ、この隙にカゴを取りに行こうとフリーが考えていると
「またはぐれちゃうといけないから、フリーも一緒に戻ろうね」
とリルが言った。
「え゛っ! い、いや私は……リルが戻ってる間にカゴ探しとく方が、ほら、効率が……ね?」
「えー……」
姉の言葉に、弟は小さく息を詰めると、じわりと薄茶色の瞳を滲ませる。
「……一緒に、帰ろうよぅ……」
淋しげに、うるうると上目遣いに見上げる瞳には、姉が見つからない間、どんなに不安で心細かったかがありありと映っていた。
(うううううう)
フリーは一瞬葛藤するも、非の無い弟の淋しげな瞳に、半ばやけくそに叫んだ。
「ええーいっ! わかったわよ!!」
リルがほにゃりと表情を緩めて、わーい。と嬉しそうにするのを横目に、フリーは決意を固めていた。
(もう、こうなったら、今日はリルに付き合って、明日一人で取りに行くしか!!)

----------

その日はぽかぽかとした春の陽気が一日続いた。
麗らかな太陽が、ゆっくりと傾き、夕日が足元に影を長く伸ばしはじめる。
馬車はガラガラと軽快な音を立てながら、夕暮れの道を進んでいた。

馬車の物見戸から外を眺めていた菰野が、ぽつりと呟いた。
「今朝とは違う道だな……」
少し距離を置いて座る従者が、静かに答える。
「山側は危険ですので」
従者は決意を新たにしていた。
今朝のような危機的状況(遅刻寸前)であっても、もう菰野様をあの山には……。
菰野様のお母様を奪った山には近付かせまい、と。

「……そうか」
菰野はそんな従者の決意を背に、言葉を飲み込む。
あの山に何かがいたかも知れないなんて、この心配性の従者に言えば、余計に心配をかけてしまうだろう。
今日の事は黙っておこうと、菰野は決めて口をつぐんだ。

---------

一方、山ではフリーが、とうとう力尽きていた。
あまりの疲労に足がもつれて、その場に膝をつく。
日はもう、とっぷりと暮れようとしていた。
「見つからないねー……」
呟くリルに「う、うん……」とだけなんとか返事をしつつ、フリーは心で叫ぶ。
(いい加減諦めようよ!!!!)
弟は自分より小柄だったし、瞬発力も今ひとつだけれど、持久力だとか体力だけはとにかく無尽蔵にあると感じる。
鬼である父の血を濃く継いでいるからだろうか。
妖精に近いフリーには、到底付き合いきれそうになかった。
自分の浅はかさを呪いつつ、なんとか切り出す。
「……日も暮れるし……そろそろ帰ろう?」
声をかけられて振り返ったリルは、フリーが草の上に寝転んでいるのを見て理解する。
「うん、そうだね。フリーも限界みたいだし」
もう動けない……と半べその姉に、リルは手を差し伸べる。
「なんていうか……フリーって体力ないよね」
姉の両手を引っ張り上げて、なんとか立たせつつリルがこぼす。
「あんたがありすぎなの!!」
残り僅かな力を振り絞って、フリーは叫んだ。

----------

「譲原皇、菰野です。ただいま戻りました」
城では、謁見を許された少年が、従者と共に皇の前へと歩みを進めていた。
広々とした謁見の間の最奥に、皇はゆったりと座していた。
「おお、やっと戻ったか」
少年の姿を目にして口元を綻ばせる皇へ、菰野は体調を気遣う言葉をかける。
「お加減はいかがですか」
「今日はずいぶん良い」
どうやら、この国(藩)の主は病がちであるようだ。
「式典はどうであった?」
菰野は皇の前で膝を付いて礼の姿勢を取りながら答える。
「はい。つつがなく……」
「なんでも、遅刻寸前だったらしいが?」
皇に楽しげに突っ込まれ、菰野が狼狽える。
「ど、どうしてそれを……」
「いやはや、間に合ったから良かったようなものの。遅刻でもしようものなら、元服は来年までお預けになるところだったな」
皇の言葉にダラダラと冷や汗をかく菰野の後ろで、同様に膝を付いていた従者が深々と頭を下げる。
「申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりに……」
「いや、それはないな」
皇は気さくにパタパタと手を振りながら断言する。
「久居(ひさい)がいたからこそ遅刻”寸前”で済んだのだろう。なぁ?」
振られて、菰野が身を縮めながらも「うう……その通りです……」と同意する。
後ろでは「もったいないお言葉……」と従者が感動に震えていた。
久居と呼ばれた青年従者は、まだ十八歳ほどで、主人とそう変わらない歳だったが、皇からの信頼は厚いようだ。
皇は、そんな二人を眺めながら、懐かしそうに目を細める。
皇の眼裏には、まだ小さい頃の菰野と、その母であり自身の姉である加野(かの)の姿が鮮明に甦る。
姉はいつも優しく、聡明で、美しい人だった。
姉を失ってから、もう六年目にもなろうとしている事を、譲原はどこか信じられないような気持ちで受け止める。
(時が経つのは早いものだ……。一人息子の晴れ姿、姉上はさぞ見たかっただろうに……)

眼前では、久居に紋球の傾きを指摘された菰野が、直そうと悪戦苦闘している。
元服以降身につけることを許される家紋の球は、球状であるため、慣れるまでは家紋が傾かぬよう付けるのが難しい。
自分もしばらくは、上手く付けきれなかったなと思い返していると、自身によく似た菰野の栗色の瞳がこちらに気付いてふわりと微笑んだ。
「明日は母の墓参りに行こうと思っています」
菰野が同じく加野を思っている事を嬉しく思いながら、皇も微笑んで答えた。
「ああ、そうしてやってくれ」

一方で、謁見の間の外では、そんな会話を憎々しく思っている者がいた。
すらりとした体格の、二十歳を少し超えたくらいの青年が、これでもかと眉を顰めて呟く。
「父上……」
ぎりりと噛み締めた奥歯の音が、静かな廊下に小さく落とされる。
「何故……。何故この私より、菰野の謁見が先なのですか……」
どうやら、戻り次第通すように言われていた菰野達に、謁見の順序を越されてしまったようだ。
青年は燻んだ黒髪で目元を隠したまま、二人が出てくるまで、扉を強く強く睨んでいた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

リール・アドゥール (reel・adul) [鬼と妖精のハーフ]


フリーの双子の弟

14歳 6月25日生まれ 身長145cm 体重はかなり軽い

頭のてっぺんにちっちゃなツノ有り

種族の関係上、見た目は8~9歳程度


妖精ばかりの村でただ1人の鬼っ子。いわゆる虐められっ子。

幼い頃からずっと姉の後ろで守られてきた為、どうにも甘えた性格に。

泣き虫で、無邪気で純粋。良くも悪くも空気が読めない。


潜在能力は物凄いものの、まったく制御が出来ない(汗)

逆に言えば、今後一番成長していける子。


リールという名前は本編中では常にリルと略されている。

※久居・菰野はそれが略だということすら知らない

フリー・アドゥール(free・adul) [妖精と鬼のハーフ]


リルの双子の姉

14歳 6月25日生まれ 身長155cm 体重は普通 歳のわりに胸がある

背中にトンボのような羽と、頭に触角有り

こちらは14歳程度の外見


笑ったり泣いたり怒ったり、くるくる表情が変わる天真爛漫な女の子。

リルに比べるとずっと我慢強く、すぐに泣くタイプではないものの、

リルに比べて酷い目に遭いやすい。


普段はリルをからかったり虐めたり八つ当たりしてみたりと玩具にしているが、

いざというときには弟を守るべく必死になれる良いお姉さん。


背中に羽が生えているものの、退化していて飛ぶことは不可能。

材質的にはトンボの羽のような感じ。

爪のように毎日ちょっとずつ伸びるので、時々カットして長さや形を整える。

男性は小さめに、女性は大きく緩やかなカタチに整えるのが最近の流行。


触角はマナーとして一般的に接触禁止。


菰野 渡会 (こもの わたらい)


菰野が名で渡会が姓。姓は国(藩)名と同じ。

本編中には下の名前しか出ない

皇(藩主)の実姉の子

15歳 10月10日生まれ 身長160cm 体重は見た目より重い 童顔


生まれたときから城暮らし。

5歳の時に、海辺に落ちていた久居を拾って来る。


母親は菰野が10歳の時に死去。

その後は母の弟である譲原皇に温かく見守られ育つ。


立場上微妙なところにいるせいか、一人称が登場人物中誰より多く

私・僕・俺を器用に使い分ける。

久居 (ひさい)


苗字は記憶と共に喪失

18歳 5月生まれ(日は不明)身長165cm 体重は思ったより軽い

髪型のせいか態度からか、老けて見られる事が多い

8歳の冬、海辺に打ち上げられていたところを、菰野とその母に拾われて以降、菰野の傍を片時も離れず菰野の面倒をみながら育つ。

拾われる以前の記憶には部分的に抜けがある。

自分の存在意義を菰野に見出しており、菰野の為なら惜しみなく命も手放す。


過去のトラウマから、首元に触れられると意識を失う体質のため、真夏でも首元に布を巻いている。

幼少時から常に丁寧語で話す癖があり、咄嗟のときも、心の声も全て丁寧語。

葛原 渡会 (くずはら わたらい)


皇(藩主)と正妻との第一子

21歳 1月28日生まれ 身長165cm 体重は見た目よりずっと軽い


正統な皇位継承者。


父以外に愛情を注いでくれる対象を持たず、よって菰野が羨ましくてしょうがない人。

生まれたときから母親には邪険にされている。

譲原 渡会 (ゆずはら わたらい) 


皇(藩主)亡き姉の忘れ形見である菰野を、とても大事にしている。


姉が面倒を見ていた久居を引き取り、居場所と地位を与え、あれこれと教育を施す。

それに対し、久居は恩を一生尽くす事で返すつもりでいる。

そんな久居を譲原も信頼している。

加野 渡会 (かの わたらい) 


皇の実姉、一人息子の菰野をなにより大事にしていた。


菰野が拾ってきた久居の世話を焼き、居場所と仕事を与える。

その事を久居もとても感謝しており、恩を一生尽くす事で返すつもりでいる。

そんな久居を加野も、とても信頼していた。

リリー・アドゥール (lily・adul) {妖精}


リルとフリーの母親


妖精の村を隠す為、山にぐるりと張られた結界の管理者。

彼女にしか出来ない仕事というのが多く、案外多忙。

結界を扱うその能力は群を抜いている。


村長の娘ではあるが、妖精以外の種族との子を産んでしまったため、村から離れた結界ギリギリの場所に、ポツンと家を建てて家族3人で暮らしている。

子供達の安全の為、夫とは別居しているものの、夫婦仲はすこぶる良好。

葵 (あおい)


国(藩)に仕える盲目の隠密 女性 24歳


先に重りをつけた鎖を武器として用いている。

隠密としては優秀な類で、里の代表として国(藩)に仕えている。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み