聖書囮化作戦立案

文字数 4,947文字

 レギオンの基本訓練の一部を終えた一行は、自分らの存在が魔物や近隣住民に暴露しないように、居場所を変えるべく再移動を開始した。
 トラクターカーゴは多脚歩行システムであるために道を選ばない。
 平坦地では車輪と履帯によって走破し、それ以外の険阻な場所は多脚歩行システムに切り替えて、文字通り道なき道を乗り越えていく。そこに地面がありさえすれば、どんな場所でも移動できるのが強みだ。そもそも古代のパレスチナの地に道というものはほとんどなく、あったとしても獣と人が兼用するただの路だ。山間部に至ってはもはや人跡未踏である。
 トラクターカーゴが通った痕跡を残さないために、UAV(無人航空機)が後方から併進し、バキュームで吸い上げた土や埃を上から散布してそれを隠蔽する。
 こうしてしばらくは順調に平坦な道を自動運転で進んでいたトラクターカーゴだが、突如強烈な横風が発生し、緊急アラームを警報し、停車した。
 ボーは慌てて簡易椅子から立ち上がり、背を伸ばして窓の外をにらんだ。

「今日はいつもより特に風が強いな。どうしたんだ」
「私も今まで見たことがありません。ただ、分析に結果によると危険性はあまりないようです」

 どんよりと曇った空は、強烈な風によって徐々に地平線との境界を覆い隠し、辺り一面が瞬く間に灰色一色に染まっていった。

「なんだか、嫌な雰囲気だ」
「この地域ではあまり見られる光景ではありませんが、特に珍しい気象現象ではないはずです」
「それならいいけどな」
「何か気になりますか?ご主人様」
「いや、魔物がこちらの様子をうかがっているようにも感じられなくもない」
「確かに、雰囲気的にはそういう感じですが、でもそれは考えすぎです。まだ緒戦にも至ってないので緊張なさるのはわかりますが」

 ボーは、ネフシュの言葉に幾分落ち着いたのか、椅子に着座しなおすと、今後の作戦についてネフシュに相談を始めた。

「とりあえず強風が収まって視界が回復するまで、ここで一時停車しよう。その間、簡単な作戦について打ち合わせしておきたい」
「わかりました。その前に何か飲み物でもご用意しますか」
「そうだな、今日の分のボトル紅茶と森永の塩キャラメル、それと栄光堂のゼリコ二つを出してもらえるかな」
「かしこまりました」

 ボーは、メモ用の生徒手帳と時空転送された幼馴染の聖書を取りに個室へと戻っていった。その間に、ネフシュは手慣れた様子で即座にボトル紅茶を開封加熱した後、ティーカップと茶請けの小皿を整えた。

「ご主人様、用意できました。こちらへどうぞ」
 
 ボーは個室から用具を携えて戻ってきて簡易テーブルにつこうとしたとき並べられたカップに目が留まった。

「カップが二つもあるが?ネフシュたんも飲むのか?」
「はい、今日は私もいただこうかと思いまして」
「機械でも飲食するんだっけか?」
「いえ、さすがに食はいたしませんが、飲なら必要に応じて行うこともできるのです」
「今日は紅茶を飲みたい気分なのか」
「そういうときもありますが、今日の理由は二つです」
「理由が二つもあるのか」
「まず一つ目は、私のボディ冷却は人工皮膚からの放熱と、循環冷却液によって行われています。この循環冷却液の補充です」
「なるほどな、でもそれなら何も紅茶のような不純物が入ったものより単なる水の方がいいんじゃないのか?」
「はい、水の方が適していますが、水はここでは貴重品です。水以外の液体でもフィルター機能があるので紅茶でも問題はありません。そしてこれが理由の二つ目になりますが、ご主人様にお付き合いしたいという気持ちから紅茶を飲もうと思ったのです」
「そうか、気遣いありがとうな。確かに一人だけってのは味気ない。だが、僕はそういうのには慣れてるよ。むしろぼっちが気が楽でいいくらいだ」
「それなら、ご一緒しない方がよろしいでしょうか」
「いやいや、そうじゃない、ネフシュたんの気遣いとは別のことさ。冷めないうちに飲もう」
「いただきます、ご主人様」

 ボトル紅茶の単純な味わいが舌にしみわたるわずかの間に、ボーはおぼろげに考えた。

 相手の気持ちになって行動決定するという処理プロセスには、いったいどのような変数がどれだけ定義され、最終的に合理的判断として出力されるのだろうか、いやそもそも相手の気持ちに立つというような曖昧で不確定な処理が合理的判断にいったいどれほど寄与するものだろうか。人間でさえ、脳が直接処理をしなければならないハードな処理だというのに……。
 しかし、考えた込んだところで今の状況には、それこそ何も寄与しない。
最初の一杯目を飲み終えたとき、ボーは話題について切り出した。

「この聖書を使った囮作戦で、思惑通り魔物は、のこのこと僕らの前に姿を現すだろうか」
「それは何とも言えません。というのも、この時代、つまり紀元65年には新約聖書はまだ成立していないのです。
「どういうことなんだ?」
「諸説ありますが、新約聖書に収められることになる27の文書は、紀元200年あたりまでには全て出揃います。そこでようやく今日見るような聖書の基本が出来上がるわけです。
一方、旧約聖書は39の書物からなっていて、最も古い時期のもので紀元前800年くらい前、おおよそ紀元前200年くらいまでにまとめられたと言われています」
「なるほど、それで?」
「旧約聖書に比べると、新約聖書は、成立までの時間は短いと言えますが、これだけの書物が突然に出来上がったのではありません。ですから、聖書イコール手紙ではないのです。魔物がこの聖書を見つけたところで、聖なる書物だとは思わないかもしれません。それに当時の手紙は羊皮紙を使っていますが、この聖書は印刷された漂白紙です。直筆の持つ聖なる権威はないでしょう。むしろ魔物は偽物かと思うかもしれません」
「おいおい、話が違うじゃないか。お前さんが、囮に使えるって言ったから時空転送してもらったんだろう?」

「ご主人様、話は最後まで聞いてください。確かにこの聖書自体はヘブライ人への手紙の代用としての囮にはなり得ません。しかし、この持ち主の切なる神への祈りと信頼、希望、愛といった強い信仰心が、この聖書から認められます。
魔物は、こうした聖なるものを破壊するのが習性ですから、きっと必ずこの聖書の持つ神への信仰心に魔物は引き寄せられます」

 ボーはネフシュの話を聞きながら、幼馴染の聖書に視線を移した。古びた表紙、彼女が引いた線、すり減った角、色褪せた聖書カバー。その様子を改めてみてみると、この聖書のやつれ具合は単なる経年劣化だけではなく幼馴染が最初の持ち主ではないことを物語っていることに、ここにきてようやくボーは気が付いた。
 この聖書は、幼馴染の母親あるいは祖母以前から受け継いだのかもしれないのだ。
 
「わかった、仮に囮として有効だとしよう。では具体的にどういう風にこの聖書で罠を仕掛けるかだ」
「ご主人様には何かすでに作戦でも?」
「まず、魔物自体の情報が少なすぎる現状では、手紙を持った使者の護衛戦闘が最初の会敵機会ということはあり得ない」
「おっしゃる通りです」
「よって、魔物の会敵は数段階を経ることが必要になってくる。そのためには、UAVで哨戒し、まずは魔物の行動を把握することが先決だ」
「UAVの作戦行動範囲は100㎞以上ありますので哨戒は十分に可能です」
「魔物の正体を把握したうえで、トラップを仕掛ける。正攻法だが、聖書を目立つように山岳の突端辺りに設置して、その周囲に地雷を埋設、行き場をなくしたところを、レギオンで包囲攻撃し、魔物の動きを封じたところで遠距離から急所を狙撃する、という作戦はどうだ?」
「さすが、オンゲのシューターですね。まずはそれが一番の方法かと思います。待ち伏せしながら、こちらが有利な場所へ相手を引き込んで、一方的に攻撃を加えるのは、狙撃の基本です」
「だがそう単純にうまくいくか、だな」
「やってみないとわかりません」
「それと、いつどこでヘブル人への手紙を持った使者が、この付近を通るかだ」
「それは作戦上、大変重要なポイントです」
「場合によっては、近隣の都市まで行って、二人で現地民の格好しながら情報取集する必要も出てくるだろう」
「その覚悟はできております」
「現地民といっても、見慣れない我々の姿を見れば、こちらを警戒するだろうし、余計な騒ぎを立てれば魔物にも感づかれてしまう。それに、ローマ軍の駐屯部隊に報告されでもしたら、さらにことは厄介になる」
「できるだけ隠密行動が基本ですね」

「だが、ネフシュたん。ここで、ふと全く別の疑問が生じてきたんだが……」
「何でしょうか?」
「今こうしてヘブル人への手紙を護ろうとしているが、実際に、この聖書の中に、その手紙が編纂されているよな」
「されていますね」
「ということは、僕あるいは他の誰かが護り抜いた、っていうことじゃないのか?」
「確かに。そのような疑問を抱くのは当然です。いわゆるドラえもんのパラドックスですね」
「もしかすると……」

 ネフシュは、そっと片手を膝の上からあげて優しくボーの言葉を遮った。
「ご主人様の言いたいことはわかります」
「ほんとにわかるのか?」
「実はもう一万回くらい同じミッションを繰り返しているんじゃないかとか、多意識解釈的宇宙の中にいるんじゃないかとか、お考えなのでしょう?」
「さすがだな。まぁ、そのとおりだ」
「ご心配なく。我々には実際にどうなっているかは認識できませんから」
「どういうことだ?」
「客観的な事実の中に私たちがいるのではなく、私たちの実存が実在に常に先行します。
ただし、その状態を観測して時間表現することや事象変換することはできません」
「ネフシュたん、悪いが日本語で説明してくれ」

 ネフシュは、姿勢を正し、言い諭すようにボーの要請に応えた。
「ご主人様は、この聖書を無事に幼馴染の方へ返したいのですね?」
「そうだ」
「そのためになすべきことは?」
「このミッションの完遂だ」
「そのとおりです。そしてそれだけが、私たちが知ること、出来ることの全てです」
「まるで禅問答だな。こんな調子が続くと、さすがに読者も、いよいよこの作品に興味なくしやしないか?」
「ご主人様、何かがうまくいっているときに、この世界は本当に存在するのか、とか、実はシミュレーション宇宙じゃないか、とかお考えになりますか?」
「まぁ、あまり考えないな」
「宇宙の存在に懐疑的になる気持ちの動機は現実逃避から由来するものです」
「おいおい、いきなり何を言い出すよ」
「宇宙創造のことをお知りになりたければ旧約聖書の創世記をご覧になってください」
「いや別に現実逃避なんかしてないし、してたらこんなところにくるわけない。僕は単に、この聖書に実際にヘブル人への手紙があるのは、今回のミッションの結果と、どういう風に関係しているんだという、疑問を抱いただけなんだが……」
「ご主人様、いざとなったら私が盾となってでも必ずご主人様をお守りいたします」
「突然、どうしたんだ。しかも、その初期設定の声でそんなセリフ言われるとシャレにならないんだが……」
「ところでご主人様、すでにボトル紅茶は冷めきってしまっております。まだ燃料は充分にありますので、温めなおしてきましょうか」
「じゃあ、手間をかけるが、そうしてくれ」

 ネフシュの後ろ姿を目線で見送りながらボーは、ゼリコを口に含んだ。
 そして独特の淡い甘みが口に広がっていく中、そっとボーはつぶやいた。
「に、逃げちゃだめだ……逃げてるつもりなんかないけど」

 二人がそういうしているうち、いつの間にか窓からは日差しが差し込んでいた。さっきまで続いていた、纏わりついてくるような強風と気が重くなるような灰色の空は地平から一掃され、辺りは一面青空に様変わりしていた。
 まるで、二人の会話を聞き終えたら、そそくさと立ち去さっていくかのように……
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登場人物紹介

高校浪人生ボー:


 本名は不明。ボーという名前はあくまで他人がつけたハンドルネーム。変調速度の単位であるbaudの意味なのか、日本語の某の意味なのかは定かではない。

 学力は並みスレスレ。基礎体力はあるが運動音痴。コミュ障成分配合済み。シューティングゲームが趣味。

 幼い頃にプロテスタント教会の日曜学校に通っていたので聖書は所有しているが、熱心な信仰者というわけではない。よって、幼児洗礼も受けていなければ、クリスチャンネームもない。基本善人ではあるが、世渡り下手なのでいまいち凡人の域を出ない。


幼馴染:


 ボーと同じ教会の日曜学校に通っていた女の子。母親を亡くした悲しみを乗り越え、素直に聖書の御言葉を覚えるという幼いながらも信仰心溢れる子供だった。

 長じては洗礼を受けてキリスト者になったであろうと思われるが、小学生の頃にボーと疎遠になってしまったために、現在の居場所や状況はボーは知る由もなかった。

 


リバイア:


 探しモノをお手伝いするという部活動を主催する素性不明、目的不明の人物。外見は女子高生の姉妹風だが、本当に人間かどうかもわからない。しかし、題名に名前が入っていることからも重要人物と思われる。


レビア:


 探しモノをお手伝いするという部活動を主催する素性不明、目的不明の人物。外見は女子高生の姉妹風だが、本当に人間かどうかもわからない。リバイアの助手として活動している。

ネフシュ:


 リバイアとレビアの部に所属する美少女型AI。ボーの助手として彼に随伴することが任務。ボーのことをご主人様と呼び、ボーに自分のことをネフシュたんと呼ばせるように初期設定されている。

題名に名前が入っていることからも重要人物と思われるが、詳細不明。

作戦地域:


 紀元65年パレスチナ地方の荒野。本作品の舞台となる場所である。

地中海性気候と砂漠性気候の中間の地域にある。

 周囲のほとんどは草木の少ない荒野が一帯を覆い、日中温度は太陽が昇るとともに上昇し、太陽が沈んだ夜はとても冷える。

ギリースーツと狙撃銃:


 ボーが、作戦行動中に装着するカモフラージュのため戦闘服の一種。

擬装用の岩で覆われているため、目視での発見は困難である。

耐火性に優れているが、構造上、廃熱処理に限界があるので、中はかなり暑く長時間装着することは困難である。

 狙撃銃は、旧日本陸軍が対戦車ライフルとして開発した九七式自動砲を現代仕様に改造したものである。スコープもトリジコン社のものをベースにしたカスタム仕様である。


トラクターカーゴ:


 小さな岩山に偽装された移動デポ。不整地走行ができるように車輪の代わりに多脚歩行システムを採用している。

 本体内には補給物資、居住区、武器庫、レギオンのメンテナンス設備などが備えられている。

随伴機動歩兵レギオン:


 人工知能で駆動する自律型戦闘マシン。

索敵、威力偵察、支援や援護などの用途で運用する。

 今回の作戦では6体で分隊を編成し作戦行動を行う。

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