出会い系呑みサーへの勧誘
文字数 4,215文字
幼馴染の通うミッション系大学のキャンパスには、今様姿の学生が数多く行き交っていた。ミッション系ではあったが、他の一般大学と外見上の大きな違いは特にない。
あるとするなら、小高い丘の上に設置された2階建ての比較的大きなチャペルがあることくらいだ。
1階と2階を合わせて300人以上を収容できたが、このチャペルの席が全部埋まるのは、式場としてブライダル会社に貸し出した結婚式のときだけだ。普段の日は、閉じられた入口はほぼそのまま、人がいるのは、通常礼拝の短い時間の間か、特別行事の時くらいである。大学礼拝の出席は単位認定とは関係なく任意であるため、祈りの時を持つために訪れる学生などはほぼ皆無であった。ただ一人、幼馴染を除いては。
幼馴染はいつものように、デボーションを行うため一人このチャペルに立ち寄った。そして、誰もいないチャペルの奥へと慣れた足取りでゆっくりと進み、ぽつんと置かれたニレの木で作られた地味で古めかしいクロスバックのチャーチチェアに深々と座った。
彼女はチャペルの隅に不用品同然に放置されていたこの椅子がお気に入りだった。長時間座っても疲れないように工夫されていたからだ。椅子の座面が臀部の形に浅くえぐって丁寧に加工されているため、座り心地がよかったのだ。そして、背もたれに十字架の意匠が施されており、これもお気に入りの理由だった。
だが、この椅子が実は由緒ある高価なアンティーク家具であることは、彼女も気が付くことはなかった。もちろん彼女だけでなく他の学生やチャペルの管理者も同様だった。
幼馴染は椅子に着座すると、いつものように手縫いの自作カバーで覆われた聖書を取り出した。そして今日の聖句を聖書から見出し、主への祈りを捧げた。
物心ついた時からずっと続く主への祈りは、彼女にとっては呼吸や鼓動も同然のことであり、主にあるその日一日を感謝する大切なひと時であった。
幼馴染は全ての祈りを捧げ、最後の言葉を言い終わった。
「この祈りを主の御名を通し、捧げ申し上げます。アーメン」
「アーメン」
すると、唐突にどこからか同じタイミングでアーメンと発した声が聞こえてきた。
幼馴染は意外な声に驚き、恐れを抱きながらも、その声の主を確認するため、幼馴染は入口の方へと咄嗟に振りかえった。するとそこには、今時の女子大生コーデランクレべル2で固めた先輩が立っていた。
「こんにちは。また会ったね」
「あ……この間はどうも有難うございます」
幼馴染は、見たことのある顔に一気に安堵した。
「憶えててくれたの?嬉しいわ」
「おかげでちゃんと履修登録できました」
「それはよかったわ」
「先輩もお祈りに来たんですか?」
「まさかぁ。あなたの姿が見えたから、ちょっと立ち寄っただけ」
「あ、そうだったんですか」
「あなた、時間あるかしら。あなたとちょっとお話がしたいの」
「はい。次の授業は5コマからなので、それまでなら」
「じゃ、礼拝堂で話もなんだから、カフェテリアいこっか」
二人は都内の大学としては比較的緑の多いキャンパス内の街路を散歩がてら雑談しながらゆっくり歩いた。
5分ほど歩いた先にカフェテリアのテラスが見えてきた。そのカフェテリアは、大学が外部業者に委託して運営しているもので、外観は南欧風スタイルで、メニューはシアトルスタイルだった。
共学とは言え、女子学生数の方が多いこの大学では、学生の福利厚生施設は全てこういう調子のお洒落な外観で統一されていた。
午後の授業が始まったばかりだったので、店内の席はまばらで二人が座るには十分に空いていた。日当たりと風通しのよさそうな場所を先輩が選んで二人が着座したのち、携帯電話からドリンクの注文をした。決済は全て大学独自の仮想通貨による電子決済だ。すると、二人分のドリンクが給仕ロボットによって丁寧に運ばれてきた。
二人は、ドリンクを手に取ると、さっきまでの会話を続きを始めた。
「こっちも短期大学部みたいに担任制にしとけばいいのにね、4年制の方は、まるで放任じゃん。だから、履修方法なんか先輩とか知っている人に聞かないと最初は絶対わからないでしょ」
「はい、そのとおりです。3年生になってもまだよくわからない事ばかりです」
「あとキリ教関係は4年になっても全部必修単位だから忘れないでね」
「はい、ちゃんとメモしています」
「ところで、あなたって指定校推薦だっけ?」
「いえ、違います」
「まさかの一般なの」
「はい、一般選抜試験です」
「はあ、よく大学全入時代にお勉強なんかやるわね。こういう大学はね、受験勉強なんかして入る大学なんかじゃないの。確かに偏差値高いし有名だけど、地頭いいなら、ちゃんと5教科勉強して国公立受けときなよ」
「え、でも……」
「もしかして、まじクリなの?」
「は、はい」
「地方の人だっけ?」
「そうです」
「珍しいわね。そりゃミッション系なんだから、まじクリいたって当たり前なんだけどさ」
先輩は次の話を切り出す用意を整えるために、ソイラテを傍らに置きなおした。
「それよりもさ、この間のお話、考えといてくれた?」
「この間の話?」
「サークル入会の話よ。忘れたの」
「あ、はい……おぼえています」
「なに、その生返事」
「断る理由はありませんが、だからと言って特に入りたいわけでもないんです」
「最初はみんなそう言うわ。わかった。もう正直に言っちゃう。
声かけたのはね、あなたが履修で困っていたからじゃなくて、ちょっと可愛かったから」
「え?」
「おっと、勘違いしないで。私、百合ちゃんじゃないから。可愛い子集めるのが私の役目なんだ」
「役目……ですか?」
「そ、かわいい子が多いサークルにはさ、リア充系のかっこいいイケメン君とか、頼りがいのあるダンとか、血統のいい坊ちゃんたちが集まってくるのよ。そういう男連中はさ、機転が利いて頭いいからさ、就職先も総合商社系とか金融系とか大手企業なわけ。ここまでの話分かる?」
「はい、話だけなら」
「じゃあ、続けるわよ。で、重要なのはサークルの男子じゃないの。彼らのOBとそのコネなの。
OBはさ、リクルート活動っていう名目で可愛い女子目当てに、毎回飲みイベにやってくるわけよ」
「はい」
「で、自分でイケてるって思ってる女子はさ、それに群がってくるわけ。うまくすれば、コネで最終面までエスカレータかもしんないし、それがダメでも他のいいトコ紹介してくれるかもしんないし。お互いウインウインというわけなの。ここまで大丈夫?」
「はい」
「まあ、要は単なる出会い系呑みサーなんだけど、女子から見れば白馬の王子様を射止める射撃場なのよ。どう、他にこんなサークルあんまりないわよ」
「でも、私にはとても……」
「最近流行りの見た目はね、ちょっと大人しめとか、オタ女風がもてんのよ。
いかにも、さかついてます、ってのは意外にもてないんだわ。もちろんそういうのが好きっていうダンもいるけどね」
「私は、そういう方達とのお付き合いは遠慮したいと思います」
「安心して。一応ね、枕だけは絶対にしない、させないって不文律はあるわ。でもあくまで不文律だから、お互いがホントに好きになれば、そこから先は自由恋愛だから、サークル活動とは一切関係なし」
「でも……」
「大丈夫。あなたのことは絶対に私が守ってあげるからサークルの花になってよ。まずは可愛い子がたくさんいないことには何もはじめられないの。
飲み会にだけ出てきてくれればいいから。もちろんあなたの会費は部費持ちよ。お願いだから!」
「もう少し考えさせてください」
「あなた、まじクリだから、こういうの気に入らないかもしれないけど、女も男もどうせ老いぼれていつかは死ぬんだから、女が一番高値なときに、それを武器にいい目をみようと思うのは当たり前のことよ。しおれた花なんて誰も飾ってくれないんだから」
「そんなにサークルに入らなければ駄目ですか?」
「ダメってことはないけどね。でも強制はできないわね。どうして嫌なら私も勧誘諦めるけど、絶対に損しないわよ。あなたにもメリット必ずあるから」
「でも……やっぱり今すぐにはお答えできません」
「わかったわ。ところでね、私ね、信者じゃないけど、キリ教のアクセサリーはつけてるんだ。これ見てよ」
「イクトゥスの首飾りですね」
「お、さすが知ってるね」
「有名な形ですから」
「やっぱさ、いざとなったら神様に助けてもらいたいじゃん。ずるいよね」
「私は、ずるくないと思いますよ」
「私のこと現実的で嫌な女って思ってる?」
「いえ、そんなことは」
「いや、そんなことないない。自分でもこんな人間嫌だと思ってるくらいなんだもん。
「そんな……」
「それじゃあさ、嫌じゃなくても、好きになれないでしょ」
「まだ初対面みたいなものですし、好きとか嫌いとかなんて……」
「でもね、もうしょうがないの。これが本音なんだもん。やっぱり人よりいい目みたいし、綺麗とかカッコいいとかがいいもん。
実際、私これで結構もててるし。嫉妬で陰口言う人いるけど、誰にも迷惑かけてないんだよ」
「……」
「私ね、あなたのこと気に入ってるの。なんでかはわからないけど、ついこんなに喋っちゃった。どうしても嫌ならサークル入んなくてもいいから、せめてお友達になろうよ」
先輩が話を言い切ったタイミングで4コマ目の授業が終了し、講義室から出てきた学生がわらわらとカフェテリアに集まってきた。さっきまで空いていた席はすぐに埋まり、座っていた他の学生は、次の授業のために離席を始めた。
「5コマ目の現代聖書学Bの時間ね。じゃあ、またね」
「話の途中ですみませんが、失礼します」
「いいよ、気にしないで」
先輩は、立ち去る幼馴染の後ろ姿を目線で追った後、携帯電話を取り出してSNSに何やらメッセを書き込みながら、飲み残したソイラテをストローですすりこんだ。
そして、メッセを送信した後、先輩はそっとうつ伏せになり、しばしの仮眠をとった。