一所懸命ミッションブリーフィング
文字数 3,631文字
「しかしまあ、とんでもないミッションだなこりゃ……」
ボーは狭いカーゴの中でうろうろと落ち着かない素振りで、そうつぶやいた。
「ご主人様、ミッションブリーフィングはもう私が何度も説明したでしょう?」
「ああ、もう何回も聞いたよ。でも内容のことに疑問があるんじゃない、ミッション自体の意味に疑問があるんだ」
「それなら、また質問してください。なんでもお答えします。オフラインでも膨大な情報がローカルメモリに入っていますから」
オフライン、彼はこのキーワードに反応せざるを得なかった。そう、ここは時代も場所も遠く現代日本から離れている。通信手段は時空転送のみ、それも基本受信だけときている。 心許無い気持ちを抑えて彼は会話を続けた。
「だったらもう少し娯楽情報も入れとけな」
「まあ、それはリバイアさんに言っておきます」
「で、手紙とか何とかを守るってこと自体はわかるよ。でも、お宝でもなんでもなくてただの手紙だろ?しかも、それを魔物が奪い去るとかさ。魔物が奪うのは賢者の石とか伝説の剣とか、そういうのが相場だろ。出来の悪いクソゲーのユーザーミッションでもそういう設定は見たことないね」
イラついた調子でネフシュに話しかけながら、ボーはそのままソファー代わりの簡易ベッドに腰かけた。
「ご主人様、聖書はご存じてしたよね?」
「存在と名前くらいはな。これでも教会学校で一番物覚えがよかったんだ。今日の御言葉なんかをすらすらそらんじることができた」
「今ではどうですか?」
「……今はもうすっかり忘れてしまったな」
ボーは、かつての思い出が頭に浮かんだのか、目線を落とし、自分の手元を見つめながらネフシュに応えた。そのボーの姿を見て取ったネフシュは次の質問を繰り出した。
「キリスト教の聖書は新約聖書と旧約聖書の二つで成立していることは?」
「教会学校で聞かされたことはあるけど、教義的な違いはよくわからんな。どっちも経典みたいなものなんだろ?」
「ちょっと違いますね。特に新約聖書は」
「何が違うんだっけ?」
ボーは自分の手元の視線を戻し、ネフシュの方を見た。
「主イエス・キリストの十字架の血潮を信じることにより、義認のしるしが割礼から聖霊になり、神から相続される地が地上の国から神の国へと変わったのです。つまり旧い契約から新しい契約になることにより、目に見える物質的なものから、より霊的なものへと変わったのです」
「ふーん、なるほど、よくわからん……」
再びボーは、自分の目線を手元に戻した。しかし、ネフシュは話を続けた。
「そのような新約聖書の中身は、有名な4つの福音書だけでなくイエスキリストの使徒達や その同伴者による手紙で構成されています。そして27の書物で構成されている新約聖書には、主イエス・キリストの使徒パウロの手紙として13の書簡が収められています」
「そういえば、ナントカの手紙って箇所がたくさんあったな。なぜ手紙がそんなに大切なのかと思っていたら、新約聖書自体がそういうものだったってことか」
「つまり、使徒パウロの手紙は人類の宝だということです」
「なるほど、ただの手紙じゃないってことか。で、今回のミッション、ヘブル人への手紙ってのも、パウロが書いた手紙なのか?」
ようやくボーは目線をネフシュに戻し、積極的にネフシュに問うた。
「いえ、その手紙は著者不明とされています」
「著者不明?」
「紀元65年頃にイスラエル近辺にあった教会に宛てたものだろうということだけは分かっていますが、具体的にいつ誰がどこに宛てて書いたものなのかについては不詳なのです」
「そんな得体のしれない手紙がそんなに重要なのか」
「はい、キリスト教の歴史がそのことを物語っています」
「そう言われると何も言い返せないな。世界史も不得意なんだよな。暗記科目だってのに」
ボーはそのまま簡易ベッドに寝そべった。
ネフシュはボーの態度を意に介さず、さらに説明を続けた。
「もし手紙を携えた使者がエルサレムに向かうとするなら、きっとこの峠を通ることになるでしょう。魔物がそれを狙って出てくるのをここでじっと待ち伏せし、遠距離から狙撃する、ということが今回の作戦の目的です」
ボーは寝返りを打ちながら質問を続けた。
「魔物はなぜそうしてまで手紙を奪うのかというと、新約聖書の成立を邪魔したいとか、キリスト教が広まっていくのを阻止したいってことなんだな?」
「魔物側の真意はわかりませんが、今までの行動から言えば、そういうことになるでしょう」
「神の御心を悪魔サイドが邪魔するっていう、よくあるパターンな」
「ざっくり簡単に言えばそういうことです」
ボーは簡易ベッドに寝そべったまま、宙を見ながらネフシュにさらに問うた。
「魔物を倒すのと手紙を護るのはどちらが優先なんだ」
「もちろん手紙を護ることです。手紙が無事に宛先へ届けばそれでいいのです」
「それなら、ドローンなんかで空輸したら問題ないだろ」
「歴史に過度に干渉することは許されないことです。タイムパトロールぼんにもそう書いてあったでしょう?」
「藤子・F・不二雄作品はあまり読まないんで、そのあたりよく知らんのだよな」
ボーは苦笑いをしながら、自嘲的に応えた。しかし、ネフシュの表情は幾分真剣気味で、しっかりとボーの眼を見ながら話をつづけた。
「それに、結果的に手紙だけが無事に宛先へ届けられるということは多分あり得ないでしょう。魔物を倒すことがすなわち手紙が無事に届けられることと同じとお考え下さい」
「魔物ってやつはそこまで使徒の手紙が聖書として収録されるのを阻止したいわけだな」
「新約聖書のうち、1番最初に書かれたものがヤコブの手紙と言われており、紀元45から50年頃とされています。27番目で最後となるヨハネの黙示録は紀元95年頃です。
「今回のヘブル人への手紙は何番目なんだ?」
「だいたい20番目くらいです」
「まあ、後ろの方だな。ということは、魔物サイドも、焦り始めているってことか」
「そういうことです」
「そうか……やはりこの手で立ち向かうしかないのか」
ボーは、寝そべった姿勢のままカーゴの小さな窓から外の広い景色に視線を移し眺めながらつぶやくように言った。
「覚悟をお決めになってください、ご主人様。他にご質問はありますか?」
ボーは、寝そべった姿勢からいきなり起き上がり、その勢いに加勢されたかのように、積極的にネフシュに真剣に問うた。
「それならもう一つ、一応聞いておきたいことがある」
「何なりと」
「そもそも一体あの二人は何者なんだ?正体は何で、何が目的なんだ?」
「……申し訳ございません。その質問にはまだ答えられません」
ボーはネフシュの目の周囲が一瞬オレンジに光ったのを見逃さなかった。
「まあ、いいだろう。今、お前さんから聞き出すのは無理なことだろうよ」
多分、秘匿すべき重要情報の類の場合、オーナープログラムが優先タスクで処理されるのだろうとボーは納得した。
「とりあえず、ミッションクリアしないことにはこの状況を抜け出せないのはわかってる。そのためにはお互いが協力していかねばならない」
「そうですね」
「よろしく頼むな」
「わかりました」
とりあえず心が落ち着いたボーは、いつもより早めの時間で就寝した。細いキャンバスとパイプで作られた固い簡易ベッドの寝心地は決してよいとは言えなかったが、壁一つ向こうは、カーゴの中の現代文明とは隔絶した世界だということを考えると、安手の毛布もこの上なく心地よい繭のようにボーは感じていた。それほどまでにボーにとっての古代の世界は何もかもが違っていたのだった。
そして枕の上で寝返りを打ちながら、ボーは昔の記憶を手繰り寄せていた。
ヘブル人への手紙……。そういえば幼馴染の彼女が好きだった聖句はこの箇所にあったかもしれない、それならば、この作戦は自分にとっても意味があるものかもしれない。
そう思いながら、ボーの意識と疲れた体はゆっくりと弛緩しながら安堵の領域へと誘われていった。
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その頃、リバイアとレビアは部室の一角に設置した時空間位相モニタでボーらの状況をじっと観察し続けていた。
「今のところどんな感じかしら?」
「うまくやっているようでつよ」
「体調とか生理反応はどう?」
「バイタルサインは今のところ正常値でつ」
「精神状態は?」
「ネフシュからの送信情報はまだ届いてないでつが、泣きわめくでもなく淡々と落ち着いてやっているみたいでつね。モニタを見る限りでは」
「そう、やはり見込んだだけはあったかしらね……」
そうつぶやくと、リバイアはカップに残った残りのオリーブ茶を一気に飲み干した。