思い出の日曜学校の日々
文字数 5,050文字
その日の任務を終え、部屋に戻って照明を最低照度で点灯する。そして長めのシャワーを浴びた後、ネフシュたんが準備してくれた夕食を摂り、食後のデザートを食べる。
ここでの生活に馴染んだ僕にとってこの瞬間が一日のうちで一番心安らぐときだ。
AIアンドロイドとはいえ、可愛い女の子が傍らについて給仕をしてくれる。いや、AIだからこそ心落ち着くのかもしれない。彼女の前だと、キョドることもなければ、視線を落とす必要も早口でしゃべる必要もない。
よくよく考えたら、ここは快適だ。日中は過酷な任務だが、衣食住は用意され、大好きなシュートは実銃を使って思う存分実弾で連射できる。
最先端の兵器を何台も引き連れて思いのまま命令を下すことができるし、燃料がある限り自由自在に好きなところに行ける。
なんといっても、ここには、他人もいなければ宿題なんかもない。進路検討するより聖書を読むのがまだましだ。
ボーは、独り言の連鎖が始まってから、ふと妄想染じみたことを考えてみた。
このリスポーンは何回目だろう。もしかすると、僕はもう300年間くらい戦い続けている無名戦士の一人なのかもしれない。ならば、もうこのままでもいいんじゃないか、エアコンがあって任務がなければ、この場所こそある意味天国じゃないか、と……。
そんな中二病患者が考えそうなことを、高三留坊が妄想しながら、二杯目の粉末紅茶を飲み干したとき、ネフシュたんがキッチンから部屋に戻ってきた。
今日のネフシュたんの恰好は、水色のワンピースだ。人工パーツとは言え、ほっそりとしたウエストに、ほどよく肉付いてスラリと伸びた脚は、ミニ丈によく似あっている。上京した時にビッグサイトに立ち寄って見たワンフェスの等身大フィギュアよりも出来栄えがよくて精巧だ。何と言ってもネフシュたんは、動いて考えて喋るのだ。人形ではない。もはや人と言っても差し支えないのだ。
そして、ネフシュたんには人のような寿命がない。メンテナンスさえしっかりしていれば、物理的にはいつまでもその意識を保ち続けるのだ。
けれども、これを永遠の命と言っても差し支えないのだろうか?今の僕には、そのことはまだ理解できない。
おや?よく見ると、ネフシュたんの今日の髪型は少し違うな。頭の後ろで髪の毛を二つに束ねている。髪の結び目が耳より上だが、髪の束が肩より上にあるのはピッグテールって言うんだっけな。
ボーがネフシュの外観をまじまじ観察している間に、ネフシュは簡易テーブルに座り、姿勢を整えながら、ボーに真顔で語り掛けてきた。
「そろそろお休みになりますか」
「もう少し起きていようかな」
「それなら少しお時間頂いてもよろしいでしょうか」
「ああ、構わないよ」
「以前からご主人様にお聞きしたいと思っていたことがあります」
「なんだ、突然改まって」
「お聞きしてよろしいでしょうか?」
「まあ、答えられる内容ならばな」
「幼馴染という人はどんな人感じの方なんですか?」
「その質問か……」
いつか質問されるだろうとは思って構えていたが、幼馴染というキーワードは、ボーの意識の壁を揺り動かし、記憶の底部をざわつかせた。
そうして発生した心理的ノイズは、言葉にならない感情として、ボーの意識の水面へと浮き上がってきた。
ただ、エンハンス効果の影響なのか、ボーの精神年齢は以前とは少し変わってきており、自分の心をモニタリングする術をある程度は身に着けていた。
よって、ボーは心をほどよく落ち着かせ、ネフシュたんの質問に冷静に一つずつ応えていった。
「まあ、髪は長めで、少し華奢な感じかな。背丈は同じくらいだったな」
「いつも一緒だったんですか?」
「まあ、日曜日だけな。他の子供連中は、午前の礼拝が終わって昼食会が済むと教会からすぐに出てってどっかに遊びに行ってしまったけど、僕だけはずっと談話室に残っていた」
「どうしてご主人様だけ残ったんですか?」
「お前さん、最先端の人工知能だろ。そんなのすぐに推論できるだろうよ」
「人間の感情のやり取りは不確定要素が多いので、なかなか上手に推論できません」
「幼馴染と二人だけになりたかったんだよ」
「なるほど、推論結果第一候補のとおりでした。それで何か二人で話したりとかしたんですか?」
「それが、あんまりそのときの内容は覚えていないんだな」
「小学校低学年といえば、もう10年以上前のことですもんね」
「いや、記憶を忘れかけているんじゃないんだ。そもそも僕は全然、幼馴染の話を聞いてなかった」
「聞いてなかった?」
「幼馴染からしてみれば、聖書の話を熱心に聞きたがる男児を相手に説教してたってことさ」
「なるほど、そういうことでしたか」
「当然、幼馴染はいつも聖書の話ばかりで、正直僕は少しうんざりだったんだ。
一緒にいたいって気持ちがあるから、とりあえず我慢して最初は聞くけどさ、やっぱり小坊くらいの頃は漫画とかゲームとかそんな他愛のない話をしたいよな。
ま、それは今でも変わっちゃいないけど」
自嘲気味ながらも、この調子で語ることで、薄まりかけていたかつての思い出を手繰り寄せることができそうだと確信したボーは、ネフシュたんの質問に答えるかたちで自分のためにも話を続けた。
「聖書について、どんなことを話していたのかは、覚えちゃいないけど幼馴染の表情は忘れられないなあ。いつも、穏やかな笑顔で、優しそうだった」
「その幼馴染さん、小学生低学年女児にしては落ち着いていますね」
「文字どおり、大人しい感じだったな。二人で一冊の聖書を見ながら、幼馴染は聖書のことばを一つ一つ丁寧に話してくれていた」
「ご主人様は自分の聖書は持っていなかったんですか?」
「僕だけマイ聖書を持っていなかった。教会には貸出聖書があったけど、あえて持たないようにしてたんだ」
「どうしてですか?」
「幼馴染が横に座ってくれるからさ。こんな風に」
ボーは幼馴染の聖書を、壁際の榴弾ラックから丁寧に取り出して、ゆっくりとネフシュたんの隣に腰を下ろしながら、二人で一冊の聖書を眺められような位置に着座した。それは肩が触れ合うかどうかくらいの距離だった。
そしてボーはひと時の思い出に浸るかのように、それまで開いていた口を閉じ、遠くを見つめるかのような眼差しで手元の聖書をひと時の間眺めていた。
まさに天使が通る瞬間であった。だが、天使が通り過ぎるその足取りは遅かった。
ようやく天使が通り過ぎたとき、ボーは翔んでいた意識が戻ってきたかのように再び語り始めた。
「僕が、聖書に対して興味はあるけど、信じる気にはならないなんて風な態度を示せば示すほど幼馴染は僕に聖書の言葉を一生懸命伝えようとしてくれた」
「健気ですね」
「何だか嘘ついていた感じがして、今にして思うと申し訳なかったな。でも、そういうところに惹かれているという自覚は、その当時からあったってことだ。全く、ませた小坊だな」
「幼馴染の方も幼いながら伝道している自覚があったのでしょうね」
「聖書の説教話だけじゃ僕が退屈すると思ったんだろう、聖書にまつわるいろんな雑学を教えてくれたな」
「どんなことですか?」
「豚に真珠や、目から鱗が落ちるという言葉が聖書由来とか、トランプのスペードのキングはダビデ王がモデルとかな」
「聖書トリビアですね」
「こうして日曜日の午後に幼馴染の声を聴きていると、騒がしい談話室でも二人きり気分で聖書の世界を旅してる気がしたんだ。随分長いこと続いたな……」
「好きだったんですか?」
「ズバリ核心をつく質問だな。いや、まあ好きとか、そういうのじゃないけどな……」
「ネフシュたんのバイタルセンサーはごまかせませんよ。ご主人様の脈拍数や血圧、発汗作用などをパターンを照合したところ、初デートの時の状態に近似している結果が出ていますよ。ほらほら、ここ見てください」
「機械の目はごまかせないな。はい、その通り、幼馴染のことが好きでした!」
ボーは白状するかのようにきっぱりと断言した。
「やっぱり」
「でも、まあなんというか、所詮小学生が抱く淡い恋心なんて他愛のないものだけどな」
「どんなところに惹かれたんですか?」
「僕より几帳面で、真剣で、物覚えがよくて、笑顔がかわいい子だった。
要するに、憧れてたんだな。理想の異性として」
「同い年ですか」
「いや、幼馴染の方が1歳か2歳くらい年上だったかもしれない。普段通っていた学校がそれぞれ違っていたから、学年はわからない。そもそも小坊だったし、あまりそんなことは気にしなかったしな」
「幼い頃の1,2歳の差って大きいですよね。でも、どうして幼馴染さんが年上だということはわかったんですか」
「日曜学校で信徒の婦人が、『お姉ちゃんだからねー』なんて言っているのを聞いたからさ」
「幼馴染とはどうして途中で疎遠になってしまったんですか?
リバイアから引っ越しが理由って聞きましたけど」
「まあ、そのこと自体は本当だけど他にも理由があるんだ」
「どんな理由でしょうか?」
「実は、幼馴染に暴言を吐いてしまったんだ」
「ボウゲン?」
「ある日の日曜日、近所に転居してきた家族が教会に挨拶にやってきたんだ。その家族には子供が一人いた。クリスチャンホームっていうんだっけ、両親ともクリスチャンでその子供もクリスチャンだった。
久しぶりの小さなお客さんだったもんで、幼馴染も喜んでいた感じだった。それで、ボー女はその子供ばかり相手にして、僕のことを無視するようになったんだ」
「本当に無視ですか?」
「もちろん、無視なんかじゃない。でも当時は、幼かったし、そう感じたのさ。
だから、頭にきてしまった」
「嫉妬心みたいなものですね」
「僕の特等席だったはずの幼馴染の隣はその子供に奪われ、午後のおやつもその子供ために振舞われた。自分だけが突然独りぼっちになってしまった気になったんだ。
確かに今考えれば他愛のないことだとは思えるけど、実際のあの時の心境に立ち返ったら、今でも寂しさのような怒りのような、何とも言えない気持ちがこみあげてくるんだ。
だから、その当時は子供ながら、絶望みたいな気持ちになったんだろう。
なもんで、当時の僕は、ある日ついつい幼馴染に腹いせ代わりに酷いことを言ってしまったんだ」
「どんな醜いことをいったんでしょうか」
「子供なんて残酷なもんだ。相手が一番ダメージを受けるであろう言葉を即座に選りすぐる。そして心の準備もない無防備な相手に向けて、考えなしに言葉の大砲を撃ち放つ」
「相当ひどい言葉のようですね」
ボーは、かつての思い出がよみがえってきたのか、また少し黙りこくった。
だが、天使が通る瞬間のような心地のよさの入り混じったものではなく、不快で嫌悪感のする思い出だ。まさに悪魔が通る瞬間と言えばよいだろうか。
「……すまない。ネフシュたん。その話は、僕ができるときにまたいつかするということでもいいかな」
「もちろんです。嫌な記憶を思い出させたようで申し訳ございません」
「いや、気にする必要はない。僕もいつか話したいと思ってはいるんだ……」
ボーはネフシュたんの気遣う視線を感じながら、次の言うべき言葉を探し始め、一時の沈黙のあと、再び話を始めた。
「まだミッション完了まで時間はある。よく考えたら僕たちはまだ魔物にエンゲージすらしていなんだ」
「そうですね。そう考えると、緒戦すらも始まっていません」
「やっぱりまだ先は長いな。明日のために今日はもう寝るとしよう。この話はまたいつかな」
「はい。それでは、ご主人様、お休みなさいませ」
ネフシュたんはトラクターカーゴ内の室内電灯を全て消灯し、自らも待機モードに入った。
ボーは、野戦毛布に包まりながら、日曜学校における記憶の断片を繋ぎ合わせようとしていたが、毛布内の温度が体温で暖まりかけた頃、日々の緊張感がボーを滑らかに入眠させた。
歩哨係の2番レギオンだけが、古代パレスチナの夜空の下、眩い天空の星空をずっと眺めていた。