第9話:子供の進学へ投資と旅行計画

文字数 2,803文字

 亡き金井次郎の長女、金井秀子は今年1997年4月に中学3年生になり来年高校受験する事になり家から一番近いのが桐蔭学園が川和高校にするか迷っていた。最終的には学園祭に行って決め様と思っていると言い、とりあえず、両方に合格できるように、頑張るよと言い、夜遅くまで勉強していた。

 秋に両校の学園祭を見てきて自由な感じの川和高校に決めたと言った。1997年11月22日に義朗から一郎へ電話かかり11月上旬にヤフーを4株800万円で買ったと言い、これが今後の勝負株になると意気込んでいた。1997年の12月一斉テストの結果で川和高校に合格できる可能性が80%近くなり、受験を決めた。

 1998年の初詣ででは、しっかりと合格祈願のお願いをしてきたと良い、あとは、体調管理に気をつけて風邪引かないようにしようと言い平常心を保てる様に、呼吸法を覚えた。そして2月の中旬の受験日、朝、朝食後、金井一郎と、かなえさんに言ってきますと挨拶して家を後にした。

 そして夕方、すっきりした顔で、帰って来て精一杯やったので悔いはないと晴れ晴れとした表情。2週間後、一郎と、かなえさんが一緒に車で川和高校へ行き、掲示板をみると受験番号43番と書いてあり1998年3月に合格した事がわかり入学手続きを取った。

 この話を聞いた秀二が俺は、俺ペースで行くから気にしないでくれと言った。1998年4月から川和高校に家から田園都市線で市ヶ尾駅で橫浜市営バスに乗り換えて通う様になり30分程で到着する。その後、川和高校の写真部に入り学校の運動部の大会にカメラマンとしてついていき多くの写真を撮った。

 秀二は中学生になり得意科目は数学が得意で読書が好きだったが英語がちょっと苦手であり英語の勉強のためにラジカセ「ラジオとカセットが一緒になったもの」を5月20日に買ってもらい英語の放送を聞いたりカセットに録音して復習したりして英語に興味を持ち始めた。

 1998年になり長津田中学2年生。英語の成績が上がり4月に学年3位になり翠嵐高校が射程距離に入ってきた。12月に学年トップになり翠嵐高校を受験することを決めて将来の進路を医者に決めたと家族達に教えてくれ、2000年を迎えた。

 長女の秀子は2000年は4月に川和高校3年生になり東京都立大学経済学部をめざすことに決め受験勉強を開始して夜遅くまで勉強した。2000年秋の高校での成績は10番目で東京都立大学合格の可能性が80%。最終的に東京東京都立大学に受験を決断した。

 2001年を迎え、2月に受験して3月に合格発表を金井一郎とかなえと3人に見に行くと、受験番号38番があり東京都立大学経済学部に合格。同じ頃、弟の秀二も翠嵐高校に合格した。一方、義朗の長男の金井太郎は翠嵐高校を卒業して橫浜国大工学部、精密機械科に合格。

 そしてセンサーの勉強をしたいと考えて就職希望もキーエンスと決めたと話していた。その頃、金井義朗はソニー株とヤフー株をいつ売るか、考えていた。その後、急上昇してきたので早めに売ることをめざし、1999年11月にヤフー4株を65000万円で売った。

更に1999年12月にソニー株2万株を30000万円で売り税引き後利益25000万円のとなり資産が4億円に増え父、金井一郎に借りた3千万円を返した。義朗の残金が3.4億円になり一郎の資産が1.5億円となった。しかし2000年の春過ぎから一気に株が下がりだし早めに売ったのが大正解。

 2000年5月8日、金井一郎の所に長男の義朗から電話があり相談があると言われ、夕方、新横浜で会うことにした。喫茶店で義朗がお陰様で資産が3億円を超え、今後、自由に生きたいと言った。親父も随分苦労してきたから夫婦で一緒に旅行し、ゆっくりして欲しいと伝えた。

 義朗が父の資産1.5億円と自分の資産3.4億円をできるだけ減らさないように運用しながら、旅行をしたり習いごとをしたり趣味を楽しんだりしたいと言った。それを聞いて一郎が40代半ばで退職って早くないかと言った。身体が十分に動ける40代で自由に生きれる何て、素晴らしいことだと思うとしみじみ話した。

 一郎は義朗がそれが良いと思うなら、そうしたら良いと言った。次に義朗が俺は父と母が田舎から出て来て貧乏生活から始まった。台風で家が吹き飛んだとき本当に惨めな感じがして嫌でたまらなかった。その後、運良く市営住宅に住んだが狭い家で生活してるときも、いつか、金を稼いで良い生活をするんだと思い会社で働きながら投資をして大金を稼ぐことができた。

 そう言う今までの生活を振り返ると特に両親には残り少ない人生、上手に、お金を使って楽しんでもらいたいと本気で思っていると語った。それはありがたいが旅行するとしても、どこ行くかも、どうやって行くかも良く知らないと言うと、だから、一緒に行こうと言った。

 義朗が俺は釣りをやってみたいというと一郎も面白そうだなと同意。最初は三浦半島で上達したら、湘南、房総、伊豆へ行き釣りをしたい。日本の有名温泉地、夏の北海道、冬の沖縄、台湾、他にも、ハワイ、ラスベガス、フロリダ、カナダ、いっぱい行きたい所があると言った。

 一郎が義朗に奥さんにも相談したのかと聞くと和美も銀座、日本橋のデパートで買い物して気に入ったものがあれば買いたいと話し早期退職には賛成してくれたと教えてくれた。一郎が俺には計画できないから義朗が旅行計画を立てて、一緒にして行くなら賛成だと言った。

 この話を母のかなえさんにも話しておいて欲しいと言われ了解した。長津田の家に戻って、かなえさんに、この話をすると40代半ばで会社退職するのは、早くないかと驚いた。その後、趣味、旅行の事、親が苦労していたのでゆっくりと旅行したりして人生を楽しんで欲しいと思ってる事を打ち明けた。
 
 旅行計画は相談して決めていく事なども話すと楽しそうねとうなずき、特に銀座、日本橋での買い物は是非、行きたいと興味を示した。それなら了解したと言う事で良いねと聞くとOKと答えた。まず、銀座、日本橋での買い物や、元町で買い物、その後、中華街、関内、豪華ホテルでの食事なんか楽しみだわと目を輝かせた。

 この話を義朗にすると良かったと言い、まず、最初、元町で買い物と食事。これで行こうと言う事になった。早速、2000年5月25日、石川町駅に11時に金井一郎夫婦と義朗夫婦があつまり「霧笛楼」でランチコースを食べた。次にスタージュエリー、バッグのキタムラ、キッチン洋品店を見て回った。

 最後は、元町商店街を抜けて谷戸坂をゆっくり登って、港の見える丘公園について、展望台からの景色を見てから山下公園に下って散策して近くのバス停から橫浜駅行きのバスに乗橫浜から帰ってきた。
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