第5話:冬の沖縄旅行と夏の山岳ドライブ

文字数 3,132文字

 やがて1995年になり2月2日、義朗から電話がかかって来て2月12日から羽田から沖縄、那覇へ2泊3日で旅行に行かないかと誘われると、金井かなえさんが大喜びで、初めての飛行機で、楽しみにしていると喜んで言った。2月12日は雪まじりの天候で寒い日だった。

 羽田空港を10時発の飛行機で2時間半、12時半に那覇空港に着くと空港も明るい色で南国感がひしひしと感じられ、沖縄そばを食べた。孫達も空港を見て大喜びだった。その後、ちょっと待っててと言って金井義朗がレンタカーを大型ワゴンのレンタカーを借りた。

 そして6人を乗せて、一路、沖縄、北部に向かって走り出した。15時に沖縄美ら海水族館について、いろんな魚を見て水族館の水槽の大きさに驚いた。1時間ほど見学して近くの喫茶店で一休みして4時半頃に残波岬を眺めながら10分ほどで、ホテル日航アリビラに到着した。

 海が一望で着る素敵な部屋にチェックインした。夕食は寿司を頼んで食べたが高い割りには、味は今ひとつで義朗が達が選んだステーキの方が美味しそうで残念だった。その代わり、途中で買ってきた泡盛の古酒が旨くて、その晩は孫と、かなえさんと義朗、和美さん達が買ってきたジュースやケーキやアイスクリームを食べた。

 また大人達は、泡盛も飲み、盛り上がり、最初にベッドで一郎が、寝息をたてて寝てしまった。翌日は、朝早く起きて、部屋からの海に上がる朝日を見て感動して見ていた。こんな時間が、やっともてる様になって、うれしいと金井かなえさんが涙ぐんだ。7時半に朝食会場に行き一郎と、かなえは和食。

 他の人は洋食だったが、長女の絵美がホットケーキを喜んで食べた。珈琲や果物が美味しいのが印象的だった。その後、近くのやちむんの里で綺麗な陶器を見て、思わず、素敵な珈琲カップを2セット、一郎が買った。その後、北谷アメリカンビレッジを見学して店を回り喫茶店に入り一休みした。

 その後、泊港に立ち寄って昼頃にレンタカーを返して那覇の国際通りを歩いて有名なステーキハウスに入ってステーキ定食をたべた。値段が安いのに驚いた店の人に聞くと米国から免税で安く牛肉を輸入できるので、安いんですと教えてくれた。その後、那覇の牧志公設市場を歩いて回った。

 すると熱帯魚のような色鮮やかな魚や可愛いシーサー、また豚の顔がそのままおいてあったりして、驚かされた。そうして午後2時過ぎに那覇のホテルにチェックインして1時間ほど部屋で仮眠。17時過ぎにホテルからリューボーと言う名のデパートへ夕食を食べに出かけた・

 気に入ったレストランに入って、お子様定食や沖縄そば、焼き魚定食などを注文して食べたが全体的に価格が安い感じがした。それにしても春の陽気で昼間は寒いという感じがしない。女性達が沖縄のファッションに興味を持って流行が全然違うと多くの店を見て歩いた。

 男性と子供は喫茶店で待つことになり21時にホテルに帰り熟睡した。。翌日、11時半の飛行機なので8時にホテルの朝食をとってチェックアウトした。その後バスに乗って那覇空港へ言った。そして飛行機の搭乗手続きを取り軽食を食べて11時半の飛行機に乗り込んだ。

 羽田に14時頃に到着して15時半に自宅の長津田に着いた。1995年4月になって今度は静岡へ東海道線で出かけることにして、町田で小田急線に乗り換えて小田原へ行き東海道線に乗り換えて熱海駅で静岡行きの電車に乗り換えて静岡でおでんを食べてからタクシーで三保の松原へ行った。

 そこからは霊峰富士の雪景色、海の景色を見たり写真に収めたりした。また静岡浅間神社をお参りした。同じ経路を帰って来たが、静岡駅周辺で過ごした時間が約2時間で帰りに小田原で寿司を食べて家に帰ってきたのが20時だった。列車の旅で多少疲れたが、これくらいの旅なら出かけられることがわかった。

 その後1995年4月18日に長男の金井義朗が訪ねてきて、今までトヨタとソニー株で1億5千万円まで資産を増やしたと言い、最後に1995年3月19日にソニー株を2万株3760万円買ったと言った。1995年6月22日に65歳になりセメント会社を定年退職した。

 1995年7月に入り長男の金井義朗から父の一郎に電話で7月18-20日、八ヶ岳にドライブに行こうかと誘いがあり、前日に一郎の家に泊まって金井太郎の子供3人と合計7にんで出かける約束をした。この数日、猛烈な暑さで夜も30度を下回らない熱帯夜で涼しい高原の旅を楽しみにして待った。

 17日の19時頃、御飯のおかずとメンチカツ、ハムカツ、串カツ、コロッケをたくさん買って、やってきた。すぐに御飯の支度をして順番に風呂に入ったりシャワーを浴びたりして22時には寝た。翌朝6時に起きて7時に家を出て最初は和美さんの運転で16号線で八王子から中央高速に入った。

そこから1時間ほどで韮崎インターチェンジでおりた。その近くのファミレスで一休みして運転手を太郎に替わり清里高原に9時過ぎに到着して山梨県立牧場公園の回りを散策して標高の高い天女山の駐車場へ行って涼んだ。11時に清里の駅近くで食事をして12時に出発した。

 松原湖から480号線に入り麦草峠をめざしてはしり、峠の頂上2127mの標識の崎の林の空地に車を止めて少し涼んで休息をとった。外に出ると半袖は寒いくらいで、ウインドブレーカーを羽織った。その後、奥蓼科を通って、茅野に入り、蓼科のホテルに宿を取り、温泉には行って食事をして早めに床についた。

 翌日は朝、起きて朝食をとり8時に宿を出て、白樺湖に9時に到着し30分程、散歩して霧ヶ峰を抜けビーナスラインに張り三峯展望台を抜け、美ヶ原高原につくと11時半で、朝、買ってきた、お弁当を広げて涼しい草原でみんなで食べた。食後一休みして20分位、周辺を散策して歩いた。

 そして山道を一路、松本へ、くねくね道なので途中で数回、休憩を入れて15時頃に美鈴湖につき30分休憩して16時に浅間温泉に到着して、チェックインした。ゆっくり、温泉につかり19時に夕飯をとり、部屋で晩酌をしながら今日の旅の話をすると、牧場公園の牛と美ヶ原高原の涼しさが好評だった。

 夏に高原は最高だねと孫の太郎が言うと絵美が山から見た景色が美しかったと笑いながら言った。また夏の高原ドライブ来たいねと好評だった。今日は疲れたようで早めに解散して床についた。翌朝、7時の朝食後、車で松本城へ出かけ、近くを散歩して歩いた。すると遠くに北アルプスの絶景が見えた。

 和美さんが今日は諏訪湖の景色を見てから帰りましょうねと話した。宿に戻り帰り支度をし9時にチェックアウトして、車で一般道路を走り、塩尻から国道に入り、塩尻峠を下り、鳥居やまびこ公園の標識を右折して公園内に入り一休みして階段を上がり、ずーと奥まで行くと眼下に諏訪湖が一望でき左側に八ヶ岳が見えた。

 何て素晴らしい景色なんでしょうと孫の絵美が言って、何枚も写真を撮っていた。10時半頃に、また出発し、諏訪神社を見学しようと最初に上社の前宮、次に本宮、次に、下社の春宮、秋宮と4つを巡った。近くの蕎麦屋に寄って昼食をとった。これが、またうまかったので、一郎がまた来たいねと言った。

 義朗も和美さんも美味しいと言い、是非、来たいと言った。その後、土産物屋でお土産を選んで13時過ぎに出て中央高速を渋滞するまでに帰ろうと、帰りを急いで、途中、サービスエリアで休憩を入れて、午後5時に新横浜の義朗の家まで家族5人を送って、帰りは一郎が運転して6時に長津田に着いた。
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