第15話:「最終章」一郎の健康回復と友人支援

文字数 2,772文字

 2016年5月10日に金井一郎が義朗に電話を入れて相談したいことがあるから来て欲しいと呼んだ。そして旧友の池上義武が熊本で被災して家を新しく建てなければならないが経済的に困っているという話をした。すると金井一郎の資産はいくらあるか調べると1億1千万円あり、義朗が最大5千万円まで貸す事ができると言った。

 その話を聞いて、また連絡を取ってみると話した。その晩、池上義武に電話をすると大きな木造の農家に子供3家族と孫3家族いて格安の住宅メーカーと連絡を取って建て坪150平米大きな家を3軒、家の敷地に建て、それぞれ2世帯住宅にして6世帯が暮らせる。家の建築費用が6千万円、半壊の住宅の解体費用と整地、電気、水道、下水の整備で1千万円。

 合計、7千万円が必要であり、現在、3千万円は用意できるので4千万円足りないが銀行では2千万円しか貸せないと言われて困っていると話した。金井一郎が4千万円あれば新しい家を作れるのですねと確認すると、その通りと答えた。そこで4千万円貸しても良いと言うと驚いて本当かいと聞き返した。

 もしかしてくれるならありがたいが無理しないでくれよ。大きな迷惑、掛けたくないからと言って恐縮していた。何とかできると言い振込先を聞いた。もちろんありがたいが本当に無理はしないでくれよなと池上義武が涙声で言うので、大丈夫だと、それより、元気で長生きしろよなと言うと泣き崩れた。

 すまん、本当に、ありがとう地獄に仏だと大喜びした。翌日、橫浜の新生銀行に金井一郎と義朗が行き振り込み用紙を書いて熊本の池上義武、当てに送金した。家に戻り熊本の池上義武さんに電話をして送金完了したことを伝えて、新しい家を建てろと、励ました。すると、ありがとう、本当にありがとう。

 俺が生きてる間に何とか借りた金は返すからと涙ながらに答えた。その後、数週間後、池上義武さんから手紙で半壊の家を壊して整地する写真を送ってきて5月25日から家を建て始め、
9月中には新居が完成する予定だと書いてあった。その後も建築途中の写真を送ってくれ10月2日に3軒の2階建ての大きな2世帯住宅が完成し写真を送ってくれた。

 そして2016年は、とんだ災難にあったが何とか無事に生きて帰って来られたのを神に感謝した。2016年12月には池上義武から返済計画書が送られてきた。それによると毎年3百万円ずつ返却して利子を含めて6千万円を20年で返却すると書いてあった。昔から律儀な池上義武の性格が変わってないのに一郎は安心した。

 その後、大きな旅行を控えて、日帰り旅行中心になり健康を大切に毎日の散歩やジムでのストレッチ、体操に励んで健康第一の生活を続け始めた。その中でも中華街の美味しい店に奥さんと通って昼食をとるのが一番楽しみ。特に奥さんが薬膳料理の店が気に入って、その専門の店に通い詰めた。 そして2016年が終わり2017年を迎えた。

 2017年になると金井一郎と、かなえさんは、みなとみらい駅から元町中華街駅まで電車で行ってそこから谷戸橋を渡って谷戸坂をゆっくり時間をかけて登った。その後、海の見える丘公園で一休みして、庭園を散歩してから、谷戸坂を下りて元町の喫茶店で、お茶して半日過ごして帰って来たりした。

その他には、臨港パークからパシフィコ橫浜の回りを歩き、海に浮かぶ、ぷかり桟橋から海を見たり、インターコンチネンタルホテルの前のベンチに座って休んだりして、みなとみないのショッピングモール、クイーンズスクウェア、ランドマークを回って帰って来たりの散歩を毎日の日課にして散歩を楽しんだ。

 疲れて一休みするときは、大好きなポンパドールのフランスあんぱん「フランスパンの生地を使った、堅めのあんぱん」を買って休みながら水を飲んで食べることもある。お腹が空いたときはランドマークエリアの「喜助の牛タン」を奥さんと一緒に混み始める前の11時に入店して、
ゆっくり味わって食べるのが好きだった。

 また金井かなえさんは住んでるマンション近くのMMテラスで全国の美味しい果物商品を買うのを楽しみにしていた。また金井一郎はキリンシティが桜木町のシャルにあって汗をかいたり、暑い日には冷たいビールを飲むのも楽しみだ。

 たまに人恋しくなると近くに住む金井義朗夫婦と一緒に4人でタクシーで野毛に飲み屋通りを歩いては、賑やかに飲むの事もたまにある。何と言っても橫浜は港町で世界中の料理や酒、音楽が楽しめるところで、気の置けない仲間が来るとジャズバーにくり出した。そこでビールを飲みながら、良い雰囲気に包まれて、昔話をするのも楽しみの1つ。

 ジムで仲良くなった同年代の友人も呼んで食事したり喫茶店で、昔話をしたりという会合も増えた。やがて2018年を迎え昇ってくる初日の出に向かって100歳まで元気で生きれるように念じた。今年の初詣は足を伸ばし、関東の、お伊勢さんと呼ばれる、由緒正しき伊勢山皇大神宮に出かけた。そこで、家族達、友人達の安全と健康を祈願した。

 2018年、4月に熊本の池上義武さんと家族3人が、はるばる訪ねて来てくれて、お金を貸してくれてありがとうと言って熊本名物の辛子レンコンをお土産に持って来た。池上家の、その後の状況を話してくれた。熊本は以前通りのにぎわいを見せて自分の息子や孫達もしっかり働いて、お金も以前の計画よりも早めに返せそうだと笑いながら話してくれた。

 ただ奥さんによると義武君も心臓を患って10年前、何回も意識不明になり、ペースメーカーをつけたそうだ。今も、毎日、血圧、心拍数をはかっていると聞かされて、お互いに長い生きしたいものだと励まし合った。その晩は聘珍樓で義朗夫婦と池上家の3人と計7人で金井一郎主催の歓迎会を開いた。

 少し飲みながら一郎と義武さんの学生時代の思い出話をたくさん聞かされ、夜が更けるまで楽しく語り合って楽しんだ。翌朝、9時に熊本に帰るので別れの挨拶に池上家の人達が金井一郎のマンションを訪ねてきてくれた。

 池上義武君が、もしかして、これが最後の面会になるかも知れないと、金井一郎に抱き付いて涙を浮かべ、お互いに頑張って生きていこうなと言った。個人的に多額の義援金を本当にありがとうと言い固い握手を交わして帰っていった。そして、彼の予測通り2018年10月3日の残暑が残る日、池上義武君が亡くなったと知らせが入った。

 10月11日が葬儀と書いてあったので金井一郎夫婦と義朗夫婦の4人で羽田空港から飛行機で熊本空港に向かった。そして告別式に参列して金井一郎が、ご焼香した時、一瞬、遺影の池上義武が笑って良く来てくれたと言った様な気がして彼の遺影をじっと見つめた。(終了)
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