第11話:夏の避暑と冬の避寒旅行

文字数 3,390文字

 今年の夏は暑く8月2日から10日間北海道に行こうと義朗に言われお任せした。8月2日、早朝出発し羽田に8時に着き9時の釧路空港行きの飛行機に乗って11時に釧路に到着。バスで釧路駅へ駅近くの食堂で昼食をとり、午後14時に釧路プリンスホテルにチェックインした。

 翌日、早朝出発し網走を抜け稚内まで走り稚内で昼食を食べた。夕方18時に帰ってくると、どっと疲れた。明日も十勝の方へドライブすると言うと一郎夫妻が涼しい釧路で休んでいると答えた。じゃー和美と2人で行って来ますと言ってホテルから帯広・十勝温泉へ出かけていった。

 その日は一郎夫妻は、ゆっくり起きて11時頃にホテルを出てバスに乗って、釧路駅近くで昼食をとり市内を散策して回った。そして午後15時過ぎにホテル戻って仮眠した。何と言っても涼しいのが一番ありがたくよく寝られた。

 夜19時に義朗が戻ってきたので夕食をとりながら、明日の計画を話すと一郎が、翌日は駅前の釧路観光のパンフレットを見せた。これでゆっくりと観光してくると言うと義朗が了解し、別行動することにした。観光コールが3つあって2日おきに観光をして回った。

 それ以外は涼しい潮風を浴びて散歩をして疲れたら昼寝する生活をして涼しい夏を楽しんで、8月11日に長津田に戻ってきたが涼しい北海道から一気に暑い真夏の関東に戻ってきて1日中、エアコンをかけて生活した。この年の12月20日は義朗と一郎夫妻はグアムに飛んで避寒の旅に出かけた。

 メーシーズでバーゲンセールのドレスを買った。更に、グアムでは昼前後に毎日の様にホテルの周りを散歩して汗をかいた。すると昼食が美味しく、リブステーキで有名なトニーローマやイタリアンのカプリチョーザ、ステーキハウスを食べ歩いた。運動した後の昼食は一段と美味し敷く感じるのは不思議。

 4日間、昼間、健康のため散歩したが、汗びっしょりになり日焼けするほどの日射しで気持ちよかく、ホテルに戻るとシャワーを浴びて、窓を開けて昼寝は気分か良い。しかし日本に帰ってくると急激に温度が下がって体調崩して一郎夫妻は2日間寝込んでしまった。

 特に高齢者は避寒と避暑も帰って来ての気温変化に注意しない体調を崩す原因になると本に書いてあった。今後冬のグアム、夏の釧路には気をつけようと感じてた。日本に帰ってきた。しばらくして2003年を迎えた。

 2003年は寒い日が続き快晴の日の昼。たまに散歩に出る程度だった。金井一郎夫妻が、2月になり一足早い、熱海桜祭りに行って早咲きの桜を見て、温泉に入り2泊して帰って来た。

 その後2003年5月、亡き金井次郎の長男、高校3年で橫浜市大医学部を希望。翠嵐高校で勉強して成績が学年3位まで上がり合格の可能性75%となった。そこで2004年に橫浜市大医学部を受験することを決めたと言う知らせを聞いた。その後は、進学塾の模擬試験を受けて受験に備えて勉強の日々が続いた。

 しばらくして2004年となり金井一郎の家族全員で初詣でに行き秀二の橫浜市大医学部合格祈願をした。その後、2月の橫浜市大医学部の受験で合格し、医学部の近くにアパートを借りた。そして徒歩で大学に通う様になった。その後、長女の秀子は2004年10月に三菱銀行をめざして就職活動をしていた。

 夏休みにその銀行でアルバイトを経験し、銀行からも好反応をもらっていた。その後2005年4月に東京都立大学を卒業して三菱銀行の採用試験に合格。都立大学支店勤務で女子寮に引っ越して行った。同じ時に義朗の長男・太郎も希望していたキーエンスに就職でき会社近くのマンションへ引っ越した。

 その話を聞いた金井一郎とかなえは中華街の聘珍樓で亡き次郎の子供達、秀子と秀二、義朗と和美さん、彼らの子供達、太郎と絵美を招待し2005年4月16日に合格祝賀会を開催した。キーエンスに入社した金井太郎は我が社は、今や世界一のセンサーの専門会社で給料も良い。しかし仕事もきついことで有名で、やっていけるか、ちょっと心配。

 しかしできだけ頑張って働いていくつもりですと抱負を述べた。次に金井秀子が思い起こせば10年前、1995年8月13日に東名高速で交通事故に遭い両親を同時に亡くしたが、その後、ここにおられる金井一郎さん、かなえさんに引き取ってもらい大事に育てていただき、高校、大学、就職と面倒を見ていただき、本当に感謝しています。

 多分、亡き両親もさぞかし喜んでることでしょうと言うと、言葉に詰まって、とにかくお世話になって、ここまで来られたことに感謝しますと挨拶。おおきな拍手と友に、もらい泣きする声がした。その後、太郎の妹の絵美が。今、私は橫浜市大経済学部から金融関係の仕事、銀行をめざしてますと頑張ってますと話した。

 そして外貨を取り扱っている銀行、新生銀行かソニーバンクのどちらかに入りたいと考えていますと話した。次に、金井秀子の弟の秀二が、僕は橫浜国大工学部電子科からインターネット通信関連の仕事がしたいのでNTT、KDDIのどちらかに入社して通信関連の仕事につきたと考えてますと話してくれた。

2005年の夏も北海道の釧路に2週間、避暑のために金井一郎とかなえが移動して、その後、少し涼しくなる頃に札幌に移動して2週間、過ごす様になり、8月は自宅を留守にるようにして隣に住む出雲悦子さんに鍵を預け、子供や孫達が来たら泊まらせても洗うようにお願いした。

 そうして9月中旬に長津田へ戻ってきた。2005年、12月、久しぶりに、子供と孫が集まって、盛大にクリスマスパーティーを開いて、その後の生活や仕事ぶりを話してもらった。そして、2006年を迎えた。2006年は1月から沖縄本当中部に避寒のためリゾートホテルに1週間、泊まって生活した。

 しかしリゾート地は買い物もままならないので那覇の長期滞在ホテルに移動した。3週間、生活したが橫浜と変わらない生活ができた。もし避寒のために移動して生活するなら那覇の方が便利だと言うことがわかった。2006年3月初旬に熱海の桜祭りに出かけて早咲きの桜を見て、風呂には行ってくつろいだ。

 桜は良い、気分が明るくなって元気をもらえるような気がして、実に気分が良いと、金井一郎は感じて、毎年、来たいと願った。4月3日になって義朗から山梨の桃の花見に行かないかと誘われて、甲府の湯村温泉に1泊して、出かけていった。初日は、笛吹き川フルーツ公園の周辺の標高の低いところは満開。

 散り始めのピンクの鮮やかな桃の花を見て湯村温泉に1泊して帰りに一宮御坂インターチェンジの回りの標高の少し高い所の桃の花を見ると、今まさに満開で、遠くに富士山が見えて最高の景色だった。帰りの車中、運転していた和美さんが長野の杏の花も桃の花に似てきれいですよと話した。

開花時期は、同じ4月の初旬から中旬だと聞いていますから来年、行ってみませんかと言われた。場所は、どこと、かなえさんが聞くと上田と長野の中間の千曲市と言う所だと教えてくれた。是非、来年は行ってみたいねという話になった。

 帰りの車中で義朗が2001年以降、ヤフーを売買して3億円を新たに稼ぎ、資産合計が7億円近くなったと喜んでいて、そのうち、みなとみらいのマンションでも買いたいと話していた。長津田に帰って数日してから義朗さんから電話でシティバンクが日本から撤退するというニュースが流れた。そのため一郎と義朗が口座を移動することにした。

 そこで外貨に強い新生銀行・橫浜支店で外貨の口座を開けるから、そっちに移そうと考えた。早速、4月12日、金井一郎夫婦と義朗夫婦の4人で橫浜駅で待ち合わせた。最初に新生銀行の4人で口座開設の手続きをし、次にシティバンク橫浜支店で口座を閉鎖した。残った日本円口座と豪ドル口座の残金を全額、新生銀行へ送金。

 その件をシドニーのチャーリー石田にメールを書いて知らせた。その後、7月も暑く4週間、北海道の小樽に滞在して涼しい海辺で過ごした。そして近くの南樽市場で魚の刺身を買ったりスーパーで買い物して避暑地での暮らしを楽しんだ。車で20分行けば天然温泉があり3日に1回は温泉を楽しみ9月初旬に橫浜に戻ってきた。
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