第6話:夏、高速道路での交通事故の悲劇

文字数 2,960文字

 一郎の次男の次郎は横須賀でNTTのネットワーク部門の仕事を遅くまでしてる様で金井一郎の家には2年前の正月に顔を出したくらいで、しばらく会ってなかった。1995年8月13日、金井かなえさんが深夜、トイレに起きた時、掛け時計が止まっている様な妙な感じがした。

 しかし亭主の一郎を起こすほどのことでもないので気にしないで、又、寝たが、何か胸騒ぎがして、なかなか寝付けなかった、そんな時、電話が鳴り響いた。慌てて一郎が電話に出ると金井一郎さんですかと確認するのではい、そうですと答えた。すると金井次郎さんはあなたの息子さんですよねと聞かれた。

 そうですと答えると残念なお知らせですが金井次郎さんがお亡くなりましたと言われた。顔面蒼白になりながら詳細を聞くと東名高速道の渋滞で玉突き事故が起こった。その時、次郎さんの車が事故に巻き込まれて大破した。前席に乗っていた、運転手の金井次郎さんと助手席の金井好恵が重体。

 後部座席の3人のお子さんは軽傷で命に別状はありませんが5人とも浜松労災病院に運ばれていますと言った。すぐに金井一郎は新横浜に住んでる長男の義朗に電話して事情を話して、明日、一緒に、浜松へ新幹線で行って欲しいと言うと、わかった。明日、一番の新幹線で行きましょうと言うことになった。

そして金井一郎、かなえ、義朗の3人で行くことになった。翌朝9時に浜松労災病院に着いて名前を言い状況を聞くと金井次郎さんは死亡、奥さんの金井好恵さんも、その後、死亡したことがわかった。子供達2人の入院してる病室へ行くと長女の秀子が来てくれ、ありがとうと言い抱き付いた。

 長男、秀二は、おじいちゃんに抱き付いた。金井義朗が、もう大丈夫だよ、早く直して帰ろうねと言った。そうしている間に長男の義朗が救急隊員と看護婦さんと話をした。そして、みんなが落ち着いた頃に義朗の所へ来て子供達は、すぐに帰れること遺体は大型ワゴンなら2人同時に運べると聞かされた。

 死亡診断書もすぐ出せる事がわかった。金井一郎と長男の義朗が話し合い、今日は帰って明日に一郎のハイエースで2人の遺体を運ぼうという事に決めた。もし子供達が今日にでも新幹線で帰れるなら帰ろうと話した。再度、義朗が病院の看護婦さんに今日帰れるか聞いてくると言い出て言った。

 その話を一郎の奥さんのかなえに話すと了解した。10分後、診察してから判断するので10時過ぎまで待って下さいと言われた。金井かなえが孫の3人を整形外科の診察室前に連れて行き診察を待ち10時前に診察が終わり、今日、新幹線で橫浜まで帰る位なら大丈夫でしょうと言われた。

 そして病院に明日、ハイエースで2人の遺体を引き取りに来ると伝えた。その頃、里村好恵さんの御両親が駆けつけて、明日、2人のご遺体を横浜に運ぶというと了解し、お礼を言った。その後、昼食をとって金井一郎と奥さんと義朗さんが、孫2人とワゴンタクシーに分乗して浜松駅に向かた。

 そして新幹線で新横浜に向かい、金井一郎が、すまんが明日もハイエースで2人で浜松に来てくれるかというと、もちろんですと言ってくれ、ひと安心した。新横浜に着いて、橫浜線に乗り換えて長津田からタクシーで孫2人で、家に戻ってきた。すると、次女の出雲悦子と旦那の出雲俊彦さんが来ていた。

 ご苦労様でしたと、挨拶した。手伝うことがあったら言って下さいというのでお礼を言った。次女の出雲悦子が、お兄ちゃんの遺体はというので、明日、うちのハイエースで次郎と奥さんの好恵さんの2遺体を、義朗と一緒に行き、交代して運転して連れてくると答えた。

 その後、孫達に病院でもらった薬を飲ませて夕飯を食べさせて4人で1つの部屋に布団を敷いて寝た。翌朝、目を覚まして朝食をとった後、次女の智子が、お母ちゃんが死んじゃったと泣き出して気丈に我慢していた。長女の秀子も、おばあちゃんに抱き付いてきて、泣きじゃくった。

 長男の秀二は流れ落ちる涙を拭こうともせず、ただ一点を見つめて、じっとこらえていた。少しして落ち着いたところで、金井一郎が、今日、車でお父ちゃんとおかあちゃんの遺体を運んでくるから、大人しく待っててねと言うと長女の秀子が、どこに連れてくるのと聞いた。

 そこで、この家に連れてきて棺に入れてドライアイスをいれてお葬式を待つのと言うと、わかったと理解してくれた。9時半頃に、金井一郎が家を出て、新横浜で義朗を乗せて、東名高速を使って沼津へ12時半頃に沼津について、金井義朗が死亡診断書をもらい車に2人の遺体を乗せて横浜に向かった。

そして帰って来て橫浜インターチェンジから金井一郎の家に遺体を運ぶと、葬儀社の方々が来ていて遺体を棺にドライアイスと共に入れて指定した部屋へ運び込んで、その後、金井義朗が葬儀の日程と費用など詳細の話をしていた。葬儀は8月16日に横浜北部斎場で行う事が決定。

 関係者へ電話を掛けるために名簿を見ながら今日中に連絡することにした。義朗が金井秀子に中学校の名前を聞き、秀二に小学校の名前と何年何組かと聞いて夏休み明けに連絡することにした。午後3時が過ぎて運転で少し疲れたので金井一郎と義朗が仮眠し打ち合わせして夕飯を済ましてから新横浜に帰った。

 金井一郎と、かなえさんが義朗、本当にありがとうと言うと非常時には当たり前だよと答えた。それを見て母のかなえが、本当に、お前は、やさしい子だと涙を浮かべ、長女の秀子が、おじちゃん、ありがとうございますと言うと、孫2人が同時に頭を下げた。安心して、元気に頑張るのだぞと励まし帰っていった。

 そして8月15日の、お通夜には10人が来られて、北部斎場に6人がとまり、4人が、車で15分の金井一郎の家に泊まった。翌日の告別式には40人が集まりNTTの関係者方が金井一郎に金井次郎君は立派な研究者で惜しい人を亡くしたと悔しがっていた。

 会社の関係のことは、どなたにお話ししたら良いかと聞かれ、あそこにいる喪主の長男、金井義朗に相談して下さいと言うと話しに行った。奥さんの里村家でも急な出来事で驚いていたようで涙ぐむ人が多く里村さんが手広く商売をやっている様で多くの方から花輪を送ってもらった。

 里村好恵さんのお父さんの里村幹生さんが詳しい話は、どなたに話したら良いかと聞くので喪主の金井義朗にお願いしますと言うと、話しに行った。少しして、金井義朗が一郎の所へ来て、里村幹生さんが来て費用について聞かれたので折半でいかがでしょうかといった。

 わざわざ新幹線で浜松まで行っていただき車で遺体をいただいたんですから、その費用は請求して下さいと、しつこく言うので費用明細をつけて折半で、お願いしますと、きっちり言っておきました。それで良いでしょうというので、もちろん、それで充分だと答えた。

 そして葬儀を終えて近くのお寺に葬ってもらって式が終わった。帰り際に里村好恵さんの御両親、里村幹生さんと美恵子さん、ご兄弟2人が、いろいろお世話になりましたありがとうございますと、挨拶に来たので、挨拶して返し、後日、孫の事で、ご相談に上がりますと里村幹生さんが言ったのでわかりましたと答えた。
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