第13話:東日本大震災と茨城の親戚への義捐金

文字数 2,652文字

 そして2011年3月11日、午後14時47分、東日本大震災が起こり橫浜でも電気、ガスが止まった。大きな地震でがパニックになり、外に掛けだしてくる人や家の中から外の様子を見ている人達が一様に不安げな目をしていた。その日の夜に長男の金井義朗に電話が繋がり兄弟と孫達に怪我はなく無事だとわかった。

 この年、その後、どこへも出かける気がせずにいた。しかし10月頃には散歩に出る様にして前向きに生きていこうと気分を転換させ元町の霧笛楼で子供、孫達、総勢12名で昼に食事会を開いて、今後も頑張っていこうと話し合った。

 実家のある茨城に電話してみると本家では家の瓦が落ち棚の物が落ちたが怪我人はなく大丈夫だったようだが一郎の従兄弟の金井良文60歳と佐島遼子「旧姓、金井遼子」58歳が大洗の海に近い所に2001年に入居した2階建てテラスハウス「2軒、長屋のような作りの住宅」が洪水で半壊して床上浸水して使えなくなった。

 住む所がなく親戚の家に間借りして生活した。その他にも親戚筋の4つの一家が半壊して住めなくなり県営住宅の入居を希望しているがめどが立ってないと話していた。一番困っているのは、お金だそうで、避難後、民宿に宿泊していたが支払いができず困っている様だ。

 その話を聞いた金井一郎が義朗を呼び、どうするか話合い金井八重さんからいただいた遺産から金井一郎が1千万円、義朗が1千万円の合計2千万円を送ることを決定。その晩、金井家の本家の長男の金井貞一に電話した。もし義捐金を送るとしたら、どこに送ったら良いかと質問した

 悪いが、俺では、決められないと言った。親類で銀行に勤めているのは金井三郎だけで彼はが常陽銀行の水戸の本店に勤めているとと言い電話番号を教えてくれた。その後、金井三郎に金井一郎が電話を入れると、お久しぶりですと挨拶して金井家の地震の被害を聞くと、同じように金井良文と金井遼子の家族が住む家がなくて一番困っていると言った。

 そこで、もし、あなたに義捐金を送るとして一番困っているのは2家族のだと言った。そのために金井三郎君に上手に義捐金を託して、有効に使ってもらえるかと聞くと、俺で良かったら、できるだけ公平に金井家の一族のために使う様にすると語った。自分の家は瓦が少し落ちた程度で、問題なく経済的にも困っていない。

 他の親戚は、いまだに苦労して生活してる人が多いと話した。もし私に公平に分けて渡してくれと言うなら、お役に立てるよう頑張りますがと言ったのでお願いしたいと依頼した。いかほど送っていただけるのですかと聞いた。金井一郎と長男の義朗の名前で1千万円ずつ、合計で2千万円ですと答えた。

 えーそんな大金、大丈夫なんですかと聞くので、ちょうど良い時期に株の投資で儲けた分があるのでお渡しできるのですと伝えた。金井三郎さんの銀行の支店名と口座番号を教えてくれと言い、聞いてメモし、早速、明日に送金しますと言うと、ありがとうございますと述べた。

 送金された金額の領収書を作成します。特定の個人に渡す場合は、必ずハンコをついた受領書をもらって、送ることを約束しますと言ってくれたので金井三郎さん宛に送る事にした。翌日の午前10時半に金井一郎と義朗がメインバンクの橫浜銀行から金井三郎の常陽銀行、水戸本店の口座宛に2千万円を振り込んだ。

 家に帰ると11時過ぎに金井三郎さんから電話で確かに2千万円が入金されたことを確認しました言われた。3月中をめどに本家へ行って話し合って使い方を決めて振り分けます。その後、その詳細をお送りしますと言い、本当にありがとうございますと最後は涙声になりながら頭を下げているようだった。

 金井一郎が受話器を持ちながら目に涙を浮かべて、亡き、金井八重さんからいただいた、ありがたい遺産を役立てることができる喜びをかみしめていた。その後、金井三郎さんから書留で、逐次、使用した金額と領収書、明細書、受領書をきちんと送ってきてくれた。一番被害の大きい、金井良文と旧姓、金井遼子に600万円ずつ計1200万円を渡した。

 残りの800万円を家の修理代の領収書をつけて10件で約300万円、残金の500万円を金井三郎が預かり親戚で必要と言われたときに分配すると言う事で親戚一同の了解を取りつけたと話してくれた。そうして2011年5月8日に金井良文と旧姓、金井遼子が茨城県の県営住宅に入居できたと連絡があった。

 1千万円の返金があったので親戚で家や車の修理代など経費の領収書をもらって、概ね600万円を分配した。残金が900万円となり本家を建て直すのに元金として900万円を貸して欲しいと言われたので、貸し付けて、返却してくれた分を均等に親戚に分配することにしたいと金井三郎さんが書いてきたので、金井一郎が了解した。

 その後も律儀に本家のは返却金と分配した先と金額の明細を、その都度、送ってくれた。この話を金井義朗に話すと、さすがにプロの金融マンはそうでなくちゃと金井三郎さんを誉めていた。しかし金井三郎さんは、結局、1銭も、もらわずに経理処理だけをしっかりしていた。

それを見て同年代の金井義朗が便せんに手紙を入れて残務処理の仕事に対して金券としてJCBギフトカードを3万円分入れて金井三郎さんの事務手数料として使って下さいと書いて送るった。数日後、義朗の所へ三郎さんから、お礼の電話がかかり、やっと、これで大役を果たす事ができたと喜んでいたようだった。

 それから、数日後、金井一郎と義朗の所へ水戸納豆と水戸の梅という羊羹が、たくさん金井三郎さんから届いた。そして東日本の義捐金の話を終えた。しかし地震の方は収まらず、大きな余震が何回も続いた。橫浜の方では亡き金井次郎の長女、金井秀子が同じ三菱銀行の2つ先輩の木島三郎と結婚した。

 その後、目黒のマンションを購入し2011年5月28日に入居した。東日本大震災に見舞われ散々だった2011年が終わりを告げ、2012年を迎えた。しかし、この年もインドネシア・スマトラ島の沖でマグニチュード8.7と言う巨大地震が起きてタイ、インドネシア、スリランカ、インドでは津波警報が発令された。

 昨年の東日本大震災を思い出し、最近世界中での大地震に怖じ気づいた。その後、2012年に長男の秀二が同じ職場の2つ下の上田かえでさんと2012年6月16日結婚してKDDIの
家族寮に入った。
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