第12話:台湾旅行と一郎の心筋梗塞

文字数 2,557文字

 10月中旬に八ヶ岳周辺で一足早い紅葉を見て多くの写真を撮って帰ってきた。また2001年の豪ドル5年定期預金が満期を迎えて2006年12月から1人、年間160万円づつ、豪州の定期預金の利子を日本の口座に移して年金として活用することにした。その後2007年を迎えた。

 2007年は避寒地として台湾の高雄「カオシュン」に行き、中高年用の長期宿泊施設ができたの言うので4週間ほど滞在して、夫婦で宿代が10万円と安く、近くに中華料理店が多く、小腹が空いたときの饅頭、麺類が旨くて料理する必要がなかった。

 温泉地もタクシーで20分程度で行けて料金も格安で非常に満足した。高雄の北部の台南に観光に出かけ、レトロでおしゃれな雰囲気が漂う通り・神農老街を歩いたが、何か、不思議ノスタルジックな感じを覚えて気に入った。昼食は名物のエビを使った炊き込みご飯「蝦仁飯」が、ほんのり甘く、しつこさがなくさっぱりと上品な味で大好きになった。

 ホテルや喫茶店を回ってみると高雄よりも物価が安く、今度、来るときには台南の方が良いかも知れないと思ったほどだ。オランダ統治時代の建物、安平古堡や孔子廟を見学して帰って来た。その他、数日後、関子嶺温泉という泥湯に入ったが、この温泉の泥パックは美肌効果もあるそうで女性に大人気だそうだ。

 高雄滞在の時に4回も台南にきて散策を楽しんだ。その後、暖かくなってきたので台北に移動して2週間滞在。最初に九分の町並み、昔、映画で見た「千と千尋の神隠し」の世界観そのものだった。また印象に残ったのは十分のランタン上げで願いを書き込んで提灯につけて空高く上げるというもの。

 これは楽しいもので他人の 提灯が上げるのを見ているだけでも面白い。台湾最大の夜市、士林夜市にも行ったが混雑して直ぐ帰った。台北の郊外にも有名な温泉があり豪華な鳥来温泉と秘湯の感じな陽明山温泉に出かけて見たが、昔の日本という感じがして、多分これに引かれて、日本の中高年の人達が台湾に良く来るのだろうと考えた。

 そして3月12日、日本に帰ってきた。その後2007年4月に金井絵美は新生銀行橫浜支店に就職して橫浜駅近くの賃貸マンションに引っ越して言った。2007年7月16日15時37分40秒に新潟中越地震で長岡市、柏崎市、刈羽郡、飯綱町で震度6強の地震が起きた。

 死者15名、重軽傷者2316名、住宅全壊1331棟、半壊5710棟で直後の断水と停電が起きた。この地震のため、この夏がドライブに出かけず家でエアコンの前で過ごした。しばらくして2008年を迎えた。2008年の冬は沖縄の那覇のマンション風のホテルで1月末から5週間、滞在して散歩したりして過ごした。

 昼食は近くの店で朝食と夕食はスーパーで買い物をしてきて間に合わせて5週間で2人で20万円弱で過ごした。2008年3月初旬に戻ってきて米国ではサブプライムローンの問題がささやかれ始めていた。2008年4月には亡き、金井次郎の長男、金井秀二はKDDIに入社し東京の社員寮に入った。

 金井一郎の家を出て言った。その後、2008年9月15日に投資銀行、リーマンブラザースが経営破綻した。米国の住宅バブル崩壊で地価下落してリーマンブラザースが経営破綻しFRBや政府の莫大な資金供給で2009年に入り少しずつ株式市場が上がって来て終結した。

 2009年4月に金井秀二が橫浜市大医学部の循環器内科の研修医を終えて三ツ沢の橫浜市民病院の循環器内科にに配属されて委任前の医師として外来を診て病棟の患者さんの担当医を務め始めた。2009年6月に金子一郎が胸が苦しいと言い近くの開業医に行ったが逆流性食道炎と断されたが痛みが治まらなった.

 そこで孫の金井秀二の勤める橫浜市民病院で診察を受けると心筋梗塞とわかり、その当日、2009年6月11日のうちに手術がきまり主治医が金井秀二となった。ステント手術はうまく言ったから1週間の入院で退院できそうだと言い血液をさらさらにする薬と止まりにくくすると心臓の動きを多少抑える薬を出すと言われて退院した。

 3ヶ月後、普通通りの生活を遅れるが血圧を下げているから貧血に気をつけてめまいがしたら休むように言われた。リーマンショック後、日本の株価も地価も下げていて橫浜のみなとみらいのマンションにも売り物が出始めた。2009年12月、山下公園行ったとき、金井義朗はMM21地区にできたマンションに住みたいなーと漏らした。

 みなとみらい地区のマンションの販売広告に目を通すようになった。M.M.タワーズの8年経った中古マンション2LDK、80平米以上を予算8千万円代で買いたいと考えて不動産屋に打診した。空き物件が出たら知らせてと言った。その後、2010年があけ2010年2月14日、4つの物件が出たと連絡が入った。

 その中で間取り2LDK82平米の海側の部屋で8千万円で金井義朗の気に入り購入した。その後、金井一郎とかなえさんも、そのマンションを見に来て、その景色の良さに驚いた。たまに泊まらせてもらえるかと聞くと義朗が、えー結構ですよと言われた。その後、花火や食事会の後など泊まらせてもらう事にした。

 その後、義朗の子供や孫達が、たまに訪ねて来て泊まるようになった。2010年6月14日に橫浜市民病院の循環器内科、金井秀二の診察を金井一郎が受けて異常ないので10時間以内の飛行機移動なら旅行も許可され、今後、年に1回の検診で結構ですと言われた。

 その話を聞いて8月3日から6週間、小樽に移動して涼しい夏を過ごし札幌、小樽周辺を散歩した。温泉や食事を楽しんで療養した。その後も体調管理のために自宅近くのスポーツジムに通った。奥さんのかなえさんとともに定期的に運動をするようにした。月に1、2回は元町の素敵な店でお茶したり買い物を楽しんだ。

 そこで気に入った洋服を見つけると買っい元町をぶらついた。中華街の個性的な中華料理店を巡って昼食を楽しんだ。そして2011年があけて初詣でに行き長寿と家内安全を祈願。2011年2月上旬、沖縄に行き。暖かい那覇でゆっくり散歩や食事を楽しんで3月6日に横浜に戻ってきた。
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