1-3  川辺の戦闘

文字数 4,393文字

 突然の声に振り向くと、夜の川面に怪人が立っていた。

 頭まですっぽりと覆う黒の外套(がいとう)に表情を隠す白い面。その異様な風貌にあって、爛々(らんらん)と輝きを放つ赤い瞳がやけに目を引く。だがなにより特徴的なのは、両手で握った大鎌だろう。その幅広の刃は、星明りを受け淡い銀の光を(とも)していた。

『マスター。不審者さんです』

「ああ。そうだな」

 ほかに答えようがない。見るからに怪しい相手への警戒感から、コーヤはほぼ無意識のうちに電導具であるブレスレットへ手を添える。

 不意に、電子妖精(エレリィ)が声を張り上げた。

『――緊急報告! サークルとの接続が遮断されました!』

「なんだって?」

 サークルとは、エレカルサーキュレーションの通称で、電素を介して情報のやり取りを行う世界的な情報通信システムのことだ。そことのつながりが途切れたということは、コーヤのウェアコンが情報的に孤立したことを意味する。

『妨害電波によって電素の流れが遮断されているんです。発生源は……あの人です!』

 バイザーに表示された矢印が白い面を指す。その平坦な表情から内面をうかがい知ることはできないが、赤い瞳は確固たる意思を宿していた。

「ソノ娘を渡してもらオウ」

「魚じゃなくて、か? ここまで追い込んだのはあんただと思うんだけど」

「ソノ見解は正シイ。ダガ、自分が追って来たのはそちらのホウ」

 そう言って怪人は、コーヤの腕の中を示した。骨のように細い指が、電子人形(サイドール)の少女を射抜く。

「その娘は本来この世界に生まれてはいけない存在ダ。ここで消ス」

「んな!」

 一瞬、言われたことが理解できなかった。だが、構えた大鎌から本気だと悟ると、コーヤは怒鳴るように反論した。

「そんなこと、許されるわけないだろ! AI法を知らないのか?」

「法ハ元より関係ナイ」

「だからって渡せって? そりゃ無理だ。そんな理屈通したら世の中めちゃくちゃだ」

「オ前の意志は理解シタ。だが、尊重はでキナイ」

「だから、なんでだよ!」

 かみ合わない会話に苛立(いらだ)ちが募る。それでも怪人は取り合わず、虚空を見上げる。そしてあろうことか、その手にした純白の刃を振り上げた。

「――許可はオリタ。障害は、排除スル」

 掲げられた大鎌の切っ先が、まばゆく輝き始める。

『マスターっ!』

「っ!?」

 相棒の短い叫びで咄嗟に頭を伏せるコーヤ。そのすぐ上を、紫の稲妻がかすめるように通り過ぎた。

『大気中の電圧が急激に上昇中。第二波、来ます!』

「問答無用かよ!」

 電子人形(サイドール)の少女を抱えたまま横に飛ぶ。械物(メカニスタ)と闘う中で培われた反射神経と筋肉は、続けざまに放たれる電撃をかわしてみせた。だが、いかに電子妖精(エレリィ)のサポートがあるとはいえ、いつまでも避けきれるものではない。

「ええい!」

『マスター、そっちです!』

 パティに促され、コーヤはひとまず川辺に茂った(やぶ)の中に転がり込んだ。背の高い水草の間に少女を横たえ、とりあえずの避難場所とする。

(なんだってんだ、一体)

 混乱しそうになる頭を押さえ、改めて現状を確認。

械物(メカニスタ)に飲み込まれていた子を助けたら、不審者が現れて襲って来た。助けを呼ぼうにも、ここは無人の川原で通信手段も断たれてる)

 ならば自分の取るべき道は――。

「これって正当防衛だよな」

『もちろんです』

 固い(きずな)で結ばれた主従に細かいやりとりは不要。

 電導士の少年は反撃に出る。

「ランディング、炎神(アグニ)!」

 コーヤの手の中に赤い剣が現れた。サイズも重さも自分にぴたりと合ったそれは、灼熱(しゃくねつ)を帯びた炎の電装。柄を力強く握り、(やぶ)の中から走り出す。

(まずは相手の得物を無力化する……!)

 (きら)めく白刃を高熱で潰すべく、身体を左右に振りながら大鎌へ向かう。

「ムッ」

 不意打ちに気付いた相手が、紫電の狙いを(やぶ)からコーヤへと変更しようとする。

 だが遅い。

「はああっ!」

 猛る炎が紫の輝きを喰い散らす。大鎌が雷を構築している最中に外部から熱という余計な情報を加え、設計図に当たる電素の構成を乱したのだ。確かな手応えを感じたコーヤは、気を緩めることなく一気に畳み掛ける。

「うおおっ!」

「フンッ!」

 稲妻の不発を悟った怪人が大鎌を回すように()ぐ。

「っと!」

 一足飛びにかわし、空中へ移動。

「おりゃああ!」

「……ッ!」

 熱した刃を冷たい刃へ(たた)きつける。だが相手もさるもので、指揮棒でも振るかのように大鎌を操り、コーヤの攻撃をいなしてみせた。そうして打ち合うこと数度。

『そんな、こんなことが……!』

 電導士の少年の耳に、愕然(がくぜん)とした声が聞こえた。それは人工知性にとっては珍しい、愕然(がくぜん)とした響きを帯びていた。

『気を付けてくださいマスター! その人は異常です!』

「異常って……」

 返事をしようとしたところに怪人からの反撃。

「っ!」

 振り下ろされる大鎌の一撃を(はじ)いて防ぐ。何度目かの火花が小さく散った。だが熱剣でいくら切りつけようと、鋭利な刃は澄んだ音を奏でるだけで一向に曇る気配を見せない。

 思ったような効果が出ないことに歯がみしつつ、コーヤはウェアコンに思考を直接読み取らせた。

[そうだな。か弱い美少女を狙う変質者だ!]

[冗談言ってる場合じゃないです!]

 効率を優先したのだろう、パティも脳裡(のうり)に直接語り掛けてくる。

[その人は電導法を一切使っていないんです。これだけ周囲の電素を動かしているのに、電相空間には電言(コマンド)の反響も電路(サーキット)の痕跡も一切残っていないんです]

[なんだって!?]

 それが本当なら、相手は電導法の発動に必要なプロセスを一切踏んでいないことになる。電素への直接命令も強制操作も行わないで超常現象を発現させるなど、とてもではないが信じられない。

[冗談だろ。大昔の魔法使いだって、呪文や魔法陣なしでは何も起こせないって話だぞ]

[でもホントなんですよぅ]

 相棒が半泣きしながら計測結果を見せてくる。

 つられて思い浮かべたイメージは、(なぎ)

 情報の流れもノイズのうねりもない、静かな電子の海だ。

 これが自分を対象にしたものだったら、さぞ大荒れだろうに。

[あの鎌、電導具じゃないのか? さっきから雷バンバン撃ってくるぞ]

[そのはずなんですけど……でも電相空間に影響が出てないんです]

 電相空間は世界中の電素が共鳴して創り上げる情報世界。

 この世のあらゆる存在は、互いに影響を及ぼし合っているという真理の現れだ。

 電導具は、この抽象的世界へアクセスすることで効率よく電導法を発動する。逆に言えば、電導具を使用すれば電相空間にも影響が出るのだ。

[じゃ、情報操作系の電導具……いっそあいつ自身がステルス機能を持ったオートンって可能性は? それで痕跡を消してるとか]

 念じるように問い掛けたところで、怪人が大鎌を斜め後ろに構えた。横薙(よこな)ぎの一撃、と見せかけての柄による突き。そう予測したパティが、回避経路をバイザーに示しながら解説を続ける。

[こうも完璧に隠蔽(いんぺい)するなら、工事車両クラスの電導具が必要ですよ。オートンだと仮定するならなおさら、頭脳である電理機本体の活動を隠せません]

「そうか」

 (やり)のような鋭い突きをぎりぎりでかわし、距離を取りながらコーヤはつぶやいた。

 相棒の言いたいことはつまり、相手が電磁気学ではなく化学的に情報を処理する機関、脳で行動を決定するヒトだということだ。その手にも電導具はない。

 だが、電導具を用いないで電導法を扱うことなど不可能。

 そして、ヒトは生身で奇跡を起こすことはできない。

(こりゃ、本当にお化けかもしれないな)

 相手の異様さを認めたコーヤは、覚悟を決めた。

「パティ、攻撃役(アタッカー)人格変更(キャラクターシフト)。ガンガン行って押し返すぞ」

[ええ! でもそれは……]

「先に仕掛けてきたのは向こうの方だ。それにあいつの正体は不明だが、もしオートンなら違法品(イリーガル)なのは明らかだ。逆にヒトだとしても、救難信号を発した人工知性の理由なき破壊は認められない。俺は電導士として、あいつを止める義務がある」

[――そうですね。分かりました]

 ほんのわずかな沈黙をおいて、電子妖精(エレリィ)主人(マスター)の決断を受け入れた。ここから、本格的に生活ではなく戦闘のサポートに移る。

人格変更(キャラクターシフト)。パティ・アサルト』

 少年の視界に映るガイドの向きが変化、色も青から赤に変わる。防御や回避を最低限に抑えた、より攻撃的な動きを提示したのだ。

「よし。一気に決めるぞ」

『了解』

「いくぜっ!」

 お返しとばかりに突きを入れる。だが相手も、コーヤが踏み込んでくるのを狙っていた。上段に構えた大鎌を勢いよく振り下ろしてくる。湾曲した刃がコーヤの背中を狙う。

 だがそれは、電子の妖精の予測通り。

『今です』

火焔刃(イグニスブレイド)!」

 絶妙のタイミングで発せられた合図と同時に電導法を発動。コーヤの手にした剣が深紅の炎を帯びる。同時に突き出した腕を身体ごと回し、勢いよく空間を()ぎ払う。

「はあっ!」

「……!?」

 紅の光が尾を引きながら銀の刃を切断、そのまま独楽(こま)のように舞いながら黒衣へと迫る。

「これで……終わりだっ!」

 空いた懐へ炎神(アグニ)(たた)き込む。紅蓮(ぐれん)の衝撃をまともに食らった怪人は、うめくような声を上げて川原に膝をついた。

「……グッ!」

「勝負あったな」

 コーヤは剣に(とも)った炎を消した。しかし得体の知れない相手だけに油断はできず、刃を向けたまま慎重に言葉を重ねる。

「あんたが何者か知らないが、これ以上あの子に……」

《カーン、ゴーン。カーン、ゴーン》

 どこか遠くから、鐘の音が聞こえてきた。

 同時に。

「時間カ」

 そう一言つぶやいた怪人が、その場でマントを翻す。

 白い面と赤い目が漆黒の布に覆い隠され――。

「あ、あれ?」

 消えた。

 怪人はおろか、マントも大鎌も。

 まるで全ては三次元映像(ホログラフ)だったかのようになにも残らない。

「……パティ?」

 困惑して問い掛けると、きわめて事務的な口調が返ってきた。

『光学、熱、両センサー共に反応なし。不審な電波も検出できません』

 ヒトには不可視の領域を見通す電子妖精(エレリィ)の『目』をもってしても、その影すら見つけることができない。こんなことは初めてだ。小石と水草の広がる周囲を見渡しながら、コーヤは呆然(ぼうぜん)とした気持ちでつぶやいた。

「跡形もなく消えた、ってか」

 全く訳が分からない。そう首をかしげながら、あることを思い出した。

「そうだ、あの子……!」

 慌てて水草の群生地に戻ると、果たして電子人形(サイドール)の少女は無事だった。眠るように横たわるその姿を見て、コーヤはようやく一段落ついたのだと実感した。

「パティ、デフォに戻っていいぞ」

『了解。……人格変更(キャラクターシフト)、パティ・アシスタント』

 少年の指示を受け、妖精のまとう雰囲気が変わる。通常モードに戻った相棒は、それまでの冷静さに代えて困惑も(あら)わに言った。

『マスター。今の人、なんだったんでしょう?』

「俺が聞きたい」

 そもそも人、というかヒトなのか。それすら怪しい。

 主従そろって疑問を浮かべていると、電子人形(しょうじょ)の目が静かに開いた。
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