5-6  電子仕掛けの夢(後)

文字数 2,435文字

 それからアムは何度も、こっそり部屋を抜け出しては独房へと通った。

 自分と同じプロジェクトで生まれた姉妹のことを、もっと知りたくなったのだ。三度目の訪問でコードネームを教えてくれたが、エミリアと名乗った時の彼女は明らかに不機嫌だった。

 だが、その負の感情さえもアムの興味の対象となった。

『どうして姉さんは笑わないのですか?』

『亡霊だからだ。死んだ人間が笑うもんか』

『ぼうれい……?』

『ああ、そうだ。戦場で倒れ、そのままくたばるところを何の因果か臓器密売人に拾われ、脳ミソごと売り飛ばされた。マインドプログラムの実験材料としてな。それから解剖込みの徹底的なスキャンを受け、精神活動を丸ごと電理機に移し替えられた俺は、今や電子モルモットの状態だ。身体を失い意識だけになった存在など、亡霊以外の何だってんだ』

『ぞうきみつばい。まいんど・ぷろぐらむ。でんし、もるもっと……???』

『ふっ。箱入り娘には難しすぎたか』

 まだ学習していない概念に戸惑っていると、出会ってから初めてエミリアが笑ってくれた。だがそれは、アムの知識にある正の感情表現とは別ものに聞こえた。

 なぜ違うように聞こえるのか、どう違うのか。

 新たに生まれた疑問を問いとして設定。その答えを考えることで、アムはエミリアの言葉を自分なりに理解しようとする。

(ヒトが笑うのは(うれ)しい時や楽しい時です。しかし私の質問に答えている時の姉さんはつまらなそうでした。でも私が姉さんの言葉を理解できずにいると笑いました。これはつまり……姉さんは理解されないと、(うれ)しいとか楽しいと感じるように造られている???)

 どうにか導き出した解答は、彼女の精神プログラムにさらなる混乱をもたらした。

(……むう。どうやらこれは、自分には処理しきれない問題のようです)

 そう判断したアムは、別の角度から問いを立ててみることにした。

『では姉さん。楽しいことであれば笑えますか?』

『そんなもの。こんな狭い穴倉にあるわけない。……酒でもあれば別だが』

『サケ?』

『ああ。月を見ながら飲むとうまいんだ。もう二度と、そんな機会はないだろうが』

『姉さんはその、サケが欲しいのですか?』

『飲めるものならな』

『では、探してきますね。所内のどこかにデータがあるかもしれません』

『聞き込みでもする気か? 探偵じゃあるまいし、変な遊びをするなと怒られるぞ』

(たんてい?)

 また知らない言葉が出てきた。学習用データベースで検索すれば意味を調べることはできるが、しかし今は知識の拡充より優先することがある。

 アムはどこまでもつれない姉に食い下がった。

『では、どうしましょう? 家族とは楽しいことや悲しいことを共有する共同体だと教わりました。姉さんが笑ってくれないと、私は独りになってしまいます』

 感情の共有ができていないから、一緒にいる気がしない。それが嫌なのだ。

 エミリアは、アムが普段研究所で交流している人工知性たちとはまるで違う。

 他の皆は研究者に対して忠実なのに、彼女にはそうした様子が見られない。どちらかというと嫌っているようだが、といって反抗的でもなく、まるで他者に興味がないようだった。

『それでは困るのです、姉さん。家族なのに家族ではないなんて、悲しいです』

 彼女はアムにとって、初めて出会えた家族。だからもっと一緒にいたいし、気持ちを分かち合いたい。しかし思いは通じなかったようだ。

『姉妹だから家族か。論理優先の機械らしい発想だ』

 小馬鹿にしたような口調で言われる。どうしてそんな態度を取られるのか理解できず、アムは小首を傾げた。

『姉さんが楽しくないと、私も楽しくないのは確かですよ?』

『ならここから出してくれないか。お前が俺をどれだけ楽しませようとしてくれても、ずっと(おり)の中では心が腐る』

『――!』

 その発想はなかった。

 だがアム自身も、部屋の外へ出てみたくなって研究所内の散策を始めたのだ。娯楽よりも自由が欲しい気持ちは理解できる。

 心が腐るという表現も、データベースには集録されていない。しかしそれも、部屋に籠もっていた時に陥った心理状態にぴたりとはまる。

 ひょっとするとこれまでのAMシリーズが育たなかったのは、開発環境が閉鎖的に過ぎたのかもしれない。

『なるほど……』

 多くの経験を積み、さらには広い思考能力を持っている。やはりエミリアという『存在(ひと)』は自分の姉なのだと、アムは再認識した。よりいっそう、彼女と一緒にいたいという欲求が強くなる。

『分かりました。すぐに開けますね』

『あ?』

『ん……』

 暗く重い色の格子窓に手を伸ばす。そして――。

『んんん~!』

『おい馬鹿やめろ! 自分が何をしているのか分かっているのか!』

『はい。姉さんをここから出そうとしてます~むむむ!』

『そういうことじゃねえ!』

 どれだけ両腕に力を込めても電子の(おり)はびくともしない。それでも諦めずに格子と格闘していると、これまでに聞いたことのない叫びが聞こえてきた。

『保安部にばれたらただじゃ済まん! 消去されるぞ! 死ぬのが怖くないのか!』

『しぬ?』

 ソレは生命の活動停止を意味する動詞ではなかったか。少なくとも、電相空間上で活動するソフトウェアの自分には当てはまらない。

 それともなにか、まだ学習していない別の意味があるのだろうか。

 アムが言葉の意図を測りかねていると、エミリアは()め息交じりに諭してきた。

『プロジェクトが進めば外で会える。だから無茶はするな』

『本当ですか?』

『姉を疑うのか?』

『いいえ』

 そう返事はしたものの、根拠のない断定を信じきることができない。

 初めて発生した論理的できない負の感情――不安を削除するために、アムは姉と慕う相手に念を押した。

『本当に外で会えるんですね。姉さんはちゃんと、その部屋から出て私と会うんですよ』

『そうだ。そう言ってる』

『約束ですよ。守らなかったら怒りますよ』

『ああ。約束だ』

 返ってきたその声は、なにかを楽しんでいるように聞こえた。
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