6-2  新しい日常(みらい)へ

文字数 1,756文字

 教壇からは教室全体がよく見えた。中でも、焦った表情の少年と不機嫌に尻尾をゆらす猫の少女の様子が目につく。その光景を前に、アムは不思議に思った。

(なんだか楽しそうに見えます。なぜでしょう?)

 他の生徒たちも、次に誰が質問するかで()めているものの争っている雰囲気はない。いつまでも騒がしい彼らと、この場を静めようと躍起になる教師を視界に収めながら考える。

(先生も怒ってはなさそうです)

 観測される外見と予測される内面の不一致というのか。表情や仕草から受ける印象が、見た目と食い違っているように感じられる。

(これも、姉さんのいう『凝った感情表現』の一つでしょうか?)

 転入が決まった時に、エミリアと交わした会話を思い返す。

――――――――――――――――――――

電使(エレカンジェル)に認められた初のアーティマンとはいうが、お前は人というには未熟すぎる。学校でいろいろ勉強して来い』

 人体実験の被害者であるエミリアは、当分の間医療施設で療養生活を送ることになった。

 対して、世界の管理者にヒトだと認定されたアムは、一連の経緯を考慮しウィーニアの家に引き取られることが決まる。再び姉と離れるのは嫌だったが、本人の態度はつれないものだった。

『お勉強ならサークルでもできますよ』

『人工知性ならそれで十分だろう。だが、これから人として生きるのなら、情報をただ頭に()め込むだけじゃだめだ』

『あたまはダメ。ではコーヤさんのサークレットみたいなウェアコンはどうでしょう。そちらに蓄えれば、学校に行かなくていいですよね』

『……もののたとえだ。何かを覚える以上に、どのように学ぶかが重要だと言ってるんだ』

 両手で頭部を押さえながら訴えると、エミリアの表情筋から力が抜けた。それは(あき)れの感情の表れに見えたが、しかしその声の音調は優しさを示しているように聞こえた。敬愛する彼女の意図を測り損ね、アムは頬を膨らませて抗議した。

『姉さん、意地悪です』

『どうして?』

『顔と声の表現する感情が一致していません。ひょっとして、私をからかっているんですか?』

『そんな風に感じるのは、制限された環境でしか他人と触れ合えなかったからだ。俺とはいつも扉越しだったし、研究者どもとも画面越しにしか会ったことないだろう』

『はい』

『だから凝った感情表現に馴染(なじ)みがないんだよ。別に俺は意地悪したつもりはない』

『本当ですか?』

『姉の言うことだ、信じろ』

――――――――――――――――――――

 穏やかに微笑(ほほえ)むその顔は、実に綺麗(きれい)なものだった。造りは同じはずなのに、なぜ自分よりも魅力にあふれているように見えるのか。あるいはこの差こそが、人と機械の違いの表れだろうか。

(……姉さんは、私は人として未熟と言いました。ではここで、ここの人たちと一緒に学べば、私も姉さんみたいに綺麗(きれい)になれるのでしょうか)

「ええいっ、きりがない! あとは休み時間にしろ!」

 教師のよく響く声が思索の終わりを告げる。いよいよ研究者ではなく、自分自身によるバージョンアップが始まるのだ。

「……ごほん。ホームルームを始める。アム、席に着くといい。あそこが空いているだろう」

「はい」

 指定された席に足を向ける。このわずか十数歩ほどの直線が、機械から人へという途方もない道のりに続くのだ。

(知識を学ぶだけならこれまでと変わりまはせんが……どうでしょう。アーティマン(わたし)アム(わたし)らしくなれるのでしょうか)

 人工繊維でできた筋肉がこわばるような緊張を覚える。すると、そのわずかな変化に気付いた生徒がいた。

(コーヤさん……)

 安心させるように微笑(ほほえ)んでくれる彼に、アムは心の底から感謝した。張り詰めた身体から、自然と力が抜けてくる。

(そうです。不安を覚える必要なんてないんです。私は素敵なことを探しに外へ出たんですから)

 アムは改めて自分の座るべき席を見つめ、それからもう一度クラスメイト達へ挨拶した。

「それではみなさん、今日から一緒にお願いします」

 再び拍手と歓声に包まれ、電脳の感情中枢が明るい気分を誘発させる。

 コーヤの側にいられるのは(うれ)しいし、もう一度リーシンに占いについて聞いてみたい。ウサギの委員長と話をするのも楽しそうだ。

(姉さん。私、これから世界に触れます)

 希望に沸き立つ心を胸に、少女はその一歩を踏み出した。

(終)
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