第1節 近代ジャーナリズムと言論の自由

文字数 2,043文字

第2章 ノンフィクションとは何か
第1節 近代ジャーナリズムと言論の自由
 古来より同時代的な事件や出来事、人物、異文化を記録することは行われてきたが、ノンフィクションは実質的に20世紀から始まったと考えるべきだろう。トゥキディデアスの『歴史』やイブン・バトゥータの『三大陸周遊記』は、非常に興味深く、示唆に富んだ作品であるが、ノンフィクションとは呼べない。近代ジャーナリズムの方法論を踏まえていないからである。

 近代ジャーナリズムを語る際に、しばしば正確性・客観性・中立性が問われるが、その基準は社会的に妥当であるかどうかから判断される。ジャーナリズムに法的トラブルはつきものである。最終的には、裁判になった場合でも、勝訴し得るだけの正確性・公正性・公共性があればよい。もちろん、ソクラテス裁判や松川裁判が示している通り、裁判所は無謬ではない。言論の自由に関して茶番のような裁判が行われている国や地域は世界中至るところに見られる。

 ジャーナリズムは、有形無形を問わず、圧力や嫌がらせ、暴力などの危険にさらされ、日本では「自粛」という”Terminate with extreme prejudice”が出版社から作品に少なからず発せられる。基準は会や時代に応じて変動し、なおかつある一定範囲の間で伸縮するものである。アグネス・スメドレー(Agnes Smedley)の『中国の歌ごえ(Battle Hymn Of China)』(1943)やフレデリック・フォーサイス(Frederick Forsyth)の『ビアフラ物語(The Biafra Story)』(1969)のように、明らかに特定の側に肩入れしている作品もあるが、それには、概して、社会の空気が一方的な方向に流れているという背景がある。

 そもそも、近代ジャーナリズムを支える「出版の自由(Freedom of the Press)」は裁判を通じて確立されている。それは、植民地時代のアメリカにおけるドイツ系移民の新聞発行人ジョン・ピーター・ゼンガー(John Peter Zenger)の法廷闘争である。

 当時の新聞は植民地総督の許可を受けて発行されており、当局に都合のいい内容だけで埋め尽くされている。1733年、ニューヨークで、ジョン・ピーター・ゼンガーが『ニューヨーク・ウィークリー・ジャーナル(The New-York Weekly Journal.)』紙を創刊する。彼は『ジャーナル』紙に、御用新聞とは一味違う記事を掲載する。その中には、ニューヨークの総督ウィリアム・コスビー(William Cosby)に対する批判も含まれ、1734年、御立腹の総督に代わって当局は、早速、彼を逮捕し、訴追する。しかも、ゼンガーは記事の真偽だけでなく、名誉毀損も問われる。

 18世紀前半のイギリスの法では、報道がたとえ事実であったとしても、名誉毀損罪が成立することになっている。この点でゼンガーは、正直言って、分が悪く、勝ち目はないというのが大方の見方である。にもかかわらず、公判の中で、ニュース・ソースを明らかにするように求められたのに対し、ゼンガーはそれを拒否、新聞人が掲載した記事に対して全責任を負っており、情報の通告者を保護すべきであると主張している。

 この法廷での彼の弁明は世間から広く同情が寄せられる。ベンジャミン・フランクリンの友人のアンドルー・ハミルトン(Andrew Hamilton)もその一人である。有能な弁護士と評判のあった彼はフィラデルフィアからニューヨークへ赴き、自らゼンガーの弁護をかって出ている。ハミルトンは巧みにゼンガーを弁護する。名誉革命の意義を踏まえ、専制的な権力に対抗して、真実を語ることは英国人としての当然の権利である以上、ゼンガーの記事が事実であるとしたら、彼は無罪となるべきだと訴えている。1735年8月、陪審員はこの弁論を支持し、ゼンガーは無罪となり、釈放される。

 この公判の様子は他の植民地にも新聞を通じて伝わるが、それ以上に衝撃を受けたのはロンドンである。この判例により、政府や役人を批判することは、それが明白な虚偽ないし悪意であると証明されない限り、自由で、名誉毀損は適用されないことになったからである。加えて、植民地の同意がなければ、本国が法で植民地を縛ろうとするのが難しくなる。植民地の報道の自由は本国以上に拡大され、それに支えられた出版産業が発達し、後に、独立のイデオロギーを喚起・形成していくことになっていく。

 1789年8月26日にフランスの憲法制定国民会議で採択された「人間と市民の権利の宣言(Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen)」は検閲の廃止を謳い、11条で出版の自由に言及されている。出版の自由はフランス人権宣言に先立ち、さらに近代体制そのものを実現化する一つの原動力として機能している。
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