第11話 その日を夢見て

文字数 2,553文字

 それから数日後、私は39歳の誕生日を迎えた。父の命日の前日であり、それまで憂鬱な気分で過ごしてきた一日が、ダリオの存在により、この世に生を受けた事を心から感謝できた日になった。翌日、実家へ戻り、仏壇の前で手を合わせながら、父に新たな決意を報告した。

 父の33回忌の法要に、姉家族も下関に帰ってきた。ダリオを直接紹介できたいい機会だった。その時6歳になったばかりだった姪は、私の横に外国人男性がいるという状況に、はじめは少し戸惑っていたように見えた。姉や義兄は、イタリア人とはいえ、物腰の柔らかいダリオの雰囲気が、かえって好印象だったようだ。寺で法事をした後、みんなでイタリアンレストランへ行った。ダリオの目の前の席に座っていた姪は、ダリオが食べる様子や、私達のイタリア語での会話に興味深々だった。その後、デパートへ向かっていた際、手を繋ごうとダリオから差し出された手をすぐにつなぎ返していたのを見て、私はとても嬉しくなった。

 京子さんは、ダリオが日本へ来る前から、家に招待すると意気込んでいたけれど、近い親戚に不幸があり、一緒に食事することが実現できなかった。それでも、前回同様、ダリオが出発する日、マンションの下まで見送ってくれた。私達の別れを想像し泣きだした彼女を、今度は私の方が慰めていた。
私は、二人の関係が前進したことで、とても心強くなっていた。福岡から旅立つダリオを見届けてからも、涙は最小限におさえられ、新たな希望に満ちていた。
 

 イタリアへ戻ったダリオは、受け取った郵便物の中から、離婚手続きを頼んでいた弁護士からの手紙を見つけた。イタリアではその当時、理由はなんであれ、どんな離婚事例も必ず弁護士を通しての協議離婚が義務付けられていた。その上、別居期間3年が満了して、ようやくその手続きが始められるというシステムだった。日本とは違い、公共機関サービスの迅速さという点では、劣っているイタリアで、実際ダリオも裁判所からの招集の知らせを首を長くして待っていた。その手紙は、離婚協議を裁判所で執り行う日取りの通知で、結婚の約束をしたばかりの私達にとっては、この上ない朗報だった。

 私はイタリアで生活をスタートするため、出来る限りの情報を集め始めた。
それまで一度も別の街に住んだ経験もなく、40歳目前でいきなり海外へ飛び出すこと。イタリアにはダリオ以外に知り合いなど全くいない事。考えてみたら、とても大胆な決断をしようとしていたのに、自分でも驚いたほど、大した不安を感じていなかった。地元を出た事がないといっても、それまで生活の中で、特に仕事に関しては、自ら居場所を変えてきた。そして、それまでも新しいことへ挑戦したり、興味をもった世界を冒険することを、惜しみなくやってきたことが、ある意味自分自身に勇気を与えたのだと思う。もちろん、ダリオを信頼していた事、「イタリア」という国にずっと特別な想いがあった事も気持ちを不動にした。「もしだめだったら、日本へ帰ればいい。」そんなフレーズは全く頭に浮かんでこなかった。イタリア滞在中の度重なる幸運、日本へ帰る飛行機に搭乗する際何度となく見た晴れ渡った空、そういう前向きなイメージが「イタリアで、きっと私は幸せになれる。」という思いにさせた。
 
 11月、ダリオの恋人として、旅行者として、最後のイタリア旅行へ出発した。
その少し前ダリオは、ついに5年越しの離婚裁判の手続きを済ませたばかりだった。ダリオの住んでいた家から、そう遠くない距離にあったホテルに一週間滞在した。フィレンツエ郊外のその街を、初めて訪れた時から、とてもいい印象を持っていた。その機会に、また街のあちこちを歩きながら、緑が多く落ち着きのある雰囲気に、よりいっそう新しい生活への期待が膨らんだ。ある日、ダリオからプレゼントを受け取った。「こちらの生活を始めたら、きっと必要になると思って。」と少し大きめの財布を選んでくれていた。身分証明書、会員証、銀行カード・・常時携帯すべきカードが多いイタリア生活を間もなく始める事になる私への配慮だった。その日は、二人がフィレンツエで出会った日で、そのわずか2年で、これほどの変化があるとは、私もダリオも想像すらしていなかった。ダリオは、日本を離れイタリアへ渡る決意をした私を、できる限り精一杯支えていくと誓ってくれた。「ダリオがそばにいてくれたら、なんの不安はない。」と、私もダリオへの信頼を率直な言葉で伝えた。いくらその国が好きで憧れを持ち続けていたとしても、旅行するのと、その地で生活するのは全く違う。その相手がダリオでなかったら、私は今でもイタリアを想いながらも日本へ住み続けていたと思う。

 翌日、ダリオのお母さんを訪ねた。「日本を離れ、イタリアでダリオと結婚します。」と伝えた時、泣きながら抱きしめてくれた。そして、「イタリアで何かこまったことがあっても、こんな優しい顔つきのあなたになら、どんなイタリア人でも手助けしてくれるから心配しないでも大丈夫だから。日本のお母さんからは遠くなるけど、イタリアには私がいるからね。」と、背中を押してくれた。


 日本へ帰り、すぐに母の元を訪ねた。その春、ダリオと将来の方向性を決めたと伝えた時は、決して良い反応はなかった。誰かの言葉を利用して、遠回りに反対するようなことも言っていた。ただ私が周りの意見に影響されるタイプではないことは母もよくわかってはいたし、ダリオのお母さんにすでに報告をした事や、ダリオがどういうふうに私達の生活を見据えて準備し始めているかなど、話していくうち、少しは納得した様子だった。ダリオは二人の将来を考えた時、自分が日本へ行く選択あると思ったと言っていた。ただ、私はすでにイタリア語を少なからず話せたし、私の派遣契約とは違い、ダリオは安定した環境で働いていたため、イタリアで結婚生活をスタートさせる方が妥当だと考えたと。私だけが、長年暮らした環境を捨て、異国でゼロからスタートするということへの申し訳なさもあったからとも言っていた。ダリオが50歳、私は39歳。国際結婚とはいえ、二人の選択に目に見えて生涯になるものが無く、私達は各々新しい生活に向けて、更なる準備に取り組んだ。
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