第3話 私の生きる道

文字数 2,643文字

 8年間の銀行員生活は本当に目まぐるしい日々だった。
たった8年の中に爆発するような喜怒哀楽があった。入行当初は、戸惑い、恐れの連続だった。幸い同期の仲間には恵まれ、相談したり励まし合ったり、それまでの学校生活では得られなかった友情に助けらる場面が多かった。入行から5年間勤務した支店は、来店客数が多く、毎日膨大な業務に追われた。それでも少しづつ仕事を覚えていくことに喜びを感じていた。同級生と上手く付き合う事ができなかった私も、社会人となり、仕事を通して自信が持てるようになったり、年の離れた同僚たちと積極的に交流することで、精神面で自分の殻を破れた気がする。仕事の仲間と、一緒にお酒を飲んだり、週末の小旅行をみんなで企画したり、それまで苦手だったグループ行動を楽しめるほどになっていた。入行6年目を迎える少し手前で突然内示があり、本店営業部へ転勤が決まった。 当時
は、後輩も増えてきて中堅と言われる位置に落ち着いていたし、仲の良かった同僚達と離れることも辛かった。その当時女性行員の転勤は、めずらしくもあった時期で、『どうして私が???』とショックだった。
 新しい職場、同じ銀行とはいえ勝手が違う。行員数は倍以上、雰囲気の全く違う場所で最初の内は孤独だった。すぐに窓口業務に就いたことで、周りからある嫉妬心を誘ったのだろうか? 冷たい視線を感じる事も多々あったけど、再び自分のペースで仕事ができるようになってからは、その居心地の悪さを跳ね除けられた。それから約3年後、退職する事を決めた頃には自分なりに納得できるような環境で働けていた。

 その当時、私の勤めていた銀行では、27歳になる行員を対象に、昇給試験が行われていた。
その試験を一年後に控えた時期、その試験に挑むのかどうか自問自答し始めていた。その当時、まだどちらかというと男性優位という傾向があり、女性が外交のポジションに着くこともなく、どんなに事務処理が早く正確でも、それ以上の活躍の場が無いに等しかった。転勤する機会に恵まれ、本店営業部に勤務した約3年の間にも、色々な仕事を担当したけれど、残業時間も増え、徐々に意欲的ではなくなっていた。強いストレスを感じながらも、負けず嫌いの性格で、それが相乗効果になっていた時期もあった。そのバランスが崩れたあたりから、週末にデパートで浪費したり、必要以上に飲酒することも多くなっていた。いわゆる結婚適齢期であったものの、当時の私にはその意識さえなかったし、その対象になるような恋愛もしていなかった。安定した収入を得ていながら、価値のない時間を過ごしているように感じ始めていた。それから徐々に、30歳手前でもう一度何か学びたいという気持ちが湧いてきた。退職の意志を伝えた後も、直属だった上司がなかなか承諾してくれず困ったけれど、仕事を評価してもらっていたことを誇りに感じた。

 
 何か技術を身に着けたいという想いで、調理師学校に行くことを決めた。小さい時から料理が好きで、お酒を嗜むようになって料理屋に通う事も多くなり、本格的に学んでみたいという気持ちも高まっていた。家庭的な雰囲気の中、着物で気の利いた肴を振舞う女将さん。実現はしなかったけど、細やかな夢をみていた。全日制の調理師専門学校に一年間通った。実際、想像していたほど技術を身につけられたわけでもないけど、自分の意志で何かを学んでいるという充実感があった。その時期、父方の叔母の紹介で、有名料亭の仲居のアルバイトをした。着付けを覚えられたのも、その経験があったからだと、今でも感謝している。卒業と同時に調理師免許証を手にし、いくつか種類の違う飲食関係の仕事を経験した。再就職の面接ではたびたび、「どうして銀行を辞められたんですか?もったいない・・・」と言われたものの、それまでとは全く違った環境に身を置いたことで、刺激のある毎日を過ごせ、銀行を退職した事を一度も後悔するようなことなどなかった。その上、その選択をしていなければ出会うことができなかった人物、経験は欠くことができない。すぐに同居を解消したけれど、30歳の時に、当時付き合っていた人とマンションを借りたことも、後にその部屋で一人暮らしをし始めたことも、大きな岐路となった。

 2006年3月、姉が女の子を出産した。ちょうど以前働いていた銀行の事務センターに派遣社員として入ったばかりだった。それまで働いていた日本料理店は、板前とオーナーと私だけの3人運営で、仲居や調理補助の他、任される雑用も多く、息つく暇がなかった。定休日も予約が入れば営業していた為、仕事以外の自分の時間がとれない事に、段々と不本意に感じるようになり退職を申し出た。しばらくの間、飲食の仕事から離れ、その後の事はゆっくり考えようと思って期間限定のつもりで派遣契約をした。残業も月末以外は殆どなく定時に帰宅できる事が、それまでの仕事では難しかっただけ、とても魅力的だった。一日中パソコンに向かいデータ入力をするのは多少退屈ではあったけど、接客業から離れ、ある種のストレスから解放された。実家を離れてすでに数年が経っており、謙虚な生活ではあったけれど、一人暮らしを謳歌していた。ゆっくりと料理できる時間、それは何にも代えがたいものだった。週末には、たびたび友達や気の合った同僚を家に招き、手料理を振舞った。

 姪の誕生を機に、自分の新たな一面を見出した。昔から子供と接する事が苦手だった上、小さい子供をみて可愛いと思う事もほとんどなかった。幸せの象徴であるような子供の屈託ない笑顔など、私にとっては反対に自分の幼少期時代を思い出し、意味もなく腹立たしさすら感じることもあるほどだった。そんな私にとって、姉が生んだ子はこんなにも違うのかというほど、可愛くて仕方がなく、そういう感情を持ったことを自分でもひどく驚いた。姉夫婦にとっても授かるまでに少し時間がかかった待望の第一子。その姪が4歳半くらいまでは姉家族が大分市に住んでいたので、割と定期的に会いに行くことができ、彼女が成長していく姿を見ることが嬉しくてたまらなかった。言葉を覚えたての頃、泊まりに行くといつも私の後を追って『おばちゃん、おばちゃん!』とついて歩いてきた彼女にたいして、初めて『愛おしさ』という感情が芽生えた。義兄の転勤で三重に引っ越しても、たまに有給と週末を利用して逢いに行った。数日一緒に過ごした後、別れる際はきまって涙があふれた。
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