第7話  ペンフレンドに会いに行く

文字数 3,286文字

その年の夏、ダリオはバカンスをスイスのルツェルンで過ごすことを決めていた。数日メールの交換ができなかった事を残念に思ったダリオが、滞在中のホテルから、またスイスに住む親友の家からもパソコンが使える環境を見つけると旅の報告をしてくれた。クラシック音楽の愛好家だった父親の影響から、マーラーの交響曲第2番を初めて聴いて以来、ダリオ自身もその世界に情熱を持ち続けている。私はダリオに出会うまで、マーラーという作曲家を知らなかった。今では、もう何度か一緒にコンサートに行ったのでマーラーの音楽にも直に触れ、クラシック音楽に対するダリオの熱意は熟知しているけれど、その当時、ダリオの持つ世界感にとても興味が湧いた。エレクトーンを習っていた時期に多少なりともクラシック音楽に触れる機会はあったものの、成人してから遠ざかっていた。図書館にいく度、クラシックのCDも借りるようになった。ダリオの世界を少しでも共有したいという想いからだった。ダリオが語る音楽についての知識からも、人柄がなんとなく想像できた。イタリアに戻り、その旅の目的であったマーラー交響曲第9番のコンサートも含め、スイスに滞在中に感じた事を、気持ちのこもった文章で伝えてくれた。さらに私にささやかなみやげを買ってきたとあった。すでにダリオには、秋にイタリアに行く予定だという事は漠然と伝えてあったので、イタリアで逢えた時に渡すほうがいいか、それとも日本に今送る手配をしようかと親切にたずねてくれた。

 しばらくたったある日、仕事から帰るとポストに不在連絡票があり、ダリオからの荷物だとわかった。すぐに郵便局に受け取りに行き、箱を開けるとルツェルンの風景が描かれた陶器の飾り絵と日本語で書かれたルツェルンのガイドブックが丁寧に包装され手紙も添えられていた。ダリオはスイスに旅立つ前『きれいな景色やコンサートも君がとなりにいるように見てくるよ。』というメッセージをくれていた。実際その手紙には、その言葉通り私への気持ちの表れだと書かれていた。『ほんの数か月メールのやりとりをしている未だ見ぬ日本人の元へ、こんな気持ちのこもった計らいを・・・』と心に温かい風が吹いたのを感じた。

 イタリアでの滞在はローマと決めていて、まだ他の数人とメールのやりとりをしていた時期に、すでに飛行機のチケットを購入していた。「ローマ行きのチケットを買っているけど、必ず会いたいから一週間フィレンツエのホテルを予約するともりです。」とダリオに伝えた。私も何か彼の誠意に答えたいという思いからだった。一週間フィレンツエに滞在すれば、せめて1日は会う事が実現するだろうと。ところが、ダリオからかえってきた返事は、びっくりさせられる内容だった。「君がフィレンツエに滞在する間、有給休暇を取ろうと思っています。行きたい所があればぜひ案内させてください。」と。私はとても戸惑った。ダリオの親切心が嬉しかったけど、それでも一週間も一緒に過ごすという事に不安を感じた。もともと一人で旅をする覚悟はできていたし、ダリオに会うのはお礼の気持ちを伝えたいだけだった。どうしようかと思っている間に、さらにダリオからメールで私の旅行日程がわかり次第、すぐに上司に休みの交渉をするとあり、これはもう成り行きに身を任せようと決めた。

 10月初めにイタリア語検定が終わった後は、旅の準備に集中した。ダリオは、あれこれ希望を聞いてくれながら、一週間という短い時間でも充実した滞在になるようにと、詳細なスケジュールを立ててくれていた。レストランやホテルは、電話での問い合わせだけでなく、直接出向いて確認しに行ったと後から聞いた。私ははじめての一人旅、そして初めてフランス経由の便を選んでいた事もあり、その時点では無事にフィレンツエまで辿り着けるかという事への緊張感でいっぱいだった。

 出発まで約一週間、ダリオから受け取ったメールから小さな奇跡が起きた。私が再びイタリア語の勉強をはじめた事に母は強い反感を持っていて、イタリア人とスカイプで話して勉強をしていると言った時、徹底的に罵倒されたので、それから数か月連絡を絶っていたほど。すでに37歳だった私が結婚もせず、母が望む事とは全く違う方向を向いているのが許せなかったのだと思う。しばらくして、再び連絡を取り合うようになったものの、旅行の話を切り出したのは航空券を購入した後だった。出発の数日前、そんな母の元へ粗方の日程を知らせる為に出向いた。ダリオの事は隠しておこうと思えば出来たけれど、又怒り出すのも覚悟しながらイタリアに着いてからは、旅のパートナーがいるという事を正直に打ち明けた。「その人が『君の一人旅の事、お母さんは賛成してくれているの?僕がしっかりサポートするから安心してくださいと宜しく伝えて。』とメールをくれたよ。」と話した。すると、ずっと不愛想だった母の表情が一瞬にして和らぎ、すっと立ち上がって二階の部屋へ。ばたばたと、戻ってくると「これ日本らしいものやけ、その人とその人のお母さんに渡して」とパッチワークキルトの自分の作品をいくつも出してきた。私はそんな母の好意的な態度にある意味ほっとした。最初で最後の一人旅、旅が終わったら今度こそイタリアに関わることから距離をおくつもりでいたし、母にもその旨を伝えた。ダリオが想像通りの人で、無事に旅を終えれたらいいなあ・・・とそれだけを願いイタリアへと旅立った。


 深夜便で羽田空港を発ち、早朝4時ごろフランスシャルルドゴール空港に着いた。ローマ行きの便の出発ゲートへの行き方がわからず、広い空港内を右往左往していた時、運よくJALのスチュワーデスの団体を見かけた。すがる思いで最後尾にいた方に話しかけた。状況を説明するとすぐにその列から離れ、日本人のいるカウンターまで案内してくださった。私が独り旅だとわかるとねぎらいの言葉までかけてくれ、おかげでそれまでの緊張がいい高揚感にかわった。

 ローマの空港からテルミニ中央駅に向かう電車からダリオに電話をかけた
初めて聞いたダリオの声だった。回線が悪かったせいか、イメージしていた声とは全く違う印象だった。それまで、互いの内面についてはメールを通して沢山語りあってきたものの、外見についてはほとんど何も知らないままだった。ただ一度ダリオが『・・・幸いどちらかというとやせ型です。』と書いていたのを覚えていただけ。フィレンツエまで無事に着けます様に・・・と、ただそれだけに集中していた私だったけど、初めてダリオの声聞いた途端、不安な思いに駆られた。

 フィレンツエの駅に到着し、それらしい人をお互い探していたけどすれ違わず、再びダリオに電話をした。「私の目印はオレンジ色のスーツケースです。」と伝え、しばらくしてついに初対面を果たした。
 「ダリオです。」と手を差し伸べられた。私はイタリア人との正式な挨拶の仕方など知らなかったから、手を握り返し軽くお辞儀をした。疲れているだろうからと、すぐに予約していたB&Bへと案内してくれた。すでに宿の位置も確認して事前に足を運んでくれていたダリオは、私のスーツケースを引きながら足早に進み、私は小さな歩幅で着いていくのが精いっぱいだった。それに気づいたダリオが「いつも一人で歩いているから、早歩きでごめんね。」と優しく言って、その後はたまに私の方を振り返りながら宿へとたどり着いた。
 ところが、宿のインターホンを何度鳴らしても、電話してみても返事がなく、プリントしておいた予約の詳細をダリオにも確認したもらい、さらにドアをノックしたり、電話をかけなおしたり、通りがかりの隣人に尋ねたり。ダリオが少し苛立っているように見えた。しばらくして、まるで何事もなかったかのように、宿のオーナーがドアから顔を出した。ダリオは私を不安にさせた事について強い口調で抗議していた。『一人だったらどうしていただろう・・・・』と、今までになく弱気になってしまった私にとって、すでにダリオの存在が心強かった。
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