第10話  歓喜と憂鬱の時期

文字数 6,124文字

 旅に出る前、母から小さな便箋でメッセージを受け取っていた。『無事で帰る事が何よりの親孝行です。旅行が終わったら感想を聞かせてください。』と、母らしいぶっきらぼうな表現だったとはいえ、最終的に一人旅を了解してくれた事には感謝していた。そんな母に、隠すことなく自分の想いを打ち明けようと決心していた。早とちりしがちな母の性格を考慮して、すでに現像した写真をみせながら、なるべく落ち着いて話をしようと努めた。一枚ずつ写真の内容を説明しつつ、ダリオの写真を手に取った時、『あ、この人?若々しいねえ。』と母の第一声だった。ダリオのおかげで無事に旅を終えられた事は、母もよくわかっていた。その旅で、大事な人に出会ったこと。『もし私が結婚するとしたらダリオ以外はいないと思う。』と率直な想いを伝えた。その現実離れした様な私の話に、少しびっくりしながらも、きっと実現しようのない話と思ったのだろう、いつになく穏やか対応だった。それより、ダリオが誠心誠意、私の為に旅をサポートしてくれた事が、母にとっては嬉しかったようだった。

 再びメールでのやりとりが始まった。
Ciao!..という言葉が Amore mio(愛する人)..と変わり、より長い文章でお互いの近況や気持ちを語りあった。イタリアと日本、ただお互いの好きな国をより深く知ろうということから始まった文通。そこである友情が生まれた。フィレンツエで一緒に過ごした一週間でそれが愛情へと変わった。私がイタリアに渡るまでの2年と少しの間、6か月ごとの再会の他は、このメールが私達をつなぐ大切な手段だった。特に私にとっては、引き続きダリオのメールを読解する事はイタリア語の学習になったし、時間をかけ気持ちを込めて文章を書くことで寂しさを吹き飛ばしていた。

 2011年3月9日、ダリオ初来日。そして、二日後に東日本大震災が生じた。その日、私は仕事に出ており、家に帰るとダリオがテレビの前に張り付いて、その想像を絶する映像を食い入るように見ていた。イタリアの友人が心配して送ってきたメールで、その大惨事を知った。何十年も日本へ行くことを夢見ていたダリオにとって、何か運命のいたずらのようだとひどく落胆した様子だった。『まるで自分が不幸を持ち込んでしまったようだ。』と。日本へ着いた日、成田空港から福岡空港への便がキャンセルになり、日本語が全く話せなかったダリオは、親切な若い日本人男性のおかげで何とか、別の便しかも、成田空港から羽田空港に移動して、乗り継ぎをする事ができた。それでも、予期せず不安を煽られた事で『自分はなんと運が悪いのだろう。』とこぼしていたけれど、その数日後に起きた大震災のニュースに考えを改めらずをえなかった。往路は奇跡的に名古屋経由のフライトだったことで、更なる困難を回避できた。

 私が住んでいたマンションで、約3週間の同居生活。ダリオは初めての日本で、生活様式や習慣のちがいに戸惑いながらも、それを習得しようと意欲的だった。ダリオが時差の疲れから回復したある日、二人で母の元を訪れた。母は私が今まで見た事がないような、温かい笑顔で歓迎してくれた。おそらく、ダリオが私の恋人であるというより、イタリアに滞在中に本当によく私の世話をしてくれた人という感覚の方が強かったとは思うけれど、それでも想定外だったダリオに対する母の振舞いは嬉しかった。それから数日して、平日はほとんど仕事で一緒に過ごせない私に変わって、ダリオを福岡に連れていくと提案してきた。ダリオは、全くためらう事もなく母の誘いにのり、丸一日の小旅行へ出かけた。言葉が通じない二人が何時間も一緒に過ごすことがとても心配だった私とは反対に、母は全く問題だとは感じてないようだった。仕事を終え、駅まで二人を迎えに行くと私の心配をよそに、母は『予定通り全部ダリオを案内したよ!』と上機嫌だった。ダリオも母の気風の良さに好意的でほっとした。

 平日、仕事から帰り玄関のドアを開けると、一目散にダリオの元に駆け寄った。慣れない環境で、一日中一人でいる事を不安に感じるどころか、本を読んだり、友達や姉妹にメールを書いたり、散歩をしたりと、日に日に居心地の良さを得ているようだった。関門海峡を見渡す部屋からの眺めに、特に異国情緒も感じていた。そして、私達の同居生活も、お互いな新たな一面を発見しながら、それまで以上の信頼関係が生まれた。わずかな有給休暇と週末は、遠方に出かける貴重な時間だった。旅館で温泉に入ったり、お茶席へ参加したり、メールのやりとりを始めたばかりの時期にダリオへ書いていた日本の文化や習慣を、実際に紹介でき感慨深かった。着物の着付けの一部始終を披露した時も心から喜んでくれていた。日本のデパートやスーパー、バスや電車は、ダリオにとって真新しいシステムと雰囲気で、イタリアやヨーロッパ国とのその違いについて、度々親友に宛ててメールを書いていた。



 3週間という時間は、あっという間に過ぎっていった。福岡空港からの出発時間が早朝だった為、その前日は、二人で福岡のホテルに泊まる手配をしていた。その日、私が仕事にいっている間、ダリオはスーツケースの準備、部屋の整理整頓を済まして待っていた。早退して仕事から帰ると、すっかり身支度を整えたダリオが、いつものように優しく迎えてくれた。そして、ふと寝室のドアを開けた。ダリオの衣類や身の回り品が無くなった殺風景な部屋の片隅に、ポツンと置かれたスーツケースを見た時から、崩れるように泣いた。イタリアで、ダリオと過ごした最終日に感じた、胸を締め付けられるような感覚。明日、もうここにダリオがいない・・・それは、耐え難い事実だった。どうにか私をなだめようと必死に言葉をかけてくれたけダリオのそばで、私は流れる涙、動転した気持ちを抑える事ができなかった。

 翌日、早朝の空港。涙を流す以外、何もできずにいた。やがて別れの時、ダリオがかけてくれた言葉も聞き取れないほど、取り乱して泣いた。コントロールを終えたダリオの姿が見えなくなった後、あらためて私達の物理的な距離を自覚し、さらに涙があふれた。悲しい気持ちを振り払うように、急ぎ足で地下鉄の駅に向かった。それから下関に戻る新幹線の中から、母に「今ダリオを見送った。」とメッセージを送った。家に着くと、又ひとり泣き続けた。すでに何年も一人で暮らしてきていたのに、ダリオがいなくなったその空間に身を置き、言い知れない孤独を感じた。それから一週間くらい、仕事から帰ってひと段落すると、決まって頬に涙がつたっていた。それほどまで誰かを想い、経験したことのない悲愴感だった。やっと寝室の扉を開けれたのは、しばらくしてからで、再びその寝室で一人で寝る事が出来たのは、かなり経ってからだった。

 ダリオがイタリアに戻ってから、最初に届いたメールには、空港で二人が別れてからの自身の事が書いてあった。泣きじゃくる私を見ているのが辛く、それでも何もしてあげられない状況に胸が押し潰されそうだったと。搭乗した後、ダリオも泣いていた。その様子に気づいた一人のスチューワデスの方が声をかけてくださり、自分のおかれた状況を説明した。彼女もハワイに恋人が住んでいて、そのダリオの悲しさをすぐに理解し、励ましてくださったらしい。二人で過ごした日々は、お互いに想像を超えた素晴らしいものだったと心から思えた事、その気持ちが次に再会するまでの支えになった。

 ダリオが来日した事で、私に新しい友達ができた。
同じ階の二部屋となりに住んでいた20歳以上年上の京子さん。ダリオが来る少し前、たまたま顔を合わす機会があったので、外国人の存在にびっくりされてはと思い、「もうすぐイタリアから友達が来て、3週間ほど滞在します。」とだけ告げていた。それまでの8年間、同じ階に住んでいてもほとんど付き合いがなかった彼女と、ダリオの来日がきっかけで本当に何でも話しができる友人関係になった。ダリオが日本に到着した日、二人でマンションの駐車場からスーツケースを持ち運んでいた時、犬の散歩に出かける途中だった彼女と偶然会ったところから始まった。てっきり女性の友達が遊びにくるものと思っていた彼女は少しびっくりしたらしい。それでも、「ようこそ、どうぞ楽しい日本滞在を!」と声をかけてくれ、ダリオも彼女から良い印象を受けた様子だった。その後、私の留守中に一人で海岸線の道を歩いているダリオを何度も見かけたと後からきいた。最後は、まるで計ったかのような偶然だった。福岡に出発する日、私が泣きながらスーツケースを部屋の外にだしていると、彼女が部屋の外を掃除していた。泣いている私を見て状況をすぐに理解したように、駆け寄り励ましてくれた。彼女の温かい言葉に、より感情が高まり、恥をしのんでさらに泣き続けた。

 初めて私の部屋へ招いた時、すぐに相性の良さを感じた。長い間、デパートの高級紳士服でアドバイザーをしていた彼女は、話上手で聞き上手。見た目の若々しさから、それまで少し勝気な女性をイメージしていた分、付き合いを初めて、その謙虚さと繊細さに驚いた。他の誰より、私達の別れの辛さを目の当たりにしてしまった彼女は、本当に親身になって私の話を聞いてくれていた。20代で結婚と離婚を経験し、そして長年の事実婚から正式な結婚に至ったばかりだった。どんな体験も包み隠すことなく、率直な言葉で話す彼女には、すぐに心を許せる相手だと思った。ただ、海外旅行の経験はない彼女にとっては、私とダリオの関係が、おとぎ話の様に感じたそうだ。弱気になったり、心寂しい日が続いた時、すぐに話をきいてくれる存在がいた事は、大きな心の支えだった。ダリオも自分の滞在がきっかけで、私に信頼のできる友人ができ、とても喜んでいた。

 その年の9月、ダリオの元へ旅立つ。
実は飛行機のチケットを抑えるまで、少し葛藤があった。日本へ来る為に一か月の有給休暇をとったダリオ。又私が会いに行くとなると、いろんな意味で迷惑をかけるんじゃないか? ダリオはこんなにすぐに又、私が会いに来ると思っているだろうか? それを希望しているのか? ダリオに逢いたいという気持ちとは裏腹に、複雑な心境だった。私達のメールのやり取りは、それまで通り続いていたけれど、お互いに再会について触れてはいなかった。当時の派遣社員の収入で、そう度々イタリアに行くというのも身分相応ではない事も自覚はしていた。母はダリオに好印象をもちながらも、私の将来を危惧し、最終的に私が時間を無駄にしてしまうんじゃないかとやきもきしていたと思う。私も肌でその空気を感じながら、内心は穏やかではなかった。それでも、最終的には自分の気持ちに正直にいようと決めた。思い切って意向をダリオに伝えたところ、私からその知らせが来るのを、首を長くして待っていたと返事があった。

 フィレンツエの空港で出迎えてくれたダリオは泣いていた。再会できたこと、イタリアへ戻れたこと、心の底から嬉しかった。私達はフィレンツエ郊外のホテルに滞在し、その一週間フィレンツエの中心街へ出かけたり、ダリオの住む街を散策した。ダリオのお母さんの元を訪ねた日、玄関先で待ってくれていた彼女は、私の姿が見えると大きく両手を広げていた。その懐に全身全霊で抱きしめられて、それはイタリア人家族の愛情の深さの洗礼を受けたような瞬間だった。部屋に入ると、私達の写真が何枚も飾られていて、まるでもう家族として受け入れてくれているかの様だった。「ミワの話をする時、ダリオの表情が太陽みたいになるのよ。」と言った彼女の表情は、息子を思う気持ちに溢れていて、以前ダリオから譲ってもらった写真の彼女の姿が重なった。彼女の話から、どれだけダリオが私の事や、私達の事について詳細に話しているのか伝わってきた。

 翌年、2012年3月下旬、ダリオが再び日本へ。
ダリオのある配慮から、再会まで6か月以上が経っていた。その年の日本滞在は、私の誕生日を共に過ごす事を一番に考えてくれていた。前回同様、福岡空港でダリオの到着を待っていた。搭乗者の列から、その姿を見つけた瞬間、嬉しさと安堵感が心の底から湧きあがった。二人を隔てた10,000kmの距離は、寂しさや憂鬱さを生みながらも、再会の喜びを何十倍にした。
 ダリオは、一年ぶりに海峡の景色を見ながら、まるで第二の故郷に戻ったようだと言っていた。再びダリオを迎え、私の部屋は活気と愛情を取り戻した。母は、ダリオが日本へ来る日程を知ると、すぐに3人での京都へ行こうと提案してくれた。父が亡くなった翌年に、親子三人で納骨に訪れた浄土真宗の寺へ、33回忌法要と節目としてお参りをするためでもあった。母は、まさかダリオが2年連続して私に会いにくるとは思っていなかったようで、その報告をした時は、とても驚いていた。京都のお寺を3人で訪ねた事で、母にもある自覚が生まれたことと思う。私にとっては、ただただ感慨深い旅だった。


 ダリオの日常は、やはり一人で過ごす時間が多かったけれど、少しづつ行動範囲を広げていた。マンション付近の散歩だけではなく、海峡がより高い位置から見渡せる場所へ登ったり、スーパーで買い物をしたり。日本語が話せないゆえ、不安を感じる事もあっただろうけど、その日あった事を楽しそうに話す表情から、私にとってイタリアがそうであるように、ダリオにとって日本は居心地の良い場所なんだということが分かった。母とダリオは、私が仕事の間、二人でデパートや近くの街に出かけていた。相変わらず、ほとんどジェスチャーやYES,NOだけの二人のやりとりだったけれど、明るく行動的な母を頼りに、ダリオも有意義な時間を過ごせているようだった。

 約2週間が過ぎたある日の夕食の後、二人でいつもの様にコーヒーを飲んでいた時、自然と将来の話になった。私はストレートな表現で「二人の近い将来について具体的に考えているか?」と質問し、「もし結婚という形のゴールがあると考えてくれているなら、私は40歳を区切りにしたい。」と続けた。フィレンツエで出会って1年と少しの時間、言語や文化の違いはあれど、それらを超えた強いつながりを感じていた。再び生活を共にしてみて、ダリオに対する信頼も増していた。ただ、このまま明確な目標がないまま、6か月ごとイタリアと日本をお互いに行き来するという事は望んでいなかった。ダリオは、その問いにびっくりすることなく、冷静にわかりやすい言葉で答えてくれた。イタリアを発つ前、私との将来についてお義母さんに話をしたと。そして、ダリオも離れている時間、距離をなるべく早く解決したいと付け加えた。つまり、ダリオも近い将来、私と結婚をしたいと思ってくれていた。ダリオには離婚の経験があり、ヨーロッパでは結婚に対する概念が日本とは異なることも承知していた。だからこそ、その率直な返事から, よりいっそう彼の誠意を感じた。二人の関係が、又大きく前進した瞬間だった。
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