〇第1章

文字数 12,426文字

「なあなあ(しゅん)、お前誰がいい?」

小柄でぽっちゃりしている宗太郎が、俺と桂都(けいと)に声をかける。
宗太郎が見せたのは、マンガ雑誌についていた
アイドルグループのグラビアのページだ。

秋も深まった11月。
もうすぐ期末テストだというのに、高校2年生の俺らはのんきだった。
大学受験をするなら、そろそろ重い腰を上げなくてはならない。
だけど、俺らの進路調査票は最初から変わっていない。
高校を卒業したら就職。
就職先は、実家。
それだけで他の学生より、何十倍も気楽だった。
ただ、問題があるとするならひとつ。
俺たちの親族が店を開いている商店街に活気がないこと。
もともと大きな街ではない。
夏……海開きするときくらいしか、人は集まらない。
あるのは古い店ばかり。
駅の近くに小さなスーパーはあるけど、そこの品ぞろえは最低限。
八百屋や肉屋、魚屋なんかも商店街にはある。
でも、そこのおじさんたちも、最近はやる気なくボーッとしている。
それでも俺たちは地元に残る。クラスのほとんどのみんなが街を出たとしても。

「桂都は誰がいいと思う?」
「え、僕? そうだなぁ……」

メガネでおとなしい桂都は、おずおずと指をさす。

「へぇ、胸がデカい方がいいのか! 意外だな!」
「そ、そういうこと大きな声で言わないでって!」

宗太郎が笑うと、桂都がそれを焦って止める。
クラスメイトはみんな、休み時間でも勉強している。
俺たちの街からもっと開けている都市に行くには、
大学に進学するか、就職するか。
みんなが勉強している理由は、『この街から抜け出すため』なんだ。
中には『夢のため』ってやつもいるが、どちらにせよこの街から
出て行くことには変わりない。
俺たちはそれを悲しいとか、裏切られたとかは思わない。
大きな街にはそれなりの魅力があることも理解している。
みんなからしてみたら、こんな何もない小さな街で一生過ごすと考える方が
わからないかもしれないしね。

「ほら、隼! 誰がいいんだよ」

宗太郎が俺を急かす。
アイドルグループの中で、誰が一番好みか、か……。

「そうだな……ちょっとみんな若過ぎない?」
「え?」

俺は自分のカバンを漁って、ある雑誌を取り出す。

「じゃーん! 『月刊らくらく』~!」
「な、なに、それ」

桂都に雑誌を渡すと、宗太郎の机に広げる。

「『特集 歩いて健康を取り戻す』? これって老人向けの健康雑誌じゃねーか」

「うん。この57ページのばあちゃんがさぁ、超美人なんだよね~。
笑顔もかわいいっていうかさ」

「……は!?」

あまり大声を出さない桂都と、宗太郎がそろって驚く。
さっきの桂都と宗太郎の大声には反応しなかったクラスメイトたちも、
なぜか今は俺を見ている。
ぐ、偶然だよな。みんなに見られてる『気がした』ってだけだ。
俺は話を続ける。

「71ページのばあちゃんはちょっとセクシー系。
あとこれ! 83ページ!! このばあちゃんは小悪魔系だと思わない?」

「はぁっ~!?」

またふたりが大声を出す。

クラスメイトも再注目だ。

俺、何か変なこと言った?

「な、なんだよ、その反応……」
「だってこれ、ばあちゃんだぞ!? 
お前熟女フェチどころか、老女フェチじゃねーか!」

宗太郎がつっこむと、桂都までも同意する。

「僕もちょっと……どうかなって思う。
僕ら幼なじみだけど、お互い知らないことってまだまだたくさんあるんだね」
「なに不思議そうな顔してるんだよ、いいじゃん! おばあちゃん!」

俺は健康雑誌を手にすると、お気に入りのおばあちゃんたちを眺める。
もちろん昔は美人だったのは間違いない。
でも、今も十分美しくしてらっしゃる。
年齢を重ねてもきれいでいることを忘れないそんな彼女たちが、
俺は大好きなんだ。
誰にも理解されなくていい。
理解されない分、彼女たちの魅力は俺だけのものなんだから!

ホームルームが終わり、帰りの支度を済ませると
宗太郎が声をかけた。

「このあとカラオケ行こうぜ! 桂都も!」

カラオケと言っても、都会にあるような大きなビルの
系列店ではない。
隣の音も筒抜けの、古い昔からある店だ。
桂都は行くみたいだが、俺は首を左右に振った。

「いや、家の手伝いするから」
「オレたち卒業したら、そのまま家の仕事するんだから
今から手伝いしなくてもいいじゃん」
「魅力的な女性に会うチャンスがあるかもしれないだろ」
「『魅力的な女性』って、お前の家……」
「じゃあな!」

俺はカバンを持つと、商店街にある家まで走った。

駅からまっすぐ続くシャッター。
開いている店はちらほら。
その中で異彩を放っているのがうちの店。
『藤柴仏具店』だ。

「ただいま~……って、じいちゃん! なに店番してるんだよ!」
「いや、朝から店を開けてるんだから、店番がいないといけないだろ?」

カバンを2階の自分の部屋へ投げ込むと、
じいちゃんを突き飛ばす。

「うわっ! 何すんだ!」
「俺が店番する!」
「いててて……お前はもっと老人を大事にしろっ!」
「してるよ。おばあちゃん限定だけど」

じいちゃんが座っていた場所を奪うと、
お客が来るのを延々と待つ。
じいちゃんもいつものことだから、口で何といっても
わかってくれている。
結局自分の部屋へ戻ってくれた。
今はテレビを見ているようで、音が店にまで聞こえた。

『藤柴仏具店』は暁駅から徒歩5分の、
さざなみ商店街にある。
その名の通り、仏具を売っている店だ。
品ぞろえはわりといい方だと思う。
けど、俺自身正直仏具の知識はあまりない。
まぁ、線香とか数珠とか木魚とかはわかるけど……。
如来像みたいなものは、小さい頃ロボットのフィギュア代わりに使って
遊んでいた。
他にも高い香炉を壊したりして、じいちゃんによく叱られていたっけ。
そんなものの価値がわからない俺だから、仏壇のグレードも意味不明。
あと、何も書かれていない位牌なんかも扱っている。
これにあとから戒名を掘るらしい。
ともかく普通の生活では見かけないグッズがたくさん置かれている。

だが、店番していてもお客が0のときの方が多い。
たま~に近所の寺の坊さんが遊びにきたり、
御霊前とか御仏前とか書いてあるやつを買いにくる人がいるくらいだ。
坊さんはともかく、お金を包むやつを買いにくる人は、
大抵都会から来る人だろう。
うちの近くで葬儀があったとき、急いで来て忘れたというたぐいだと思う。

「美人なおばあちゃん、店に来ないかなぁ~?」

そう思いながら店番をしていても、店内に入ってくる客はいない。
今日も1日お客なしか。
がっくりして店を閉める準備をしていたそのとき――。

「藤柴さん、まだ開いてる!?」
「あ、はいっ!」

おばあちゃん……ではないけど、きれいなおばさん……
彼女は八百屋の山崎さん!
しかも山崎さんだけじゃない!
ぞろぞろと商店街の看板『娘』たちが
店に入って、御霊前や薄墨の筆ペンを手にする。
さざなみ商店街のいいところは、
べっぴんさん――もちろん60代を過ぎた美女のことだが
――が多いところだ。
だが、浮かれてなんていられない。
こんなに混雑するってことは……。

「この付近でご不幸が?」
「ええ、平松さんよ! 隼ちゃん!」

平松さんって……商店街の組合会長さんじゃん!
確か今年70いくつかだったよな。
この間の夏祭りまでピンピンしてて、日本酒も浴びるほど飲んでたのに!

「おい、それ、本当か!?」

テレビを見ていたじいちゃんが飛んでくる。
おばさんたちはじいちゃんにも詳細を説明する。

「まだ藤柴さんのところまで連絡回ってなかったのね。
なんでも肝硬変だったって。お酒も止められてたみたいだったのに……。
無理なさってたみたい」

「あっちゃぁ~、ついこの間も一緒に飲んだっつーのに……くそ~……」

じいちゃんは目に手を当てて、上を向く。
指の間からきらりと光るものが見えたが、
それは一瞬のことだった。

「隼! 俺はこれから平松さんとこ行ってくるから!
店番しといてくれ!」

店に置いてあった一番高い数珠と、
レジから新札を数枚取り出し、御霊前に入れて
すっとんで行った。

俺も悲しんでいる場合なんかじゃない。
商店街の組合会長さんが
亡くなったってことは、これから忙しくなるぞ。

そんな俺の予想通り、たくさんのお客が来た。
みんな商店街の人ばかりだ。
その中には宗太郎と桂都の親父さんやお母さんもいた。
接客といっても、仏具店の接客なんて笑顔でできない。
しかも亡くなったのは同じ商店街の一番偉い方。
俺も小さい頃からお世話になっていた。
ずっと、ずーっと……。
俺の第2のじいちゃんって感じだった。
昔の思い出をひとつひとつ思い出すと、
自然と涙が出てくるほど。
それくらい悲しい気持ちはある。
……ただ、最近多いんだ、こういうの。
この商店街を経営しているのは、大体お年をめした方だ。
70~80歳くらいなのに現役で仕事を続けている。
その子どもの多くは街を出て、都会で暮らしている。
街自体が高齢化している証拠なんだ。

うちは仏具店。
いくら悲しい思いがあったとしても、感傷に浸っている暇はない。
亡くなった方がきちんと往生できるように
見送りの準備……というか、みんなが見送れるように
準備するのがうちの仕事だ。
だけど……。

「……ひと段落はしたけど、
最後のひとりが珍客なんだよな。
あの人を見ると、因果な商売だってつくづく思うわ」

「ヘイ! 隼、商売繁盛してっか~!?」

来た。
葬儀があるとなると、最後にやってくる客。
そいつはスクーターに乗ってくる、袈裟を着た坊さん。
成覚寺の正剛さんだ。

「正剛さん、アンタに感情ってないんですか?」
「いやあ、俺もこういう職だろ~? そりゃ、悲しいさ!
平松さんが亡くなったのは。酒飲み仲間だったからよ。
だからこそ俺は、気合いを入れるんだ。
新しく入った木魚、ひとつ! 一番高いのな!」

この人は誰か亡くなると、必ず木魚をひとつ買う。
しかもそれを葬儀で使うわけではない。
葬儀場には他に大きな木魚と立派な銅鑼が用意されている。
ただこの正剛さんは木魚をいくつも買ってコレクションにしている。
悪趣味極まりないというか。
納骨堂には骨と一緒に木魚も飾られている……らしい。

俺は新しくて一番高い木魚を取り出すと、それをレジ台にどんと置いた。
心なしかいい香りがするのは、いい木を使っているからなんだろうな。

「で、どうするんすか。これ。後日お寺まで持っていきますか?」
「いや、そりゃ面倒だろ? そのまま持って帰るから、包んでくれ」

えぇ……。
この後の予定は平松さんの葬儀だよな?
こんなもん持参で葬儀に行くのかよ。
いつもながらこの坊さんは意味不明だ。
とはいえ、お客のご要望。
しかもうちにとっては上客。
木魚なんてほとんど売れないし、人が亡くなるごとに
一番高級なやつを買ってくれるんだから。
俺は箱に木魚を詰めると、スクーターの荷台に乗せる。
まったく謎だ。こんな趣味。

「用意、できましたよ」
「おお! さすが隼だな! ではグッドラック!」

そう言って親指を立てると、正剛さんは葬儀場へと向かって行った。
グッドラックって……。
これから葬式なのに、何言ってんだ。
平松さんの親族が知ったら、気落ちどころか
この坊さんに葬式を頼んだことも
後悔するだろうな。

正剛さんはそのままスクーターでブーンと
葬儀場へ行ってしまった。

正剛さんのあんなはっちゃけた姿を見ると、
毎回こんなことでいいのかと思ってしまう。
人が死んだんだぞ?
それを供養するのが坊主の役目だろう?
なのに、まるで記念するように木魚を買っていく。
しかもノリノリで。
あの生臭坊主を見ていると、俺は本当にこんな商売を続けていいのかと
不安になってしまう。
いや、もちろん仏具店は継ぐつもりだ。
俺が老女好きっていうのはもちろんだが、
この商店街で店を出している看板娘たちを
助けていきたいという気持ちが大きいから。
看板娘たちの平均年齢はさっき言った通り70~80歳代。
伴侶を亡くした彼女たちは、悲しみに暮れる。
それを少しでも救えればいいと思うのが俺だ。

ここの商店街は潰れかけている。
シャッターを開けている店がいつまでもあるように、
俺は店を継ぐんだ。
商店街がなくなったら、彼女たちの生きがいもなくなるだろうから。

正剛さんの立場は、完全に異質だ。
葬式で商売している。
坊主の生業としてはそれが正しいのかもしれない。
だけど、俺はそれじゃ割り切れない。
何人も旦那さんを亡くしたおばあさん方を見てきているせいなのか?
でも、正剛さんのノリは人の死を喜んでいるかのように見えるし……。

「はぁ……」

大きくため息をついて、時計を見る。
今頃はお通夜でみんなしんみりしているところだろう。
俺も心の中で、組合会長に黙とうする。
会長とは昔からのつきあいだった。
子どもの頃の俺……。いや、俺だけじゃない。
食堂を経営している宗太郎の親父や、花屋を経営している桂都の母親もそうだ。
子どもである宗太郎や桂都も今頃は……。
会長との思い出を振り返ってみる。

あの夏の暑い日。
会長は神社の神輿を管理していて、俺たちも担ぎ手として借り出されていた。
神輿を担ぐのに練習なんかいらないと思っていたのに、
平松会長はみっちり俺たちに神輿の担ぎ方を教えた。
実際、他の子ども会や町内会では神輿の担ぎ方なんて教えていなかったらしい。
なのに平松会長と来たら……。

「他の神輿を見つけたら突撃しろ」
「町内会のガキどもは貧弱だ! 特攻して潰せ!」

など、子どもらしくないケンカ神輿のしかたを叩きこんだ。
その結果、祭り終了後多くの保護者からクレームが来たが、
会長は平然としていた。
俺たちは間違っていない、祭りはケンカと一緒だと。
大いに盛り上がっていた子どもの俺たちは、会長の意見に大賛成だった。
しかし、その後小学校で教師にきつくお灸を据えられることになってしまい、
少しばかり反省したけどね。

他にも、商店街に活気があった頃には
子どもみんなにクリスマスプレゼントだとかお年玉を配ってくれたし、
正月の餅つき大会なんかのときも、
みんなを楽しませるために頑張っていた。

そんな組合会長が亡くなった。
ずっとこの街を盛り上げて、必死に守ってくれていた会長が……。
この後商店街はどうなるんだ?
平松さんがいなくなったら、この街の将来は……?
力がなく、今にも店をたたんでしまいそうなおばあさんが
経営しているところがここには多いのに。

「なんて、商店街は会長と一緒に
もう死んでしまったのかもしれないけどな」

さざなみ商店街も、ここまで……。
俺の店なんかが頑張っても意味はない。
仏具店が儲かる商店街なんてダメだ。
商店街のアーケードには、18の店舗が入ることができる。
その内、シャッターが開いているのが6つ。
6つの店も店主がやる気をなくしていて、まさに惰性で開けている状態だ。
俺がもう一度大きくため息をつくと、
がらりとドアを開けて客が入ってきた。
宗太郎と桂都だ。
どちらも制服姿ってことは、お通夜の帰りか。

「よお、隼。やっぱり来なかったな」

宗太郎が俺の頭をばしっと叩く。
もちろん痛くはない。
宗太郎も俺が通夜の席に来ないと知っていたから。

「隼くんは偉いよ。組合会長もきっと喜んでるんじゃないかな」

桂都もうなずく。

仏具店だからな。
『稼ぎ時に店を開けないのは、店主として失格』。
それが組合会長がよくいっていた言葉だ。
正月、夏の海水浴客が集まるお盆、ハロウィン、クリスマス。
イベントがある時期。
俺が小さい頃、商店街にある店は必ず開店していた。
今日だって。
他の店は違うけど、うちの店にとっては稼ぎ時。
俺は店主じゃないけど、店主であるじいちゃんが留守にしてるんだから
しょうがない。
でも、会長の言葉はきちんと守っている。

ふたりに緑茶を出してやると、
宗太郎はごくりと飲んだ。
桂都は猫舌だから、
冷ましてからじゃないと口をつけられない。

「どうだった? お通夜は」
「ああ、すごかったよ……みんな飲めや歌えや大騒ぎ」

予想通りだな。
最近の葬式は坊さんが坊さんなだけに激しい。
というか、商店街の面子はみんなお年をめしていて、
自分がいつ死ぬか毎日怖がっているんだ。
それを隠すために盛り上がる。

やっとお茶に口をつけた桂都が寂しそうに語る。

「組合会長は僕ら子どもによくしてくれたよね。
暑い日はアイス買ってくれたりさ。
僕らや商店街は……きっと組合会長と一緒にあったんだと思う。
商店街の最後の跡継ぎが僕らだ。
それなのに、何もできないで終わってしまうのかな?」

桂都の言葉に、俺と宗太郎は黙った。

宗太郎の家は古い食堂だ。
ファミリーレストランなんて洒落たもんじゃないし、
ファストフード店みたいに気軽に寄れそうな場所でもない。
昼間からじいさんたちが酒を飲んだり、野球を見たりする場所だ。
宗太郎の親父さんも、一通りじいさんたちにつまみを作ると、
一緒になってテレビを見ているからしょうがない。

桂都の家は花屋。
シングルマザーだった桂都の母親が店を切り盛りしている。
だけどこの時代、花屋を経営していても儲からない。
この商店街の近くに住んでいる人に、
花を飾るような心に余裕がある人はいないらしい。
それどころか、最近は桂都のお母さんの店も葬式がある度に
儲かるようになってきているみたいだ。
葬式では、花がいっぱい使われるから。
それを桂都は俺と同じく悲しんでいるようだった。

俺らは商店街の最後の跡継ぎ。
学校のみんなは街を出て行くし、
育ててくれた年配の方々は次々と亡くなっていく。
俺たちは今後、どうすればいい?
高校2年生の子どもたちが、
どうやって商店街を盛り上げていけばいいんだよ……。

「そうだ。次の組合会長は誰になるんだ?」
「多分みんな今頃、酒を飲みながら決めてると思うぞ」
「やっぱり一番若い人になるのかな?」

桂都が首を傾げるが、それなら桂都のお母さんになってしまうだろう。
正直なところ、桂都のお母さんは優しい人だけど
お年寄りの意見をまとめるほどの力はない。

そんな話をしているときだった。
ガシャガシャとガラスの扉を誰かが叩く音がした。
じいちゃんか? ずいぶん早い帰りだな。

「こんばんは」

俺の心臓が一度止まる。そのあとは早鐘を打つどころか
ドキドキと鼓動が止まらない。
顔が一瞬で真っ赤に染まった。
店を訪れたのが……俺の好みにぴったりの、美人なおばあちゃんだったから。

「ういーっす、ガキどももそろってたのか。
そろそろ帰らねぇと、親御さん心配するぜ」

おばあちゃんが連れてきたのがじいちゃんだった。
だいぶ酔っぱらっていて、顔が真っ赤だ。

「じゃ、オレたちは帰るよ。また明日な」
「お、おう」

宗太郎と桂都が入れ違いに帰っていく。
俺は酔っぱらったじいちゃんを奥の部屋へ投げ込んでおくと、
一緒に来た美しいおばあちゃんに挨拶した。

「すみません。うちのじいちゃん、連れてきてくださったんですよね。
暴れませんでしたか?」
「いいえ、お酒はかなり飲まれていたけど、紳士的な方でしたよ」

おばあちゃんは年の頃70前後だろか。
細くてしわだらけの手に、美しい銀髪。
黒い喪服。
お通夜に出た人だよな。
でも、こんなきれいな人、商店街で見たことはない。
どことなくエレガントな雰囲気なのに、目は真っ赤。
顔も憔悴している。
だけどこの人がまとっている優しいオーラだけは
よく知っている気がする。

「あの、お名前をうかがっても?」
「平松の家内……です」
「え!? 組合会長の?」

奥さん、いたっけ!?
いつもイベントごとがあるとき、会合に出席していたのは平松さんだけだ。
基本的に商店街の会合となると、何か理由がない限り夫婦そろって
参加する。
それは自営業だから、家族全員で店を盛り上げないといけないからだ。
でも、平松さんはいつもひとりだった。
普通奥さんがいたら、組合長の手伝いで必ず出席するはずなのに……。
俺が驚いていると平松さんの奥さんは、柔らかい笑みを浮かべた。

「ぼくとは初めて会うわねぇ。今、高校生くらいかしら?」
「はい、藤柴隼と言います。高校2年……16歳です」
「16……だったら私のことも知らなくて当然ね」

俺がイスをすすめると、
平松さんの奥さんは静かにそこに座ってゆっくりと話しだした。

「20年前……私が50の時だったかしら。
身体の中に大きな腫瘍が見つかってねぇ。
亡くなった主人が、都心の病院に近いところに
住むように言ったのよ。それからほとんどこちらには帰ってこれなくて。
もちろん私は商店街のことがあったから、ここにいたいと
言ったんだけど……あの人、頑固だから」

くすっと声に出して笑うけど、平松さんの奥さんは
やっぱり悲しそうだ。

「ホント……頑固よ。私の病気は心配しても、
自分の身体のことは無頓着で、死ぬまでお酒を飲んでたもの。
さっきも藤柴さんに笑われてたわ。
『死んだら、今度は病気を気にしないで飲めるな!』なんて。
みなさんからお酒を顔に浴びせられちゃって……ふふっ」

……ん?
しんみりしながら話しを聞いていたが、ちょっと待て。
『みんなから酒を顔に浴びせられ』って……もしかして、
じいちゃんたちみんなで、死人の顔に酒ぶっかけたってこと!?
ちょ、ちょっとマジでなにやってんの、くそじじい!!
うちのバカじいさんはいびきをかいてすっかり眠り込んでいる。

「住職の正剛さんも『これで往生できるでしょう』って、
私を励ましてくれてねぇ」

あの生臭坊主! お前も一緒になって何やってんだよ!
死人にムチ打ってんじゃねーぞ!! おい!
平松さんは笑ってらっしゃるけど、これ、怒るのが当然だよ!?
……いや、俺とおばあちゃんは考え方が根本的に違うんだ。
若い俺からしてみたらあり得ないことかもしれないけど、
長く生きてきた経験豊富で懐も深い美人さんはきっと、
自分の主人をみんなが賑やかに送ってくれていると
思っているのかもしれない。
そんな考え方、俺にはできない。
だから俺は寛大なおばあちゃんに惹かれるんだ。

「でも、まさか……私よりも早く、逝ってしまうとはね。
それだけがとても心残りだわ……」
「平松さん……」
「あの人、いつも言ってたのよ。
『この商店街を、昔みたいに活気ある場所に戻すんだ!』って。
でもそれはもう夢でしかないのね……」

自然と涙が溢れてくる平松さんに、俺は
レジ横にあったティッシュを渡す。
平松さんは声を出さず、涙を流すだけだ。
――きれいな涙だけど、心からの深い悲しみの雫でもあるんだな。

「最後にもう一度だけ、昔のようなさざなみ商店街を見たかった」

そうつぶやくと同時に、また店の扉が開く。

「平松さん、いらっしゃる?」

山崎さんだ。

「ごめんなさいね、隼ちゃん。おばあちゃん長話しちゃって。
ちょっと外の空気が吸いたくなって、おじいちゃんをお借りして
抜け出してきちゃったの。喪主なのに失格ね」

平松さんはそう言い残すと、軽く頭を下げて店から出て行った。

『最後にもう一度だけ、昔のようなさざなみ商店街を見たかった』

これは平松さんだけの気持ちじゃないと思う。
俺だって……小さかった頃みたいに、どこのお店も活気があって、
歩いているだけで楽しいと思えるような街に戻ってほしいよ。

「でも……そんなのは夢でしかないよな」

俺はみんなに出した湯呑を片すと、
いびきをかいているじいちゃんのために布団を敷いてやり、
そこへ転がして上に毛布をかけてやった。
季節は秋から冬へ近づいている。
酒を飲んだあとに身体を冷やしたら、死んでしまうこともあるからな。
俺はおばあちゃん愛好家だけど、やっぱり家族であるじいちゃんも大事だから……。
もう誰かが死んで悲しむのは嫌だ。
商店街のメンバーや俺の大切な人がいなくなるのは、耐えられないんだ。

――翌日。
昨日はだいぶ酔っていたはずのじいちゃんだが、
今日も平松さんのところへ行った。
平松さんを最後まで見送りたいそうだ。
俺もこの日は学校を休んだ。
ずる休みだ。
俺が勉強することはもうないようなものだし、
クラスメイトを見ても、きっと苛立ってしまう。
俺だってわかってる。みんながもっと大きな街に行きたい理由。
それが魅力的だってことも痛いくらい知っている。
知っているはずなのに、今日はそれが心に重く感じてしまうんだ。

昨日とはうってかわって、仏具店に来る客はほとんどいなかった。
昨日のうちにほとんど必要なものは買ったんだろう。
正剛さんもすでに木魚を新調したし、今日は来ないはずだ。
平松さんのご遺体は焼かれて、今頃骨になっているのかな。
レジでうずくまっていると、ガラッと扉が開いた。

「はぁ~あ」
「お帰り、じいちゃん」
「おう、ど~すっかなぁ~……う~ん……」

じいちゃんはぶつぶつ言いながら、レジの後ろにある部屋の入口で、
黒いネクタイを緩めて頭を悩ませている。

「何かあったの?」
「いやあ……新しい組合会長なんだけどよ、俺にやってほしいって
みんなが言うんだよな。だけど仏具店の店主が会長って縁起でもねぇと
思うし、ここの商店街ももう終わりみたいなもんだろ?」

『商店街も終わり』

じいちゃんからそんな言葉は聞きたくなかった。
けど、これが現実なんだ。
どんなに美しい未亡人が祈っても、この商店街は復活しない。

「お前も将来のこと、考え直しとけよ」
「え?」
「仏具店も俺の代で終わりだ。きっとお前の友達の竹芝んとこの旦那や
桜田の嬢ちゃんも店をたたむだろうな」

仏具店が……店がなくなる?
ここの商店街で働くんだって小さい頃からずっと思ってた。
自分で自覚はなかったけど、これが俺の夢だったのかもしれない。
思い描いていた将来。
小さい頃からずーっと真っ白な紙に書いてきた鉛筆のか細い線。
大人になっても引き続けると思っていたのに、
鉛筆は折れ、紙も途切れた。
俺だけじゃない。
宗太郎も桂都も……。

これからどうすればいい?
いまさら受験勉強して、大学か専門学校に入るなんて
できない。
卒業したあと学校に通う予定なんてなかったから
そんな金もないだろうし、そうなったら就職か。
どんな職業に就きたいかと聞かれても、
今の俺じゃ正直答えられない。

じいちゃんが着替えていると、
学校帰りの宗太郎と桂都がうちに立ち寄った。

「ずる休みなんて、いい身分だな。隼」
「……隼くんも、やっぱり悩んでる?」

ふたりの表情は暗かった。
考えていることは俺と同じだ。
きっと今、俺がじいちゃんから言われたことと同じ内容の話を
親御さんからされたんだろうな。

ボーッと生気が抜かれたような顔をしている俺たちを見て、
じいちゃんは叱った。

「お前たちは甘く考えすぎだったんだ!
店を経営するのだって、簡単じゃねぇ。
それにまだ高校2年だろ。
あと1年、将来のことを考える時間はあるんだからよ」

じいちゃんの言う通りだ。
だけど、進路よりなにより、俺らが悲しく思っているのは
自分たちの育った商店街がなくなること。

「じいちゃん、店、任せた」
「お? 珍しいな、隼」
「行こうぜ」

俺は宗太郎と桂都を連れて、
冬の海辺へ散歩することにした。

冬の海は夏と違って人がまったくいない。
暁海岸は夏にはそこそこ海水浴客が集まるが、
それでもメジャーな海水浴場よりもお客は少ない。
サーファーすら来ないというひどいあり様だ。
商店街のメンバーで海の家を出していたこともあったけど、
それも今は昔。
今の街にそんな体力はない。

砂浜につくと、俺たちは乾いた流木の上に座った。

「スイカ割りのこと、覚えてる?」

桂都の質問に、宗太郎と俺は大きくうなずいた。

「あったりまえだぜ! 子どもたちがなかなか割ることができなくて、
イライラしてた平松のおっちゃんが……」
「目隠しもしないで手刀で割ったって、アレでしょ?」

大人たちが海の家で働いている間、俺たちの面倒を見ていてくれたのは
平松さんだった。
あの夏の日は、本当に楽しかった。
毎日海で遊んで、泳げない桂都に泳ぎを教えたり、宗太郎がクラゲに刺されたときも
親父さんは海の家で料理してて……。
代わりに山崎さんや他のおばさんたちが泣きまくっている宗太郎を
あやしていたなぁ。

「あらぁ、そんなことがあったのねぇ。
この人、私には何も言ってくれなかったんだから……」

この声は……!
俺が振り向くと、そこには平松さんの奥さんが立っていた。
胸には位牌がある。

「ごめんなさい、立ち聞きなんてしてしまって。
困ったおばあちゃんね」
「そんなことないです。俺たちも、すっごく平松さんにお世話になったし!
な!」
「平松さんとこのばあちゃん、きれいだな……」
「この間雑誌、ちょっと見たけど……隼くんのストライクゾーンなんじゃない?」
「シャラップ!」

俺は横に座っていた桂都の腹に肘鉄を入れると、
ドミノ倒しのように宗太郎まで砂浜に転がった。

「まぁまぁ、みんな元気ねぇ。
こんな子たちが、商店街を盛り上げてくれたら
よかったのに……もうそれも無理ね」

「平松さんは、どうしてここへ?」

いまだ喪服姿の平松さんは、家に一度帰ってから
位牌だけを持ってきたようだ。

空を飛ぶトンビを眺めて大きく息を吸うと、
冷たい海のずっと先を見つめる。

「ここはね、私と主人が出会った場所なのよ。
だから最後に、こうしてふたりで海を見たかったの」

この人は、昨日からずっと笑顔だ。
毎日のように泣いているのがわかるくらい、
目が赤くて、涙の跡も消えてないっていうのに……。
それなのになんで、俺たちに笑いかけるんだ?
無理した笑顔を見せられる方が、胸が痛くなる。

「ここの街でも昔は、大きな花火大会があったのよ。
そこで浴衣を着ていた私は、下駄の鼻緒が取れちゃって……」
「ああ、よくある話ですね!」
「お前、黙ってろ、バカ!」

宗太郎の頭を思い切り叩くと、また平松さんは笑う。
笑える気分じゃないだろうに。
痛々しくてしょうがない。

「花火は……もう見ることができないのね。
私がこの街を離れている間に、すべてが変わってしまった。
それをあの人は何も言わず……」
「僕の勝手な想像なんですけど、組合会長は奥さんに、
寂れてしまった街を見せたくなかったんじゃないでしょうか?」

いままで黙っていた桂都が、珍しく口を開いた。
普段だったら人見知りで、簡単に他人に意見することなんかない
桂都が。
桂都はさらに立ち上がって、俺らに言った。

「ねぇ! ふたりはこのままで終わっていいと思ってるの?
僕たちが育った街がなくなるかもしれないんだよ!?」
「嫌に決まってるだろ!! 俺だって、あっけなく親父の代で店をたたむなんて、
悔しいよ!」
「……俺の家は仏具店だけど……商店街がなくなるのは、嫌だ。
絶対に……絶対になくしたくない!」

平松さんの方をちらりと見る。
組合会長は幸せな人だったんだな。
こんなきれいな人に、亡くなってからもずっと想われて……。

俺はまだ若い。
たった16年しか生きていない。
あのときばあちゃんじゃなくて、俺が死んでたら……。
ばあちゃんも俺のこと、こんな風に思ってくれていたのかな。
俺が今も、ばあちゃんのことを強く愛しているように。

「俺たちにできないかな? もう一度だけ、この街を盛り上げること。
亡くなった組合会長のためにもさ」

「隼……」

ふたりが俺を見つめる。
平松さんもだ。
彼女の澄んだ目の端に、光る雫があったことを
俺は気づかないふりをした。
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