〇第3章

文字数 17,466文字

学校が終わり、夕方。
俺たち3人はある人の家へ向かっていた。

「家にいるって?」

桂都の質問に俺はうなずく。

「うん。今日は学校サボったから、家にそのまま来いって」

向かう先は、商店街の近くにある一軒家。

「梅田の兄ちゃんかぁ……。オレ、あの人苦手なんだよな」
「そう言うなよ、宗太郎」

宗太郎をなだめつつ梅田の兄ちゃんこと、梅田夕日の家に着く。
インターフォンを鳴らすと、長身で細身、耳にはピアスだらけの男が出てきた。

「よう、お前らが来るなんて久しぶりだな」

梅田の兄ちゃんは、学校もサボりがちだ。
高校3年だけど、まだ自由登校ってわけじゃない。
ただもう進路が決まっているので、行く気がないんだろうな。
もともと梅田家は、商店街で美容室を営んでいた。
そのため、兄ちゃんとは昔、よく遊んでもらっていた。
サッカーとかおにごっことかじゃなくて、美容院ごっこだったから
宗太郎は心底嫌がってたけどな。
だけど梅田の兄ちゃんのお母さんの代で店を閉めた。
兄ちゃんは来年街を出て、都心の美容師専門学校に進学する予定だ。
兄ちゃん自身も俺から見たらチャラい……いや、カッコイイし、
美容師になる夢も叶えてもらいたいと思っている。
そんな兄ちゃんに今日は協力してもらいに来たんだ。

「この美しい俺様に協力してほしいって、何企んでんだ?
悪いことをしたらダメ、だぜ?」

……ああ、まぁこういうところがなければなぁ。
前髪をかきあげながら「決まった」とつぶやくところは
見ていてイタい。
宗太郎はこういう類の人間が本当に苦手らしく、ドン引きしてるし
桂都は愛想笑いを浮かべている。
俺はともかく今日の作戦の協力をお願いする。

「兄ちゃん! 頼む、俺たちを女の子にしてくれっ!」
「は? さすがにそれはできないだろ。性転換なら医者に行け」
「そうじゃなくて……」

言い方を変えようとすると、兄ちゃんは笑った。

「うそうそ、わかってるって。女装したいってことなんだろ?」
「さすが兄ちゃんだね」

桂都もうまくヨイショする。

「でもなんで女装なんてしたいんだ? 文化祭の季節じゃないぜ?」
「ほら、商店街に怪しい店ができたじゃん」

宗太郎が説明する。
俺たちの今回の作戦はこうだ。
先も言った通り、風俗店に未成年、18歳未満の子どもが立ち入るのは
禁止されている。
客としても当然だが、働く方もNG。
黒服は未成年に仕事を持ちかけるのもいけないとされている。
サラリーマンに見られなかった俺たちは、それを逆手に取ることにした。
女装して、黒服に声をかけてもらう。
そして店内に潜入。あとは同じで、生活安全課に連絡……という筋書きだ。

「ふうん、幼なじみのボウヤたちに危険な橋を渡らせるわけにはいかないけれど……」
「その言いまわし、やめろよ、兄ちゃん。なんかキモい」

宗太郎がズバッと言うと、兄ちゃんはちょっとショックを受けたような
顔をした。
俺は小声で宗太郎に注意をする。

「宗太郎! 本当のことでも今言うなって。
兄ちゃんの力がないと、今回の作戦は実行できないんだから!」
「隼くん、小声のつもりかもしれないけど、聴こえてるよ」

桂都にこそっとささやかれ、俺と宗太郎は兄ちゃんの方を見た。

「ふ、ふふふっ……」

兄ちゃんはフラフラと揺れながら、俺たちに近づく。
まずい、これはキレてる。

「しょうがないなぁ! それだけ言うならめっちゃくちゃ美人に
メイクしてやろうじゃねぇか! お前らが嫌がるくらいになぁっ!!」

兄ちゃんは指の間にメイクで使われると思われる
筆やチップを挟んで胸の前で腕を交差させる。

メイクしてくれるのはありがたいけど、ちょっと怖い……。

「そうと決まれば、あとは服だな。
お前ら、女物の服ないだろ?」
「僕のお母さんの服を着ようかと思ってたんだけど……」

桂都がおずおずと言うと、兄ちゃんは笑った。

「ダーメダメ! そういう店の黒服に声をかけられたいんだろ?
おばちゃんの着てるような服じゃなくって、今風の女子高生の服装じゃなきゃね」

そう言いながら兄ちゃんはスマホをいじる。

「何してんの?」
「俺の彼女たちに声かけてんの。服貸してって」

『彼女たち』……。
さすが兄ちゃんだな。チャラ……じゃなくて、女の子にもモテる。
俺たち商店街っ子はどことなく芋っぽい。
というか、ここの街は都心や大きな街から離れてるからな。
お洒落で目立つようなタイプはあまりいないんだ。

30分もしないくらいか。
3人の女の子たちが兄ちゃんの家を訪れた。

「梅ちゃん、これでいいの?」
「うん、完璧☆」
「服を貸してって……何に使うの?」
「君のぬくもりを感じたくて」
「ちょっと派手かもしれないけど」
「そんなことない、派手な服も着こなす君は最高だよ」

「うぇぇぇ……」

宗太郎はのど元を押さえて気持ち悪そうに吐く真似をする。
桂都は兄ちゃんを呆れた顔で見ながら、宗太郎の姿を女の子たちから隠そうとする。
ただ、俺はむしろ兄ちゃんがすごいと思った。
3人も彼女がいるのは道義的にどうかとは思う。
ただ、雰囲気がみんなバラバラ。
ちょっとぽっちゃり系だけど明るい性格の女の子。
スマートで大人しめな子。
ギャルっぽい感じで、ここの街ではかなり目立つタイプの子。
3人から服やアクセサリー、靴を借りると、兄ちゃんは爽やかな笑みを浮かべ
お礼を言った。

「ありがとう、エンジェルたち。それじゃ、また学校でね!」

服だけ借りると、意味不明なことを言って兄ちゃんは
3人を笑顔で追い出す。

「兄ちゃん、あの人たち本当に彼女なの……? 利用してるだけじゃない?」

俺がつい毒を吐いても、兄ちゃんは平然としている。

「ん? そんなことないぜ。俺はみんなのことを愛してるから!」
「うぜっ」
「宗ちゃんっ! と、ともかく服は手に入ったんだよね?」

桂都がきくと、兄ちゃんはさっそく3人の女の子から受け取った服を
俺たちに配る。
宗太郎はぽっちゃり系の子の服。
桂都には大人しめな子のものを、そして俺はギャル系の服を渡された。

「サイズは多分、それで平気だと思う。見た目でなんとなくわかるから」

じいちゃんがぼやいてたことを思い出す。
買い物から帰ってきたじいちゃんは、どうやら何人もの女の子に囲まれた
兄ちゃんを見かけたらしい。
そこでふと出た言葉。

『梅田んとこの坊主は、ずいぶん女たらしになったなぁ』

確かに……。

ボーッとしていると、兄ちゃんに着替えるように急かされる。

「とりあえず合わせてみて」

言われるがまま、俺たちは女の子たちの服を着てみる。
着替えるとウィッグをつけられて、チェックだ。

「うん。まあまあかな」

服とウィッグは、兄ちゃんの見立て通りぴったり。
だけど宗太郎と桂都は、お互いの格好を見て苦笑いを浮かべる。

「宗ちゃん、ガニ股は直したほうがいいよ」
「桂都は妙に似合ってて怖いな」

ともかくこれで準備は完了だ。

「あとは兄ちゃんにメイクをしてもらって、店の前に……」
「あー、それはちょい待ちなさい。隼の作戦は穴だらけだろ」
「え? どこがだよ!」

一生懸命考えていた作戦なのに、今更ダメ出し!?
ムッとしていると、兄ちゃんは人差し指を出して
注目するように合図した。

「よく考えろよ。女の子3人がただ歩いてるだけで、
黒服に声かけられると思う? 
3対1だったら、声だってかけにくいだろ」
「それは……そうだけど」

兄ちゃんのいうことは一理ある。
じゃあどうしろっていうんだ?
ひとりずつ声をかけられるように、うろうろしろとでも?

兄ちゃんは俺たち3人を座らせると、
みんなに自分の考えを話しだした。

「いいか、女の子がそういう仕事に就くのは、
なんらかの理由があるはずなんだ。
ただ歩いててナンパされてすぐ店……ってことも
あるかもしれないけど、もっとキャラクターを掘り下げた方がいい」
「キャラクター?」
「掘り下げる?」

宗太郎も桂都も首を捻る。
一体何を考えてるんだろう?
兄ちゃんはひとりずつに『キャラ設定』していく。

「宗太郎は『カナコ』って名乗れ。趣味はお洒落で服やメイク代がかかる。
社交的な性格で、こういう仕事にも偏見はないどころか楽しんでやるタイプだ。
基本的にテンションは上げていけ」
「えぇ!?」

「桂都は内気な女の子だ。『ユリ』がいいかな。薄幸の少女って感じ。
唯一の家族の母親が倒れたばっかで、お金がなくて困っている。
そこで、あの店が気になってる」
「はぁ……」

「隼。お前はギャルな。名前は『リエ』。彼氏と遊ぶ金欲しさにバイトする。
仕事は仕事で割り切ってる感じだ」
「リエ……」

カナコもユリもリエも、どこにでもいそうな女の子の名前だ。
兄ちゃんはそれが狙いらしい。

「みんなよくある名前の女の子ってところがミソだ。
この名前でアカウントを作る。
お前ら、みんなスマホ持ってるよな」

兄ちゃんはノートパソコンを取り出すと、カナコとユリ、リエのアカウントを
さっと作る。
俺たちがそのアカウントで各自ログインして、
兄ちゃんが検索しておいた店のアカウントと、
自分のキャラに近いと思われるそこに勤めている女の子の
アカウントをフォローさせる。
どうやら『彼女たちに共感している』と店側に思わせるためらしい。
最後に住んでいるところを『暁』と登録すればOKだ。

「だけど、これだけじゃダメだ。本当に女の子たちが実際に存在するように
書きこみを定期的にする。もちろんさっき俺が作ったキャラになりきってな」
「それじゃ、今日は店に行けないんじゃ……」
「うん」

兄ちゃんはあっさりうなずいた。

「大きなことをするには、仕込みが大事なんだって。いいか? ともかく
『どうしても金が欲しい』という感じのツイートを多めに投稿しろ。
そうしたら向こうから罠にかかってくれるからな」

そんなもんなのかなぁ……。
不安に思う俺に、兄ちゃんはさらに準備が必要だと言った。

「お前らの女装はまだ完璧じゃない。重要なものが欠けている。
今から買いに行くぞ!」

買い物?
何が必要なんだ?

1時間に1本しかない電車にギリギリ飛び乗ると、
俺たちは兄ちゃんに連れられて、ターミナル駅の横にある
ショッピングセンターへ向かう。
その先にあったのは……。

「ここに入るの?」

桂都の顔色は真っ青だ。

「いや、そりゃあ男としたら入ってみたい気はしてたよ!?
だけどさすがに勇気いるって……」

宗太郎は喜んでいるような照れているような、微妙な感想。
俺はというと、なんでこんなことになってるんだ、と
頭の中が真っ白。

「おーい、姉ちゃん!」
「夕日、ホントに来るとはね。
まあ、時間的に店が閉まるちょい前だし、
大丈夫だとは思うけど」

俺たちが連れてこられたのは、
兄ちゃんの姉・朝日ちゃんが店長を務めている店。
女性の下着の店……ランジェリーショップだった。

「兄ちゃん、ここまでしないと本当にダメなの?」

俺が聞くと、大きくうなずかれた。

「当たり前だろ。もし店に入る前に『パンツ見せろ』って言われたら
どうすんだよ。このくらい覚悟しろ」
「あんたたち、ほら採寸するわよ」

朝日ちゃんはすでにメジャーを持っている。
宗太郎から順にサイズを測る。

「宗ちゃん、あんた胸あるわね~。Aカップじゃん」
「お、俺胸あるの!?」

ショックなのか嬉しいのかわからないテンションの宗太郎は、
自分の胸をぽよぽよ触っている。

「……でも、むなしいな。女の子と同じって言われても、
自分の胸だし……」

「桂都、ウエストほっそ! あんたはこの白いショーツが似合うかもね」
「ショーツって……ぱ、パンツ!? 僕、女の子用のパンツ履くの!?」
「あはは、諦めろ、桂都」

兄ちゃんは今にも倒れそうな桂都に、朝日ちゃんの選んだ白いレースの
パンツをあてがう。
桂都は今にも泣きそうだ。
……すまないとは思うけど、これも商店街のため。
平松さんのためだ。

「隼は胸板薄いなぁ。ブラはAAカップでパットを入れるか。
黒い下着が似合うかな。ガーターベルトもつける?」
「黒……ガーター……」

桂都に申し訳ないと思ったが、前言撤回。
やっぱり自分が黒い女性用下着をつけるとなると、
思うところはある。
いや、思わなきゃおかしいだろっ!!

「ねぇ、隼くん。僕、男としての尊厳を失ってる気がしてきた」
「俺はなんか変な世界に目覚めそう」

桂都と宗太郎は正反対の感想だ。
だが、俺はふたりに喝を入れた。

「男としてのプライドは捨てろ! 
そのかわりさざなみ商店街の一員であることに誇りを持て!」
「あはは」

……朝日ちゃんと兄ちゃん、すごく乾いた笑いだ。

「そんなことより3人まとめて、27000円ね」
「えぇっ!?」
「ほら、早く金出せよ」

朝日ちゃんと兄ちゃんは俺たちに迫る。
これって新手のカツアゲじゃんか!
宗太郎と桂都は俺を見る。
兄ちゃんはにこにこしているが、
これは払うまで返してもらえそうもない。

「『どんなときでも商売は忘れない』も商店街のモットーだよな?」

くっ……兄ちゃんに商店街のモットーを言われてしまったら、
払うしかないじゃん!

「おい、隼。計画したのはお前だぞ?」
「僕の家、そこまでの稼ぎないよ……」

ふたりは金を出せないと言っている。
当然だよな。発案者は俺なんだから。

「兄ちゃん。今手持ちがないから、地元帰ってからでいい?」
「仕方ないな。下着代は俺が立て替えとくけど……
作戦のプランニング代は別だからな?」

めっちゃ足元見られてる~!
まぁ仕方ないか。それもこれも商店街を守るため……。
21:00台の終電で地元に帰ると、俺たちは解散。
兄ちゃんには後日、21000円返すことになり、
俺はじいちゃんに土下座&小遣いと店の手伝いのお駄賃を合わせて
30000円を前借りることに決定した。

女性ものの下着を買って、数日過ぎた。
俺たち3人は兄ちゃんの言う通り、
学校でカナコ・ユリ・リエになりきって
つぶやきを投下している。

「『もうすぐコフレ発売なんだよね~。欲しいのがいっぱい!』」
「『こふれ』ってなんだよ」
「化粧品とポーチのセット? みたいな」

すっかり宗太郎はカナコになりきっていて、
ツイートもノリノリだ。
俺と桂都がわからないような単語も
ちょいちょい出てくるようになった。

「桂都はどんな内容をつぶやいてるの?」
「僕はこんなの」

スマホを見せる桂都。
俺と宗太郎はそれをのぞく。

『今日はお母さん、体調いいみたい。
このままの状態でいてくれればいいんだけど』

「ユリは親思いなんだっけ?」

母親を思うつぶやきが続く中、変なつぶやきを見つける。

『クラスの男の子に告白されちゃった』

「お前、告白されたのか!?」
「ち、違うよ!」

宗太郎が桂都のむなぐらをつかむ。
必死に桂都はそれを否定した。

「次のつぶやきも読んでよ!」

『彼と初デート。ふたりでショッピングモールへ。
新しいお財布が欲しいみたい』

『お金、あんまりないけど……生活費を切り詰めて
彼にプレゼントしちゃった。彼、すごく喜んでて……』

ん? なんだかつぶやきの様子がおかしいぞ。
これは……。

『彼は浮気をしていた……私のことを騙していた。
ゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせない』

「怖いよ!!」

俺と宗太郎は桂都に大声でつっこむ。

「ユリはこの後どうなるんだ?」

俺が聞くと、桂都はぱぁっと明るい笑みを浮かべて
答えた。

「また男にだまされて、借金を背負うことになるんだ!
それであの店が気になるという展開で……
いかにも薄幸の少女って感じじゃない!?」

お前、そこ明るく言うところじゃない!
ついでに言うと、それは幸が薄いんじゃなくて、
単にアホな男にだまされまくってるバカな女だ!

「桂都! お前はなんでそんな想像ができるんだ!」

宗太郎も同じ考えらしくて、桂都の頭を叩く。
なんだろう。
桂都も無駄に想像力豊かだからな。
こういうストーリーを考えると、行き過ぎてしまうんだろう。
こいつ、見た目に反してサスペンスとかホラーとか
大好きっ子だからなぁ……。

「そういう隼はなんてつぶやいてるの?」
「俺は普通」

今度は俺がスマホを見せる。

『冬休みになったら、和哉とデートしまくる!
今からお金貯めなきゃね~』

『@和哉 俺もリエとデートするの、楽しみ!』

「ちょっと待て! 和哉実在すんの!?」

宗太郎が声を上げる。
桂都も驚いたらしく、目をぱちくりさせている。

「あ、うん。『リエ』として登録してたらさ、こいつからフォローされて。
他にも何人か男とやり取りしてるよ。そっちの方がリアルじゃん?」

「他にもあるじゃねぇか……『@雅人 リエ、俺と遊ぶのも忘れんなよ?』
『@リュウ 俺との約束も忘れんじゃねーぞ?』……リエ、ビッチかよ!」
「いやいや、みんな平等に付き合うってことにしてる設定だし、
デートって言ってもちゃんと俺も金払うよ。
だからお小遣いじゃ足りなくなって~……」

3人のキャラは、予想以上に完璧にできあがってしまっていた。
あとは、兄ちゃんが言う通りのことが本当に起こると
いいんだけど。

休み時間が終わり、授業が始まる。
その途中、携帯が震えた。
……ダイレクトメールだ。

『リエ 様 はじめまして。JK見学店ふらわぁ~ずのサカモトです。
お金にお困りのようだったのでご連絡させていただきました。
現在当社ではアルバイトを募集しており……』

来た、これだっ!
俺は思わずガタッ! と席を立つ。
偶然なのか同じタイミングで宗太郎と桂都も立ち上がった。
ふたりにも来たのか。このDMが。
俺たちは授業中だということにも関わらず、
視線で合図する。

「おい。お前ら! なんだ突然! 座らないか!」

教師に注意されて渋々座ったが、いよいよ俺たちの作戦が
実行される日が来たんだ。
それから先、授業の内容はすっからかん。
先生の話は上の空。
ふたりも俺と同じみたいだった。

学校が終わると、俺たちはさっそく兄ちゃんの
家へと向かう。
すでにDMが来たことは連絡済みだ。

「待ってたぜ、ボウヤども。やっと来たな! ショータ~イム! が」
「だからその言いまわし、やめろって」
「宗太郎が皮肉を言うのはわかるさ。俺が無駄に美しいから!」
「兄ちゃん、こういうところがなければかっこいいんだけどね」

あいかわらず宗太郎は兄ちゃんに文句を言い、
桂都は呆れるだけだ。

「とりあえず準備をしようぜ」

俺たちは学ランとシャツ、ズボンを脱ぐと、この日のために買った
3人で27000円の女性ものの下着を身に着ける。

「な、なんかテンション上がんねぇ?」
「上がらないよ、宗ちゃん」

興奮気味の宗太郎に、クールに返す桂都。

「お、隼人はガーター付きなのか! 太もも細いからなぁ~。色っぽいぜ!」
「……余計なこといわなくていいから」

兄ちゃんはひゅ~っと口笛を吹く。
いや、嬉しくもなんともないって。

男3人が女物の下着をつけている様は、
どうも違和感がある。
なんだろう。
コスプレ……というものでもなく、
イメージ的にどういうわけか合体ロボットみたいな感じだ。

「あ、そうそう。これ、忘れてた。はい、カミソリ。
うちの風呂使っていいから」
「え?」

兄ちゃんは俺たちひとりにひとつずつカミソリを渡す。
これはもしかして……。

「わき毛とすね毛、剃ってこないとね」

やっぱりそれか~!!
すね毛はまぁ……うん、許せる。
けど、わき毛ってどうなの!?
芸能人や体育会系の選手だと剃ってる人もいるけど……。
いや、ここは悩んじゃいけない。
すでに27000円の経費と、つぶやきに使った時間がかかっている。
男であるプライドは捨て、商店街のメンバーとしての誇りを持て。

「こうなったら剃るしかないだろ! 行くぞっ!!」

俺たちは風呂場で毛を剃り、ようやく女物の服を着た。
今度は髪とメイクだ。
こればかりは兄ちゃんに任せるしかない。

「本当に大丈夫なの?」

不安そうな桂都の肩を兄ちゃんはがしっとつかんだ。

「余裕余裕! 未来のカリスマ美容師様に何を言うんだ、桂都。
お前を超美少女に変えてやるから待ってろ!」

兄ちゃんはまず、前髪をとめて下地をぬる。
桂都演じるユリは薄幸の少女ということで、メイクは薄めだ。
髪も黒いし、服装も清楚系。

「はい、ひとり完成!」
「これが僕?」

鏡の中の自分を見て驚く桂都だが、
それ以上に俺たちもびっくりしていた。
アイドルグループの中にいても違和感ないくらいだ。

「……かわいいな」
「うん、すげえ、兄ちゃん」
「ほれ、次!」

兄ちゃんに急かされて座ったのは、宗太郎。
宗太郎は化粧濃いめで、リップは赤。
『太っている』というよりも『ぽっちゃり系かわいこちゃん』という
イメージか。
服もアクセサリーも凝っている。
茶色のウィッグはおだんごにして、頭の上でまとめてある。
桂都とは全然違うが、宗太郎も普通に都会に居そうな女の子に変身だ。

「うお! オレ、いけてるじゃん!」
「きっと宗ちゃんは女の子に生まれてお洒落とかに気をつかっていれば
成功したんだろうね」
「お前に言われたくない」

桂都もたまに毒舌だからなぁ……。
ま、言いたいことはわかる。
普段の宗太郎は芋っぽいからな。

「ほい、最後は隼だな」

鏡の前に座ると、兄ちゃんは手早く俺の顔をいじっていく。
化粧って、ペンキで壁を塗るような作業なんだな。
俺はギャル系メイクってことで、つけまつげまで用意されていた。
目元がなんか落ち着かないけど、普通にしていれば落ちたりしないらしい。
髪は茶……というか、金に近い。
ピアスはさすがに穴を開けられないから、イヤリングを装備。
その上指にはつけ爪。すでにネイルアートしてあるものを貼ると、
これで完成だ。

「凝ってるなぁ、隼。爪も武器になりそうだ」
「兄ちゃんって、本当にすごいんだぁ……」
「もっと俺を褒めたまえ! 今日のお前らは俺様の芸術品だ!!」

……芸術品とかそういう感想はともかくだ。
俺はごほんと咳払いすると、ふたりに確認した。

「DMで指定された時間は、18:00が桂都、18:30が宗太郎、19:00が俺だよな。
多分、30分間隔で店に入れるんだと思う。
だから20:00前に警察へ連絡すれば……」
「だけど大丈夫かな? 店内でスマホ、使えると思う?」
「うーん……」

不安げな桂都を安心させてやりたいところだが、
そこが不確定なんだよな。
もしスマホを取り上げられたり、ロッカーみたいなところへ置くように言われたら
終わりだ。

「そしたら、20:00に警察が動くように、俺が店内に入る前に連絡を……」
「その役、先輩である俺様がしてあげてもいいぞ?」

意外なことに兄ちゃんが手を挙げた。

「外に誰かいないと、何か会ったとき助けられないだろ?」
「でもいいの? 兄ちゃん」

くすりと小さく笑うと、兄ちゃんは俺たちに笑顔を向けた。

「やっぱ俺も、さざなみ商店街の一員だからな。
もう店はなくなっちゃったけど」

兄ちゃんは立ち上がると、俺たちに出掛ける準備を促す。
そして……。

「おい、隼。しめろ。お前のじいちゃんが今の組合会長なんだから」
「う、うん」

俺は大きく息を吸うと、兄ちゃんの家の外まで聴こえるような大声で
気合いを入れる。

「さざなみ商店街、今回の作戦の成功を願ってっ!! よ~っ!!」

パンッ!! とみんなは手を鳴らす。
商店街で何かをするときは、いつもこの掛け声なんだ。

……よし。いよいよ本番。
あの怪しい店をぶっ潰して、平松さんに土地の権利書を取り返す。
そして安全な商店街に戻すんだ。

18:30。
待ち合わせは駅前だ。
俺と宗太郎。梅田の兄ちゃんは、遠くから桂都の様子をうかがう。

「桂都、大丈夫かな?」
「何かあったらオレが助けるって!」
「いや、宗太郎が行ったらダメだろ。お兄様に任せろ」

だけど、そんな心配はなかった。
スムーズにって言ったらおかしいかもしれないけど、
桂都はすぐに黒服に連れられて、店へ入っていった。

次は宗太郎だ。あいつも俺も、桂都と同じように
駅前で待ち合わせということになっている。

「いいか、隼が店に入ったら警察に連絡するが、
1時間は待て。
警察は動くのが遅いからな」
「だけど、『JK見学店』って何するんだ?」

宗太郎の質問に、兄ちゃんは簡単に答えた。

「多分、部屋はマジックミラーになっていて、
指名されたらお客の前に行くんだ。
そこでパンツ見せたり、胸チラしたり……」
「オレがぁ!?」

宗太郎が大声を出す。
先に店に入った桂都が心配だけど……作戦はもう動きだしている。

「指名されなければいいんだから、ドンと構えてれば平気だよ」
「あ、ああ」

そう言って、宗太郎も待ち合わせ場所へ。
桂都と同じように黒服に連れて行かれた。

「兄ちゃん、もしこの作戦が失敗したら?」
「何言ってんだよ。お前が立案者だろ。堂々としてろ」
「う、うん……」

時間だ。俺はごくりと唾を飲み込むと、駅前に立つ。
しばらく待っていると、黒服の男が近づいてくる。
桂都と宗太郎を連れて行ったやつだ。

「あの、リエちゃん、かな?」
「あ、そうでぇ~す!」

声が若干低いかもしれないけど、俺が思うギャル系の女の子の
フリをして誤魔化す。

「アルバイト希望なんだよね。それじゃ、ここだとなんだし、
事務所に行こうか?」
「はぁ~い!」

うん、順調だ。
青っぽい蛍光ランプやピンクの光に
少しばかり緊張するけど、落ち着けば大丈夫。

地下まで降りると、いくつもの試着室みたいな場所が並んでいる。
どうやらここにお客を通すようだ。
その奥が女の子たちがいる部屋だ。
ちらりとお客を通すところから奥を見ると、
制服の女の子たちがいた。
桂都と宗太郎も一緒だ。

カーテンが閉まっているのは、今のところひとつ。
お客はひとりしかいないってことか。
ま、それもそうだろう。
さざなみ商店街なんて寂れた街で、なんで風俗店を開こうとしたのか、
正直わからない。
いるのはお年寄りばっかりだっていうのに。

「そうそう君、女子高生?」
「えっ?」

パイプいすに座らされると、黒服はタバコを吸いながら
俺にたずねた。

「今、風俗店の取り締まり、厳しいんだよね。
だから『JK見学店』って言っても、
18歳以上じゃないと一応ダメってことになってるの。
でも……」

黒服は煙を吐き出すと、俺に顔を近づけた。

「こんな寂れた場所だったら、警察もわざわざ取り締まらない。
それに、この街に住んでるのは老人ばっかりだからね。
権利書をみんなから奪い取って、大きな風俗街にしようっていう
考えなんだ。だから、君が女子高生でも問題ないよ。
むしろそれを売りにして、お客を誘導する予定だからね」

くそ、そういう考えだったんだな。
性根まで腐ってやがる。
ここの商店街は俺たちが守る。
お前たちのそんな汚い夢は俺たちがぶっ潰してやる!

「じゃ、さっそく服、着替えてくれる? ユウコ!」
「はいはい」

ユウコと呼ばれたレジの近くに座っていた20歳くらいの女が、
セーラー服を投げつける。
コスプレ用にしてはかなりちゃんとした作りだ。
もしかしたらどこかの高校の本当の制服なのかもしれないな。

「あっちにロッカーがあるから、そこで着替えてね。
着替えたら向こうの鏡のある大きな部屋に入って」

シャーッとカーテンを閉めると、黒服は出て行った。
俺は言われた通りセーラー服に着替え始める。
……多分、これであってるよな?
横のジッパーを上げると、鏡を見てみる。
ガーターベルト、どうしよう。
取った方がいいのか?
っていうか、取りたいんだけど。

「着替えた~!?」
「え!? あ、えっと」

カーテンが勢いよく開けられる。
俺はセーラー服にガーターベルトというマニア向けな格好で
黒服を迎える。

「いいじゃな~い! ガーターはつけてていいよ!
むしろそっちの方がそそるしね!」

お前がよくても俺はよくないっ!!
そう思いつつも、男は俺を引っ張っていく。
もう抗えない。
仕方なく大部屋に入ると、桂都と宗太郎がいた。

「遅いぞ、隼!」
「ちょっとガーターベルトが……」
「んなことどうでもいい! それよりここは天国だぜ……」

宗太郎はお客の接待をしている女の子を見て、
興奮している。
俺たちの知っている顔はないのが幸いだ。
多分、この女の子たちは近くの大きな街から
来たんだろう。

「宗ちゃんは天国かもしれないけど……僕は地獄だった!!」

桂都は女の子座りをしたまま顔を両手で覆った。

「何かあったのか?」
「ああ、さっき指名があってさ。
桂都、後ろからパンツチラ見せしたんだよな~!」

宗太郎は完全に他人事だが、桂都は今にも泣きそうだ。

「なんで僕、男にパンツなんか……」
「ま、まあ、もう大丈夫だよ、きっと。兄ちゃんが警察に
連絡してる頃だと思うし……」

と、桂都を励ましていたときだった。

「リエちゃ~ん! ご指名よ~! 3番の鏡の前ね」

さっきのレジにいた女が声をかける。
俺に指名~!?
宗太郎は笑っているし、
桂都にいたっては同情と憐みの眼差しを送ってくる。
ちくしょう、やりゃいいんだろ! やりゃあ!

俺はどかっと3番の鏡の前に行くと、
向かいにいるであろうお客に、笑顔で手を振った。

「リエでぇ~す! 今日はよろしくね!」

うぇぇぇぇっ!!

表面上ではかわいい笑顔を見せて、明るいギャルを演じているが、
内心では嘔吐したくてたまらなかった。
桂都が泣きそうだったのが、今よくわかる。
これは拷問でしかない!
お客と俺は、マイクを通じてやり取りをする。
さっそくお客からオーダーだ。

「よ、四つん這いになって……後ろを向いてくれないかな? ハァハァ」
「はぁ~い!」

『ハァハァ』じゃねぇよ!
マイク通して荒い息遣いまで聴こえてきて、気持ち悪いわっ!!
くっそ、兄ちゃんまだかよ~!!

「つ、次はこっちを向いて……ぱ、パンツを……」

マジかよ! 勘弁してくれ!!
俺がスカートをめくり上げたそのとき……。

「はい、みんな動かないで~! 警察です!!」

事情を知らない他の女の子たちや、数人いた従業員、客は
驚いたようで目を白黒させる。

「ったく、兄ちゃん遅いよ~……」

「はい、君たちもそのままの体勢で止まって!」

パンツを見せようとスカートを持ち上げていた俺に、
ストップの声がかかる。
え!? ちょっと待って。
俺、このままの体勢なの!?

警察は俺の格好を写真に収める。
恥ずかしすぎる! 
っていうか、写真にされたら末代まで残るんじゃ……!!

俺を見た宗太郎と桂都は、かわいそうなものを見る目をする。
そんな目で見るなら変わってくれよっ!!

一通り部屋の写真を撮った警察は、俺たちの年齢を確認する。

「この中で、18歳未満の子はいるか? ……ちゃんと手を挙げなさい!」

俺たちはゆっくりと手を挙げる。
驚いたのは、18歳未満が俺たちだけじゃなかったことだ。
他にも4人ほど、本物の女子高生が紛れていた。

「完全にアウトだな」

刑事さんたちはまず近くにいた4人の女の子たちから
話を聞くことにしたようだ。
逃げるなら今だ。
だけど、入口には女性警察官がいる。
どうしよう……。

「先輩っ!! 室田さん! 店の外に、たくさんの女子高生が!!」
「なんだって!?」

若手刑事のひとことで、みんなが慌てる。

「しかも女子高生たちは、
そこの黒服に声をかけられたと訴えています!!」

俺がこの作戦を思いついたときに見ていた番組では、
未成年者に風俗店を紹介するために声をかけるのもアウトって
言ってたっけ。

「刑事! ここは私が見張っていますから、女子高生たちの
対応を! たくさんいるので」

「あ、ああ、わかった!」

警察は黒服たちに手錠をかけると
急いで階段を駆け上がり、店の外へと飛び出していく。

「ふう……で、土地の権利書だったかな」
「……って、兄ちゃん!?」
「今は美人警官とお呼びなさい」

兄ちゃんはどこから手に入れたのか、女性警察官の格好をしている。
すごく短いスカートでスリットもめちゃくちゃ深く入っているが、
兄ちゃんの脚は細いから似合ってしまって困る。

「権利書ならきっと、レジの帳簿のところじゃないかな?」

桂都は店に入る前に、あの女が帳簿をつけていたのを
見ていたらしい。
その洞察力はさすがだ。

俺たちは4人でレジの近くを探す。
すると――あった。
平松さんの土地の利権書だ。

「あとは戻るだけだな。俺についてこい!」

着替えと荷物を持つと
警官の格好をしている兄ちゃんに続き、
俺たちは階段を上る。

店の前には、本当に女子高生たちが集まっていた。
刑事たちはひとりひとりの名前などを聞いていく。

それを横目に、そーっと静かに
退散しようとしていたが……。

「おい! 貴様、何をしているっ!!」
「あっちゃあ、見つかっちゃったか」

宗太郎ががっくりと肩を落とすが、兄ちゃんは堂々とした態度で
言い切った。

「いえ、この子たちは今から私が取り調べるところだったんです」

しかし刑事さんの目はさすがに誤魔化すことはできない。

「お前、警察官じゃないな!? なんだ、そのコスプレは!」
「ちっ、バレたか……。いいか、3人とも。逃げるぞっ!!」

兄ちゃんの合図で、俺たちはがむしゃらに走り出す。
兄ちゃんは一瞬うしろを向くと、大声で叫んだ。

「ハニーたち! 応援ありがとうね~!!」

慣れない靴で、全速力で走ったせいか、足が痛い。
それが原因なのか頭痛もする。
息を整えるのにも時間がかかった。
それに――まだドキドキしている。
だけどこんなスパイごっこ、もう二度とごめんだね。
さすがに1回でいいな。
ようやく落ち着くと、宗太郎は兄ちゃんにたずねた。

「さっきの女子高生は?」
「ああ、俺の彼女たちだよ。
『みんなで悪を倒そう!』って言ったら、
乗り気になっちゃって」

やっぱりすごいな、兄ちゃん。
彼女いすぎだろ!!

「ようやくこの格好から解放されるんだ……」

桂都は安堵のため息をつく。
といっても、今持っている着替えも女物なんだけどな。

「ほら、隼。平松さんに渡してやれよ」

兄ちゃんから土地の権利書を受け取る。

「うん」

商店街の平和も守られた。
ようやくあの人を安心させることができるんだ。

俺たちは兄ちゃんの家できちんと男物の服に着替えたら、
各々の家へと帰って行った――。

俺は次の日の放課後、平松さんの家へ
お邪魔することにしていた。
この書類をあの美しい人にどうしても早く渡したかったんだ。
だからといって、お宅訪問は緊張するな……。
組合会長の家は何度も行ってるから、別に何も変わりはないと
思うんだけど、
なんといっても今は女性のひとり暮らしだからな。
ドキドキするのは当たり前だろう。
そう言ったら、宗太郎と桂都には呆れられたけど。
ドキドキしながらインターフォンを押す。

「はぁい」

高くてか細い声が家の中から聞こえた。
……平松さんだ。

「あら、隼ちゃん? どうしたの?」
「急にすみません。平松さんにどうしてもお渡ししたいものが
あって」
「なにかしら? ともかく上がってちょうだい。外は寒いでしょう?」

俺がおばあちゃんを好きな理由は、こうして遊びに来た人を
簡単に家に入れてくれるところだ、というと変な誤解を受けるかな。
要するに、急な客が来ても、
優しく対応してくれるところが好きなんだ。

まだこたつは出ていなかったが、
座布団の上に座るように言われた。
すぐに温かい緑茶と、柿を切ったのが俺の目の前に出された。

「ここまでしてくださらなくてもよかったのに」
「いいのよ。ひとり暮らしの老人は寂しいから。
話し相手が来てくれたってだけで、嬉しいのよ?
しかもこんな孫みたいな男の子が来るなんてね。
ふふっ、私ももう50歳若かったら……」

平松さんは笑みを見せながらお茶をすすった。
俺はカバンの中に入れていた封筒を渡す。

「これは?」
「警察からじいちゃんに渡されたらしいんです。
俺も中身はよくわかりませんけど……」

それは嘘だ。
中身は知っている。
だけど……こう言うのが一番正しいって
わかっていたから。

「これは、土地の利権書!?」
「戻ってきてよかったですね」
「……藤柴さんによろしく言っておいてね」

平松さんは利権書を大事そうに胸に抱くと、
大粒の涙をこぼす。
俺は早々に平松さんの家をあとにすることにした。
きっと今は、ひとりでいたいと思うから……。

「おい、隼! 聞いたか?」
「何が?」

家に帰ると、じいちゃんは興奮した様子だった。
それを見て、俺はピンときた。
何も知らないフリをして、何が起きたかたずねる。

「平松の奥さんの土地にあった店が、
風営法と労基法で摘発されたんだとよ。
店は当然営業停止でな。きっと土地も返ってくるだろう」
「へぇ! そうなんだ。よかったね!」

じいちゃんは天井を見ると、俺に語りかけた。

「もしかしたら、あの世に行った組合会長が
俺たちに喝を入れようとしたのかもな。
どういう経緯であの店が違法だってわかったのかは
知らねぇが……今こそもう一度、商店街を
やり直すチャンスなのかもしれない」
「うん! そうだよ。
商店街は終わりじゃない。死んでもいない!
もう一度、ここからやり直せ……」

「さざなみ商店街の組合長はいるか?」

いいところで現れたのは、黒いスーツに黒いネクタイ、
それにサングラスをした角刈りの男だった。
もしかして、また誰か亡くなって葬式とか?
男の格好は葬式に行く格好だ。
でも、指名したのは組合会長……じいちゃん。
一体何の用事なんだ?

「ああ、俺が組合会長だが」
「私はこういうものです」

男が取り出した名刺には大きく『銀竜会 若頭 草加部虎二』と書かれている。
……銀流会? 若頭?
それってドラマの世界では見たことあったけど……
もしかして、本物のヤクザ!?
な、な、なんでヤクザがこの商店街に!?

「若頭さんが、何の用事ですかな?」

じいちゃんも伊達に年は食ってない。
ヤクザ相手でも堂々としている。
草加部という男は、じいちゃんを見据えた。

「……先日、うちがバックにいた店が摘発されましてね」
「あの風俗店か? 法に触れたことをしたのが悪いんだろう?」
「それは認めますが……」

おっと、意外だな。違法だってことは認めるんだ。
俺が驚いていると、草加部は今度俺をギロリとにらんだ。

「誰かが俺たちをハメたようなんですよ。
この商店街の誰かが、ね」
「はっはっはっ! そんなことができる人間がいると思うか?
じいさんとばあさんばっかりだぞ、ここは」
「……信じる、信じないはお任せします。ですが……
うちの組の決定事項は、『さざなみ商店街を潰す』ことです」
「なっ!?」

せっかくじいちゃんもやる気を出して、
これからは前向きにやっていこうと思っていたのに!?
……いや、いくら相手がヤクザでも、所詮人間。
それに俺たちは一度勝っているんだ。
おかげで店も潰れた。悲観することはない。
何かされてもやり返せばいい。

だが、草加部の話は、俺が邪魔することができない、
手が届かないようなものだった。

「西口に再開発の計画があがっているんですよ。
我々銀竜会は土建関係の仕事もしておりましてね。
再開発の目玉は大型ショッピングモールだ。
そんなものができたら、ここの商店街はどうにもできませんよね?」

「ショッピング……モール……」

ショッピングモールができたら、
大きな街からここへ住む人も増えるかもしれない。
とても便利にもなるし、経済効果も大きい。
でも、さざなみ商店街は?
みんな買い物は当然ショッピングモールですることになるだろう。
そしたら結局、店はなくなってしまう。
西口は開発されているのに、
商店街がある東口はゴーストタウンなんてこともあるかもしれない。

それだったら意味がないよ!
組合会長がもう一度見たかったのは、昔みたいに活気があった頃の
商店街なんだ!!

「ま、安心してください。商店街がつぶれたあと、
東口方面は改めて風俗街として活性化させますから」

風俗街。俺たちが潰したのに……
そんなのはダメだ。
銀竜会はまたみんなから土地を奪って、いかがわしい店を作るのか?
俺たちが必死に取り返したのに、それを嘲笑う気なのか?
許せない……!
俺は絶対に認めないぞ!
だけど、さすがに都市再開発の邪魔は学生じゃできない。
もし知り合いに政治家がいたとしても、
俺の思いとは反対に再開発を推進させるだろう。
何もなくて、シャッターが閉まってばかりの街よりも、
夜でも明るくて、色んなものが簡単に手に入るショッピングモールに
人は集まるから。

「それでは今日はご挨拶だけですので。
失礼します」

手土産ひとつ持ってこなかった草加部は、そのまま店を出て行く。
少しだけ前向きになっていたじいちゃんだが、
草加部が帰ると大きくため息をついて俺に聞いた。

「隼、お前もやっぱりこんな寂れた商店街より、
ショッピングモールの方がいいか?」

「は!? じいちゃん、何言ってるの!? 
確かにショッピングモールは便利だし、
お洒落だし、なんでも手に入るかもしれない。
だけど俺にとって一番大事なのは……ここ、『さざなみ商店街』なんだ!」

「……お前がそう言ってくれるのは嬉しい。
仏具店なんて儲からない店を継ぎたいと言ってくれたこともな。
だが、時代はもう違うんだ。街もどんどん進化していく。
それを俺たちは止めちゃいけない。
やっぱり……もうこの商店街を終える準備をするべきなのかもな」

「じいちゃん! さっきと言ってることが違うじゃん!」
「だからと言って、再開発は俺には止められんからな。
ここの商店街は……組合会長と死んでしまったんだ」
「もういい!」

俺は店を飛び出した。
俺たちがどんなに街を守っても、大人たちに力がなきゃ
意味がないんだ。
やる気のないおっちゃんやじいちゃん。
店番していても客が来なくて、立ち話ばっかりのおばちゃん。
すっかりと街が寂れた様子を見て、悲しそうにしていた平松さんの顔を
思い出す。

平松さんだけじゃないよ。
あの商店街を愛していた人は、他にもいる。
仏具店なんて変な商売を、俺の両親は継ぐことはなかった。
俺の両親は裏切り者だ。
あの商店街に入ることすらできなかったんだ。

……あはは、ダメだな、俺。
学校のクラスメイトたちが、大学や専門学校に行く勉強をしているのを見て、
何度も何度も言い聞かせたのに。
『俺はわかってる』、『大きな街のよさも知っている』、
『俺はそれを悲しいとか、裏切られたとかは思わない』。

本当は嘘だ。
俺はわかってる……『わかっていても許せない』。
大きな街のよさも知っている……『大きいだけでただ空しい』。
俺はそれを悲しいとか、裏切られたとかは思わない……
『お前らがここから出て行くから、余計に商店街は寂れるんだ』。
ああ、俺って本当に人間として心が狭い。

さっきまで夕日が出ていたのに、あっという間に沈んでしまい
今では空に星が光っている。

『花火は……もう見ることができないのね。
私がこの街を離れている間に、すべてが変わってしまった』

平松さんの言葉を思い出すと、俺の視界には大きな花火が見えた。
夏の暑い夜、本当に目の前に花が咲いたんだ。
大きくて美しい花が。
空だけじゃなくて、水面にも。
観客は「たまや~!」とか「かぎや~!」って声を上げる。
それを見ていた平松さんは、きっと笑っていて……。

「花火……か」

俺にできるだろうか。
もう一度、もう一度だけでいい。
大きな花火をこの真っ暗な空に打ち上げたい。
そして……平松さんの心からの笑顔が見たいんだ。

しばらくの間、海を見つめてから
俺は仏具店へ戻った。

「おう、お帰り。メシはできてるぞ」
「……じいちゃんはさ、本当に商店街はもう終わりだと思う?」

しかめっ面をして、じいちゃんは言った。

「終わりだよ。ただなぁ……ヤクザに脅されて終わるってのは
少し納得がいかねぇな。だからと言っても、
せいぜいドでかい葬式でも上げて脅かしてやるくらいしか、
俺たち老人にはできねぇしなぁ~」

「ドでかい葬式……それだっ!!」
「は?」

俺は急いで2階の自分の部屋に行くと、
パソコンを立ち上げる。

この企画……もし、商店街のみんなが協力してくれるなら。
最後の最後に大きな花火を打ち上げることができるかもしれない。
みんなはきっと、否定的だろうけど……成功したら、絶対
商店街に以前の活気が戻る。
俺はそう感じていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み