第1話 事件発生

文字数 4,297文字

 チッ、チッ、チッ、チッ。

 耳朶を打つのは、ハットの奏でる四分打ちカウント。演奏開始の合図だ。

 この楽曲は低音から始まる。俺が奏でたベースの音。雨音のように、ぽつぽつと鳴らされる大輔のスネア。そこに静香のギターの音が滑り込む。長く引き伸ばされたベースの音に寄り添い合い、背後でシンバルが弾け、音楽になる。単なる音の連なりじゃない。共鳴する音の束が融け合い、この空間に広がっていく。

 イントロが終わり、Aメロに入る。

「――――」

 喉を震わせ、高音を響かせた。
 誰もが聞き惚れる俺の美しい歌声が、この広い音楽室に響き渡る――。

「はいストーップ! やめだやめだ! やっぱり貴志(たかし)にボーカルは無理なんだよ!」

 演奏の途中で、ドラム担当の宇田川大輔(うだがわだいすけ)がシンバルを滅茶苦茶に叩いた。

「おい、何勝手にやめてんだよ。いい感じの演奏だったのに」

 振り返って抗議すると、大輔がキッと睨んできた。

「ああ、たしかに演奏はよかった。問題は貴志の歌声だ。声裏返っててキモいし、しかも音外し過ぎ。あとキモい!」
「二回もキモいって言うな! つーかお前何言ってんの? 俺が音痴なわけあるかよ。なぁ静香?」

 同意を求めてギター担当の湊静香(みなとしずか)を見る。ショートボブの似合う優しい雰囲気の女の子だ。

「あはは……音楽は娯楽だから、貴志くんが自分で楽しむぶんには、その、いいんじゃないかな……?」

 笑って誤魔化す静香。いやそれ全然フォローになってないんだけど……。
 まぁいい。俺の歌声については後で議論するとして、今は他に話し合うべき事案がある。

 ここは第二音楽室。俺たち軽音楽部は一か月後の文化祭に向けて練習をしている最中だ。
 俺たちのバンドには元々女性ボーカルがいた。ビブラートが綺麗で、よく声の通る優秀なボーカルだった。
 しかし先日、彼女は家の都合で九州に引っ越してしまった。そのせいで、俺たちのバンドはボーカル不在だったりする。

 仕方がないのでベース担当の俺がボーカルを兼任してみたのだが、ご覧の有様だ。ボーカルが女性だったから、俺たちが練習してきたのは女性ボーカルの曲ばかり。男の俺にボーカルは土台無理な話である。

 というわけで、必然的に静香がボーカルをやれという話になるのだが、事はそう簡単ではない。

「頼むよ、静香。貴志の代わりにボーカルやってくれ」

 大輔が泣きそうな顔をして頼むが、静香は顔を赤くして顔を左右にぶんぶん振った。

「む、無理だよ。私、人前で歌うの恥ずかしいもん……」

 静香は妙なところで恥ずかしがり屋だった。人前で演奏するのは抵抗ないのに、歌うのは駄目らしい。

「どうすんだよ、大輔。ボーカル決まらないぞ」

 尋ねると、大輔はうんうんと唸りながら考えた後、口を開いた。

「あれだ。いっそのことボーカルなしとか?」
「インストってことか……ちょっと地味じゃないか?」
「まぁボーカル不在だと華はないかもな。でも今の状況だと、最悪ボーカルなしでライブをするってことも頭に入れておいたほうがいいぜ」
「だよなぁ……はぁ」

 俺は盛大に嘆息した。
 ボーカルがいないとなると、新メンバーを見つけるしかない。うーん、どこかに優秀な人材はいないものか。

「あ。あれ、里中じゃね?」

 大輔が窓の外にスティックを向けた。自然とその先の景色に視線が吸い寄せられる。

 窓の外にいたのは、クラスメイトの里中玲奈(さとなかれいな)だった。ソフトボール部に所属しているせいもあり、肌の色は小麦色。さっぱりしたショートヘアも相まって、いかにも健康的なスポーツ少女って感じの子だ。

「隣にいるのは……バスケ部の飯田くん? あの人、女子に人気あるよねぇ」

 先ほどまで黙っていた静香も会話に加わった。

 飯田……俺たちと同じ二年生だ。たしか三組だった気がする。
 直接交流はないが、クラスの中心人物だということは知っている。まぁイケメンだし、髪型もおしゃれだし、見た目完全にリア充だもんなぁ。

 二人は立ったまま、グラウンドの隅で楽しそうにおしゃべりしている。

「うらやましい……イケメンが憎いぜ、ちくしょう!」

 大輔が吐き捨てるようにそう言った。モテない男子の僻みにしか聞こえないが、気持ちはよくわかる。

「あ! ねぇ大輔くん、貴志くん! 里中さん、頭なでなでしてもらってる!」
「「なんだと! あの野郎、たたじゃおかねぇ!」」

 モテない男子の声が見事にハモった。
 窓の外では、飯田が里中の頭をぽんぽんと優しく撫でていた。その動きはどこかぎこちない印象を受ける。
 それにしても……里中のヤツ、顔を赤くして超嬉しそうなんですけど。ピュアかよ。

「くそ……飯田くんの家にピンポイントで隕石堕ちないかな」

 俺がそうつぶやくと、大輔に「お前それ、モテない男子の僻みにしか聞こえないからな? 器の小さいヤツめ」と返された。いやお前に言われたくないわ。

「ねぇ。里中さんたち、付き合ってるのかな?」

 静香の弾むような声が隣から聞こえる。
 女子は恋バナが好きだと言うが、静香もこの手の話が大好きだ。

「男女が部活中に抜け出して仲良く会話している時点で、ほぼ付き合っていると見ていいんじゃないか? まぁ付き合い始めて日は浅さそうだ」
「え? そんなことまでわかるの?」

 静香が目を丸くする。

「飯田くんの頭の撫で方、結構ぎこちなかったからな。やり慣れてないんだろ。付き合ったばかりで、どこまでスキンシップ取っていいのかわからず、手探りなんじゃないかなって思ったんだ」
「そっかぁ。貴志くん、よく見てるね」

 俺に尊敬のまなざしを送る静香の隣で、大輔が「人間観察が趣味とかネクラだな」と茶々を入れる。お前にネクラとか言われたくないわ。お前の趣味、盆栽と会話することだろ。

「まぁ恋バナはいいとして、ボーカルの件どうするんだ?」

 尋ねると、大輔と静香は視線を落として床を見つめた。さっきまでの楽しい雰囲気が嘘のように消え、重たい沈黙が流れる。

 俺は本日二度目のため息をついた。

「はぁ……とりあえず、今日は解散だな。ボーカル探しは明日から始めるか」

 提案すると、大輔と静香はうなずき、帰りの支度をした。


 ◆


 翌日、俺たちは本格的にボーカル探しを始めた。
 まず同学年の教室に出向き、バンドに興味のあるヤツがいないかアンケートを取ったが誰もいなかった。まぁいきなり言われても、名乗り出るヤツはいないよな。これは作戦失敗だった。
 次に歌の上手いヤツをリサーチして交渉する作戦に切り替えた。一人だけ他薦があったので、放課後にそいつと交渉してみようと思う。

「もしもその人にフラれたらどうする?」

 五限が終わった二年一組の教室で、俺の前の席に座る大輔が尋ねた。

「三年生と一年生にも聞いてみるよ。文化祭限定の助っ人ってことで、バンド加入のハードルを下げてみてもいいかもしれない」
「貴志くん。下級生にお友達いるから私からも聞いてみるね」

 いつの間にか隣に立っていた静香がそう言った。

「ありがとう、助かるよ。大輔と違って静香は優秀だな」

 冗談のつもりで言ったのだが、大輔は露骨に顔をしかめた。

「あのなぁ。お前が音痴だから静香に迷惑かけてるんだろうが。貴志が歌えれば、それで解決だったんだぞ」
「だから俺は音痴じゃないっての……あ、そういやお前、またドラム壊しただろ。これで二回目だぞ。加減しろよ、この馬鹿力のゴリラーが」
「ゴリラーってなんだよ。ドラマーみたいに言うな」
「ほら、すぐ怒る。さすが類人猿。バナナ食うか、ゴリ輔」
「いらんわ! というか、誰がゴリ輔だ! お前本当ムカつく! 決めた、殴る! ゴリラーパンチかましてやる!」
「け、喧嘩はだめだよぅ」

 俺と大輔が睨み合う中、静香がおろおろしている。その顔たるや、ものすごく可愛い。喧嘩している夫婦の間に挟まれて困っている愛犬みたいな顔だ。

 静香の困り顔をもっと見たいという衝動に駆られていると、

「こらこら。静香ちゃんを困らせちゃだめー」

 クラスメイトの小日向美由(こひなたみゆ)が、俺の密かな楽しみを邪魔してきた。その隣には呆れたような顔をして、小日向綾(こひなたあや)が立っている。

 綾と美由は双子の姉妹だ。綾が姉で、美由が妹。二卵性双生児で、二人の顔も性格も異なる。

 綾は長い黒髪が印象的で、切れ長の目をしている。性格もサバサバしており、クールで少し大人びた感じの女子だ。また、例の『歌が上手いと他薦された唯一の人材』でもある。
 対する美由は天真爛漫。ソフトボール部で四番を務めている。色白で、ふわっとした緩めのパーマがよく似合う可愛い子だ。

「美由。お前は何も知らない。静香の困った顔って、すごく可愛いんだぜ?」

 説明すると、美由の目がキラリと光る。

「なんだって? 貴志くん、大輔くん。ケンカを続けたまえ」
「仲裁しに来たのに何とんちんかんなこと言っているのよ」

 綾が美由の頭を軽く小突く。
 美由は「ごめんお姉ちゃん。でも見たい!」と全然反省していなかった。

「貴志くんたち、早く教室出てよ。次、体育でしょ?」
「あ、そうか」

 俺たちの学校では、体育は他のクラスと合同で行われる。我が一組は二組と合同で、男女分かれて授業を受ける。
 うちの学校に適当な更衣室はないので、一組の教室は女子が、二組の教室は男子が、それぞれ更衣室の代わりに利用する。要するに、綾は『女子が着替えられないからお前ら早く出ていけ』と言っているのだ。

「悪かった、今出てくよ……って美由。なんでグローブを持っているんだ? まさか体育で使う気か?」
「あー、これ? 違うよ。そもそも、女子の体育は今日バレーボールだし」

 美由は黒いグローブを手に取り、大事そうに抱きしめた。グローブの手首にあたる部分には、おなじみのスポーツブランドのロゴが入っている。

「新品だから型を付けてるの。新品のグローブだと上手く捕球できないから、グローブの型に癖を付けるんだ。そうすると捕球しやすくなるの」
「ふぅん。で、それと教室にグローブを持っている理由、どう繋がるんだ?」
「グローブにはボールを捕球する空間があるでしょ? ポケットっていうんだけど、そこにボールを入れて、グローブをおしりに敷いて授業受けてたの。だいぶ型付けできたと思う」

 美由は「いい感じに型が付いたよ。おしり痛かったけどねー」と楽しそうに笑った。いや痛すぎて授業どころじゃないと思うけど……やっぱり美由は変なヤツだ。

「おしりの話はいいから。男子は早く教室から出なさいよ」
「あ、悪い」

 綾に叱られた俺は着替えを持って、大輔と一緒に二組へ移動した。


 ◆


 授業後、俺たちは戦慄した。
 美由のグローブが、切り刻まれた状態で発見されたからだ。
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