第10話 不完全推理

文字数 3,801文字

「それじゃあ、小林さんの放課後の行動を聞かせてもらえる?」
「はい。ワタクシはまず、第二音楽室の鍵を借りに行きました。鍵を開けるのは一年生の役目で、当番制なのです」
「今日は小林さんが当番だったんだ?」
「はい。でも、鍵は借りられた後でした。先生に『誰か部員が鍵を借りに来ましたか?』と尋ねましたが『誰も借りに来なかったはずなのにおかしいな』と、首を傾げていました」
「勘九郎くんの話だと、音楽室の鍵は開いていた……鍵を借りた人物が開けた、あるいは鍵をかけ忘れていたか、どちらかね」
「ワタクシのクラスは五限が音楽で、この第二音楽室を使いました。私、音楽係なので、鍵の貸し借りを担当しました。そのときはきっちり施錠をして、鍵も返却しましたが、六限以降はわかりません……」

 申し訳なさそうに小林さんは目を伏せた。

 なるほど……六限のときに鍵をかけ忘れた可能性もあるけど、犯人が鍵を盗んだ可能性の方が高い気がする。だって、鍵の所在が不明な今の状況は不自然だもの。ただ鍵をかけ忘れただけなら、鍵が見つからないのはおかしい。きっと犯人が開錠するのに使ったんだ。

 鍵の所在がわかれば、自ずと容疑者も絞られるはず。

「大輔くん。ちょっと耳を貸して」
「え? なんだよいきなり」
「いいから。こっちへ来て」

 耳打ちして用件を伝えると、大輔くんは「よっしゃ! 俺に任せろ!」と走って去っていった。

「あの、綾ちゃん? 大輔くんはどこに行ったの?」

 大輔くんの背中を見送る静香ちゃんが尋ねた。

「ちょっと頼み事をしたのよ。職員室と、もう一か所、聞き込みをしてほしい人物がいる場所に行ってもらったの。すぐに戻ってくると思うから、今は小林さんの話を聞きましょう」
「う、うん……」
「それじゃあ小林さん。続きをお願いするわ」
「はい。鍵を借りられなかったワタクシは、とりあえず音楽室に行きました」
「そこで勘九郎くんに会ったのね。彼の証言に補足する点や矛盾点はない?」
「『誰も音楽室にいなかったのに、何故鍵が開いているのか』とか、『ずっとここにいたが、誰もやって来ないんだ』とか、そういう話をしたと記憶しています。他は特にありません」
「音楽室に入ったとき、何か不思議に思ったことある?」
「鍵が開いていたこと以外は、特に……壊されたコントラバスが視界に入った時点で、パニックになってしまいましたし」
「……そう。話を聞かせてくれてありがとう」

 少しずつだけど、情報は集まってきた。

 ……でも、まだ情報が足りない。犯人を特定するには至らないし、密室の謎も解けない。やっぱり、私には貴志くんのような推理力はないのかも。

 落ち込んでいると、小林さんが悔しそうに声を漏らした。

「部長、コントラバスをとても大事に扱っていたのに……酷いです。たった一つのコントラバスで代わりはないから、壊しちゃいけないって言ってて、メンテナンスも日々行っていて……コントラバス、古かったから、特に気をつけていたのに……」

 そう言って、小林さんはコントラバスが入っていたであろう黒いハードケースを愛おしそうに撫でた。繊細な楽器のケースだけあって、とても頑丈そうに見える。当然だけど、かなり大きい。ケースの底にキャスターがついているので、コントラバスは基本的にケースに入れて運ぶのだろう。

「誰からも信頼されている部長に、こんな酷いことをする人がいるなんて……ワタクシ、未だに信じられません……」

 小林さんは今にも泣きそうな顔でそう言った。自分のことのようにショックを受けているみたい。彼女にとって、裕子は尊敬する先輩だったのだろう。

 小林さんにどう声をかけようか迷っていると、大輔くんが戻ってきた。

「お待たせ、綾! 頼まれたこと、先生に聞いてきたぞ!」
「ありがとう。ちょうど君の事情聴取の順番だから、ついでに成果も聞かせてもらうわ」
「ああ。まぁトイレでうんこしただけなんだけどな!」
「……つくづく美しくない男だな、大輔ボーイ。そう思わんか、小日向姉よ」

 勘九郎くんは呆れたように肩をすくめた。みんなも苦笑する。
 はいはい、と私も苦笑いを浮かべ、彼らのおかげで気まずい空気が少しだけ和んだことに感謝した。


 ◆


「それじゃあ、大輔くんに質問ね。君、どうして渡り廊下の先にあるトイレに行ったの? 私たちの教室の廊下にもトイレあるわよね?」
「それがさー、この大雨だろ? 便器の水が逆流したんだってよ。その水が溢れた結果、トイレが使用不可になったんだよ」

 大輔くんの証言を聞きながら、窓の外を見る。雨はまだ強く降っていた。
 遠くの方で空が光る。またどこかに雷が落ちたのだろうか。

「うーん……それでも疑問が残るのだけど、下の階のトイレを使ったほうが早くないかしら?」
「本館三階のトイレには用務員の人がいたんだけど、下の階も駄目だって言われたんだ。別棟なら使えるかもしれないって言うから移動したんだよ」
「それ、ワタクシも確認しています。ワタクシもトイレに行ったのですが、本館のトイレは全部だめでした。結局、別棟の一階のトイレを使いました」

 小林さんのフォローが入ると、大輔くんはほっと安堵のため息をつく。

「これで俺は犯人じゃないってわかってくれたか?」
「まぁ、それだけじゃ何とも言えないわね」
「えー……」

 がっくりと肩を落とす大輔くん。正当な理由があって別棟に来たってだけで、犯人ではない証明にはなっていないからね。

「まぁそう落ち込まないで。次に私が頼んだことを報告してもらおうかしら」

 私が彼に頼んだことは二つある。一つは職員室の鍵の件だ。

「大輔くん。鍵は返却されていたの?」

 私が尋ねると、大輔くんは「まだ返却されていないんだって」と首を振った。

「そう。じゃあ、その日の鍵の動きはどうだった?」
「最後に貸し出したのは五限で音楽の授業だったそうだ。そのときは間違いなく返却されているってさ」

 この証言は、小林さんの証言と一致する。彼女は嘘をついていないようだ。

「つまり六限が始まる前まで鍵はあったのね。で、その後は?」
「誰も借りに来てないんだと。でも、先生がトイレ行くのに五分ちょっと席を空けたらしい。そのときに誰かに盗まれたのかもと言っていたよ」
「盗まれたって……鍵が管理してある金庫自体には施錠していなかったの?」
「そうみたいだな」

 いや、それセキュリティーに問題ありすぎでしょ。この事件が解決したら、職員室に抗議しに行こう。

「その先生がトイレに行った時間は?」
「六限が終わる前後だったってさ。六限と放課後をまたいだってことだな」
「わかった、ありがとう。で、もう一つの聞き込みの結果はどうだったの?」
「ああ。実はな――」

 大輔くんが私の耳元で調査結果を報告した。

「……そう。ありがとう、大輔くん」

 礼を言って、思考を巡らせる。

 さて……ピースはほぼ出そろった気がする。
 でも、どうしても決定的な証拠が見当たらない。状況的な証拠だけで、犯人を追い詰められるかどうか……。
 そしてもう一つ。勘九郎くんが部屋の前にいる状態で、コントラバスは折られた。しかも、部屋のドアが開いたままの状態で、だ。
 ……勘九郎くんはどうして『ネックが豪快に折れた音に気づけなかった』のかな……?

 悩んでいると、背後から貴志くんの声が聞こえてきた。

「犯人、わかったか?」

 振り返ると、彼は何故か不敵に笑っていた。

「何よその不気味な笑みは。まさか犯人がわかったの?」
「もちろん。俺はロックンローラーだからな。その気になれば何でもできる」

 意味はまったくわからない。
 でも、すごく頼もしい。この人の魅力は、そばにいると感じる『得体の知れない安心感』のような気がする……べつに魅力的な男性と思っているわけではないけど。ほ、本当よ?

「どうした綾? 考え事か?」
「へ? え、ええ。ちょっと気になる点があるの」

 私は自分の考えを悟られる前に、事件の疑問点を説明した。

「なるほどな。じゃあ、俺からヒントだ」
「ヒントじゃなくて、犯人を教えなさいよ」
「まぁそう言うなって。綾はこの事件の犯人と自分の過去を重ねているんだろ?」
「ど、どうしてそのことを……」
「いや、お前さっき考えていることが口に出ていたから」
「うそっ!?

 は、恥ずかしい。誰か教えてくれてもいいじゃない。

「というわけだから、綾自身で解決して、この事件を終わらせてくれ。それはきっと、お前が過去と向き合い、成長することに繋がるはず。大丈夫。お前ならきっとできる」
「ううっ……は、恥ずかしい……」
「お前俺の話聞けよ。ちょっといいこと言っていただろ、今の俺」
「うるさい。いいから早くヒントよこしなさいよ」
「逆ギレかよ……まぁいい。大ヒントをやろう……外は大雨だ。いや、雷も鳴っているし、雷雨と言ったほうが正しいか」
「はぁ? だから何よ。事件と関係ないじゃない」

 今日、何回見たかわからないが、私は窓の外に視線を向ける。

「あっ……そうか!」

 脳に電気が流れたような刺激が走る。同時に頭が冴えてきた。脳内を覆っていた灰色の雲の切れ間から、光がさし込んでくるような、そんな感覚。

 私はゆっくりと手を上げた。

「ねぇ。ちょっと聞いてほしいことがあるの」

 みんなの視線が一斉にこちらを向く。

「――たった今、犯人がわかったわ」

 まだ推理に不確定要素はあるけど……必ず犯人に自白させてみせるんだから。
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