第19話 音楽は言葉を超えて私たちを突き動かす

文字数 3,450文字

 文化祭当日がやってきた。

 校門には文化祭を知らせるアーチ状の大きな看板が掲げてある。父兄や他校の生徒が校門を通り、受付でパンフレットを貰って、まずはどこに行こうかと楽しそうに話している。

 屋台エリアでは、売り子が大きな声で呼び込みをしていた。中には謎の着ぐるみの生徒が看板を持って売り子をしている。行き交う人々を縫うように走る生徒は、きっと実行委員だろう。腕に緑色の腕章を付けているからすぐわかる。ものすごく忙しそうだ。

 校舎に入っても、喧騒が耳に届く。それぞれの教室で、様々な出し物が催されていた。定番のお化け屋敷やメイド喫茶、占いの館に始まり、ミニ遊園地という変わった出し物まである。

 他にも文化部は研究発表をしたり、展示会を行ったりと、生徒たちは自分たちの文化祭を大いに楽しんでいた。

 ライブ開始の一時間前、私は音楽室にいた。
 貴志くんがいなくなってから、私はボーカルだけでなく、ベースも担当することになった。彼の代役を捜す気にはならなかったから、私が彼になろうとしたのだ。
 自分で言うのもなんだけど、ベースの上達は早かった。だって、貴志くんが専属コーチをしてくれたから。まだ彼に追いつけたとは言えないけど、それでも代役くらいにはなれたと思う。

 椅子に座り、彼から譲り受けたベースのボディを撫でる。燃えるような真っ赤なボディは、いつもより冷たい気がした。

「綾」

 私の隣でふわふわと浮く貴志くんが声をかけてきた。

「何かしら?」
「……ライブ、やりたくないのか?」

 貴志くんが困ったように笑った。
 ライブはしたい。でも、私は君を失いたくない。完全な二律背反だ。

「……自分でもわからないわ」

 投げやりにそう言って、ベースの弦を弾く。静かに響く低音。休符のところで弦を押さえ込まずにサムピングをし、微かな音を鳴らしてリズムを生む。君から教わったゴーストノートだ。

 ゴーストノート……君の得意技の名前にも、幽霊(ゴースト)の名が刻まれている。そんなくだらない発見をしたところで、笑う気力なんてないけれど。

 弦の音が途切れたら、私の心も消えてしまいそうだった。私は次のコードを探す。終わりかけたら、その次のコード。時間を巻き戻すように、今まで練習した曲を弾いた。失くしたものは、けっして元通りにはならないけど。なかったことにはならないけど。それでも私は弾き続けた。

 途中でピックを落としてしまった。汗で手が滑ったのだ。ひどい。神様は私の戯れすら許してくれなかった。

 ベースの残響が鼓膜を叩く中、貴志くんは拍手した。

「演奏、上手くなったな。ま、俺には負けるけど」
「そうね……だから、もっと教えてほしいわ」

 いけない。つい意地悪なことを言ってしまった。
 でも、仕方ないじゃない。ライブを終えたら、君は遠くへ行ってしまうでしょ?
 いなくならないで。四人じゃなきゃだめ。一人でも欠けたら、私たちのバンドは別物になっちゃう。
 私には「バンドを救って」って言ったくせに。その救ったバンド、壊そうとしているのは君よ?
 嘘つき。最低。大嫌いだ。

 でも……君の鳴らす音は、どうしようもなく好き。
 とにかく攻めるベースの音。君のゴーストノートが生み出すグルーヴは、最高に刺さる。他のバンドには出せない、ロックな音だ。
 不思議だわ。四人の音が寄り添い合えば、君の音はさらに化ける。あの無軌道で無鉄砲な旋律が胸を熱くさせるの。

 貴志くんは、初めてセッションした日のことを覚えている?
 あの日、私は君たちのロックに出会った。歌う場所を探していた私を、音楽で導いてくれた。君が私に知らない世界を見せたから、このバンドに加入したんだ。

 だからね。
 君がそばにいないと、すごく悲しいな。

「教えてって……綾。言っている意味、わかっているのか?」
「ええ。浮遊霊として、これからも私のそばにいなさいって意味よ」

 あぁ。私よりも、貴志くんのほうが何倍も辛いのに……私、最低だ。さすがに今のは貴志くんも怒ったに違いない。
 でも、貴志くんは予想に反して笑った。
 ……私はこんなに悲しいのに、どうして君はへらへらしているの?
 そう思ったら、腹が立ってきた。

「おいおい、綾。お前、幽霊に一生憑りつかれている気かよ。それとも、俺のことが好きで離れたくないとか言うんじゃ――」
「ええ、好きよ、大好き! 柄にもなく惚れたわよ! 貴志くんと離れたくないですって? ええ、そうよ、離れたくない!」

 貴志くんがふざける前に、怒鳴って言葉を遮った。

「君の奏でる音が大好きで仕方がないの! もっと一緒にいたい! ずっと一緒に音楽やりたいわよ! これからも……一生でもいい。憑りつかれてもいい。だから、これからも私の隣にいてよ……!」

 貴志くんは「あー……好きって、俺の演奏が好きってことね。勘違いさせるなよ。反射的に返事を考えちゃっただろうが。馬鹿」と、顔を赤くしてそう言った。勘違いって何よ。意味がわからないわよ、ばか貴志。

 貴志くんは一度咳払いをしてから、私の顔をじっと見つめた。

「いいか、綾。俺は死んだ人間だ。この世に幽霊として残っていること自体が奇跡なんだぞ?」
「……だから、何?」
「俺は、この奇跡を最高な形で終わらせたい。俺だって、いつまで浮遊霊としていられるかわからないだろ? 浮遊霊って言ったって、俺たちが勝手に決めつけているだけだ。明日、いきなり消えるかもしれない。そのとき、ライブができないままだったら……俺はきっと後悔すると思う。だから――」

 貴志くんはふっと頬を緩めた。

「大好きな仲間と一緒に、最高の時間を過ごした後で俺を見送ってくれないか?」

 私たちの手で、貴志くんを見送る……?
 今までは、私たちの手で貴志くんの存在を消すって考えていた。だから、ライブなんてやりたくないって思った。
 でも、貴志くんはそう思ってない。私たちが君を最高の形であの世に導くと信じている。
 どうして?
 決まっている。音楽を通して語り合った、最高の仲間だからだ。

 今でも貴志くんとお別れするのは嫌。
 だけど、きっとそれは間違いなんだね?
 仲間だからこそ、笑顔でお別れするべき。楽器を持つ私たちができる……そして、生きている私たちができる、最大の弔いがそれなんだ。

「……ねぇ。一つ、私と約束しなさいよ」

 貴志くんは「言い方が脅迫めいていて怖い」とからかった。最後くらい、真面目に話せないのかしら。

「私、文化祭が終わっても、一生歌い続けるから。あの世に行っても、私の歌を聴くって約束して」
「ああ。いいぞ、聴いてやる」
「随分と軽い返事ね……そもそも、あの世でこの世の音楽を聴ける保証なんてないのに」
「まぁな。でも、きっと聴けると思うぞ?」

 貴志くんはへらへらしながら、自分の胸に手を当てた。

「音楽は、ときに言葉を超える――俺たちが初めてセッションしたとき、それを肌で感じただろ?」

 そういえば、あのとき私と貴志くんは何も言わずに向き合い、ハイタッチをした。言葉なんていらなかった。喜びを分かち合い、お互いの演奏を労い合うために、あれが一番だと思った。きっと貴志くんも同じ気持ちだったに違いない。たぶん、演奏に一体感と高揚感がなければ、ああいう行動を取らなかっただろう。

 貴志くんの言うとおりだ。
 音楽は、言葉を超えて私たちを突き動かす。

「あの世に言葉は届かないけど、音楽ならきっと届くさ。特に綾の歌声はよく響くから。大丈夫。自分を信じろ」

 歌声は、響く。
 自分を信じろ。
 優しい言葉が胸にじんわりと染みていく。

 太ももに水滴が落ちた。ほんのり温かくて、生きているって実感する。
 気づけば泣いていた。君との別れが悲しいからかもしれない。あるいは、急に優しくされたからかもしれない。でも、もう大丈夫。遠く離れていても、私たちは音楽で繋がっているって、君が教えてくれたから。

「ねぇ貴志くん。今日は最高のライブにしましょう」

 泣きながらそう言うと、貴志くんは不敵に笑った。

「当たり前だ。一年も待たされたんだからな……今からもう感情が爆発して気が狂いそうだぜ」
「ふふっ。今、初めて君のことをロックンローラーだと思ったわ」
「今まで俺をなんだと思っていたんだよ……あれか、やっぱり推理オタクか……?」

 がっくりと肩を落とす貴志くんを見て、自然と笑みがこぼれた。
 大丈夫。もう笑える。数分前の、後ろ向きな私とはさよならだ。

 文化祭ライブまで、あと数時間。
 一年越しのライブ……絶対成功させてやるんだから。
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