第12話 優しい彼女を信じた推理

文字数 4,449文字

 体の向きを千秋に向ける。
 彼女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに鼻で笑い、反論した。

「ちょっと待ってよ。どうして私が裕子のコントラバスを破壊しないといけないわけ?」
「まだ千秋が犯人だとは言っていないわ。容疑者だって言っているの。お願い、千秋。犯人じゃないのなら、身の潔白を証明して?」

 私だって千秋が犯人だとは思いたくないわよ。千秋と裕子は大の仲良しだって信じたい。
 でも、現状では千秋が一番犯人像に合致するのも事実。
 お願い……ちゃんと証明して。

「身の潔白って言われても困るよ。私、保健室にいたけど、先生が保健室にいない時間もあったもの。その時間、アリバイなんてないよ」
「……実はね、大輔くんを職員室に行ってもらったとき、保健室にも行ってもらったの」
「……保健室に?」
「保健の先生が保健室を留守にした時間と、鍵を管理していた先生がトイレに行った時間、一致するのよね。そして……保健の先生が保健室に戻ったとき、千秋はいなかったって証言している。時間はだいたい六限が終わる前後の時間帯ね」

 千秋の顔色が見る見るうちに青ざめる。

「千秋はきっと、六限が終わる頃には元気になっていたのね。快復した千秋はこう思った……教室に戻って少しの時間だけ授業を受けるのは面倒だな。そうだ、このまま音楽室に直行してしまおうってね」
「そ、それは……」
「六限が終わった直後、千秋は職員室に行った。しかし、鍵を管理する先生は不在。千秋は鍵を無断で拝借し、そのまま第二音楽室へ。音楽準備室に向かったとき、動機はわからないけど、千秋はコントラバスを破壊しようと思い、ケースから外に出した。そのとき、勘九郎くんがやって来たけど、千秋は吹奏楽部の部員が来たと思い、咄嗟にケースに隠れたのよ」
「じょ、冗談はやめてよね。そもそも、本当にコントラバスのハードケースに人間が入ることなんてできるの? いくら大きいとはいえ、普通に考えたら無理じゃん」
「無理……そうね。かなり強引な推理だったかもしれない。だけど――」

 千秋が犯人なら、現実的な推理だ。

「身長百四十センチちょっとで、横幅もない千秋なら隠れられるわよね?」
「ぐっ……デ、デタラメだよ! そんなの全部、綾の妄想じゃん!」

 千秋の声は上擦っていて、今にも泣きそうだった。

「証拠ないんでしょ!? 私が犯人だって証拠を見せてよ!」
「残念だけど、決定的な証拠はないわ。でも、鍵を偶然盗めたのは千秋しかいない」
「ほら、やっぱり! 証拠がないなら、私が犯人だって決めつけないで!」
「強情ね。それじゃあ、千秋自身に証拠を出してもらうわ」

 私の言っている意味がわからないのか、千秋は「は?」と口を半開きにして、間抜けな声を上げた。

「身体検査と荷物検査をしましょう。鍵が見つかるかもしれないから。もちろん、吹奏楽部のみんなと勘九郎くんにもお願いするわ」

 私の推理が正しければ、千秋は音楽準備室にずっと隠れていた。犯行現場に人が集まるまでずっとだ。
 つまり、彼女は音楽室の外に出ていない。
 鍵はまだ彼女の身近なところに保管されているはず。

「け、検査? 調べる……の?」
「千秋……お願い。身の潔白を証明できるのなら、検査させて」

 すがるような思いで尋ねる。
 千秋はうつむき、黙ってしまった。
 少しの時間、静寂が流れる。
 しばらくして、彼女は緩慢な動作でスカートのポケットに手を入れ、何かを取り出した。
 きらりと光ったのは、銀色の鍵……第二音楽室の鍵だった。

「憎かったの」

 顔を上げる千秋。その笑顔と頬を伝う涙が不釣り合いで、彼女の心と感情がバラバラになってしまったみたいに思えた。

「裕子のことね、好きだよ。今でも大好き。それだけじゃない。裕子は部長で、勉強もできて、運動もできる。全部私にはできないことだからすごく尊敬してるし、いい刺激をもらってる」

 だけど、と千秋。

「だめなんだよ……壮太くんだけは、だめなんだよぅ……」

 壮太。その名前には聞き覚えがある。
 小島壮太は、裕子の彼氏だ。
 そして――千秋は二人の恋のキューピット。

「裕子が壮太くんのことを好きだって知って、私は戸惑った。だって、私も壮太くんのことが好きだったから」
「千秋……嘘、でしょ?」

 ぽつりとつぶやいたのは裕子だった。

「そんなの嘘……だって千秋、あたしの恋の相談役になってくれたじゃない!」
「……私も彼が好きだって、裕子に言いたかった。裕子とは友達だけど、恋のライバルだねって。恨みっこなしの勝負だよって。そう、言えればよかった……でも、私にはちっとも勇気がなくて」
「千秋……」
「私なんかより、裕子のほうが壮太くんにお似合いだって。そう、考えるようになったの」
「そんなことない! お似合いとか、相応しいとか、恋愛ってそういうんじゃ――」
「そんなことあるよ! 私なんかより、裕子のほうが可愛いもん! 頭もいいし、運動もできるもん! スタイルいいもん! 私なんか、見た目は小学生みたいに幼いし、特技もないし……何も持っていない私よりも、裕子のほうが、壮太くんとお似合いだって! そう、思っちゃったんだもん……!」

 千秋はその場にぺたんと座り込み、静かに嗚咽を漏らした。

「私、一年生の頃から壮太くんのことが好きだった。でも、勇気がなくて、友達にすらなれずに、ずっと遠くから眺めるだけだったの……裕子の恋愛相談に乗った後も、ずっと後悔してて……裕子の恋愛、上手くいかないでとか、いじわるなこと考えちゃったり……自分から逃げ出したくせに、何言ってんだって思うかもしれないけど……胸が痛くて、どうしようもなくて……頭の中、わけわかんなくなっちゃって……裕子のコントラバスを見たとき、心の内側から黒い感情がモヤモヤ湧き出てきて……気づいたら、壊そうとしてた……」

 すべてを吐露した千秋は深々と涙を流した。

 好きな人を譲ってしまった気持ちも。好きな人と親友が付き合う手助けをしたい気持ちも。言い訳して、恋愛から逃げる気持ちも。一瞬でも親友を憎んだ醜い自分を呪う気持ちも。魔が差してしまった気持ちも。私も女だから、わからなくもないの。推理と違って、心の正解は論理で導けるものではないのだから。

 だからかしら。犯人を説教してやるつもりだったのに、責めることをためらってしまうのは。
 でも、裕子は違った。

「千秋のばかぁ!」

 裕子は「立てよ!」と千秋のネクタイをぐいっと持ち上げ、強引に立たせた。普段の穏やかな裕子からは想像できない激しい剣幕。これはもう喧嘩になるだろうと思った私たちは、いつでも止めに入れるように身構える。

「譲るとか、かっこつけないでよ! そんなの全然うれしくないんだよ!」
「だって私、裕子に勝てないと思ったし……」
「千秋の弱虫! 勝手に決めつけないでよ! 恋のライバル? 上等だよ! 勝負する相手が千秋なら、勝っても負けても納得できるのに! 自己完結してあきらめないでよ!」
「だってぇ……勝てないと思ったし……初めて相談されたあの日、裕子が幸せになれるのなら、自分の幸せは、べつにいいかって……あのときは、そう思ったんだよぅ……」
「……ほんとにばか」

 でも、と裕子。

「一番ばかなのは、親友の気持ちに気づかずに恋愛相談をした、無神経で盲目なあたしのほうだ」

 裕子は千秋のネクタイを解放し、優しく抱きしめた。千秋もまた、力なく抱き返す。

「ごめんね、千秋。あたし、自分の幸せしか考えられなくて。親友失格だね」
「……ううん、私こそ。嫉妬だよ、完全に。コントラバス、壊してごめん」
「あたしにとって、楽器も千秋と同じくらい大切にしてる。それを壊したんだから、罰として私の要求を一つ飲んでもらうわ」

 裕子は千秋のおでこに自分のおでこをこつんとぶつけた。

「もう二度と、我慢しないで。自分の気持ちを正直に言って。あたしたち、本音をぶつけて壊れるような関係じゃないでしょ?」
「……許してくれるの?」

 千秋は揺れる瞳で裕子を見る。
 裕子は悪戯っぽく笑った。

「特別だぞー? あ、でもコントラバスは学校の借り物だから、いくらか弁償しないといけないんだ。あたしと千秋で費用は折半ね。そうだ! 一緒にバイトしよ?」
「裕子……ありが、と……ぉ!」

 千秋はわんわん泣いた。恥も外聞もなく、感謝と謝罪の言葉を交互に繰り返して泣いた。
 よかった。二人とも、ちゃんと自分の本音をぶつけ合って仲直りできたみたい。

 ちらりと貴志くんを見ると、目が合った。

「名推理だったじゃないか。おつかれさん」
「名推理とは言えないわ。最後は賭けだったし」
「ああ。身体検査か」

 貴志くんは私の言いたいことがわかったらしく、苦笑した。
 千秋は鍵を身に付けていたから、観念して鍵を自ら差し出した。
 でも、音楽準備室に鍵を隠しておいたとしたら?
 例えば、他の楽器ケースに鍵を忍ばせて、他の部員に罪をなすりつけようとしていたら?
 そうなってしまえば、決定的な証拠なんてなかった。あくまで『状況的に鍵を盗めた千秋が犯人』という、証拠なしの推理になってしまっただろう。

「不確かな追い込み方だとわかっていながら、なんで賭けに出たんだ? 勝算はあったのか?」

 勝算なんてものはない。論理的な思考回路を持つ人間だったら、他の楽器ケースに隠すもの。
 でも、私は千秋に限ってそれはないって思った。
 いや――正しくは、そう思いたかったのだ。

「今回は魔が差してしまったけど、本来、千秋は友達想いの優しい子……私はそう信じていた。犯行後、冷静になった千秋は、自分がやったことを後悔したに違いない。そんな彼女が仲間に罪を着せるような真似はしないって、そう思ったの」
「なるほどな。勝算と呼ぶにはお粗末だけど、綾のその考え方は嫌いじゃない」

 貴志くんは「まぁ論理的じゃないけどな。推理としては美しくない」と勘九郎くんの真似をして揶揄した。可愛くないヤツ。殴れるものなら、ぶん殴っているところだ。

「とにかく、一件落着してよかったな」
「そうね……ねぇ、みんな。私たちはお邪魔だし、そろそろ行きましょう?」

 私の提案に軽音楽部と吹奏楽部のみんなはうなずいた。
 二人を残して、私たちは第二音楽室を出た。
 友の名を呼び合う、温かい声を背に受けながら。


 ◆


「文化祭、もうすぐだね」

 ある日の放課後、音楽室に向かう途中で静香ちゃんがそう言った。
 この場に軽音楽部の騒々しい男子はいない。女子二人きりで廊下を歩いている。

「そうね。練習、頑張らないと」
「……うん」
「当日は満席だといいわね。今から楽しみだわ」

 答えると、静香ちゃんは元気のない声でぼそっと一言。

「私は、楽しみじゃないかな」

 静香ちゃんのいつもの優しい笑顔は、迷いと悲しみのせいで消えていた。

 わかっている。私だって、すごく迷っている。
 でも、文化祭ライブは絶対に成功させなくてはいけないの。
 だから、心を込めて、私は歌うよ。
 私が軽音楽部に入部したきっかけの曲――『ばいばい、ヒーロー』を。
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