第9話 新宿そだち

文字数 3,070文字

 10歳までは小さな農村に住んでいた。周りは畑や田圃と広い敷地の農家ばかりだった。所々に肥溜めという畑にまく人糞を溜めておく壺があった。遠くに金華山が聳えていて、てっぺんに岐阜城が見えた。子どもでもほとんど村中の人を知っていた。どこを歩いていても声を掛けられ、誰とでも遊んだ。
 引っ越した先はそこから徒歩でも10分程度だ。商店などもある街道沿いの町だが、街道を外れれば田畑が多くやはり田舎だった。つまり僕は生粋の田舎育ちという訳だ。
 でも田舎育ちだからどうだと言うんだろう。東京に住んでたころは、親しい人から岐阜弁を指摘されたことが度々あったが、方言と田舎は関係ない。名古屋弁は有名だが、名古屋育ちの人を田舎育ちという人はそうはいない。
 田舎育ちは都会へのあこがれが強いかというと、生まれ育った自然豊かな環境がいいと思う人もいて、人それぞれということになるだろう。ダサイとかファッションセンスがないなどという人もいるようだが、これも人それぞれだろう。
 僕が自ら田舎育ちを強調するときは、何となく相手に「素朴な性格」、「あけっぴろげで裏表がない性格」、あるいは「人とのつながりを大切にする性格」だという印象を与えたいときのように思う。しかし、これらも田舎育ち独特の性質とまでは言えないだろう。
 「育ち」という言葉は、他にも「貧乏育ち」、「温室育ち」、「育ちのいい人」などと多様な表現で使われる。使い方を間違えると、偏見にもなりかねないから注意が必要だ。
 ただ「育ち」には、人が成長していく日常の場所に特有な雰囲気や環境があって、それに強く影響を受けていることが含意されていることは間違いないだろう。

 昭和43(1968)年のヒット曲『新宿そだち』は、大木英夫が
 ♪女なんてさ・・・♪
と一番を歌えば、二番を津山洋子が
 ♪男なんてさ・・・♪
と交互に愚痴を言いながら、でも互いに惹かれずにはおれない男女の心を歌ったデュエットソングだ。歌詞からは、酒場で働く女性とその客という関係の人たちのように思われる。
 若い人は余程の昭和オタクでないと聞いたことはないだろう。「新宿そだち」なら、新宿で生まれ育った人のことだと思うかも知れない。
 その意味合いを歌詞から探ってみると、そこにいる男女の孤独が見えてくる。
 男は ♪ひとりで飲む酒まずい酒♪
と逃げ場を求めて訪れるサラリーマンのように思われるし、
 女は ♪駄目よ浮気じゃ出直して♪
という強気な言葉の裏側に、本気で扱われない寂しさをいつも心に抱いていると想像させる。
 昭和42年に出た扇ひろ子の『新宿ブルース』では最後のフレーズで、
 ♪生きていくのは私だけ 死んでいくのも私だけ 
  夜の新宿ながれ花 いつか一度を待ちましょう♪
と歌い、藤圭子の『新宿の女』(昭和44年)では、
 ♪ネオンぐらしの蝶々には やさしい言葉がしみたのよ
  バカだな バカだな だまされちゃって
  夜が冷たい 新宿の女♪
とせつない思いを歌った。いずれも夜の酒場で働く女性の孤独なせつなさを歌舞伎町という場所のイメージにダブらせた歌になっている。
 こうした人たちを称して「新宿そだち」と言うなら、一体なぜ「新宿そだち」はかくも孤独なのだろうか。

 ひと口に新宿と言ってもその範囲は広いが、そのイメージを醸し出すのは、やはり一日の平均乗降客数が世界一を誇る新宿駅や新宿三丁目など「新宿」という地名の入った駅を起点に行動する範囲の地域だ。取り分け歌舞伎町ということになるだろう。
 その歌舞伎町で、昭和25年に戦災復興を記念する東京産業文化博覧会が開催される。博覧会そのものは興行的には振るわなかったようだが、会場内にできた施設が新宿スケートリンク、新宿劇場、グランド・オデオン座などの娯楽施設に姿を変えていく。
 昭和27年には歌舞伎町至近の西武新宿駅が開業する。昭和31年に新宿コマ劇場や新宿ミラノ座が建設され、劇場街としての盛り場が形成されていくとともに、歌声喫茶、名曲喫茶、ダンスホールなども増えてくる。昭和33年に売春防止法が施行されると、それまで新宿二丁目に固まっていた性風俗業も、形を変えて歌舞伎町に進出していく。昭和40年代に入ると、各種飲食店、映画館、ボウリング、サウナといった娯楽施設が充実し、盛り場としてさらに発展をしていく。
 同じころ、新宿駅東口付近では長髪にラッパズボン、サングラスといった格好をして、定職にも就かず、駅前で寝転がったりブラブラしたりの無気力な若者集団、フーテン族が登場する。
 当時新宿駅へ乗り入れている路線は、山手線、中央線などもあれば、京王線、小田原線もあり、地下鉄丸ノ内線も昭和37年には全線開通している。これらの路線から一気に吐き出される圧倒的な数の無関係な乗降客の往来のなか、孤立した若者が誰の眼からも自由だというある種の居心地の良さを感じたとしても不思議ではないだろう。ベトナム反戦運動などで学生運動も再燃していくなか、立ち位置を見失った孤独な若者の最後の砦として新宿駅があったのかも知れない。

 昭和9年に出た『大東京繁盛期』は当時の新宿を次のように説明する。
 「新宿は未完成の街である。だからこそ新宿は盛り場発生の経路を歴然と示して見せる得難い実験なのだ。上野の寛永寺や浅草の観音様のような仏心によって作られた街ではない。宿場街から一躍して、都の西郊を扼する交通の大関門となったことから見れば、人足の流れが吹き寄せられて出来た溜り場だ」(『大東京繁盛期』報知新聞社編)。
 「仏心によって作られた街」とは、その場所の歴史や伝統と人のつながりが強く作用する成熟した街を意味している。それに対し新宿は、秩序を形成しようとは働かない無関係の群衆を飲み込んでいく盛り場で、街としては常に流動的で未完成であると言いたいのだろう。
 もちろんこれは昭和初期の新宿であって、現在のおしゃれな繁華街や超高層の建ち並ぶ新都心の有様など加味されてはいない。
 しかし、長い年月を経て次々に新しいものが生まれ発展してきたにも関わらず、新宿という場所のイメージあるいは新宿の持つ魅力や人々に期待されている役割は、今も変わらずにあるように思えてならない。

 僕には「育ち」という言葉は、その人が心に積み重ねた場所の一つを表現しているように思える。「田舎育ち」という言葉の背後に広がっているのは、その人の心に積み重なった田舎での人と人や自然、モノなどとのつながりと関係性の相互作用の総体だ。そのなかから話の状況に応じて特徴的な性質を取り出して、「田舎育ち」と表現している。「温室育ち」なら子どもの成長を第一優先に考える父母とのつながりであったり、あるいはモノの豊かな家庭環境であったり、暑さや寒さで厳しさのない自然環境も背後にあるかも知れない。
 そう考えれば「新宿そだち」の背後に広がっているのは、そこを居場所にした人たちの心に蓄積されたつながりや関係性(恋愛関係など)の相互作用であったり、酒場やそこで働く人たち、あるいは酒そのものとのつながりと関係性の相互作用の総体だと言えるように思う。
 交通の要衝として巨大化した駅から吐き出される大量の人々に、一人でも楽しめるようなエンタテインメントを提供し続ける新宿の成り立ちも考え合わせると、歌になった「新宿そだち」とは、溢れる人々のなかで働きながらも孤独感を拭い得ない人たちが、それを癒すように形成された人間関係のなかで、ある種の諦念を育んでいった人たちなのではないだろうか。
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