第4話 風が吹いている
文字数 2,491文字
新型コロナの感染拡大に一層の拍車がかかっている中ではあるけど、東京2020オリンピック大会も終盤に入った。日本勢の活躍を中心に連日報道で賑わっている。
どの選手もオリンピックに出場するほどなので、厳しい練習や試練に耐え抜いてたどり着いた道のりには、さまざまなドラマがあるだろう。そのドラマは実際には選手それぞれの心に蓄積された数々の経験による場所から生まれている。わずかな時間に切り取られた映像でどれだけその蓄積された思いに迫れるのかはわからないが、選手の乗り越えてきた苦悩とその場所の一端を共有するだけでも、見ている者の心にもある何かと共鳴し感動が深まることは間違いない。
オリンピック報道でこうした選手の活躍やドラマに微妙な味付けをするのが、バックグラウンドミュージックとして流れる若者によるメッセージ性のある歌だ。
今年はNHKでは嵐の『カイト』がテーマソングだ。
夢を叶えたいという幼いころの場所に寄り添った米津玄師さんの味わい深い詩だが、パンデミックの影響もあってか、この味付けが少しおとなしめになって、いままでのところ選手の活躍やドラマを引き立たせるほどの使われ方をしているようには思えない。
オリンピックソングで強い印象を残した曲として有名なのは、2005年のアテネオリンピックの際にNHKのテーマソングとなったゆずの『栄光の架橋』だろう。
これはもう歌を聞けばすぐに共感が広がる。選手をはじめ夢の実現に向けて努力している人に積み重なった場所をストレートに表現した、勇気を与える応援ソングだ。いまでもこれを聞いてから檜舞台に立つという選手もいるだろう。
最後の「君の心へ続く架橋へと…」というフレーズには、ドラマを場所として人々と共有することが意識されているように思う。
僕が最も好きなオリンピックソングは、いきものがかりが歌う『風が吹いている』だ。
2012年ロンドンオリンピックの際にNHKで使われたテーマソングだ。
いきものがかりの水野良樹さんが作詞作曲した。オリンピック出場選手の活躍をあと押ししたいという気持ちを込めた曲だろうが、詩の1行1行を丹念に味わうと、普遍性のあるテーマを意識して練られた内容であることがわかる。
とりわけ、その前年に発生した東日本大震災の被災者にも強い思いを寄せているだろうと想像できる曲になっている。
被災者への思いという意味では、ちょうど1年前に震災復興応援ソングとしてリリースされたAKB48の『風は吹いている』がある。
この曲は秋元康さんの作詞で、被災者へのメッセージがわかりやすく表現された内容になっている。そのメッセージのひとつとして繰り返されるのが、「それでも未来へ 風は吹いている」というフレーズだ。いまはつらいと思うが、希望を持ってほしいということなのだろう。
しかし、水野さんはこの「未来へ 風は吹いている」というメッセージは、現実を否定して、その先に見えてくる希望だけを強調していると思った(まったく勝手な想像で叱られそうだが、そういうことにする)。
そして反対に、競技者であっても被災者であっても、人として生きていくうえで大切なのはいまこのときであり、この場所だということを強調すべきではないかと思った。
一番の冒頭で、「風が吹いている 僕はここで生きていく」、「ここに明日はある ここに希望はある」と宣言するのは、遠い未来に希望を託すのではなく、現実と向き合い、場所の変化を受け入れながら、ここで道を見出していこうというメッセージを送っているのだろう。
秋元さんが「風は吹いている」と表現するときの「風」は、未来へとあと押しする風だが、ある意味で自分の外側を無関係に吹いている風だ。
「風が吹いている」の「風」はいま、ここに存在する自分と一体となった風だ。僕的に表現すれば、場所にある風だ。
だから「風が吹いている」では、「ここ」とか「この」という言葉が不自然なほど何度も使われて、そのことが「現在」や「いま」、あるいは「僕」とか「僕ら」を強調することになっているのだ。
そして、僕が最も関心を寄せるのは、次のフレーズだ。
♪言葉にできないこと 涙が溢れること
ふるえる心で感じたすべてが 僕のいままでをつくってきたんだ♪
素晴らしい詩を前にしつこく言及して恐縮だが、これはまさに場所を歌っている。心に積み重なった場所こそ、「僕のいままで」といまここにいる僕をつくっているのだ。
最後の方では、次のように歌う。
♪たくされた今がある あゆむべき道がある はじまりのつづきを生きている
この胸の中にきずなはあるんだよ ずっとずっと♪
このフレーズはもちろん選手が聞いて共感できる内容を含んでいる。しかし、もっと強く響くのは身内を亡くされた人もいる被災者の心なのではないかと思う。ちなみに「きずな」は僕が言う場所でもある。もちろんきずなのほうが詩的だけどね。
新型コロナの感染拡大が治まらない日々の現実を見つめながらも、晴れ渡る空の日もある、新しき日々もある。腐らずに希望をもって歩んでいくことを改めて教えてくれる曲でもある。
若者は言う。
♪愛しあえるだろう つくりあえるだろう この時代を 僕らを この瞬間 を♪
歌詞の中に何度も出てくる「あえる」は、僕的にはつながりと関係性の相互作用を表現している。「この時代」、「この瞬間 」は時間軸でとらえているのではなく、場所つまりつながりと関係性の相互作用の総体としての「時代」であり「瞬間 」だ。
若者の歌をじっくり聞いていると、その気づきと感性そして深い思いに感心する。僕などがぐだぐだとつまらぬことを書くと、かえって曲の素晴らしさを歪めてしまわないかと恐れるが、僕自身が伝えたい思いの多くがこの曲にはある。その気づきをより多くの人に理解してもらいたいし、その役割を微力でも担いたいと思う。
こういう時期だからこそ、いま一度この曲を思い起こして歌ってみてはどうだろう。現状を打開する答えはないけど、苛立った心の奥にある何かが共感して、和 らぎが生まれるかも知れないよ。
どの選手もオリンピックに出場するほどなので、厳しい練習や試練に耐え抜いてたどり着いた道のりには、さまざまなドラマがあるだろう。そのドラマは実際には選手それぞれの心に蓄積された数々の経験による場所から生まれている。わずかな時間に切り取られた映像でどれだけその蓄積された思いに迫れるのかはわからないが、選手の乗り越えてきた苦悩とその場所の一端を共有するだけでも、見ている者の心にもある何かと共鳴し感動が深まることは間違いない。
オリンピック報道でこうした選手の活躍やドラマに微妙な味付けをするのが、バックグラウンドミュージックとして流れる若者によるメッセージ性のある歌だ。
今年はNHKでは嵐の『カイト』がテーマソングだ。
夢を叶えたいという幼いころの場所に寄り添った米津玄師さんの味わい深い詩だが、パンデミックの影響もあってか、この味付けが少しおとなしめになって、いままでのところ選手の活躍やドラマを引き立たせるほどの使われ方をしているようには思えない。
オリンピックソングで強い印象を残した曲として有名なのは、2005年のアテネオリンピックの際にNHKのテーマソングとなったゆずの『栄光の架橋』だろう。
これはもう歌を聞けばすぐに共感が広がる。選手をはじめ夢の実現に向けて努力している人に積み重なった場所をストレートに表現した、勇気を与える応援ソングだ。いまでもこれを聞いてから檜舞台に立つという選手もいるだろう。
最後の「君の心へ続く架橋へと…」というフレーズには、ドラマを場所として人々と共有することが意識されているように思う。
僕が最も好きなオリンピックソングは、いきものがかりが歌う『風が吹いている』だ。
2012年ロンドンオリンピックの際にNHKで使われたテーマソングだ。
いきものがかりの水野良樹さんが作詞作曲した。オリンピック出場選手の活躍をあと押ししたいという気持ちを込めた曲だろうが、詩の1行1行を丹念に味わうと、普遍性のあるテーマを意識して練られた内容であることがわかる。
とりわけ、その前年に発生した東日本大震災の被災者にも強い思いを寄せているだろうと想像できる曲になっている。
被災者への思いという意味では、ちょうど1年前に震災復興応援ソングとしてリリースされたAKB48の『風は吹いている』がある。
この曲は秋元康さんの作詞で、被災者へのメッセージがわかりやすく表現された内容になっている。そのメッセージのひとつとして繰り返されるのが、「それでも未来へ 風は吹いている」というフレーズだ。いまはつらいと思うが、希望を持ってほしいということなのだろう。
しかし、水野さんはこの「未来へ 風は吹いている」というメッセージは、現実を否定して、その先に見えてくる希望だけを強調していると思った(まったく勝手な想像で叱られそうだが、そういうことにする)。
そして反対に、競技者であっても被災者であっても、人として生きていくうえで大切なのはいまこのときであり、この場所だということを強調すべきではないかと思った。
一番の冒頭で、「風が吹いている 僕はここで生きていく」、「ここに明日はある ここに希望はある」と宣言するのは、遠い未来に希望を託すのではなく、現実と向き合い、場所の変化を受け入れながら、ここで道を見出していこうというメッセージを送っているのだろう。
秋元さんが「風は吹いている」と表現するときの「風」は、未来へとあと押しする風だが、ある意味で自分の外側を無関係に吹いている風だ。
「風が吹いている」の「風」はいま、ここに存在する自分と一体となった風だ。僕的に表現すれば、場所にある風だ。
だから「風が吹いている」では、「ここ」とか「この」という言葉が不自然なほど何度も使われて、そのことが「現在」や「いま」、あるいは「僕」とか「僕ら」を強調することになっているのだ。
そして、僕が最も関心を寄せるのは、次のフレーズだ。
♪言葉にできないこと 涙が溢れること
ふるえる心で感じたすべてが 僕のいままでをつくってきたんだ♪
素晴らしい詩を前にしつこく言及して恐縮だが、これはまさに場所を歌っている。心に積み重なった場所こそ、「僕のいままで」といまここにいる僕をつくっているのだ。
最後の方では、次のように歌う。
♪たくされた今がある あゆむべき道がある はじまりのつづきを生きている
この胸の中にきずなはあるんだよ ずっとずっと♪
このフレーズはもちろん選手が聞いて共感できる内容を含んでいる。しかし、もっと強く響くのは身内を亡くされた人もいる被災者の心なのではないかと思う。ちなみに「きずな」は僕が言う場所でもある。もちろんきずなのほうが詩的だけどね。
新型コロナの感染拡大が治まらない日々の現実を見つめながらも、晴れ渡る空の日もある、新しき日々もある。腐らずに希望をもって歩んでいくことを改めて教えてくれる曲でもある。
若者は言う。
♪愛しあえるだろう つくりあえるだろう この時代を 僕らを この
歌詞の中に何度も出てくる「あえる」は、僕的にはつながりと関係性の相互作用を表現している。「この時代」、「この
若者の歌をじっくり聞いていると、その気づきと感性そして深い思いに感心する。僕などがぐだぐだとつまらぬことを書くと、かえって曲の素晴らしさを歪めてしまわないかと恐れるが、僕自身が伝えたい思いの多くがこの曲にはある。その気づきをより多くの人に理解してもらいたいし、その役割を微力でも担いたいと思う。
こういう時期だからこそ、いま一度この曲を思い起こして歌ってみてはどうだろう。現状を打開する答えはないけど、苛立った心の奥にある何かが共感して、