第7話 スタートライン

文字数 3,848文字

 2021年も終わりを迎え、新しい年の足音が聞こえてきたね。
 思えば、今年(2021年)は1月にバイデン大統領が就任して、アメリカは新たなスタートを切ることになった。直前に国会議事堂襲撃事件があって波乱が予想される幕開けだったけどね。
 日本ではオリンピック・パラリンピックが新型コロナのパンデミック不安の中で開催され、とりあえず無事に終えることができたけど、ときの菅政権は混乱の中で終焉を迎え、10月に岸田内閣がスタートすることになった。菅前首相のときと比べると穏やかなスタートを迎えているように思えるよね。
 スタートつながりで言えば、今年の3月には持田香織さんが『スタートライン』という曲を発表されたね。大きな悲しみにぶつかったときに、
 ♪これも始まりならば スタートラインに立って♪
と前向きに生きていく勇気を与えるいい曲だね。
 この曲が出たとき、「おっ、また来たか」と思ったよ。
 というのは、『スタートライン』という曲名の歌ってほんとたくさんあるんだ。タイトルに微妙な違いのあるものも含めれば50曲以上にはなるんじゃないかな。いろんな壁にぶつかってそこから抜け出したいと思っているとき、出口の先にスタートラインがあるんじゃないかと誰もが思いたくなる。そんな気持ちに共感できるような曲を歌手なら歌ってみたいと思うんだろうね。
 そうした数ある『スタートライン』の中で最もヒットしたと思われるのは、15年ほど前に出た馬場俊英さんの『スタートライン』じゃないかな。
 ♪その気になりゃ 何度でもやり直せる 何度でも♪
とか、
 ♪チャンスは何度でも 君のそばに♪
というように、人生のいつだってスタートラインは引き直せることを強調していたよね。就職に失敗して悩んだり、夢を実現できず挫けそうになったりした若者を励ましたのだろうと思う。

 ただ僕は少し捻くれているかもしれないけど、「スタートラインって何?」と改めて問いたくなる。それが人生のスタートラインだとするなら、東日本大震災など大災害が起こった地域のその後の状況や自分自身の経験からも、それを引き直すなんてことができるのかなと思うんだ。
 僕のオヤジは51歳になる年に家を出て、30年連れ添った母と離婚し、それまで築いてきた魚屋としてのつながりや地域の人々との絆をも捨てて、新たな人生のスタートを切った。
 「俺は人生をやり直したい」
 オヤジはそう言った。その後、オヤジが死ぬまでの14、5年の人生を僕はほとんど知らないけど、病に倒れたと聞いて訪ねたとき、オヤジが内緒で僕と弟に話したことは、当時の奥さんと別れて、孫たちといっしょに暮らしたいということだったんだ。馬場さんの歌のように、オヤジはいつでも自分の思うようにスタートラインを引き直せると思っていたのかも知れない。

 思うように行かないことが続くと何とかその流れを変えたいと、そのきっかけを何かの節目に求め、そこをスタートラインにしたいと思うのは誰にもある心の作用なんだと思う。
 年が改まると新たなスタートラインに立つような気になるし、入学、卒業、就職、結婚、転職、退職など人生の節目を新たなスタートラインと捉えたいと考える人は多いんじゃないかな。
 僕もそうさ。若い頃からの夢を思い出し、定年退職後に与えられた再就職先を中途でやめて、作家を目指して新たな生活のスタートラインを切ったつもりでいた。だけど、夢を持っていて、生活のあり方が少しぐらい変わったからと言って、それで僕の人生が変えられるかと言うと、そうはならないのだろうね。僕はこれまでごく普通のサラリーマンとして生きてきて、作家になるための努力もしてこなかったし、つながりや関係性を築くこともなかったから、才能の問題に加えて、自分をその方向へ導く手段も欠けているんだよね。

 『スタートライン』という曲で大勢の人を励まそうとしている歌手の思いを踏みにじるような話になるかもしれないけど、僕は人に力を与えるのも、人を変えていくものも「場所」だと思っているんだ。
 「場所?」って思うよね。僕の言う場所は、あるつながりを示すキーワードによって広がっていく、人と人や人と自然、人とモノなどとのつながりと関係性の相互作用の総体のことなんだ。
 たとえば「遊び場所」というのは公園でなくても、道でも家の中でもいいよね。そこを遊び場所にしているのは、遊ぶ人たちであり、そこにあるモノであったり、自然だったりで、その人たちのつながりと関係性(友達、親子、兄弟など)に基づく相互作用のあり方によって、遊び方や内容が決まってくるんじゃないかな。
 少しは「場所」のイメージがつかめただろうか。

 そこで、もう少しだけ話を進めると、たとえば小学校に入れば、これまで親子が中心だった家庭や近所という場所から学校を場所とした新しいつながりと関係性が生まれ、そこで生まれる相互作用によって影響し合い成長していくよね。その後も人は成長段階に応じて新しい場所を積み重ねていくんだけど、新しい場所に身を投ずるたびに、そこで新しくできたつながりと関係性による相互作用を円滑にしていくために少しずつ自分を変化させていくよね。
 最初はそれまでに積み重ねてきたたくさんの場所にある自分の中から新しい場所にふさわしい自分を見出してつながりを築こうとするけど、そのうちこれまでの経験にはない「文化」を持つ人たちとの相互作用を深める中で、自分自身を少しずつだけど変化させていくんだ。
 決して、新しいスタート切るのではなく、それまで積み重ねてきた場所を土台にして自分を変化させていくだけなんだ。
 僕たちは、こうやって場所ごとに積み重なるつながりと関係性による相互作用の中で、少しずつ変化させて自分なりの人格を形成したり、人生の方向付けをしているのだと思うんだよね。

 年末に誰かと話していると、別れるときに「よいお年を」と挨拶することが多いよね。「さようなら」や「また会おう」でもいいのに、年末には特別な雰囲気があって、なぜかこう挨拶するよね。その言外にある心を探ってみると、「あなたの健康で幸せな一年を願ってます」とか、新型コロナの影響で職を失った人や商売がうまくいっていない人になら、「あなたの思いが叶う一年になることを祈ってます」とか「商売が順調な一年になることを祈ってます」ということを伝えたいのかも知れない。
 特に新しく何かが始まるような大きな変化を経験するときは、その先が長く感じるので、その間に発生する恐れのある障害や不幸な運命に対して不安を覚えることってあるよね。信心深い人なら神様にお祈りして不安を払拭するのかな?
 「よいお年を」という挨拶には、互いが抱いているその不安を思い遣って、相互に幸せを願うことで一緒に前向きな気持ちになっていく心の作用が働いているように思う。近所や地域での助け合いを土台に生み出された習慣の一つ、僕流に言えば「場所の知恵」のように思えるんだ。

 もちろん現実に「よい年」にしていく主体は自分自身だよね。自分の現実を変えていくのは自分しかいない。でもそれは場所としての自分なんだ。
 「そんなこと言っても、職を失うことでまさにその場所をなくしちゃったんじゃない」と、文句を言いたくなる人もいるかも知れないね。
 でも僕はこう言いたい。「場所はなくならない」と。
 なぜなら場所は君の心に積み重なっているからさ。職を失ってもそこで得た経験が君の中から消えないように、場所はいつでも君とともにあって、君を方向付けているんだ。
 だから、壁にぶつかったなら、失くした職を憂いているのではなく、自分が積み重ねてきた場所を見つめ直して、自分が開こうとしている新しい場所にふさわしいつながりと関係性を見出して、変化のきっかけを築くことが大切なんだろうと思う。
 まあ、これは僕自身に言ってることなんだけどね。夢を諦めるには早すぎるので、もう一度積み重ねてきたものを丹念に見つめ直して、そこから自分を変化させていく方向性を見出していこうかな。NOVEL DAYSも僕の場所の一つでいまのところ相互作用を起こすほどのつながりと関係性にはなっていないけど、それでもこれまでに積み重なった場所の中にあるつながりと関係性がこの場所を通じて新しい相互作用を起こしているということはあるよ。

 人の人生にはいろんな節目があるよね。人生の終盤にきて大統領になる人もいるので、いつその機会が来るかは分からないよね。ただ、はっきりしているのは、その機会はその人が積み重ねてきた場所の変化によってもたらされていることだと思う。
 たとえ就任式によって大統領という役割を与えられ、政権を新たにスタートさせた人でも、人生としては決してそこからスタートしたのではなく、その役割によってできる場所によって、これからも少しずつ変化していくだけなのだと思うんだ。
 人生のスタートラインは生まれたときにすでに切っている。マラソンのように大会ごとにゴールがあるのじゃなくて、ゴールは一つしかない。
 人生というのは、その人が積み重ねてきた経験や人との絆や信頼関係などのすべてが溶け込んでその人自身を表現しているもので、そこから離れたところからスタートラインを引き直すというわけにはいかないと思うんだ。
 たとえ僕が認知症になったり、記憶喪失になったとしても、誕生以来積み重ねてきた場所はなくならない。僕自身が一つの場所なんだから。
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