第10話 水平線
文字数 3,965文字
若い人なら知らない人はいないだろうね。
2021年のヒット曲、back numberの『水平線』は、2020年に新型コロナの感染拡大の影響でインターハイが中止と判断された直後に、開催に向けて尽力してきた高校生たちからback number に届いた手紙がきっかけとなって生まれたんだよね。
back numberは、本来インターハイが行われるはずだった8月18日にこの曲をYoutubeに公開した。翌年の8月13日にリリースもされている。
現在も公開されているビデオの下にback numberの清水依与吏さんが曲の制作にあたってのメッセージを寄せている。
「費やし重ねてきたものを発揮する場所を失くす事は、 仕方ないから、とか、悲しいのは自分だけじゃないから、 などの言葉で到底納得出来るものではありません。
選手達と運営の生徒達に向け、何か出来る事はないかと相談を受けた時、 長い時間自分達の中にあるモヤモヤの正体と、これから何をすべきなのかが分かった気がしました。
先人としてなのか大人としてなのか 野暮な台詞を探してしまいますが、 俺たちはバンドマンなので 慰めでも励ましでも無く音楽を ここに置いておきます。」
なるほどこの曲にはメッセージに込められた思いが表現されている。
すでに大勢の若い人たちが曲の素晴らしさや詞の解釈をブログや自身のホームページで紹介しているなか、ジジイが出しゃばる余地などないとは思ってたけど、世代を超えて共感できる曲だとわかってもらうのも大切なことかなと思い直し、徒口 を叩くことにした。
まず触れたいのは、この曲全体がもたらすやさしい雰囲気と包容力についてだね。曲全体でやさしさを醸し出し、詞が加わると、いわば「兄貴」としての包容力が見えてくる感じだ。
この曲は失意にある人の横に立って、肩を抱いて語りかけているような感じがある。ときには人生の先輩として、ときには自分の経験を振り返って語りかけているようだ。
疑問なのは、詞を素直に読んでいくと、水平線の映像が唐突に現れてくるんだ。タイトルが「水平線」なのでもう少し水平線を描写したり、何かの隠喩を匂わせるのかと思いきや、詞全体からはなかなか見えてこない。
たとえば、「坂」、「道」、「山」、「川」、「海」といった自然を表現する言葉なら人生の一場面の隠喩表現としてよく使われているよね。「水平線」はどうなのだろう。
「水平線」という言葉は歌のなかでよく使われていると思う。
年寄りが真っ先に思い浮かぶのは、1960年代にNHKで放映された人形劇『ひょっこりひょうたん島』の主題歌だ。水平線が出てくるところを取り上げるね。
♪丸い地球の水平線に 何かがきっと待っている
苦しいこともあるだろさ 悲しいこともあるだろさ
だけど僕らはくじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃおう♪
この歌では、水平線には「未知の世界」や「行き着く先」というような意味合いが含まれているようだね。
もう一つ思い浮かぶのは、1986年にリリースされた松田聖子の『瑠璃色の地球』だ。
水平線が出てくる箇所はこうだ。
♪朝陽が水平線から 光の矢を放ち
二人を包んでいくの 瑠璃色の地球
泣き声が微笑みに変わる瞬間の涙を
世界中の人たちにそっとわけてあげたい
争って傷つけあったり 人は弱いものね
だけど 愛する力も きっとあるはず♪
ちょっと似たイメージが出て来たので、back number が水平線を描写しているシーンと比較してみるね。
♪水平線が光る朝に あなたの希望が崩れ落ちて
風に吹き飛ばされる欠片に 誰かが綺麗と呟いている
悲しい声で歌いながら いつしか海に流れ着いて
光って あなたはそれを見るでしょう♪
どちらの曲も太陽が昇るときの水平線を描写しているので、情景としては夜明けだね。
「夜明け」という言葉には、単に夜が明けることだけでなく、新しい日や時代の始まりを意味する言葉としても使われることがあるよね。
どちらも新しい日の始まりは意識されているんだろう。ただ、『瑠璃色の地球』ではむしろ太陽が放つ光によって地球が包まれる起点の意味合いが強いよね。光によって地球が瑠璃色に輝いていることの感動を表現しているように思える。水平線そのものに意味があるというよりはむしろ「瑠璃色の地球」に思いが込められている。
他方、back numberの歌では、「朝に」のあとに「あなたの希望が崩れ落ちて」と続くので、やはり「新しい日」が強く意識されているよね。水平線は海と空を分けている線だから、この言葉によって、大会開催の有無の判断が分かれる日を想起する人もいるかもしれないね。
面白いのは、3曲とも「苦しいとき 悲しいとき」が念頭にあることだ。水平線という自然現象が与える感動がそうした感情を癒す働きがあるからだろうか。
稲葉浩志さんの『水平線』が、そのあたりを深く掘り下げている。
水平線を描写しているところだけでわかるかな?
♪幸い求め 災いから逃れられないのは
この心があの水平線のように完璧な美しさじゃないから♪
♪高ぶる歓びの空 深い悲しみの海
ぶつかり合う場所 そこに無限の謎 すべての答えが隠されてるの♪
♪祈りは静かに消えてゆき 水平線はあの日のように柔らかく
まっすぐに横たわる とめどなくあふれる それは永遠のBLUE♪
稲葉さんの視線は水平線そのものにあるよね。水平線をじっと見つめ続けていて、湧き上がる感情や思いを探っているんだ。
ただ、実際に作詞するとき、頭の中をかすめていたのは、小泉周二の「水平線」という詩ではないかと僕は思っている。短いのでその詩を全部紹介する。
水平線がある 一直線にある
ゆれているはずなのに 一直線にある
水平線がある はっきりとある
空とはちがうぞと はっきりとある
水平線がある どこまでもある
本当の強さみたいに どこまでもある
僕には、稲葉さんが水平線を「完璧な美しさ」と表現しているのは、小泉周二が「ゆれているはずなのに 一直線にある」姿を言ってるように思えるし、「すべての答えが隠されてるの」のフレーズは「空とはちがうぞと はっきりとある」の一つの解釈になっているように思える。
そして、「それは永遠のBLUE」のフレーズは「本当の強さみたいに どこまでもある」を人の心に寄せて表現し直したものように思える。
小泉周二の詩が水平線を眺めながら素直に浮かんでくる言葉で表現されているのに対し、稲葉さんは人の心の有様、心の揺れを対照しながら水平線を捉えようとしているんだ。
すべての詞を紹介できないので歌を聴いて味わってもらう以外にないけど、僕には傷ついた心で水平線を見つめる人の癒されていく心の動きが歌われているように思えるんだ。
じゃあ、back numberの水平線の描写の唐突感は、どう考えればいいんだろう。
僕にはそのヒントが、最初に引用した清水さんのコメントのなかにあるように思えるんだ。
清水さんは「長い時間自分達の中にあるモヤモヤの正体」と語っていたよね。「モヤモヤ」というのは彼らの心にある「場所」、おそらくメンバーみんなが共有している「場所」のことじゃないかと思う。
それは手紙を書いてきた高校生たちのように、積み重ねた努力を無駄にされるような思いに駆られる経験だったかもしれないよね。そうした経験を乗り越えられたのはなぜか。それを考えていたときに思い当たったのが、「水平線」だったと思うんだ。
稲葉さんの歌のように水平線を見たときに感じた思い出なのか、誰かから励ましを受けた言葉を象徴していたのが水平線だったのか、何が隠されているかかはわかりようがないけど、その思い出を語るときの「つながりと関係性に相互作用をもたらすものの総体」=「場所」を象徴するのが「水平線」だったのだろうと思う。
稲葉さんの詞のような水平線の描写はないけど、back numberにとっては、歌のタイトルにするほど強烈に心に残る何かがそこにあるんだろうね。それが「風に吹き飛ばされる欠片」や「光って」いるものなのだろうか。それは希望の欠片なのか、『瑠璃色の地球』のように「泣き声が微笑みに変わる瞬間の涙」あるいは「愛する力」のことなのかは、それぞれの感じ方だろうね。
だからこの歌は、「兄貴としてやさしく語りかける」歌だけど、実は彼らの「場所」を語っている歌でもあるんだ。そのことを暗示するフレーズとして特に注目したのはここだ。
♪誰の心に残る事も 目に焼き付くこともない今日も
雑音と足音の奥で 私はここだと叫んでいる♪
ここで叫んでいる「私」は、他のところで出てくる「あなた」のことだろうか。もしそうなら、「あなた」としてもよかったように思う。あるいは省いてもよかったかもしれない。しかし、やはりここは「私」なんだ。
このやや唐突感のあるフレーズを差し挟むことで、「自分たちも思い悩んだ歴史があるんだよ」と語りかけてるんじゃないかな。だから、「あなたはそれを見るでしょう」と表現されたときの「あなた」は彼ら自身でもあるのだと思う。
水平線は唐突に現れるけど、「水平線という場所」を、歌いながら心に抱けるように、自分たちだけがわかる言葉にして詞に託し、兄貴として高校生たちの心に寄り添う歌にしよう。それが「 俺たちはバンドマンなので 慰めでも励ましでも無く音楽をここに置いておきます」の意味のように、僕は思う。なぜなら音楽は作った人の心を表現するものだから。
2021年のヒット曲、back numberの『水平線』は、2020年に新型コロナの感染拡大の影響でインターハイが中止と判断された直後に、開催に向けて尽力してきた高校生たちからback number に届いた手紙がきっかけとなって生まれたんだよね。
back numberは、本来インターハイが行われるはずだった8月18日にこの曲をYoutubeに公開した。翌年の8月13日にリリースもされている。
現在も公開されているビデオの下にback numberの清水依与吏さんが曲の制作にあたってのメッセージを寄せている。
「費やし重ねてきたものを発揮する場所を失くす事は、 仕方ないから、とか、悲しいのは自分だけじゃないから、 などの言葉で到底納得出来るものではありません。
選手達と運営の生徒達に向け、何か出来る事はないかと相談を受けた時、 長い時間自分達の中にあるモヤモヤの正体と、これから何をすべきなのかが分かった気がしました。
先人としてなのか大人としてなのか 野暮な台詞を探してしまいますが、 俺たちはバンドマンなので 慰めでも励ましでも無く音楽を ここに置いておきます。」
なるほどこの曲にはメッセージに込められた思いが表現されている。
すでに大勢の若い人たちが曲の素晴らしさや詞の解釈をブログや自身のホームページで紹介しているなか、ジジイが出しゃばる余地などないとは思ってたけど、世代を超えて共感できる曲だとわかってもらうのも大切なことかなと思い直し、
まず触れたいのは、この曲全体がもたらすやさしい雰囲気と包容力についてだね。曲全体でやさしさを醸し出し、詞が加わると、いわば「兄貴」としての包容力が見えてくる感じだ。
この曲は失意にある人の横に立って、肩を抱いて語りかけているような感じがある。ときには人生の先輩として、ときには自分の経験を振り返って語りかけているようだ。
疑問なのは、詞を素直に読んでいくと、水平線の映像が唐突に現れてくるんだ。タイトルが「水平線」なのでもう少し水平線を描写したり、何かの隠喩を匂わせるのかと思いきや、詞全体からはなかなか見えてこない。
たとえば、「坂」、「道」、「山」、「川」、「海」といった自然を表現する言葉なら人生の一場面の隠喩表現としてよく使われているよね。「水平線」はどうなのだろう。
「水平線」という言葉は歌のなかでよく使われていると思う。
年寄りが真っ先に思い浮かぶのは、1960年代にNHKで放映された人形劇『ひょっこりひょうたん島』の主題歌だ。水平線が出てくるところを取り上げるね。
♪丸い地球の水平線に 何かがきっと待っている
苦しいこともあるだろさ 悲しいこともあるだろさ
だけど僕らはくじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃおう♪
この歌では、水平線には「未知の世界」や「行き着く先」というような意味合いが含まれているようだね。
もう一つ思い浮かぶのは、1986年にリリースされた松田聖子の『瑠璃色の地球』だ。
水平線が出てくる箇所はこうだ。
♪朝陽が水平線から 光の矢を放ち
二人を包んでいくの 瑠璃色の地球
泣き声が微笑みに変わる瞬間の涙を
世界中の人たちにそっとわけてあげたい
争って傷つけあったり 人は弱いものね
だけど 愛する力も きっとあるはず♪
ちょっと似たイメージが出て来たので、back number が水平線を描写しているシーンと比較してみるね。
♪水平線が光る朝に あなたの希望が崩れ落ちて
風に吹き飛ばされる欠片に 誰かが綺麗と呟いている
悲しい声で歌いながら いつしか海に流れ着いて
光って あなたはそれを見るでしょう♪
どちらの曲も太陽が昇るときの水平線を描写しているので、情景としては夜明けだね。
「夜明け」という言葉には、単に夜が明けることだけでなく、新しい日や時代の始まりを意味する言葉としても使われることがあるよね。
どちらも新しい日の始まりは意識されているんだろう。ただ、『瑠璃色の地球』ではむしろ太陽が放つ光によって地球が包まれる起点の意味合いが強いよね。光によって地球が瑠璃色に輝いていることの感動を表現しているように思える。水平線そのものに意味があるというよりはむしろ「瑠璃色の地球」に思いが込められている。
他方、back numberの歌では、「朝に」のあとに「あなたの希望が崩れ落ちて」と続くので、やはり「新しい日」が強く意識されているよね。水平線は海と空を分けている線だから、この言葉によって、大会開催の有無の判断が分かれる日を想起する人もいるかもしれないね。
面白いのは、3曲とも「苦しいとき 悲しいとき」が念頭にあることだ。水平線という自然現象が与える感動がそうした感情を癒す働きがあるからだろうか。
稲葉浩志さんの『水平線』が、そのあたりを深く掘り下げている。
水平線を描写しているところだけでわかるかな?
♪幸い求め 災いから逃れられないのは
この心があの水平線のように完璧な美しさじゃないから♪
♪高ぶる歓びの空 深い悲しみの海
ぶつかり合う場所 そこに無限の謎 すべての答えが隠されてるの♪
♪祈りは静かに消えてゆき 水平線はあの日のように柔らかく
まっすぐに横たわる とめどなくあふれる それは永遠のBLUE♪
稲葉さんの視線は水平線そのものにあるよね。水平線をじっと見つめ続けていて、湧き上がる感情や思いを探っているんだ。
ただ、実際に作詞するとき、頭の中をかすめていたのは、小泉周二の「水平線」という詩ではないかと僕は思っている。短いのでその詩を全部紹介する。
水平線がある 一直線にある
ゆれているはずなのに 一直線にある
水平線がある はっきりとある
空とはちがうぞと はっきりとある
水平線がある どこまでもある
本当の強さみたいに どこまでもある
僕には、稲葉さんが水平線を「完璧な美しさ」と表現しているのは、小泉周二が「ゆれているはずなのに 一直線にある」姿を言ってるように思えるし、「すべての答えが隠されてるの」のフレーズは「空とはちがうぞと はっきりとある」の一つの解釈になっているように思える。
そして、「それは永遠のBLUE」のフレーズは「本当の強さみたいに どこまでもある」を人の心に寄せて表現し直したものように思える。
小泉周二の詩が水平線を眺めながら素直に浮かんでくる言葉で表現されているのに対し、稲葉さんは人の心の有様、心の揺れを対照しながら水平線を捉えようとしているんだ。
すべての詞を紹介できないので歌を聴いて味わってもらう以外にないけど、僕には傷ついた心で水平線を見つめる人の癒されていく心の動きが歌われているように思えるんだ。
じゃあ、back numberの水平線の描写の唐突感は、どう考えればいいんだろう。
僕にはそのヒントが、最初に引用した清水さんのコメントのなかにあるように思えるんだ。
清水さんは「長い時間自分達の中にあるモヤモヤの正体」と語っていたよね。「モヤモヤ」というのは彼らの心にある「場所」、おそらくメンバーみんなが共有している「場所」のことじゃないかと思う。
それは手紙を書いてきた高校生たちのように、積み重ねた努力を無駄にされるような思いに駆られる経験だったかもしれないよね。そうした経験を乗り越えられたのはなぜか。それを考えていたときに思い当たったのが、「水平線」だったと思うんだ。
稲葉さんの歌のように水平線を見たときに感じた思い出なのか、誰かから励ましを受けた言葉を象徴していたのが水平線だったのか、何が隠されているかかはわかりようがないけど、その思い出を語るときの「つながりと関係性に相互作用をもたらすものの総体」=「場所」を象徴するのが「水平線」だったのだろうと思う。
稲葉さんの詞のような水平線の描写はないけど、back numberにとっては、歌のタイトルにするほど強烈に心に残る何かがそこにあるんだろうね。それが「風に吹き飛ばされる欠片」や「光って」いるものなのだろうか。それは希望の欠片なのか、『瑠璃色の地球』のように「泣き声が微笑みに変わる瞬間の涙」あるいは「愛する力」のことなのかは、それぞれの感じ方だろうね。
だからこの歌は、「兄貴としてやさしく語りかける」歌だけど、実は彼らの「場所」を語っている歌でもあるんだ。そのことを暗示するフレーズとして特に注目したのはここだ。
♪誰の心に残る事も 目に焼き付くこともない今日も
雑音と足音の奥で 私はここだと叫んでいる♪
ここで叫んでいる「私」は、他のところで出てくる「あなた」のことだろうか。もしそうなら、「あなた」としてもよかったように思う。あるいは省いてもよかったかもしれない。しかし、やはりここは「私」なんだ。
このやや唐突感のあるフレーズを差し挟むことで、「自分たちも思い悩んだ歴史があるんだよ」と語りかけてるんじゃないかな。だから、「あなたはそれを見るでしょう」と表現されたときの「あなた」は彼ら自身でもあるのだと思う。
水平線は唐突に現れるけど、「水平線という場所」を、歌いながら心に抱けるように、自分たちだけがわかる言葉にして詞に託し、兄貴として高校生たちの心に寄り添う歌にしよう。それが「 俺たちはバンドマンなので 慰めでも励ましでも無く音楽をここに置いておきます」の意味のように、僕は思う。なぜなら音楽は作った人の心を表現するものだから。