第13話 子供たちの未来へ

文字数 3,837文字

 全国まで知れ渡っているかはわからないが、今年(2022年)11月1日、愛知県長久手市にある愛・地球博記念公園にジブリパークが開園する。地元ではマスコミでの報道も多くなり、開園までのムードを盛り上げている。
 愛・地球博記念公園は、2005年に開催された愛・地球博(愛知万博)の会場となった公園だ。
 愛・地球博の理念は「自然の叡智」。その理念とスタジオジブリ作品の世界観が調和的であることから構想は始まったようだ。もともと愛・地球博会場内に「となりのトトロ」の主人公サツキとメイが暮らした草壁家が再現展示された縁もあっただろう。その「サツキとメイの家」は現在も展示され、ジブリパークでも『となりのトトロ』の世界観を表現するエリアに引き続き展示される予定だ。
 愛知県とその近隣県だけでなく、全国の子供たちやジブリファンにとっても、楽しみなテーマパークとなることは間違いない。

 ジブリ作品にも通ずる「自然の叡智」の発想について、愛・地球博・総合プロデューサーの木村尚三郎氏は、「日本ないしアジア的・仏教的自然観」から生まれるもので、自然が秘める計り知れない力と叡智をつねに畏れ敬う謙虚な心を抱き、自然の声に従う生き方につながる、21世紀を(ひら)く哲学であると説明した上で、次のように語っている(『万博を創る』より)。

 「自然とともに謙虚に生き合うとき、「人と人」とも仲良くなりあえる。人と人が心をひらき、心を合わせなければ、「いのち」の連鎖・共生のなかに生きることができない」

 愛・地球博から17年が経った今日、世界情勢を眺めてみると、啓蒙したはずの理念が活かされるどころか、人間はますます自然に対し傲慢になり、「いのち」の連鎖・共生のなかに生きているとは、とても言えない状況に陥っている。日々の報道で見えているのは、「人と人」が仲良くなるどころか、殺し合う姿の日常化だ。
 いったい、それをどう考えればいいのだろう。

 愛・地球博の閉会式で強調されたのは、「未来の子供たちへ」だった。100年後の子供たちにも、美しい自然環境のある地球が残されているよう努めることの重要性が、メッセージとして語られていたように記憶している。
 そうした理解があったからだろう。2008年にリリースされたケツメイシの『子供たちの未来へ』という曲を、初めて聞いたとき思い浮かんだのが、愛・地球博でのメッセージだった。
 「未来のために人々の行動を変えていこう」という発想は同じだろうが、アプローチの仕方が違うように感じたのだ。

 『子どもたちの未来へ』は、次のフレーズから始まる。

  ♪ たった一つの巡り合いから生まれた 君とのすれ違いの時代へ
    君の為に 君たちの為に 何をし何を残してやれるだろう
    子供たちの未来が想像よりも幸せで またその子供たちの未来ももっと幸せで
    ありますよう 共に願おう なりますよう 共に語ろう
    励ますよう 共に歌おう 笑顔だらけの未来へ ♪

 出だしから、人と人のつながりと関係性が意識されているのがわかる。
 「たった一つの巡り合いから生まれた」というフレーズは、「私」と「君」との親子というつながりと関係性、つまりは親子という場所を表現し、「君とのすれ違いの時代」は「私」がいなくなったあとの場所の変化を思い遣っているのだろう。
 この歌で意識されているのは、「私」とつながっているいまここにいる子供、子供たち、そしてその子供たちにつながる子供たちだ。いまここにはいない「未来の子供たち」ではない。
 そうした子供たちの未来が幸せであるように「共に願おう」、幸せであるように「共に語ろう」、励ますように「共に歌おう」と呼び掛けているのだ。
 「共に」が意味するところは、大人である「私」と、子供としての「君」とのつながりと関係性の相互作用による一体感……僕はそれを「場所の共有」と呼ぶ……だ。
 子供たちの未来が幸せであるために必要なこと、それは子供に「こうしなさいよ」と教えるのではなく、同じことを「共に」していくこと、つまりは場所を共有することだと言っているように、僕には思える。
 その先に続く歌詞でも、「私」と「君」とのつながりと関係性の相互作用によってできる場所の描写が続く。
 そして、その場所への視線を「子供たち」の「いま」へと移す。

  ♪ 鳥が飛ぶ そよ風 雲運ぶ 花が香る 空の下 子が遊ぶ
    それが当り前じゃない 今 天仰ぐ子は誰頼る 誰守る
    防犯ベルぶら下げ ランドセル背負い無邪気 学校通っている ♪

 さらに場所は、大人が生んだ現実へと広がる。

  ♪ 人が人を信じられない世の中 危うい方への道変えたい 
    自然壊す 人に傷負わす 視線そらす 大人見て子は育つ
    きれいな空 海に謝りな 破壊 戦いではなく 語らいが必要
    きっと いつも この先も ♪
  
 では、その場所をどうしていくのか。それが次に語られる。

  ♪ と思うなら 子供の未来に愛を 貸す手を 溢れる 愛情に託せ
    大人が子へ向ける 明日への役目
    何を残していくのか その小さな手に
    何を見せてあげるの その小さな目に    
    この空を 海も 山も 青い地球をいつまでも
    響け 笑い声よ いつまでも ♪
 
 歌はまだ続くが、ここまでの歌詞(ラップなので語りに近いが)を見てきて、さきほど紹介した木村尚三郎氏の語りを振り返ってみると、『子どもたちの未来へ』は、その理念をすべて飲み込んでいるように思える。
 その上で、「自然とともに謙虚に生き合うとき、「人と人」も仲良くなりあえる」という木村氏の考えに対し、ケツメイシは「と思うなら 子供の未来に愛を 貸す手を 溢れる 愛情に託せ」と訴える。
 まずは子供への愛情が第一で、同時に「大人が子へ向ける 明日への役目」に思いを馳せるべきだとしているのだ。
 もちろん、ケツメイシは「自然とともに謙虚に生き合う」ことの重要性を理解している。だからこそ、「きれいな空 海に誤りな」と言う。
 でも、どうすれば誰もが「自然とともに謙虚に生き合う」ことができるようになるのか。
 子供がつながりを持つべき自然という場所は、もはや「それが当たり前じゃない」場所となっている。大人が自然を壊し、人に傷を負わせる行為をしながら、そうした行為から視線をそらして生きている。「大人見て子は育つ」と言うじゃないか。子供への愛情なくして、「「いのち」の連鎖・共生のなかに生きること」などできようか。
 僕には『子どもたちの未来へ』はそう語っているように思える。

 「自然の叡智」という崇高な言葉そのものは、未来の子供たちや人々にも届くかもしれない。
 しかし、それはいまの現実を変えていく力を与えるほど強いメッセージだろうか。
 『子供たちの未来へ』は2008年にヒットしているから、振り返って、現実を変えられなかったのは同じかもしれない。ただ僕は、この歌が若者に、そして僕のようなジジイにも支持され、歌われ続けている現実がある以上、少しずつでも変化させていく力があるように思っている。
 少なくとも「自然の叡智」という格調高いが、説明されても、多くの人にはすんなり理解できない言葉よりは、その精神が広く浸透していく力があるように思えてならない。
 
 ちなみに、『子供たちの未来へ』で何度も繰り返される「笑顔だらけの未来」は、実は、愛・地球博でも強調された言葉だ。
 愛・地球博では、2万人を超える”地球人”たちの笑顔の万博:Merry EXPOという企画があった。6大陸23か国を旅して撮影された、笑顔の写真を紹介したものだ。
 これを契機に現在も続いている「Merry Project」へ、愛・地球博の会長、豊田章一郎氏が「地球の未来を照らす、子どもたちの笑顔」と題した応援メッセージを寄せている。
 その一部を紹介する。
 
 「人の笑顔とは、人間が自然から授かった至高の交流の術であり、いのちの力、そのものなのだと想わずにはいられません。とりわけ子どもたちの無垢で純真な笑顔は、国や言語の違いを超えて、地球の未来を明るく照らしてくれるようです。新しく美しい地球を築いていくため、この素晴らしい笑顔は、ぜひとも私たち共通の財産として大切に守り、育てていきたいものです」

 何の罪もない人々から笑顔を奪い、殺戮や破壊を厭わない侵略者の無慈悲な行為を止められない世界では、「新しく美しい地球を築く」など望むべくもないだろう。
 歴史に拘泥するのではなく、「いま」の現実のなかにあるつながりと関係性の相互作用の有様を「愛情に託す」ことから変えていく。『子供たちの未来へ』は、いままさに聞いて、感じ、歌うべき歌かもしれない。

 この年になると、ケツメイシの曲についていくのはたいへんで、完璧に歌うことは難しいが、それでもいまでもCDをかけたり、You Tubeの動画を見て、口ずさむ。特に、ミュージック・ビデオを見ながら聞くと、娘二人を育てたときの経験や孫たちとのふれあいが思い起こされ、涙が溢れてくる。
 歌というのは、作り手が伝えようとしているメッセージや意味より早く、歌詞と曲の相互作用がもたらすイメージが心にある場所に入り込み、僅かな時間で共鳴と感動をもたらす。
 長々とした文章でしか思いを伝えられない未熟者としては、その力に感服の言葉しかない。

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