第3話

文字数 886文字

「いやー、前の人がいきなり辞めちゃってね。二人しかいない小さなところだから、新人や仕事のよくわかっていない人は置けないし。きみなら、しっかりしてるから……」
 そう、当時の上司は彼女の目を見ないで言った。 
 そうして彼女は、この春ここへやってきたのだった。
 それでも最初は、万年石になってしまったようなこんな場所でも、できる限りのことをしようとがんばった。支店の中にいたらわからないけど、こういう出張所でこそわかることがあるかもしれない。ほんの少しでも業績が良くなれば、それが評価されるかもしれない。そう思い、自分を励ましがんばった。桜の花びらがはらはらと舞い落ち、仕事帰りの肩にのって慰めてくれる間は。
 道路に落ちたそれらが茶色くなり、雨に濡れて崩れ、頭上には黄緑のかわいい芽がちょこんと見られるようになっても、彼女はまだがんばっていた。
 だが結局、どうにもなりはしなかった。小さな出張所は岩のように冷たく、頑固だった。
 せめて訪れるお客さまに丁寧に接しよう、と思っても、そのお客もほとんど来なかった。 
それなら、たった一人の同僚である先輩の女子と仲良くしたいと思った。だが先輩は、最初から彼女に対して敵意を持っていた。先輩はきっとここに蒸した苔のようになってしまい、彼女が何か新しいことをしようとするのが気に入らないのだろう。またそういう気概を持つ彼女自身が気に入らないのだろう。
 支店にいるときは、職場のみんなとお昼を食べに行ったりしたが、ここに来てからはそういうこともなくなった。ただの雑談をすることさえなかった。
今では、何か言われないようにじっと前を見つめて座り、先輩の目から逃れられる休憩時間を待つばかりの毎日だった。休憩になると闇雲に庁舎内をうろつき、外を散歩した。それからお手洗いに行って少し泣いた。

 彼は一日中、そこに立って前を見ていた。なぜならそれが彼の仕事だったから。
 彼女は一日中、そこに座って前を見ていた。なぜならそれが彼女の仕事だったから。
 自然と、二人はお互いを見つめ合う形になった。
 彼は彼女を、ずっと見つめた。
 彼女は彼を、ずっと見つめた。

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