第1話

文字数 1,729文字

 彼はずっとそこに立っていた。
ぴっと背筋を伸ばし、足を肩幅よりやや広めに開いて、両手は後ろで組み、顔は前を向いて。
 そういう仁王立ちのポーズで、彼はずっとそこに立っていた。お昼と、午前と午後に一回ずつの見回りと休憩を除いて、朝から夕方まで一日中。
 なぜなら、それが彼の仕事だったからだ。
 彼の仲間の中には、「一日中突っ立っているだけなんて、疲れて集中力も鈍るよ」と言って、自主的に休憩を取る者もいる。だが彼は立っている間も身体を引き締めていたし、頭の中では、何か緊急の事態が起こったときの行動をいつも考えていたので、心身は緊張していた。また元来が寡黙な性質なので、無言で立っていることは彼にとって苦ではなかった。
 彼は頑固に、一途に、そこに立っていた。

 彼女はいつもそこに座っていた。座ったままお客が現れるのを待ち、現れれば対応をして、機器を操作したり、書類を用意したり。でもそこはとても小さなところだったので、お客は滅多に来なかった。
 仕方がないので、書類の整理や軽い掃除など、自分で用事を作って立ち上がろうとしても、隣に座っている、唯一の同僚である先輩の女子がそれを許さなかった。
「それはさっき私がやったから。あなたがやる必要はないでしょ」
「あなた、そんな風にうろうろしないで。お客さまが来たときに、あなたがそこにいなかったらどうするの」 
 先輩の女子は、それがまるで自分の仕事であるかのように、彼女の一挙手一投足に目を光らせていた。そして彼女が些細な動作をしただけでも、何か言った。そこはとても小さな職場だったので、彼女は他の人と話して気を紛らわすことも、先輩の女子の目が届かないところに行くこともできなかった。
だから彼女は、一日中そこで座って過ごさなければならず、そのほとんどを先輩の女子の小言を聞いていなければならなかった。
 二人しかいないから、午前と午後に一回ずつの休憩は別に取る。それとお昼の時間が、ほんのわずかな、彼女の一息つける時間だった。
それが彼女の、この春からの毎日だった。

 彼の仕事は、庁舎の入り口を守る警備員だ。といっても庁舎に勤めているわけではなく、委託されて民間の警備会社から派遣されてきている。彼の勤めている会社は、そうやっていろいろなところに警備員を派遣するところだ。中には五、六人でやっているビルもあるが、ここは庁舎といっても大きくはないので、彼と老人の二人だけだった。
 老人のほうは、どうせ何も起こるわけがないんだから、と言って、持ち場のすぐ後ろにある休憩室で、昼寝をしたりテレビを見たりして過ごしていることが多かった。
 だが彼に不満はなかった。彼は、老人の分も自分ががんばらなければ、と思っていた。毎朝出勤してきて青い制服に着替えると、身も心も引き締まった。
 そうやって、彼はもう長い間そこに立っていた。

 彼女は地方銀行の行員だ。入社して三年目、突然異動となった。それまで支店勤務だったのが、庁舎の中の小さな出張所に転勤となった。
 小さな出張所だから、人員は二人しかいない。彼女と、すでにここに来て八年目だという先輩の女子と。彼女が来たとき、先輩の女子はこの小さなお城の女王のように君臨していて、彼女は哀れなその虜囚となった。
 桜が世界を淡いピンクに染める頃、彼女はそういうことになった。

 彼の立ち位置から二十メートルほどの向かいには、銀行の小さな出張所があった。彼はそこに立っていることが仕事なので、自然、その出張所を長く眺めていることになる。
 いつもそこには、年配の女子行員と、それからもう一人の女子行員との二人が並んで座っていた。まるで自分たちみたいだ、と彼は思っていた。ピンク色の桜の蕾が膨らみだす頃、そこから年配の行員がいなくなった。数日の間、もう一人の女子行員だけがそこに座っており、これからあそこは一人になるのかなと思っていた頃、彼女がやってきた。
 彼女は、くるくるとよく働いた。だがそのたびに、隣の先輩の女子に何か言われているようだった。
彼女はだんだん、濡れた子犬のように小さくなっていった。そして桜の花が散り、黄緑色の若葉に変わる頃には、とうとうほとんど動かず、じっと座っているようになってしまった。
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