9 間一髪

文字数 2,217文字

 居住区は歓楽街に比べ、道が細いものの入り組んではいない。よほどの距離を離れなければ、人とはぐれることはないだろう。その事実が今の状況では向かい風である。
 夜中なだけあって暗く視界こそ悪いが、人通りは少なく道はひらけている。ヒリニィの手下である悪漢共が、俺を見失うことはないはずだ。つまり逃げ切るためには、彼らをすべてまいてしまうか、のしてしまうかの二択となる。
 亜竜狩りを生業にしている俺にとって、スタミナには多少の自信がある。長時間の追いかけっことなれば、逃げきれる可能性も見えてくる。
 しかし見通しの良い道がそれを許さない。現に彼らとの距離はさほど空いていないのだ。聞こえてくる罵倒や怒声は、どれだけ走ってもいっこうに小さくならない。
 なによりも怖いのが先回りされることだ。日夜怪しい仕事に精を出す彼らにとって、居住区の地理は自宅の庭みたいなものである。
  振り返ってみると、やはり彼らの人数が少し減っているように思う。息を切らしてリタイアしたという、楽観的な考えは浮かんでこなかった。こうなればやることは一つしかない。悪漢共をすべて倒してしまえばいい。
 幸いにも彼は俺を挟み撃ちにするため、数をわけているようだ。今なら一方を片付け、もう一方を見つけ次第倒すことでとりあえずの安全は確保できる。
 そうと決まれば、だ。俺は体ごと追っ手に向けて立ち止まった。彼らも少し距離を空けて立ち止まる。そして各々が持つ得物を構えた。
 数は四人。一人はナイフ、二人は棍棒、余った一人は俺と同じく素手のようだ。
 ナイフを持つ男がじりじりと勇み足に俺へ近づいてくる。その後ろで棍棒の二人は様子を見ているのか、左右にわかれてこちらを睨みつけていた。最後の素手の男は――。
 相手の位置取りを確認する前に、ナイフの男が駆けだした。姿勢を低くし、ナイフを腰だめに構えている。俺は上半身には肌着しか着ていない。俺を的に見たてれば、刺す場所は選り取り見取りだろう。
 咄嗟に自分のズボンからベルトを外す。普段から緩めに縛っていたおかげで、それはすんなりと抜き取ることができた。突っ込んでくる男に対し、鞭のようにベルトをしならせる。渇いた音をたて、革製のベルトが男の肩に命中した。
 苦痛に顔を歪ませて、男が打たれた肩を不意に庇う。ナイフの切っ先があらぬ方向へ向いた。その時を見逃さず、ベルトを投げ捨てながら男との距離を詰める。握りこぶしを男の頬に打ち下ろすと、元々前のめりだったせいか呆気なく地面に倒れ伏した。
 追撃として大きく脚を振りかぶり、呻く男の頭を蹴り飛ばす。靴越しでも頭蓋骨を蹴った反動は重く、指先がじりじりと痛んだ。しかしそのかいあって、男は転がったままピクリともしない。一人ダウンだ。
 視界の端に得物が映り、地面に向けていた視線を上げる。棍棒を持った男二人に左右を挟まれている。右にハゲの男、左にヒゲの男。わかりやすくていい。
 ハゲが大きく振りかぶった棍棒を重力に従って振り下ろす。後ろ跳びにそれをかわすと、ヒゲが俺の顔を目掛けて横振りに棍棒をよこしてきた。今度は屈んでそれをかわす。それと同時に問題が発生する。ズボンがずり落ちてきた。
 ベルトを外して激しく動いたせいで、履き口が両膝までずり下がっている。これではまともに動けない。青色のトランクスを隠すため、ズボンを引き上げながら片手で男たちに制止を求める。
「待て、少し時間をくれ! ベルトを取ってくる!」
「うるせえ、ど変態が!」
「仲間をボールみたいに蹴りやがって!」
 当然ながら男たちは待ってくれない。今度は二人同時に得物を振りかぶった。狙いは俺の頭と腹のようだ。避けることは諦め、頭を両手でかばい腹筋に力をこめる。予測通り、両腕に鈍い痛みが走り、腹に重い一撃が入る。
 腹から伝わる衝撃で、思わず息を吐き出した。それでも意識は途切れていない。頭に振り下ろされている棍棒を掴み、力任せに前方へ引き寄せた。
「うお!?」
 ハゲの短い悲鳴が聞こえ、つんのめった彼の腕を捕まえる。体をハゲの懐に潜り込ませ、背負い投げの要領でヒゲに投げつけた。その際にハゲの手から棍棒を奪いとる。ヒゲはハゲを受け止めきれず、二人して仰向けに倒れこんだ。
 地面に転がった二人の男に、棍棒を力いっぱい振り下ろす。一度、二度と繰り返すたび、野太く短い悲鳴が聞こえてくる。それが聞こえなくなってから、我に返って辺りを見回した。素手の男がいなくなっている。
「こっちだー!」
 どうやら男は仲間を呼んできたらしい。来た道の方から複数重なった足音が聞こえてくる。これはまずいとズボンを上げて逃げようとする。
「どこ行くんだ、おい……?」
 しかし振り返ると、武骨そうな悪漢たちが五人並んで近づいてきていた。どうやら悪漢たちは、先回りするために別れた集団のようだった。
 増援であろう集団の姿も見える。数は六人か七人か……ともかく多そうだ。抵抗すれば数人は倒せるが、後が続かないだろう。どうしたものかと考えている最中にも、男たちは近づいてくる。
「やあ、ユリンくん。生きててよかったよ!」
 絶体絶命のピンチの中、聞こえてきたのは元凶であるヒリニィの声だった。
 男たちが左右に別れ、その間を通って俺の前にヒリニィが顔を出す。さらにその横には、老いた竜人の女――マダム・ミハヤの姿があった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み