7 ひと時の別れ
文字数 2,105文字
プレディレールにおいて、歓楽街は居住区よりも広く建物の密度が濃い。街の外からの来訪者も多いため、人ごみに流されればあっという間にはぐれてしまう。俺は時々振り返り、ハマリの姿を確認しなければならなかった。
客引きや酔っ払いを避けながら、ハマリは俺のあとを健気に追いかけ、少し距離が空くたびに慌てて間を詰めていた。
俺とハマリの歩幅は大きく違う。俺に合わせると、彼はどうも小走りになってしまうようだ。子供と並んで歩くなど経験になく、速度がどうも意識がしづらい。このままだと不意に見失ってしまうかもしれなかった。
俺は道の端で立ち止まると、背後からちょろちょろとついてくるハマリを待った。
「どうしました?」
「すまん。歩くの速いだろ?」
「い、いえ! 僕が遅いのが悪いんです……」
「まあそう言うな。はぐれたら面倒だし、よければ手でも握るか」
ハマリは俺の手を一瞥し、次に顔をじっと見つめてきた。迷っているようなので、手を差し出してやる。すると彼は、おそるおそるその手を取った。柔らかできめ細かい、子供らしい手だった。
歩き出すと、自分の歩く速度が速すぎたことを自覚する。少し気を抜くと、ハマリの腕を引っ張ってしまう。手を繋がなければ、近いうちにはぐれてしまっていただろう。
危ないところだった。はぐれて一人で娼館に帰られたら、せっかくの苦労が水の泡である。ヒリニィの仕事を果たせず、マダム・ミハヤにも恩を売れないのなら大損だ。
それから手を繋いだまま、娼館を目指して歩き続けた。ハマリに合わせた速度は普段よりもずっと遅く、そこへ着くころには日が暮れかかっていた。
あたりの建物は歓楽街らしく、色とりどりの電灯で明るく照らされている。雲の隙間から洩れた夕日は、外観に主張することを許されていなかった。
マダムの娼館はそんな時間帯でも、表口ではぽつぽつと客が出入りしている。俺はてっきりそこから入るのかと思っていたが、ハマリに手を引かれ建物の裏側へと回って行った。
そこには派手な装飾のある表口と違い、地味で人気のない裏口が設けてある。おそらく従業員用の勝手口なのだろう。常連客の俺でも、こんなところがあるのは知らなかった。
ハマリは改めて俺の手を両手で握り、差し込んだ夕日を瞳で反射させながら俺を見上げる。きらきらと輝く双眸からは、感謝の念が読み取れた。
「ありがとございます、ウッカさん! おかげで無事に帰ることができました」
純粋な感謝に怯んでしまうが、ここでお礼を引き出させなければ意味がない。
「ああ、まあな。別に催促するわけでもないが、できればなにかお返しを……」
「もちろんですよ。どうぞあがって行ってください!」
「マダムの部屋に通してくれるのか?」
「え? 僕の部屋でおもてなししようかと……」
この流れはまずいかもしれない。個人的なお礼で済まされたら、マダムの耳に入らない可能性がある。子供のおもてなしなどたかが知れているだろう。
――名案を思いついた。ハマリはマダムの話相手らしい。つまり自分が助けてもらったと、マダムに話してもらえばいいのだ。強面で出不精の婆さんとはいえ、お気に入りの子供を助けた相手なら礼はするだろう。その時に娼館の割引一年分でも要求すればいい。
となれば、ハマリのおもてなしとやら断るべきだ。
「あー、ハマリ。すまんが俺はやることがあるんだ」
「やること……ああ!? そうですよね、ウッカさんは仲間を裏切って僕を助けてくれたんですし……」
「え、仲間? 裏切り?」
「部屋に来た時は、仲間に頼まれて様子を見に来たんですよね?」
確かにハマリから見れば、俺は誘拐犯を裏切り、危険な橋を渡ってまで彼を助けたように見えるわけだ。
この勘違いを利用できれば、マダムに話してもらう際により印象を良くできるかもしれない。
「まあ、そうだな。今からその……ケリを着けてくる感じだ」
「ウッカさん……大丈夫なんですか? 僕のせいで危険な目にあうんじゃ……」
「心配するな。その内、お前のおもてなしとやらを受けにくるから」
俺の手を握るハマリの手に、ぐっと力が込められる。きっと感動しているはずだ。今の返事は、自分でもなかなかドラマチックな返しだと思う。
「あの、僕じゃなにもできませんけど、マダムに話してみます! ウッカさんのこと、なにか助けてあげれるかも……」
「本当か!」
いいぞ。すごく上手くいってる。流れは俺にある。娼館の割引一年、いや二年はいけるかもしれない。
「はい……あ、コートは洗って返しますね。引きずって汚しちゃいましたから」
「ありがとよ。来る理由がまた一つ増えたな」
「そ、そうですね! 待ってますから、絶対に来てくださいね!」
「ああ、またな」
名残惜し気に手を離したハマリに背を向け、俺は娼館をあとにした。自分で自分を褒めてやりたい気分だ。これでなにも礼がなければ嘘だろう。それほどまでに、彼に好印象を与えられたと思う。
日も沈み、人工的な光が支配する道を進んでいく。俺は上機嫌なまま、ヒリニィのもとへと帰っていった。
客引きや酔っ払いを避けながら、ハマリは俺のあとを健気に追いかけ、少し距離が空くたびに慌てて間を詰めていた。
俺とハマリの歩幅は大きく違う。俺に合わせると、彼はどうも小走りになってしまうようだ。子供と並んで歩くなど経験になく、速度がどうも意識がしづらい。このままだと不意に見失ってしまうかもしれなかった。
俺は道の端で立ち止まると、背後からちょろちょろとついてくるハマリを待った。
「どうしました?」
「すまん。歩くの速いだろ?」
「い、いえ! 僕が遅いのが悪いんです……」
「まあそう言うな。はぐれたら面倒だし、よければ手でも握るか」
ハマリは俺の手を一瞥し、次に顔をじっと見つめてきた。迷っているようなので、手を差し出してやる。すると彼は、おそるおそるその手を取った。柔らかできめ細かい、子供らしい手だった。
歩き出すと、自分の歩く速度が速すぎたことを自覚する。少し気を抜くと、ハマリの腕を引っ張ってしまう。手を繋がなければ、近いうちにはぐれてしまっていただろう。
危ないところだった。はぐれて一人で娼館に帰られたら、せっかくの苦労が水の泡である。ヒリニィの仕事を果たせず、マダム・ミハヤにも恩を売れないのなら大損だ。
それから手を繋いだまま、娼館を目指して歩き続けた。ハマリに合わせた速度は普段よりもずっと遅く、そこへ着くころには日が暮れかかっていた。
あたりの建物は歓楽街らしく、色とりどりの電灯で明るく照らされている。雲の隙間から洩れた夕日は、外観に主張することを許されていなかった。
マダムの娼館はそんな時間帯でも、表口ではぽつぽつと客が出入りしている。俺はてっきりそこから入るのかと思っていたが、ハマリに手を引かれ建物の裏側へと回って行った。
そこには派手な装飾のある表口と違い、地味で人気のない裏口が設けてある。おそらく従業員用の勝手口なのだろう。常連客の俺でも、こんなところがあるのは知らなかった。
ハマリは改めて俺の手を両手で握り、差し込んだ夕日を瞳で反射させながら俺を見上げる。きらきらと輝く双眸からは、感謝の念が読み取れた。
「ありがとございます、ウッカさん! おかげで無事に帰ることができました」
純粋な感謝に怯んでしまうが、ここでお礼を引き出させなければ意味がない。
「ああ、まあな。別に催促するわけでもないが、できればなにかお返しを……」
「もちろんですよ。どうぞあがって行ってください!」
「マダムの部屋に通してくれるのか?」
「え? 僕の部屋でおもてなししようかと……」
この流れはまずいかもしれない。個人的なお礼で済まされたら、マダムの耳に入らない可能性がある。子供のおもてなしなどたかが知れているだろう。
――名案を思いついた。ハマリはマダムの話相手らしい。つまり自分が助けてもらったと、マダムに話してもらえばいいのだ。強面で出不精の婆さんとはいえ、お気に入りの子供を助けた相手なら礼はするだろう。その時に娼館の割引一年分でも要求すればいい。
となれば、ハマリのおもてなしとやら断るべきだ。
「あー、ハマリ。すまんが俺はやることがあるんだ」
「やること……ああ!? そうですよね、ウッカさんは仲間を裏切って僕を助けてくれたんですし……」
「え、仲間? 裏切り?」
「部屋に来た時は、仲間に頼まれて様子を見に来たんですよね?」
確かにハマリから見れば、俺は誘拐犯を裏切り、危険な橋を渡ってまで彼を助けたように見えるわけだ。
この勘違いを利用できれば、マダムに話してもらう際により印象を良くできるかもしれない。
「まあ、そうだな。今からその……ケリを着けてくる感じだ」
「ウッカさん……大丈夫なんですか? 僕のせいで危険な目にあうんじゃ……」
「心配するな。その内、お前のおもてなしとやらを受けにくるから」
俺の手を握るハマリの手に、ぐっと力が込められる。きっと感動しているはずだ。今の返事は、自分でもなかなかドラマチックな返しだと思う。
「あの、僕じゃなにもできませんけど、マダムに話してみます! ウッカさんのこと、なにか助けてあげれるかも……」
「本当か!」
いいぞ。すごく上手くいってる。流れは俺にある。娼館の割引一年、いや二年はいけるかもしれない。
「はい……あ、コートは洗って返しますね。引きずって汚しちゃいましたから」
「ありがとよ。来る理由がまた一つ増えたな」
「そ、そうですね! 待ってますから、絶対に来てくださいね!」
「ああ、またな」
名残惜し気に手を離したハマリに背を向け、俺は娼館をあとにした。自分で自分を褒めてやりたい気分だ。これでなにも礼がなければ嘘だろう。それほどまでに、彼に好印象を与えられたと思う。
日も沈み、人工的な光が支配する道を進んでいく。俺は上機嫌なまま、ヒリニィのもとへと帰っていった。