兎鉢の知恵

文字数 2,169文字




多比野が、駆け回って、集めた情報を元に、兎鉢は、成人の儀式に向けて策を練り続けていました。
鰹節をふたつほど、はみ平らげて…。


まずは、事を見るに、当日、成人の儀式に向かう男子五十余名全員が 未の刻(午後一時から三時辺り) の、い、の一番に出立し、女子六十余名は男子より半刻(約1時間)後に出立するとの事です。

こうして見ると、所詮は群れによる行動になるのですが、皆、お供を付けずに出立するので、儀式としては成り立つらしいのです。

また女子が男子より半刻遅れて出立するのは、やはり時代の風潮と言うのか、成人男性達を成人女性達が、一歩前に立て、尊重する為に行う、という一種の暗黙の了解によるものだ、との事です。


ここからが、兎鉢の筋書きなのですが、兎鉢はこの風潮と当家の格式を逆手に取って、私を一番最後の未の刻から 申の刻(午後三時から五時辺り) の合間に出立させようと多比野に提案していました。

兎鉢と多比野は意見を交わします。


「あ、そうか!要は山里家の体裁と面子を守ればいいわけだね。多比野!すぐに荷車を調達して来て!んで荷車に乗せる道具箱もお願いね、千歳様は道具箱に入って貰うからさ、新品のやつを都合してね」



「道具箱と荷車はなんとかなるぞ!でも千歳様が歩いて社に向かっている姿を村の人達が見ないと不味くないか!?」



「うん、千歳様に村を出るまでは歩いて貰う。お家から村を出るまでが四町(約450m)程度だから、そこから先は荷車の道具箱の中に入ってもらうのね、それで八幡の山に着いたら山の入口で千歳様にお待ち頂いて、多比野が鈴を社に置いてくるのよ。後は帰りも同じ要領でやれば大丈夫」



「だな!僕は千歳様が酔わないように頑張って荷車を引くぞ!」


「うん、お願いね。策が上手く行けば山里家の評判も、きっとあがるからね」


兎鉢が言うには、格式の高い令嬢の私が、自ら成人男子達を、三歩前に立てて、1番、最後に出立するのは、他の武家の女性達にとってこの上ない手本となる…と、

各々の武家の御両親様方や村の人々は、私の出立の刻限を知って、怪しむどころか、返って感心をするであろうと兎鉢は読んだのです。


皆が山から村に戻って来た頃に、私が村を出立して、八幡山の入口に、到着し、そこから、私の代わりに多比野が私の鈴を八幡の社に置いてくる…と、このような手筈なのです。



もちろん、このような、抜け道を通る行為に、私自身、負い目を感じないわけではありません。

ですが、私では往復二里(約8km)の道のりを歩んでも、無事に帰ってこれそうにないのです。

ましや、山に入れば険しい坂道なのです。
この弱々しい身体では力尽きてしまうでしょう。

休みながらゆっくり行けば、日が暮れてしまいます。
日が落ちると、真っ暗闇になり、迷ってしまって村に帰るどころではありません。

かと言って、皆と同じ刻限に出ても、結果は同じ事なのです。

日が落ちても、村に帰っては来れないでしょう。

歩く為の力が非常に不足しているのです。

試しに先程、屋敷の周りをぐるりと歩いてみたのですが、ひと回りするのに半半刻(約30分)ほどかかってしまいました。

オマケに息もおぼつかないほど疲労してしまったのです。


結局のところ、今は兎鉢の知恵と多比野の行動力に、すがるしか、術がありませんでした。

兎鉢は三本目の鰹節をかじりながら、なおもアタマを抱えています。

「後は万が一に備えて……ボソボソ」


それにしても、なんとまあ、細心で知恵の回る子でしょうか…私は思わず感心してしまいました。

兎鉢にはこのような長所があったのですね。

1年ほど前から、お供をしてくれていましたが、 私は全く気が付かなかったのです。





成人式の当日、私は桜の刺繍の入った振袖を身につけ、
身を華美に着飾り、御髪を儀式用に整え、成人の儀式を終えた男女全員が村に帰って来るのを待ち、多比野から最後の一人が村に戻ったと聞くと、八幡の山に向かって厳かに歩を進めました。


村の方達は皆、兎鉢の目論見通りに、私を敬い囁き始めるのでした。

「山里家のお嬢様が、1番最後とは殊勝だ」

「あれぞ、武家の女人の鏡よ」

「やがて成人を迎える、我が娘にも、あやからせたいものだ」

等々……。

しかし当の私の心は、村の人達の敬いとは裏腹に、申し訳なさと負い目と、引け目と、居た堪れなさで、いっぱい、だったのです。

務めて、無表情で歩を進めながら、緊張のためか、手や首筋にはすでに汗が滲んでいます。

汗のためにおしろいが落ちてしまわないか心配で、御髪を乱さないように細心の注意も払っていますし、村を出るまでの間の事は、あえて考えないようにしていたのです。

余計な事を案じてしまえば、歩く力が無くなってしまいそうで、怖かったからです。


なるべく息を切らさぬように、数歩進んでは、歩を止めて、また数歩、歩く、と言った歩行法で、我が身を進めて行きます。

さながら、まるで花魁道中のようでした。

その歩行の様子が返って、村の人達には品格の高いものに見え、村の女子達などは、私に羨望の眼差しを送っています。

華美で華やかで粛々としているので、輝かしくも、羨ましく見えたのかも知れません。

しかし、水面下での私の苦心、苦労は大変なものです。

私は、今、水面に浮く水鳥の気持ちを理解していました。

…歩み始めた刻から、すでに私の難行苦行は始まっていたのです。
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