愚図郎殿

文字数 2,765文字


やがて、自室に戻ると多比野と兎鉢が、なにやら熱心に話し合っています。

「十日後の儀式って、社に鈴を置いて来るだけだよな?
最悪の場合、僕が千歳様の代わりに置いてくる!」

鰹節をはむはむとかじりながら、兎鉢も頭を回しているようです。

「駄目だよ多比野、儀式には村中の武家の成人達が、
みんな社を目指して行くからね、万一にもバレたら山里家は名折れになっちゃう」

「千歳様が途中で倒れたらどうするんだ!」

「うん、だから千歳様には申の刻(午後三時から五時辺り)に出ていただこうよ、儀式のはじまりが 未の刻(午後一時から三時辺り)で、他の武家の人達は我先にと行くだから、申の刻辺りに出れば、ほとんど誰も居ないハズだよ、身代わりも出来ると思う」


「…というよりも身代わり前提で行くべきだ!」


「うん、だから多比野は今から儀式に参加する人達の正確な出立の刻限を探って来てね。そのしらせをもとに千歳様が出立される刻限を決めるから」

「まて、今回、参加する成人は何人いるんだ?」

「参加する人達の家と名前は村内の人口帳簿を見た時に覚えたから地図に書くね」

「わかった!僕は各家の天井裏に忍んで情報を集めてくる!気配を消すのは得意だ!」

兎鉢はふと、とある人物を思い出したようです。

「あ!…加賀美家の四男坊の愚図郎も今年で成人だ、あの人どうやって一人で社まで行くんだろ?」

「あの馬鹿だな、あいつの事はどうでもいいから早く覚書と地図を書け!」


私は二人の会話を聞いて不思議に思いました。

はて?愚図郎?そのような名前の人物など、この世にいるのでしょうか?

また、我が子にそのような名前を付ける親など存在するのでしょうか?

私は珍しい花の名前の由来を聞くような軽い気持ちで、愚図郎の事を多比野と兎鉢に聞きいてみました。

「…その愚図郎殿とは、どのような方なのですか?」

これ自体が滅多に無いことでしたが、一種の戯れに過ぎません。

兎鉢が語るところによると、「愚図朗殿」は、村、随一の名家、加賀美家の四男坊で、今から十年前に流行りの熱病にかかり、四十九日の間、彼岸の境をさ迷い、いざ生還すると、すっかり木偶の坊のような人物になってしまっていたという、加賀美家の厄介者の事だそうです。


熱病にかかるまでは利発で幼いながらに賢明な方だったらしいのですが、今では自身の兄君や両親にまで疎まれ、蔑まれていて、あまつさえ、食事さえ一人ではまともに出来ず、髪はボサボサであり、顔も前髪におおわれていて、外に出れば童達にもバカにされる始末、外店の売り物を銭を払わずに食べてしまったり、その度に加賀美家の使用人は店主に平謝りをしているとか…。

また、何を思ってか、あてどなく、ふらふら、のろのろと、さ迷い歩くところから、「愚図郎」と言うあだ名がついたとの事です。

加賀美家も愚図郎殿を家内に閉じ込めようとしたらしいのですが、膂力が異常に強く、愚図郎殿の前に立ちはだかろうものなら、押し飛ばされてしまうのです。

もし、凶悪性が強ければ、とっくに加賀美家から追放されているでしょう。

私と同じ十年前に難を、こうむったところに妙な親近感を覚えましたが、愚図郎殿は私とは違い、日がな一日、外にいるとの事です。

身体は十六の青年ですが、中身は三歳児以下。これが兎鉢が噂を元にした愚図郎殿の感想でした。



多比野に至っては実際に愚図郎殿を外で見た事があると言っています。

ある日、当家の親戚に手紙を届けた後の帰りに偶然、愚図郎殿を拝見したとの事です。

遠目から見ただけらしいのですが、村の中の神社の階段で無邪気に寝そべっている愚図郎殿の姿を見つけた童達が、遠慮なく、そしりの的としていたというのです。


「愚図だ!またひなたぼっこをしてやがる!こいつ、馬鹿だぞ!!村のみんな言ってんだ!こいつの家も愚図ばっかりだってな!」


当の愚図郎殿は、まったく反応しなかったらしいです。それどころか呑気にあくびをして再び寝入ってしまった…と。

そこに加賀美家の上の三兄弟が、現れたそうです。体格が良く、長身で着物の背に、加賀美家の家紋が入った武士の三人組であったと多比野は語ります。

加賀美家の長男殿が一喝しました。

「童共!!我らはそこに転がっている愚図の兄弟だが、我らも愚図に見えるか!!」


童達は驚き、あわてて、わたわたと、取る物も取りあえず彼方へ逃げ出しました。

加賀美家の長男殿は愚図殿を見つつ怒りにまかせた罵声を実弟に浴びせたそうです。

「この木偶の坊のせいで我らも!我らの家も!いい笑い者ではないか!たまに兄弟で神社に詣でてみれば、早速この様だっ!!」

三男殿が怒り心頭の長男殿にボヤきます。

「童共さえあの言いようだ。こりゃ俺達が思うより、ずっと、うちの家の悪名は村中にとどろいてるだろうな」

長男は三男を睨み付けながらに言う。

「なんだと!?」

「事実だろう、世事に疎い童共があんなざまだ」

「ええい!噂する者達の口は塞げんのか!!」

「…兄者よ、人の口に戸は立てられんよ」

「まったく口惜しい!!いっそ皆、斬り殺してくれよう か!!」

「兄者、落ち着けよ。でまかせなんだろうが、誰が聞いているかわからんだろう」

長男殿は、愚図朗殿の方を、睨み付けながらに、叫んだそうです。

「……貴様さえ!!貴様さえいなければ!!!」


長男殿は普段は務めて冷静な人物らしいのですが、これまでに、溜まりに、たまった愚図郎殿に対するうっぷんが、何はばかることなく爆発していたようです。


長男殿はさらに畳み掛けます。

「愚図よ!貴様は風に吹かれる枯れ葉のように、気まぐれに村からも家からも居なくなる時があるな!!いなくなるなら!いっそ!そのまま帰ってくるな!!
十日後の成人の儀式も満足にやり通せなければ、貴様は出家させてやるからな!!」

次男殿は長男殿の「出家」という言葉に、何事か着想を得たようでした。

長男殿がどこまで本心で出家を言葉にしたかは分からないものの、武家にとっての出家の言い渡しは勘当を意味する事が多いのです。

この場合は間違いなく出家即勘当でしょうね。

もっとも、長男殿が家督を相続した上での言い渡しでなければ意味はありませんが…。

三男が怒り心頭の長男をなだめると、次男は何事かを二人に囁きつつ、兄弟三人揃って、その場を立ち去ったという事です。


兎鉢と多比野は私の質問に答え終わると、再び、成人の儀式について策をねり始めました。


愚図郎殿…

私とは違い、肉親にすら忌み嫌われる愚図郎殿。

しかし境遇は私に近いのですね。

これは真逆のようで近いのです。

十年前の不幸が、今の私と愚図郎殿を作ってしまったと言う点においては近いと思いました。


久方ぶりに私は好奇心をくすぐられています。

ですが、それゆえに一層、愚図郎殿に、関わる事はないでしょう。

私は既に、十年前、好奇心によって殺されてしまった猫なのですから…。

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